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13 破壊、そして
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部屋の中は、眠ってしまった明里のために照明がひとつ落とされていて、晶がいつかのようにイヤホンを耳に入れ、軽く腕や首を動かしていた。すっと伸びた背筋と首、長い腕、きれいな横顔。晴也の好きなものを具現化した存在が、そこに座っている。
「ハルさんは相変わらず長風呂だな」
晶に笑顔を向けられ、晴也は反射的に方向転換してキッチンに入る。冷蔵庫を開けてペットボトルの水を出した。
「あ、俺も水飲んでいい?」
晶に言われて、晴也は無言で彼に近づき、冷えたペットボトルを手渡した。
「ハルさん飲まないの?」
「先に飲めよ」
晴也が目を合わせないのを不審に思っている様子を見せつつ、晶はペットボトルの蓋をくりりと回した。水を飲む彼の喉仏が上下することさえも気になる。
晴也はペットボトルを返されて、コップを持ってこなかった失態を悔やむ。仕方なくそのまま口をつけたが、案の定、晶が楽しげに自分を見つめていた。
「一瞬明里さんが起きたよ、明日友達とランチしてから、タカラヅカの午後の公演を見るんだって……10時くらいに出ようか」
「うん、そうすれば?」
晶は晴也の淡々とした返事に、唇を尖らせた。
「そうすればって、ハルさんは俺とデートするんだろ? 明里さんを送るならスカイツリーの水族館が近いかな」
何故そうなる。晴也は窓際に寄せられたテーブルにペットボトルを置いた。声が上擦る。
「デートなんかしない」
「用事があるのか?」
「別に無いけど……」
晶はスマートフォンとイヤホンをテーブルに置いた。
「仲直りしたという俺の認識に誤りがあるんだろうか……とりあえずこっちに座れば?」
言われて晴也は、マットレスの隅に腰を下ろした。晶に釘を刺しておこうと思う。
「あの、明里を起こしたくないから何もしないで欲しい」
「チューも駄目ですか?」
「さっきしただろ」
「うーん、じゃあ明日の夜はうちに泊まりに来てよ、しばらく会えなかった分いっぱい可愛がらせて」
何をするつもりなんだ。晴也は赤くなった顔を見られたくなくて、俯いて晶からこっそり離れようとしたが、彼のほうがずいっと寄ってきた。
「抱いて寝るのはいい?」
晴也は答えなかったが、晶の腕がするりと肩に絡まってきて、否も応も無く抱きしめられてしまう。晶にそのまま引き倒され、抗議できないまま布団と毛布でくるまれた。畳まれたバスタオルが頭に当たる。仕方なく眼鏡を外した。
「5時間くらいは寝られるかな……」
晶はリモコンで明かりを落とした。エアコンのタイマーもセットしてくれているようで、至れり尽くせりである。
晴也は晶の温かい腕の中で、身体を硬くして目を閉じていた。まだ気まずく思う気持ちが、怯えに変化しそうなくらいだった。彼は珍しく無言で、あやすように晴也の背中を軽く叩いている。その手の動きは、慈しみに満ちていた。熱を帯びたものが、じわりと喉元に込み上がってくる。
……こいつが好きだ。めちゃくちゃ好き。
晴也のぐちゃぐちゃになった意識の中で、そのことだけがきらりと光ったような気がした。
誰に何を言われようと、手放せないと思ったのではなかったのか。どんな人が現れようとも、渡せないと思ったのではなかったのか。なのに、不確かな未来のために捨てようとした。そんなことをしても、誰一人として喜ばないのに。
晴也は曲げたままで強ばった腕をそっと動かして、自分を抱く人の背中にゆっくりと手を回した。温かくて男らしい背中に掌をぴたっとつけると、肩甲骨がぴくりと震えた。小さいが満足げな溜め息が、晴也の髪を微かに揺らす。
