52 / 80
9月 15‐②
しおりを挟む
暁斗は何を言われたのか本当に理解できなかった。一拍置いて探るように答える。
「申し訳ありません、おっしゃることの意味がわかりかねます」
「あなたがうちの高崎との将来を考えてらっしゃると伺っています、うちは来年度中に同性カップルに対して異性のカップルと同様に、結婚にあたる環境を作る場合に祝金を贈る等の制度を整える予定です……こちらは優秀な営業担当が欲しい、我が社なら高崎と堂々と家庭を作り桂山さんにモチベーションを上げていただけると約束できます」
暁斗は頭の中が真っ白になった。清水がええっ、と暁斗の代わりに声を上げた。奏人と家庭を持って祝金とは何の話なんだ? 意味不明な空白が、会議室の中に生じた。
「部長、桂山さんにそういう冗談は通じないので……」
奇妙な沈黙の中に聞こえたのは、奏人の小さな声だった。森田が、原の横で笑いを堪えている。
「冗談じゃないぞ」
「いや、お気持ちはわかりますけどフライングです」
奏人は暁斗の方を見て、微苦笑した。この状況においても、暁斗は奏人のそんな表情を可愛いなと思ってしまったが、大平が独り言のように可愛い、と言ったのでぎょっとした。
「要するに御社は同性愛を認めない会社の優秀なゲイの社員を……好条件を提示した上で引き抜いてしまいたいと」
岸が半笑いで言った。暁斗はようやく何を言われたのかを理解し始め、自分でもわかるくらい赤面した。奏人がこちらを見て笑いを堪えるのに口を手で押さえたので、それに気づいた大平が暁斗を覗き込み、あらま、と呟く。
「そうです、桂山さんに良い環境で良い仕事をしていただきたい」
原はあくまでも強気である。
「桂山くんどうする、受けますか?」
岸は浅野の向こうから、やはり半笑いで暁斗に尋ねてきた。浅野があ然としているのも視界に入った。
「いや、ちょっと……即答できません」
暁斗の上擦った声に、今度は西山と清水が小さく笑った。
「いや、笑い事じゃありません、こちらも営業のエースをヘッドハントされては困ります、少し時間をいただきたい」
遂に浅野が発言した。一同はすっと顔から笑いを消した。
「そちらのおっしゃることはごもっともです、元々相談室も、将来を期待される若い社員が急に辞めてしまうことが続いて、その中に性的指向をからかわれた人がいたと判明したので設置することになったのです……相談室員である桂山を同じ理由で失う訳にはいきません」
専務たちがはらはらした様子で浅野を見ていたが、彼はそちらに強い一瞥を送った。そこには明らかに、専務たちの対応への不快感が示されていた。
「わかりました、そちらのご意見を纏めていただき提示してくださるとありがたいです」
森田も決断が早かった。と言っても、あちらははなからこの結論を引き出すつもりで来たのだろうから、一件落着というところか。暁斗はひとつ息をついた。
「両社連名で出版社に改めて抗議するという方向で考えましょう、私が何かと情報を共有できていなかったとわかりました、大変お手数をかけ申し訳ありません」
浅野はてきぱきと話した。武闘派の原も満足気な表情になった。タイミングを見計らったように、人事部の社員がコーヒーカップを載せたワゴンと一緒に会議室に入ってきて、秘書室長が準備を手伝う。浅野が立ち上がって専務たちの傍へ行き、厳しい表情で二言三言何かを伝えると、専務たちは来客に挨拶して会議室から出て行った。
「今から全員に召集をかけるのよ、ざまあみろっての」
大平がさも愉快げに言った。清水は如才なく名刺入れを出しながら、大平と暁斗にあちらに挨拶に行くよう促してきた。岸もそれに続く。
「さっきの話は冗談ではないんですよ、ちょっとキャリアチェンジも考えていただけると嬉しいです」
暁斗が先日貰ったメールのことを含めて礼を言うと、原は笑いながら言った。
「そんなに買い被っていただいてほんとに恐縮です、ありがとうございます」
またじわりと顔が熱くなった。同性カップルへの福利厚生とは、なかなか進んでいる。それにしても奏人が自分たちの話をこの人にしているとは思わなかった。当の奏人は大平に捕まってにこやかに話している。
