あきとかな ~恋とはどんなものかしら~

穂祥 舞

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9月 17

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 部屋に入ると、いつものように暁斗は奏人にコートや鞄を預けて、彼が手慣れた様子でハンガーに背広とコートを掛けるのを眺めた。きっと一緒に暮らすようになっても、同じように暁斗の着ているものを丁寧に片付けてくれるのだろうと想像する。奏人は自分もコートを脱ぎ、暁斗の正面についとやってきて、真っ直ぐに見上げてきた。

「短い期間でしたが贔屓にしていただき、本当にありがとうございました」

 奏人は言って丁寧に頭を下げた。暁斗は少し戸惑って、あ、いや、と言う。

「桂山さんは僕にとって最後のお客様です、僕の勝手な気持ちですけれど、桂山さんみたいな優しくてきちんとしたかたとこの仕事を締めくくることができて良かったと思っています」

 暁斗は奏人の真摯しんしな表情に胸を突かれた。ディレット・マルティールのトップクラスのスタッフとして、また奏人自身のけじめとして、こうして客の一人一人に挨拶をしているのだ。

「暁斗さんとは……これからのおつきあいのほうが長くなる予定だから……これからもよろしくお願いします」

 奏人は再度頭を深く下げた。そして顔を上げると、ふわりと微笑んだ。暁斗の中で彼を愛おしく思う気持ちが一気に膨らむ。暁斗は奏人に2歩近づいて、彼をゆっくりと抱きしめた。その髪から、今日もほのかに甘い匂いがした。

「俺みたいな客のために……あなたの人生を狂わせるようなことになって申し訳なかった、でも……ありがとう」

 奏人は返事をする代わりに、暁斗の背中に優しく腕を回してきた。初めて奏人とこの部屋に来た時は、この可愛らしい魔物とこんなことになるなんて、思いもしなかった。ただ暁斗は、奏人にあの日心も身体も奪われてしまった以上、どんな形になるにせよ、彼から離れられなくなっていただろうとも思う。

「人生を狂わされたとは思ってないよ、むしろ僕があなたの世界を狂わせた……謝らなきゃいけないのは僕のほうだ」

 奏人は暁斗の腕の中で言った。そしてそのまま顔を上げて続ける。

「たぶんこれからも僕はあなたを振り回してしまうと思う」

 暁斗はそうして自分に遠慮と不安を見せる奏人を、やはり若いなと感じる。嫌がられたくない、迷惑をかけたくないという思いが強すぎて身動きが取れなくなった経験が、恋愛以外の場所でなら暁斗もこれまでに何度もあった。

「未確定の出来事に不安を抱くのは時間の浪費だと言ったのはあなただよ」
「偉そうだったね、僕は結局いつも頭でっかちで……」

 奏人は言葉を切り、暁斗の胸に顔を埋める。そっと頭を撫でると、奏人がほっとしたようにひと息ついたのがわかった。

「迷惑をかけられたなんて相手が思ってないことも案外多いから」
「……暁斗さんは優しいね」

 奏人は暁斗の言いたいことを察して返事をしてくれる。そんなところも愛おしい。

「暁斗さん、やっぱり少し痩せたね……この間会社で会った時に思ったんだけど」

 奏人の言葉にそうかな、と応じた。

「ちょっと抱きついただけでわかる?」

 暁斗が訊くと、奏人は目だけでこちらを見上げて、笑い混じりに答える。

「わかるよ、今までどれだけ抱きついて愛撫したり眠ったりしたと思うの?」

 あけすけな言い方に、暁斗は顔が赤くなるのを自覚した。

「そんなに……会ってないよ」
「あなたの身体を知って覚えるには十分だよ」

 何という言い方をするのかと、暁斗は頬や耳が熱くなるのを抑えられなかった。そんな暁斗を見て、奏人は鎖骨の辺りに頬をくっつけたままくすくす笑う。その声にパシッと音を立てて、何かが壊れたような気がした。暁斗は奏人の細い腰に両腕を回して、身体を肩に担ぎ上げた。女の子のように軽い。わっ、と奏人が子どもみたいな声を上げる。
 暁斗はベッドに奏人を降ろして、彼が目を丸くしているのを見つめながらそのまま上半身を押し倒した。

