あきとかな ~恋とはどんなものかしら~

穂祥 舞

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9月 15‐②

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 暁斗は何を言われたのか本当に理解できなかった。一拍置いて探るように答える。

「申し訳ありません、おっしゃることの意味がわかりかねます」
「あなたがうちの高崎との将来を考えてらっしゃると伺っています、うちは来年度中に同性カップルに対して異性のカップルと同様に、結婚にあたる環境を作る場合に祝金を贈る等の制度を整える予定です……こちらは優秀な営業担当が欲しい、我が社なら高崎と堂々と家庭を作り桂山さんにモチベーションを上げていただけると約束できます」

 暁斗は頭の中が真っ白になった。清水がええっ、と暁斗の代わりに声を上げた。奏人と家庭を持って祝金とは何の話なんだ? 意味不明な空白が、会議室の中に生じた。

「部長、桂山さんにそういう冗談は通じないので……」

 奇妙な沈黙の中に聞こえたのは、奏人の小さな声だった。森田が、原の横で笑いを堪えている。

「冗談じゃないぞ」
「いや、お気持ちはわかりますけどフライングです」

 奏人は暁斗の方を見て、微苦笑した。この状況においても、暁斗は奏人のそんな表情を可愛いなと思ってしまったが、大平が独り言のように可愛い、と言ったのでぎょっとした。

「要するに御社は同性愛を認めない会社の優秀なゲイの社員を……好条件を提示した上で引き抜いてしまいたいと」

 岸が半笑いで言った。暁斗はようやく何を言われたのかを理解し始め、自分でもわかるくらい赤面した。奏人がこちらを見て笑いを堪えるのに口を手で押さえたので、それに気づいた大平が暁斗を覗き込み、あらま、と呟く。

「そうです、桂山さんに良い環境で良い仕事をしていただきたい」

 原はあくまでも強気である。

「桂山くんどうする、受けますか?」

 岸は浅野の向こうから、やはり半笑いで暁斗に尋ねてきた。浅野があ然としているのも視界に入った。

「いや、ちょっと……即答できません」

 暁斗の上擦うわずった声に、今度は西山と清水が小さく笑った。

「いや、笑い事じゃありません、こちらも営業のエースをヘッドハントされては困ります、少し時間をいただきたい」

 遂に浅野が発言した。一同はすっと顔から笑いを消した。

「そちらのおっしゃることはごもっともです、元々相談室も、将来を期待される若い社員が急に辞めてしまうことが続いて、その中に性的指向をからかわれた人がいたと判明したので設置することになったのです……相談室員である桂山を同じ理由で失う訳にはいきません」

 専務たちがはらはらした様子で浅野を見ていたが、彼はそちらに強い一瞥を送った。そこには明らかに、専務たちの対応への不快感が示されていた。

「わかりました、そちらのご意見を纏めていただき提示してくださるとありがたいです」

 森田も決断が早かった。と言っても、あちらははなからこの結論を引き出すつもりで来たのだろうから、一件落着というところか。暁斗はひとつ息をついた。

「両社連名で出版社に改めて抗議するという方向で考えましょう、私が何かと情報を共有できていなかったとわかりました、大変お手数をかけ申し訳ありません」

 浅野はてきぱきと話した。武闘派の原も満足気な表情になった。タイミングを見計らったように、人事部の社員がコーヒーカップを載せたワゴンと一緒に会議室に入ってきて、秘書室長が準備を手伝う。浅野が立ち上がって専務たちのそばへ行き、厳しい表情で二言三言何かを伝えると、専務たちは来客に挨拶して会議室から出て行った。

「今から全員に召集をかけるのよ、ざまあみろっての」

 大平がさも愉快げに言った。清水は如才なく名刺入れを出しながら、大平と暁斗にあちらに挨拶に行くよううながしてきた。岸もそれに続く。

「さっきの話は冗談ではないんですよ、ちょっとキャリアチェンジも考えていただけると嬉しいです」

 暁斗が先日貰ったメールのことを含めて礼を言うと、原は笑いながら言った。

「そんなに買いかぶっていただいてほんとに恐縮です、ありがとうございます」

 またじわりと顔が熱くなった。同性カップルへの福利厚生とは、なかなか進んでいる。それにしても奏人が自分たちの話をこの人にしているとは思わなかった。当の奏人は大平に捕まってにこやかに話している。
 名刺交換が済むとコーヒーで歓談して、嵐のように始まった会議は和やかに終了した。

「暁斗さん、ごめんなさい」

 奏人は解散を告げられると、暁斗の傍にきてついと袖を引いた。

「かなりびっくりした」

 暁斗が苦笑すると、奏人は下を向いた。

「こんな方法しか思いつかなくて、部長もその気になってくれたものだから」

 暁斗の会社からの扱いに、奏人はずっと胸を痛めていたのだった。

「いや、おかげで会社が動いてくれそうだ……ありがとう」

 ここが会議室でなかったら、腕の中に奏人を取り込んでいるところである。今日の奏人はこれまで見たことがない姿をしていて、それが新鮮で暁斗の胸をときめかせた。

「よく似合う、オックスフォードの学生かと思った」

 藍色に近い細身のスーツは、良い仕立てだった。白い肌の奏人が着ると、色が映える。
大平がこちらを見てにやにやしながら会議室を出たのが視界の片隅に入った。

「同僚にもええとこの子みたいって褒めてもらった」

 奏人の関西イントネーションが巧みで笑えた。例の大阪出身の女性の言葉だろうか。

「えっとお邪魔してすみません、出ましょうか」

 清水がからかう口調で声をかけてきた。奏人ははい、と答えて扉に向かう。暁斗は奏人の深い紅色のネクタイに、銀色のピンが光っているのに気づいた。暁斗が借りていて、先週返したタイピンだった。