名刺交換が済むとコーヒーで歓談して、嵐のように始まった会議は和やかに終了した。
「暁斗さん、ごめんなさい」
奏人は解散を告げられると、暁斗の傍にきてついと袖を引いた。
「かなりびっくりした」
暁斗が苦笑すると、奏人は下を向いた。
「こんな方法しか思いつかなくて、部長もその気になってくれたものだから」
暁斗の会社からの扱いに、奏人はずっと胸を痛めていたのだった。
「いや、おかげで会社が動いてくれそうだ……ありがとう」
ここが会議室でなかったら、腕の中に奏人を取り込んでいるところである。今日の奏人はこれまで見たことがない姿をしていて、それが新鮮で暁斗の胸をときめかせた。
「よく似合う、オックスフォードの学生かと思った」
藍色に近い細身のスーツは、良い仕立てだった。白い肌の奏人が着ると、色が映える。
大平がこちらを見てにやにやしながら会議室を出たのが視界の片隅に入った。
「同僚にもええとこの子みたいって褒めてもらった」
奏人の関西イントネーションが巧みで笑えた。例の大阪出身の女性の言葉だろうか。
「えっとお邪魔してすみません、出ましょうか」
清水がからかう口調で声をかけてきた。奏人ははい、と答えて扉に向かう。暁斗は奏人の深い紅色のネクタイに、銀色のピンが光っているのに気づいた。暁斗が借りていて、先週返したタイピンだった。
「そのタイピン……」
暁斗が言うと、奏人はえ、とこちらを見た。
「暁斗さんがお守り代わりにしてたって言ったでしょ、僕にとってもこれはお守りだから」
暁斗は奏人のその言葉に、彼が今日、かなりの覚悟を持って故意にアポ無しでここを訪れたのだと気づいた。何か言おうと思ったが、会議室を出て現実に引き戻される。
大量の野次馬が待ち構えていた。あの子? とかきれいな子、とかいう言葉が耳をくすぐる。暁斗は視線が痛くてやや怯んだが、奏人は自分を取り巻く好奇の空気を意に介さない様子で、まっすぐ顔を上げエレベーターホールに向かう。エレベーターには、原と奏人、それに暁斗と清水が乗り込んだ。ドアが閉まると、奏人が笑顔になる。
「桂山さんは人気者ですね、僕まで注目浴びまくっちゃった」
「ごめん、何かもう俺のプライベートは社内でほぼ全公開なんだ」
原がくすっと笑った。
「社内は明るいですね、上のごく一部が古い考えを振りかざしているのはもったいない」
はっきりものを言う人である。気持ちいいくらいだ。
1階にも人がうようよしていて、暁斗はもう笑うしかなかった。奏人は心配そうに小声で言う。
「しばらく噂になりますよね、これ……」
それを聞いた清水は、気にしないでください、と軽い調子で言った。
「桂山課長はこうやって社内にネタを提供しながらダイバーシティを啓蒙する計画をお持ちですから」
「そんな深遠な計画は練ってない」
暁斗は憮然として言ったが、原と奏人はなるほど、と笑った。奏人はカウンターに新城の姿を認めて、彼女のほうに歩いて行く。
「いつもお騒がせしてすみません、ありがとうございました」
奏人が流れるような仕草で頭を下げるのを見て、新城の顔がぽやんと緩んだのを、暁斗と清水は見逃さなかった。
「いえ、とんでもないです、またお待ちしています」
噂の桂山課長の彼氏から声をかけられて、新城まで衆目を集める。そのせいで余計にどぎまぎする彼女を見て、清水が小さく笑う。
相談室の5人と副社長に見送られ、3人は駅方面へ徒歩で去って行った。奏人は角を曲がる前に一度振り返り、深々と頭を下げた。
「きれいな子だな、若いのに礼儀正しいし」
「可愛いわぁ、うちの息子と替えたい」
岸と大平が同時に言い、同時に笑う。
「面食いが過ぎる」
岸はつけ足した。いや、と暁斗は否定しようとしたが、無駄な抵抗に思えたのでやめた。
「しかし大胆で策略家だな、暁斗の手に余るんじゃないのか」
「手に余るどころかそもそも私には勿体ない人なので」
ビルの中に戻りながら暁斗は岸に話した。ロビーにはまだ人が多い。みんな暇なのだろうか。人混みの中に営業1課の面々を見つけて、暁斗は思わず何やってるんだ、と言った。平岡が代表して申し開きをする。