頬をつけたところからは、やや速めの鼓動が伝わってきた。どきどきしているのかと思うと、そんな晶が愛おしくて、自然と晴也の口許が緩んだ。……こいつは、俺のだ。
好きな匂いと温もりに包まれて、晴也はここのところ飢えていた安らかな眠りに誘われる。晶が横にいるだけで満足している自分が少し腹立たしいけれど、心が安らぎを、身体が質の良い睡眠を渇望していた。
そして晶の傍で、ただ彼の存在を感じていたかった。それが叶うなら、悪魔に魂を売り渡しても、明日命を奪われてもいいと思った。……今夜だけは、どうしても。
顔がほかほかして、少し喉が渇いたと感じた。何も音がしない。……いや、静かで規則的な呼吸音がした。ゆったりと、穏やかな海の波が寄せては返すように、いつまでも続く音。晴也はその音に自分の呼吸を合わせる。
頭上でごそごそと、布の擦れる音がした。晴也は薄く目を開けたが、暗くて何も見えない。鼻腔をくすぐる良く知った匂いと、頬に触れている温かくて柔らかな布の感触が、晴也を幸せにする。
頭上で今度はばさっという音がした。晴也はまだはっきりしない頭の中で、あっそうか、と思う。ベッドに寝ている明里が寝返りを打ったのだろう。
まだ夜明け前のようだが、随分よく眠ったような気がした。晶に固く抱かれたままの体勢なので、そんなに時間は経っていないのかもしれない。
晴也は少し暑くなり、晶から身体を離そうとした。彼の背中に回していた腕をゆっくりと解く。すると晴也の肩を抱く腕に、きゅっと力が入った。
「晴也、……ハルさん」
晶に名前を呼ばれて、晴也はどきっとした。
「ハルさん……何処にも行くな」
晶が目覚めているのかどうか、顔が見えないのでよくわからなかった。
「行かないよ……暑くないか?」
「黙って何処かへ行かないで……」
吐息混じりの懇願に、晴也の胸はさっきとは違う音を立てる。晶がうなされていた夜が記憶の海から浮かび上がったので、顔を少し上げた。晶は目を閉じている。半分寝ているのだろう。
「行かない、ここにいる」
晴也はそっと手を動かして、晶の頬に触れた。とても温かい。薄闇の中で、瞼が動いたのがわかった。彼の瞳が自分の姿を捉えたのを晴也は感じた。
「ハルさんは相変わらず長風呂だな」
晶に笑顔を向けられ、晴也は反射的に方向転換してキッチンに入る。冷蔵庫を開けてペットボトルの水を出した。
「あ、俺も水飲んでいい?」
晶に言われて、晴也は無言で彼に近づき、冷えたペットボトルを手渡した。
「ハルさん飲まないの?」
「先に飲めよ」
晴也が目を合わせないのを不審に思っている様子を見せつつ、晶はペットボトルの蓋をくりりと回した。水を飲む彼の喉仏が上下することさえも気になる。
晴也はペットボトルを返されて、コップを持ってこなかった失態を悔やむ。仕方なくそのまま口をつけたが、案の定、晶が楽しげに自分を見つめていた。
「一瞬明里さんが起きたよ、明日友達とランチしてから、タカラヅカの午後の公演を見るんだって……10時くらいに出ようか」
「うん、そうすれば?」
晶は晴也の淡々とした返事に、唇を尖らせた。
「そうすればって、ハルさんは俺とデートするんだろ? 明里さんを送るならスカイツリーの水族館が近いかな」
何故そうなる。晴也は窓際に寄せられたテーブルにペットボトルを置いた。声が上擦る。
「デートなんかしない」
「用事があるのか?」
「別に無いけど……」
晶はスマートフォンとイヤホンをテーブルに置いた。
「仲直りしたという俺の認識に誤りがあるんだろうか……とりあえずこっちに座れば?」
言われて晴也は、マットレスの隅に腰を下ろした。晶に釘を刺しておこうと思う。
「あの、明里を起こしたくないから何もしないで欲しい」
「チューも駄目ですか?」
「さっきしただろ」
「うーん、じゃあ明日の夜はうちに泊まりに来てよ、しばらく会えなかった分いっぱい可愛がらせて」