「そのタイピン……」

 暁斗が言うと、奏人はえ、とこちらを見た。

「暁斗さんがお守り代わりにしてたって言ったでしょ、僕にとってもこれはお守りだから」

 暁斗は奏人のその言葉に、彼が今日、かなりの覚悟を持って故意にアポ無しでここを訪れたのだと気づいた。何か言おうと思ったが、会議室を出て現実に引き戻される。
 大量の野次馬が待ち構えていた。あの子? とかきれいな子、とかいう言葉が耳をくすぐる。暁斗は視線が痛くてやや怯んだが、奏人は自分を取り巻く好奇の空気を意に介さない様子で、まっすぐ顔を上げエレベーターホールに向かう。エレベーターには、原と奏人、それに暁斗と清水が乗り込んだ。ドアが閉まると、奏人が笑顔になる。

「桂山さんは人気者ですね、僕まで注目浴びまくっちゃった」
「ごめん、何かもう俺のプライベートは社内でほぼ全公開なんだ」

 原がくすっと笑った。

「社内は明るいですね、上のごく一部が古い考えを振りかざしているのはもったいない」

 はっきりものを言う人である。気持ちいいくらいだ。
 1階にも人がうようよしていて、暁斗はもう笑うしかなかった。奏人は心配そうに小声で言う。

「しばらく噂になりますよね、これ……」

 それを聞いた清水は、気にしないでください、と軽い調子で言った。

「桂山課長はこうやって社内にネタを提供しながらダイバーシティを啓蒙する計画をお持ちですから」
「そんな深遠な計画は練ってない」

 暁斗は憮然として言ったが、原と奏人はなるほど、と笑った。奏人はカウンターに新城の姿を認めて、彼女のほうに歩いて行く。

「いつもお騒がせしてすみません、ありがとうございました」

 奏人が流れるような仕草で頭を下げるのを見て、新城の顔がぽやんと緩んだのを、暁斗と清水は見逃さなかった。

「いえ、とんでもないです、またお待ちしています」

 噂の桂山課長の彼氏から声をかけられて、新城まで衆目を集める。そのせいで余計にどぎまぎする彼女を見て、清水が小さく笑う。
 相談室の5人と副社長に見送られ、3人は駅方面へ徒歩で去って行った。奏人は角を曲がる前に一度振り返り、深々と頭を下げた。

「きれいな子だな、若いのに礼儀正しいし」
「可愛いわぁ、うちの息子と替えたい」

 岸と大平が同時に言い、同時に笑う。

「面食いが過ぎる」

 岸はつけ足した。いや、と暁斗は否定しようとしたが、無駄な抵抗に思えたのでやめた。

「しかし大胆で策略家だな、暁斗の手に余るんじゃないのか」
「手に余るどころかそもそも私には勿体ない人なので」

 ビルの中に戻りながら暁斗は岸に話した。ロビーにはまだ人が多い。みんな暇なのだろうか。人混みの中に営業1課の面々を見つけて、暁斗は思わず何やってるんだ、と言った。平岡が代表して申し開きをする。

「だって彼氏見たかったからー」
「珍獣じゃないぞ」
「少なくともパンダより見る価値がありました、ああいう美形はなかなか日本に生息してません」

 部下に慕われていいわねぇと大平が笑った。舐められているの間違いだろうと暁斗は思う。部下たちを追い立ててエレベーターに乗せ、相談室の面々とも解散する。

「ニューズレターの原稿揃いましたよ、一度校正したらすぐ印刷に出しますね」

 別れ際に大平がみんなに報告した。10月号として発刊できるだろう。

「お疲れ様でした、お茶淹れますね」
「もう毎日事件が起きて身が持たないよ」

 暁斗はエレベーターの中でどっと疲れを覚えて、つい愚痴を口にしたが、何かやりかけていたことを思い出す。

「ミーティングは? 今からやる?」
「……誰一人としてやる気無いでしょう」

 そうだな、と暁斗は認めた。それにまたこれから、副社長あたりに呼び出されないとも限らない。

「課長、予定外に彼氏の顔が見られてちょっと嬉しかったんじゃないですか?」

 自分のデスクに落ち着いてお茶を飲んでいると、ハンコを貰いにきた松田がこそっと話しかけてきた。彼も先日の飲み会に参加している。

「あ、そうだなぁ、まあ……」

 暁斗はとても、と答えたいところを抑制して言った。それでも松田は満足そうな顔になった。

「恋はいいですねぇ」
「どこのおやじだよ」

 突っ込んでおいて、丁寧にハンコを押す。桂山課長の彼氏と騒がれてしまった奏人には申し訳ないが、暁斗は自分たちのことを、みんなが楽しく好意的に話題にしてくれるならそれでいいと思い始めていた。そしてそんな、同性愛者として生きていく覚悟もできていないまま走り出してしまった自分に、寛大でいてくれる奏人に感謝する。
 一緒に暮らす同性のパートナーを、会社が配偶者として認めてくれる。考えてみたことがなかった。JICが目指しているのは、きっと異性カップルなら当たり前のことを、同性カップルでも享受できる体制なのだろう。山中もそんな話をしていた……ふと、今日会議室にいなかった山中が悔しがって、明日ここに来て暴れそうな気がした。心積もりをしておかなくてはいけないと、暁斗は胸の内で苦笑しながら思った。
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