「だって彼氏見たかったからー」
「珍獣じゃないぞ」
「少なくともパンダより見る価値がありました、ああいう美形はなかなか日本に生息してません」
部下に慕われていいわねぇと大平が笑った。舐められているの間違いだろうと暁斗は思う。部下たちを追い立ててエレベーターに乗せ、相談室の面々とも解散する。
「ニューズレターの原稿揃いましたよ、一度校正したらすぐ印刷に出しますね」
別れ際に大平がみんなに報告した。10月号として発刊できるだろう。
「お疲れ様でした、お茶淹れますね」
「もう毎日事件が起きて身が持たないよ」
暁斗はエレベーターの中でどっと疲れを覚えて、つい愚痴を口にしたが、何かやりかけていたことを思い出す。
「ミーティングは? 今からやる?」
「……誰一人としてやる気無いでしょう」
そうだな、と暁斗は認めた。それにまたこれから、副社長あたりに呼び出されないとも限らない。
「課長、予定外に彼氏の顔が見られてちょっと嬉しかったんじゃないですか?」
自分のデスクに落ち着いてお茶を飲んでいると、ハンコを貰いにきた松田がこそっと話しかけてきた。彼も先日の飲み会に参加している。
「あ、そうだなぁ、まあ……」
暁斗はとても、と答えたいところを抑制して言った。それでも松田は満足そうな顔になった。
「恋はいいですねぇ」
「どこのおやじだよ」
突っ込んでおいて、丁寧にハンコを押す。桂山課長の彼氏と騒がれてしまった奏人には申し訳ないが、暁斗は自分たちのことを、みんなが楽しく好意的に話題にしてくれるならそれでいいと思い始めていた。そしてそんな、同性愛者として生きていく覚悟もできていないまま走り出してしまった自分に、寛大でいてくれる奏人に感謝する。
一緒に暮らす同性のパートナーを、会社が配偶者として認めてくれる。考えてみたことがなかった。JICが目指しているのは、きっと異性カップルなら当たり前のことを、同性カップルでも享受できる体制なのだろう。山中もそんな話をしていた……ふと、今日会議室にいなかった山中が悔しがって、明日ここに来て暴れそうな気がした。心積もりをしておかなくてはいけないと、暁斗は胸の内で苦笑しながら思った。
「申し訳ありません、おっしゃることの意味がわかりかねます」
「あなたがうちの高崎との将来を考えてらっしゃると伺っています、うちは来年度中に同性カップルに対して異性のカップルと同様に、結婚にあたる環境を作る場合に祝金を贈る等の制度を整える予定です……こちらは優秀な営業担当が欲しい、我が社なら高崎と堂々と家庭を作り桂山さんにモチベーションを上げていただけると約束できます」
暁斗は頭の中が真っ白になった。清水がええっ、と暁斗の代わりに声を上げた。奏人と家庭を持って祝金とは何の話なんだ? 意味不明な空白が、会議室の中に生じた。
「部長、桂山さんにそういう冗談は通じないので……」
奇妙な沈黙の中に聞こえたのは、奏人の小さな声だった。森田が、原の横で笑いを堪えている。
「冗談じゃないぞ」
「いや、お気持ちはわかりますけどフライングです」
奏人は暁斗の方を見て、微苦笑した。この状況においても、暁斗は奏人のそんな表情を可愛いなと思ってしまったが、大平が独り言のように可愛い、と言ったのでぎょっとした。
「要するに御社は同性愛を認めない会社の優秀なゲイの社員を……好条件を提示した上で引き抜いてしまいたいと」
岸が半笑いで言った。暁斗はようやく何を言われたのかを理解し始め、自分でもわかるくらい赤面した。奏人がこちらを見て笑いを堪えるのに口を手で押さえたので、それに気づいた大平が暁斗を覗き込み、あらま、と呟く。
「そうです、桂山さんに良い環境で良い仕事をしていただきたい」
原はあくまでも強気である。
「桂山くんどうする、受けますか?」
岸は浅野の向こうから、やはり半笑いで暁斗に尋ねてきた。浅野があ然としているのも視界に入った。
「いや、ちょっと……即答できません」
暁斗の上擦った声に、今度は西山と清水が小さく笑った。
「いや、笑い事じゃありません、こちらも営業のエースをヘッドハントされては困ります、少し時間をいただきたい」