「暁斗さん、待って」

 言い終わらないうちに無理矢理唇を塞ぐ。奏人は身体を固くして暁斗の肩に腕を突っ張ろうとしたが、無駄だと思ったのかすぐに諦めた。唇を割って舌を押し込むと、躊躇ためらいながら応じてくるのが可愛らしくて、暁斗は欲情を掻き立てられる。両手で柔らかい頬を挟み、何度も唇をつけ直すと、奏人は声にならない音を洩らした。可愛らしい。でも今日は許さない。

「暁斗さん、そんな急がなくても、時間はたっぷり……」

 奏人は唇が離れるなり、ほとんど喘ぎながら訴えた。染まった頬の色がきれいだった。

「俺もあなたの身体を知って覚えたい」

 奏人が一瞬息を詰めたのがわかった。怖がらせていないか心配になる。でもちょっと我慢できそうにない。

「その時間もこれからたっぷりあるから……あっ」

 暁斗がやはりピンク色に染まった耳たぶを唇で挟むと、奏人は肩をすくめた。舌の先をそのまま首筋に這わせ、右手で腰を探る。早くその肌に触れたかった。ニットの中に手を入れると、奏人がだめ、と小さな声を上げた。

「何がだめなんだ、こんなに顔を火照らせてるくせに」

 暁斗はわざと荒っぽい言葉をかけてみる。奏人は困ったような表情になった。

「服がしわになるよ、暁斗さん良いもの着てるのに」

 奏人が言うほど上等なものは身につけていないと思う。しかし奏人は手をのばして、暁斗のネクタイの結び目に大切そうに指をかけた。

「ちっともわかってないんだから、僕が先にお風呂の用意をするのは意味があるんだよ」

 暁斗は長くて細い指が器用に結び目を緩める様子を見て、妙な興奮を覚えた。奏人はネクタイをするりと暁斗の首から解き、カッターシャツのボタンを一つ外してそこから手を入れた。首にいきなりひんやりとしたものが触れ、身体が勝手にぴくんと反応する。奏人は暁斗の動脈の上に指先を置いた。

「どくどくしてる」

 奏人は楽しそうに言った。

「こんなに僕を欲してくれてるんだ、先に1回やっちゃうほうがいいのかな」

 奏人は暁斗の首を軽く撫でてから、素早くそこに唇を押しつけた。指先と違い、熱い。その感触に腰が砕けそうになる。

「今日は眠らせません、2回いかせますよ」

 奏人の表情に余裕の笑みが浮かんだのを見て、暁斗は今日も魔物の攻略に失敗したことを悟る。唇を優しく塞がれると、もう後は奏人のなすがままだった。頬や耳の周りに口づけを浴びせられながら、着ているものを少しずつ剥ぎ取られて、気づけば下着だけになり押し倒されていたのは暁斗だった。奏人の前でわんわん泣いて、なすがままにあっさりと手でいかされたこの間と、ほぼ同じ流れである。どうして奏人の前では、こうなってしまうのだろう。
 奏人は満足げに口許に笑いを浮かべ、すっかり骨抜きになった暁斗から奪ったスラックスとカッターシャツを丁寧にたたむ。それらをネクタイと一緒に枕元に置くと、自分は何一つ脱ぎもせずに暁斗の身体の上に乗ってきた。ああ、奏人と暮らしたら毎晩こんな具合に扱われて、身が持たなくなるかも知れない。暁斗は火照った脳内で考えを巡らせる。

「……奏人さん」

 奏人の手がシャツの中に潜り込んで来て脇腹を撫で始め、その指の感触に痺れながら暁斗は声をかけた。

「はい」
「怒ってるの、ベッドに強引に連れてきたこと」

 暁斗の目に小さく笑う奏人の顔が映る。目を細めて暁斗を覗き込む仕草に、えも言われぬ色香が漂っている。

「怒ってなんかいないよ、どうして?」
「手荒なことをされかけた時のことを思い出させたんじゃないかって……」

 暁斗の言葉に、奏人はちょっと目を見開き、ややはにかんだような笑顔を作った。

「あなたは優しい、そんなこと僕のほうが考えてもみなかった」

 あなたが好きだ、と奏人は暁斗の耳元で囁き、手を滑らせて胸元を撫でた。奏人の親指に乳首をとらえられて、暁斗が身体をわずかに反らせると、奏人が喉元に食らいつくような接吻を仕掛けてくる。巧みな愛撫に、あっという間に蕩けてしまいそうだった。

