夜は異世界で舞う

穂祥 舞

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15 昼に舞う蝶とダンサー

ハルとショウの土曜日①

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 晶が通院しているのは、大学病院などではなく、品川の駅から近い場所にあるきれいな整形外科だった。執刀医のクリニックなのだそうで、医師のは、50代半ばくらいの、明るくて気の良さそうな男性だった。アルコール臭もあまりせず、明るい調度も病院らしくなくていいと晴也は感じた。
 李医師は、まず晶をベッドに寝かせて、自ら左膝を触診した。曲げ伸ばしをして、痛みや違和感が無いか手際よく確認する。
 診察が済むと彼は、吉岡さんが男性が好きとか初耳なんですけど、と笑いながら、「パートナー」である晴也に晶の怪我について、図や晶の膝のレントゲン写真を示しながら、易しく説明してくれた。
 膝の前十字靭帯が完全断裂して手術での再建が必要だったこと、同時に後十時靭帯も炎症を起こしていると発覚したこと。本格的なリハビリを始めるまで8ヶ月かかったが、その後の経過は順調であること。

「アスリートにはよくある症例です、ただ本人にも話していますが、完全に手術前の状態には戻りませんし、再発の可能性もあります……ダンスは膝をあらゆる方向に動かすので結構負担がかかります」

 聞いていて、晴也の左膝がむずむずした。晴也には怪我や病気で入院した経験が無い。膝にメスを入れるなんて、想像しただけで目の前がくらっとする。術後も身体が辛い訳ではないのに、ベッドに縫い止められ、晶はきっと精神的にもきつかっただろうと思う。

「相当な痛みがあった筈なんです、普通そこで踊るのを止めて病院行きますよねぇ」

 晴也はえ、と思わず言ったが、李医師は笑った。晶は面目なさげに少しうつむいた。

「という訳で吉岡さんは馬鹿ですから、私としては福原さんにも彼が無茶しないよう監視していただきたいですね」

 晴也は馬鹿という言葉に共感しつつ、はい、と答えた。晶が李医師の顔色を伺いながら、口を開く。

「やっぱりロンドンに2ヶ月ちょい行くことにしまして、監視して貰えなくなるんですけど……」
「無理しないようにとしか言えませんよ、右も無茶させないようにね……違和感が出たら休むこと、痛みが出たら私にメールするか、あっちに信頼できそうな医師がいるなら、診て貰うこと……痛み止めを飲んでごまかすことは絶対しない」

 一気に言ってから、李医師は晴也の顔を見た。

「ほら吉岡さん、福原さんめちゃくちゃ心配そうな顔になりましたよ、身近な人を不安にするのは一番アウト」
「先生がいろいろ言うからでしょ、この人割と怖がりで心配性なのに」

 じゃあどうして連れて来るんだと、晴也は晶に噛みつきそうになる。

「でも心配してくれる人がいるとね、ストッパーになって良い面もあります……吉岡さん、店で踊り始めたいって言った時は何だか投げやりな感じがあって、もし膝壊れてももういいってたぶん思ってたから」

 医師の言葉に、晶はそんなことないです、と唇を尖らせた。
 その時、水色の制服を着た女性が、晶を呼びに来た。クリスマスのショーの「マイティドクター」で、晶が似た恰好をしていたことを思い出して、晴也の緊張がふっと緩んだ。
 晶はリハビリのために別室に行った。次の予約の患者が来ないと看護師が言いに来ると、李医師は晴也と雑談を始めた。

「私吉岡さんからロンドンで何をするのか聞いてないんですよ、彼は何に出るんですか?」
「えっ、そうなんですか? えっと、『夏の夜の夢』なんです、サイラス・マクグレイブって人が演出を……」

 李医師はパソコンのカルテを閉じて、検索を始めた。流石さすが医師と言うべきなのか、彼はサイラスの名を英語で探し当て、公演の公式サイトらしきページにすぐに辿り着いた。

「おおっ、これですか? すごい」

 晴也も驚いた。こんなサイトがあるとは。晶も知らないのではないか。
 トップページに、"Midsummer Night's Dream or An Overnight Feast of Idiots" という飾り文字がゆっくりと浮かび上がる。この副題は何だろうと晴也が首を傾げると、李医師が笑った。

「『馬鹿者たちの一夜の祝祭』? こんな副題ついてましたか?」
「いや、わかりかねます……」
「キャストに吉岡さん出て来ますかね」
「あ、たぶん主要キャストですから出て来ると思います」

 李医師がキャストのページを開くと、出演者の写真とプロフィールがずらりと並んだ。上から6番目に、少し顔を斜めにして微笑でこちらを見る晶の写真がある。晴也も思わず、おっ、と言ってしまった。

「うわっ、すごい! 何かめちゃカッコいい、演技力と安定感のあるダンスに定評? そんなこと全然話してくれないから」

 李医師は英語のコメントに目を通しながら、やけに楽しそうである。2人の看護師がパソコンを覗きに来て、吉岡さんだ、眼鏡外したらイケメン増し、などと声を上げる。

「これ、お芝居なんですか?」
「ちょっと変わった舞台だと聞いてます、ショウさん……吉岡さんたち妖精グループは皆基本ダンサーで、職人グループは基本歌手らしいです」
「ほぉ……ミュージカルの変形なんですかね」

 李医師は公演スケジュールをクリックする。7月の最終週の6日間である。

「えーっと、木曜が休演、金曜が2回公演……計7回か、まあまあハードだな」

 李医師は舞台が晶の負担にならないかどうかを気にしている。いい先生だと晴也は思った。
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