遂に浅野が発言した。一同はすっと顔から笑いを消した。
「そちらのおっしゃることはごもっともです、元々相談室も、将来を期待される若い社員が急に辞めてしまうことが続いて、その中に性的指向をからかわれた人がいたと判明したので設置することになったのです……相談室員である桂山を同じ理由で失う訳にはいきません」
専務たちがはらはらした様子で浅野を見ていたが、彼はそちらに強い一瞥を送った。そこには明らかに、専務たちの対応への不快感が示されていた。
「わかりました、そちらのご意見を纏めていただき提示してくださるとありがたいです」
森田も決断が早かった。と言っても、あちらははなからこの結論を引き出すつもりで来たのだろうから、一件落着というところか。暁斗はひとつ息をついた。
「両社連名で出版社に改めて抗議するという方向で考えましょう、私が何かと情報を共有できていなかったとわかりました、大変お手数をかけ申し訳ありません」
浅野はてきぱきと話した。武闘派の原も満足気な表情になった。タイミングを見計らったように、人事部の社員がコーヒーカップを載せたワゴンと一緒に会議室に入ってきて、秘書室長が準備を手伝う。浅野が立ち上がって専務たちの傍へ行き、厳しい表情で二言三言何かを伝えると、専務たちは来客に挨拶して会議室から出て行った。
「今から全員に召集をかけるのよ、ざまあみろっての」
大平がさも愉快げに言った。清水は如才なく名刺入れを出しながら、大平と暁斗にあちらに挨拶に行くよう促してきた。岸もそれに続く。
「さっきの話は冗談ではないんですよ、ちょっとキャリアチェンジも考えていただけると嬉しいです」
暁斗が先日貰ったメールのことを含めて礼を言うと、原は笑いながら言った。
「そんなに買い被っていただいてほんとに恐縮です、ありがとうございます」
またじわりと顔が熱くなった。同性カップルへの福利厚生とは、なかなか進んでいる。それにしても奏人が自分たちの話をこの人にしているとは思わなかった。当の奏人は大平に捕まってにこやかに話している。
名刺交換が済むとコーヒーで歓談して、嵐のように始まった会議は和やかに終了した。
「暁斗さん、ごめんなさい」
奏人は解散を告げられると、暁斗の傍にきてついと袖を引いた。
「かなりびっくりした」
暁斗が苦笑すると、奏人は下を向いた。
「こんな方法しか思いつかなくて、部長もその気になってくれたものだから」
暁斗の会社からの扱いに、奏人はずっと胸を痛めていたのだった。
「いや、おかげで会社が動いてくれそうだ……ありがとう」
ここが会議室でなかったら、腕の中に奏人を取り込んでいるところである。今日の奏人はこれまで見たことがない姿をしていて、それが新鮮で暁斗の胸をときめかせた。
「よく似合う、オックスフォードの学生かと思った」
藍色に近い細身のスーツは、良い仕立てだった。白い肌の奏人が着ると、色が映える。
大平がこちらを見てにやにやしながら会議室を出たのが視界の片隅に入った。
「同僚にもええとこの子みたいって褒めてもらった」
奏人の関西イントネーションが巧みで笑えた。例の大阪出身の女性の言葉だろうか。
「えっとお邪魔してすみません、出ましょうか」
清水がからかう口調で声をかけてきた。奏人ははい、と答えて扉に向かう。暁斗は奏人の深い紅色のネクタイに、銀色のピンが光っているのに気づいた。暁斗が借りていて、先週返したタイピンだった。
「そのタイピン……」
暁斗が言うと、奏人はえ、とこちらを見た。
「暁斗さんがお守り代わりにしてたって言ったでしょ、僕にとってもこれはお守りだから」
暁斗は奏人のその言葉に、彼が今日、かなりの覚悟を持って故意にアポ無しでここを訪れたのだと気づいた。何か言おうと思ったが、会議室を出て現実に引き戻される。
大量の野次馬が待ち構えていた。あの子? とかきれいな子、とかいう言葉が耳をくすぐる。暁斗は視線が痛くてやや怯んだが、奏人は自分を取り巻く好奇の空気を意に介さない様子で、まっすぐ顔を上げエレベーターホールに向かう。エレベーターには、原と奏人、それに暁斗と清水が乗り込んだ。ドアが閉まると、奏人が笑顔になる。