「して欲しいことがあったら遠慮なく言って、何でもしてあげたいから……この3週間頑張ったご褒美に」

 下着を脱がされながら、暁斗は天使の囁きを聴いていた。こうして欲しいなんて、特に無いのだ。何をされても気持ちいいとわかっているから。でも何か言わないと、奏人が困ってしまう。暁斗は快感のせいで既に崩壊しかけている理性を掻き集めて、希望を言語化した。

「キスして、肌に触れさせて」

 奏人はにっこり笑って、躊躇ためらいも無くニットを下着ごと脱ぎ捨てた。そのまま倒れ込んで来て、暁斗にその肌の感触と温度をたっぷり味わわせてくれる。暁斗はすべすべした背中を抱きしめて、髪の香りに恍惚となった。

「たまに暁斗さんって……女の子を抱いたらこんな風なのかなって思わせる時があるんだよね」

 奏人は暁斗の耳たぶに唇を触れさせながら、楽しげに言った。

「……犬の次は女?」

 暁斗は言いつつも、多少同感を持ってその言葉を受け止めた。ベッドに入ると暁斗が受け身になることが多いからだが、奏人が相手だともう何をされても構わなくなり、そんな自分が恥ずかしく、でも甘美な感覚に抗えなくて乱れてしまう。

「暁斗さん可愛いんだもの……」

 奏人は言いながら暁斗の唇を自分のそれで包み込む。暁斗の脳内で、アドレナリンが暴発する。奏人はしばらく唇を味わってから、暁斗を見つめて小さく笑った。

「あなたのそんな顔……あの時会議室にいた誰が想像できるかなあ?」

 暁斗は咄嗟とっさに右手で口を押さえた。叫びそうになったからだ。奏人はその手を引き剥がして、暁斗に自分のほうを向かせる。黒い瞳が爛々と輝いていた。

「ほらほら、そういう反応が可愛いから」
「やめてくれ、頼む」
「やめないよ、暁斗さんいじめられるの結構好きだもんね……ほら」

 奏人はちらっと下のほうに視線をやる。暁斗は恥ずかしさのあまり顔を背けて目を閉じる。勃起していることはわかっていた。

「僕だけにしか見せない顔を見せて」

 奏人に熱く固くなったものの先を撫でられ、腕に鳥肌が立ち暁斗は思わず声を上げる。奏人の指が絡みつき食い込んできて、あまりの快感に勝手に身体が跳ねてしまう。

「遠慮も我慢もしなくていいよ、ご褒美なんだから」

 それこそ飼い主に褒められながら撫でられる犬のように扱われて、暁斗は羞恥心のあまり、そして気持ち良さにやめろと言えない自分が情けなくて泣きそうになった。

「困ってるの? どうして? いつも暁斗さんはすぐに溺れてくれないから……僕がむきになっちゃうんだよね」

 奏人は手の動きを大きく強くした。

「ああっ」

 暁斗は奏人の右腕を掴んでやめさせようとするが、突き上げてくる快感に力が入らなくなる。思わず懇願した。

「奏人さん、やめて……」
「やめていいの?」

 奏人に軽く返されて暁斗は何も言えなくなった。奏人はちょっと笑ってから、唇を重ねてきた。舌がすぐに入ってきて暁斗を欲情の沼に誘う。抗う術を持たない暁斗は、誘いに乗ってしまい、頭の中まで痺れるような快感に全身を支配される。
 ああ、奏人と出会ってから、こんなことをされる快楽に身体が味を占めてしまった。暁斗は唇が離れても、奏人を求めてその頬や喉に夢中で口づける。奏人が欲しくて、頭がおかしくなりそうだった。

「いつでもいっていいよ、このあとお風呂に入ってもう一回やろうね」
「奏人さん……」

 暁斗は奏人が優しく見守ってくれているのに、胸がじんわりと熱くなった。甘えて構わない。乱れて構わない。今だけは、いつもきちんとして頼りにされる、長男や上司でなくて構わない。