何をするつもりなんだ。晴也は赤くなった顔を見られたくなくて、俯いて晶からこっそり離れようとしたが、彼のほうがずいっと寄ってきた。
「抱いて寝るのはいい?」
晴也は答えなかったが、晶の腕がするりと肩に絡まってきて、否も応も無く抱きしめられてしまう。晶にそのまま引き倒され、抗議できないまま布団と毛布でくるまれた。畳まれたバスタオルが頭に当たる。仕方なく眼鏡を外した。
「5時間くらいは寝られるかな……」
晶はリモコンで明かりを落とした。エアコンのタイマーもセットしてくれているようで、至れり尽くせりである。
晴也は晶の温かい腕の中で、身体を硬くして目を閉じていた。まだ気まずく思う気持ちが、怯えに変化しそうなくらいだった。彼は珍しく無言で、あやすように晴也の背中を軽く叩いている。その手の動きは、慈しみに満ちていた。熱を帯びたものが、じわりと喉元に込み上がってくる。
……こいつが好きだ。めちゃくちゃ好き。
晴也のぐちゃぐちゃになった意識の中で、そのことだけがきらりと光ったような気がした。
誰に何を言われようと、手放せないと思ったのではなかったのか。どんな人が現れようとも、渡せないと思ったのではなかったのか。なのに、不確かな未来のために捨てようとした。そんなことをしても、誰一人として喜ばないのに。
晴也は曲げたままで強ばった腕をそっと動かして、自分を抱く人の背中にゆっくりと手を回した。温かくて男らしい背中に掌をぴたっとつけると、肩甲骨がぴくりと震えた。小さいが満足げな溜め息が、晴也の髪を微かに揺らす。
頬をつけたところからは、やや速めの鼓動が伝わってきた。どきどきしているのかと思うと、そんな晶が愛おしくて、自然と晴也の口許が緩んだ。……こいつは、俺のだ。
好きな匂いと温もりに包まれて、晴也はここのところ飢えていた安らかな眠りに誘われる。晶が横にいるだけで満足している自分が少し腹立たしいけれど、心が安らぎを、身体が質の良い睡眠を渇望していた。
そして晶の傍で、ただ彼の存在を感じていたかった。それが叶うなら、悪魔に魂を売り渡しても、明日命を奪われてもいいと思った。……今夜だけは、どうしても。
顔がほかほかして、少し喉が渇いたと感じた。何も音がしない。……いや、静かで規則的な呼吸音がした。ゆったりと、穏やかな海の波が寄せては返すように、いつまでも続く音。晴也はその音に自分の呼吸を合わせる。
頭上でごそごそと、布の擦れる音がした。晴也は薄く目を開けたが、暗くて何も見えない。鼻腔をくすぐる良く知った匂いと、頬に触れている温かくて柔らかな布の感触が、晴也を幸せにする。
頭上で今度はばさっという音がした。晴也はまだはっきりしない頭の中で、あっそうか、と思う。ベッドに寝ている明里が寝返りを打ったのだろう。
まだ夜明け前のようだが、随分よく眠ったような気がした。晶に固く抱かれたままの体勢なので、そんなに時間は経っていないのかもしれない。
晴也は少し暑くなり、晶から身体を離そうとした。彼の背中に回していた腕をゆっくりと解く。すると晴也の肩を抱く腕に、きゅっと力が入った。
「晴也、……ハルさん」
晶に名前を呼ばれて、晴也はどきっとした。
「ハルさん……何処にも行くな」
晶が目覚めているのかどうか、顔が見えないのでよくわからなかった。
「行かないよ……暑くないか?」
「黙って何処かへ行かないで……」
吐息混じりの懇願に、晴也の胸はさっきとは違う音を立てる。晶がうなされていた夜が記憶の海から浮かび上がったので、顔を少し上げた。晶は目を閉じている。半分寝ているのだろう。
「行かない、ここにいる」
晴也はそっと手を動かして、晶の頬に触れた。とても温かい。薄闇の中で、瞼が動いたのがわかった。彼の瞳が自分の姿を捉えたのを晴也は感じた。
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