「桂山さんは人気者ですね、僕まで注目浴びまくっちゃった」
「ごめん、何かもう俺のプライベートは社内でほぼ全公開なんだ」
原がくすっと笑った。
「社内は明るいですね、上のごく一部が古い考えを振りかざしているのはもったいない」
はっきりものを言う人である。気持ちいいくらいだ。
1階にも人がうようよしていて、暁斗はもう笑うしかなかった。奏人は心配そうに小声で言う。
「しばらく噂になりますよね、これ……」
それを聞いた清水は、気にしないでください、と軽い調子で言った。
「桂山課長はこうやって社内にネタを提供しながらダイバーシティを啓蒙する計画をお持ちですから」
「そんな深遠な計画は練ってない」
暁斗は憮然として言ったが、原と奏人はなるほど、と笑った。奏人はカウンターに新城の姿を認めて、彼女のほうに歩いて行く。
「いつもお騒がせしてすみません、ありがとうございました」
奏人が流れるような仕草で頭を下げるのを見て、新城の顔がぽやんと緩んだのを、暁斗と清水は見逃さなかった。
「いえ、とんでもないです、またお待ちしています」
噂の桂山課長の彼氏から声をかけられて、新城まで衆目を集める。そのせいで余計にどぎまぎする彼女を見て、清水が小さく笑う。
相談室の5人と副社長に見送られ、3人は駅方面へ徒歩で去って行った。奏人は角を曲がる前に一度振り返り、深々と頭を下げた。
「きれいな子だな、若いのに礼儀正しいし」
「可愛いわぁ、うちの息子と替えたい」
岸と大平が同時に言い、同時に笑う。
「面食いが過ぎる」
岸はつけ足した。いや、と暁斗は否定しようとしたが、無駄な抵抗に思えたのでやめた。
「しかし大胆で策略家だな、暁斗の手に余るんじゃないのか」
「手に余るどころかそもそも私には勿体ない人なので」
ビルの中に戻りながら暁斗は岸に話した。ロビーにはまだ人が多い。みんな暇なのだろうか。人混みの中に営業1課の面々を見つけて、暁斗は思わず何やってるんだ、と言った。平岡が代表して申し開きをする。
「だって彼氏見たかったからー」
「珍獣じゃないぞ」
「少なくともパンダより見る価値がありました、ああいう美形はなかなか日本に生息してません」
部下に慕われていいわねぇと大平が笑った。舐められているの間違いだろうと暁斗は思う。部下たちを追い立ててエレベーターに乗せ、相談室の面々とも解散する。
「ニューズレターの原稿揃いましたよ、一度校正したらすぐ印刷に出しますね」
別れ際に大平がみんなに報告した。10月号として発刊できるだろう。
「お疲れ様でした、お茶淹れますね」
「もう毎日事件が起きて身が持たないよ」
暁斗はエレベーターの中でどっと疲れを覚えて、つい愚痴を口にしたが、何かやりかけていたことを思い出す。
「ミーティングは? 今からやる?」
「……誰一人としてやる気無いでしょう」
そうだな、と暁斗は認めた。それにまたこれから、副社長あたりに呼び出されないとも限らない。
「課長、予定外に彼氏の顔が見られてちょっと嬉しかったんじゃないですか?」
自分のデスクに落ち着いてお茶を飲んでいると、ハンコを貰いにきた松田がこそっと話しかけてきた。彼も先日の飲み会に参加している。
「あ、そうだなぁ、まあ……」
暁斗はとても、と答えたいところを抑制して言った。それでも松田は満足そうな顔になった。
「恋はいいですねぇ」
「どこのおやじだよ」
突っ込んでおいて、丁寧にハンコを押す。桂山課長の彼氏と騒がれてしまった奏人には申し訳ないが、暁斗は自分たちのことを、みんなが楽しく好意的に話題にしてくれるならそれでいいと思い始めていた。そしてそんな、同性愛者として生きていく覚悟もできていないまま走り出してしまった自分に、寛大でいてくれる奏人に感謝する。
一緒に暮らす同性のパートナーを、会社が配偶者として認めてくれる。考えてみたことがなかった。JICが目指しているのは、きっと異性カップルなら当たり前のことを、同性カップルでも享受できる体制なのだろう。山中もそんな話をしていた……ふと、今日会議室にいなかった山中が悔しがって、明日ここに来て暴れそうな気がした。心積もりをしておかなくてはいけないと、暁斗は胸の内で苦笑しながら思った。