「奏人さんが大好きだ」

 暁斗のかすれた告白を聞いて、奏人は満面の笑みを見せた。そんなに喜んでくれるのか。

「僕も暁斗さんが大好きだ、だから僕に全てをさらけ出して」

 奏人の手に力が入り、暁斗は身体をよじった。腕を手で、脚を膝で押さえつけられる。目をそっと開くと、可愛らしい魔物はきゅっと唇の両端を上げた。

「最近手でばっかりしてるかな」

 いいよ、と暁斗は言いかけたが、奏人が動くほうが速かった。脚を抱えられて、慌てて上半身を起こそうとした。

「だめだ、まだ風呂に入ってないのに、きたな……っ!」

 最後まで話せず、代わりに半ば叫びのような高い声が出てしまった。柔らかいのに、熱く暴力的な粘膜にこすり立てられ、暁斗は声にならない音を喉から出し続けた。気持ちいいという言葉では足りないような激しい快感に、腰が勝手にびくびく震える。奏人は楽し気に暁斗のものを口から出し入れしていて、赤い舌がまとわりついたのを見ただけで、あまりの淫靡いんびさに意識が飛びそうになった。目に見えるものも、耳に届く湿った音も、いやらし過ぎる。
 こんなことをされて、誰が長い時間耐えられるのだろう。暁斗は呼吸を乱す。

「ああっ、もう……」

 熱い激流に飲み込まれた気がした。きつく目を閉じて、奏人の口の中で暁斗は果てた。意識が朦朧もうろうとする中、いつものように優しく丁寧に拭われる。身体の震えが治まってくると、温かい腕に抱き止められた。奏人の肌の匂いを、ゆっくりと鼻から吸い込む。
 幸せだった。もう少ししたらこの幸せを、味わいたい時に味わえるようになるのだと思うと、違う感情が込み上げてくる。ご褒美だと思いたい、この数週間、何度も投げ出しそうになったけれど必死で戦ったことに対する。
 
「暁斗さん、すごく良かったんだね……僕も嬉しい」

 奏人は顔を近づけてきて、暁斗の左の目尻に唇の先をつけた。わずかにそこの空気が動いた。涙を吸ったのだとやっと理解した。

「いって泣いちゃうなんて……ほんとに可愛いんだから」

 そう言って笑う奏人の頬を、暁斗は左手を伸ばして包む。その手に奏人は自分の手を重ねた。奏人の黒い瞳は、暁斗への慈しみをたたえていた。気持ち良かったせいだけではないのだが、ちょっと上手く説明できそうになかった。
 奏人は布団をめくり上げて、素っ裸でぐったりしている暁斗の腰から下にかけた。暁斗が話さないのを、喉が渇いているせいだと思ったのか、奏人はベッドから降りて冷蔵庫に向かう。黒いジーンズだけ身につけた後ろ姿が美しく、色っぽい。

「お風呂用意するね、のぼせないようにぬる目で」

 奏人は冷たい水の入ったグラスを暁斗に手渡して言った。その目に笑いが滲んでいる。身体の火照りが抜けなくて、いっそ水のシャワーでもいいくらいだ。水が美味しかった。
 奏人はやはり上半身裸のままで、枕元にたたんであった暁斗の服をハンガーにかけて、浴室に向かった。よく動く子だなと思ったが、暁斗が知らなかっただけで、いつもこうして段取りをしているのだ。大変な仕事だと感じた。

「落ち着いた? 身体洗うから起きられるかな」

 バスローブ姿になった奏人が、暁斗のバスローブを広げて持って来る。上半身を起こされながら、暁斗は笑った。

「年を取って動けなくなったら手厚い介護を受けられそう」
「暁斗さんが相手なら下の世話もできるよ」

 奏人は微笑みながら言う。

「長生きして僕に世話をさせてね、今はまず疲れを癒して体重を戻して」

 少し大げさに思えたが、奏人が本気で言っていることを暁斗は知っている。奏人に対してはもちろん、周りの人たちに心配をかけないということも、相手に対する思いやりだと、暁斗は今回の出来事で改めて実感した。

「だめだめ、お風呂行くんだから……」

 バスローブを自分に着せかけようとする奏人を腕の中に捕えると、身を捩って奏人が言った。愛おしくてたまらなかった。出会った頃にとらわれた会いたいという渇望よりも、ずっと重くて深い思いだった。それに気づいたのかわからないが、奏人は少しじっとして暁斗のなすがままになってくれている。
 これから何十年か経った後に、今の気持ちを思い出すことがあるだろうか? ……忘れないし、忘れたくない。暁斗はお湯の溜まる音だけが微かに聞こえる中、そう思った。
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