1
あなたにおすすめの小説
宵にまぎれて兎は回る
宇土為名
BL
高校3年の春、同級生の名取に告白した冬だったが名取にはあっさりと冗談だったことにされてしまう。それを否定することもなく卒業し手以来、冬は親友だった名取とは距離を置こうと一度も連絡を取らなかった。そして8年後、勤めている会社の取引先で転勤してきた名取と8年ぶりに再会を果たす。再会してすぐ名取は自身の結婚式に出席してくれと冬に頼んできた。はじめは断るつもりだった冬だが、名取の願いには弱く結局引き受けてしまう。そして式当日、幸せに溢れた雰囲気に疲れてしまった冬は式場の中庭で避難するように休憩した。いまだに思いを断ち切れていない自分の情けなさを反省していると、そこで別の式に出席している男と出会い…
人気作家は売り専男子を抱き枕として独占したい
白妙スイ@1/9新刊発売
BL
八架 深都は好奇心から売り専のバイトをしている大学生。
ある日、不眠症の小説家・秋木 晴士から指名が入る。
秋木の家で深都はもこもこの部屋着を着せられて、抱きもせず添い寝させられる。
戸惑った深都だったが、秋木は気に入ったと何度も指名してくるようになって……。
●八架 深都(はちか みと)
20歳、大学2年生
好奇心旺盛な性格
●秋木 晴士(あきぎ せいじ)
26歳、小説家
重度の不眠症らしいが……?
※性的描写が含まれます
完結いたしました!
【完結】初恋は、
は
BL
アンダーグラウンドで活躍している顔良しスタイル良しの天才ラッパー、雅。しかしいつもお決まりの台詞で彼女にフラれてしまっていたのだが、ある日何の気なしに訪れた近くのカフェで、まさかのまさか、一人の男性店員に一目惚れをしてしまうのだった。
ラッパー×カフェ店員の、特に何も起こらないもだもだほっこり話です。
※マークは性表現がありますのでお気をつけください。
2022.10.01に本編完結。
今後はラブラブ恋人編が始まります。
2022.10.29タイトル変更しました。
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
【完結】催眠なんてかかるはずないと思っていた時が俺にもありました!【4/7~攻め視点追加】
隅枝 輝羽
BL
大学の同期生が催眠音声とやらを作っているのを知った。なにそれって思うじゃん。でも、試し聞きしてもこんなもんかーって感じ。催眠なんてそう簡単にかかるわけないよな。って、なんだよこれー!!
2025.4:本編の猶木(受け)視点の同時間軸高峰(攻め)視点を投稿始めます。
ムーンさん、エブさんでも投稿してます。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
ポケットのなかの空
三尾
BL
【ある朝、突然、目が見えなくなっていたらどうするだろう?】
大手電機メーカーに勤めるエンジニアの響野(ひびの)は、ある日、原因不明の失明状態で目を覚ました。
取るものも取りあえず向かった病院で、彼は中学時代に同級生だった水元(みずもと)と再会する。
十一年前、響野や友人たちに何も告げることなく転校していった水元は、複雑な家庭の事情を抱えていた。
目の不自由な響野を見かねてサポートを申し出てくれた水元とすごすうちに、友情だけではない感情を抱く響野だが、勇気を出して想いを伝えても「その感情は一時的なもの」と否定されてしまい……?
重い過去を持つ一途な攻め × 不幸に抗(あらが)う男前な受けのお話。
*-‥-‥-‥-‥-‥-‥-‥-*
・性描写のある回には「※」マークが付きます。
・水元視点の番外編もあり。
*-‥-‥-‥-‥-‥-‥-‥-*
※番外編はこちら
『光の部屋、花の下で。』https://www.alphapolis.co.jp/novel/728386436/614893182
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる