27 / 47
悩め、歌え
8月⑥
しおりを挟む
「俺はたぶん、歌で食っていくほど才能も無いし好きでもなくて……ちょっと声がいいとか言われて勘違いしただけだ」
三喜雄はこれまで誰にも話さなかった、ずっとくすぶっている思いを口にした。高崎は一瞬眉間に薄く皺を寄せ、困惑を見せたが、うーん、と首を傾げる。
「勘違いから始まって何かを成し遂げる人のほうが、古今東西圧倒的に多いんじゃないですかね」
何でそう人生3回目発言なんだと、三喜雄は綺麗な顔に突っ込みたくなる。すると高崎は、精緻に作られた人形のような完璧な形の唇から、毒を塗った矢を次々と吹き出した。
「それで? 教育大受けるのやめるんですか? もう引き返せない場所まで来てるのに? まさかそのことに気づかないふりしてます? それとも、いやいや先輩そんなことないですよぉって言ってほしいんですか?」
「……っ、おまえなぁ……」
あ然とした三喜雄は滅多刺しにされ言葉を失った。いちいち思い当たる気がして、悔しくて泣きそうである。どっと疲れを覚えて、椅子に腰を落として項垂れた。情けなかったが高崎の言う通りで、今更方向転換すれば、受けるダメージも大きいに違いなかった。
ひとつ溜め息をつくと、すぐそばに高崎が来た気配がした。彼はいつも足音をあまり立てないので、いつもちょっと驚かされる。
顔を上げると、高崎の仄かに青く色づいた人差し指と親指に、数センチの茶色い楕円のものが挟まれていた。
「はい、口開けて」
自分を見下ろす黒い瞳の感情が窺えずにどきりとしたが、何故か三喜雄はその命令に抗えなかった。長い睫毛を見つめながら、言われるまま口をゆっくり開けると、中に茶色い物体を押し込まれた。それは舌の上でゆっくり溶け、最近ご無沙汰していた濃厚な甘味を、脳内にびりびりと伝えてきた。
「今日はもう帰って、食べたいもの食べてゆっくり寝てください……『さくら横ちょう』は次回やりましょう」
チョコレートの中にはアーモンドが入っていた。さっき音楽室に高崎が来た時に、三喜雄が彼に渡したものだった。噛むとぽりっと音がして、懐かしさを伴う香ばしい匂いが鼻に抜ける。
チョコレートの糖分は、三喜雄を幾分ほっとさせた。
「失礼します、片山先輩……隣片づけましたよ」
カバーをかけたキーボードを後輩2人が運んできたので、三喜雄はアーモンドチョコを飲み下す。
「お疲れさま、教卓の横の机に置いとけばいいよ」
「はい、鍵渡します、すみません」
時計は19時15分前を指していた。三喜雄は後輩たちが、自分と高崎に好奇心混じりの視線を向けてくるのを感じつつ、鍵を預かり彼らを見送る。お先です、と言いながら、4人はばらばらと足音を立てて階段を降りて行った。ジュース代くらい握らせてやればよかったと思った。
「こっちも片づけますね」
高崎はピアノの鍵盤を拭き始める。三喜雄も窓を順番に閉めた。外はまだ明るいが、グラウンドも静かになっていた。夏休み期間中の部活の上限時間は19時だ。サッカー部の連中も、もう着替えているのだろう。
音楽室の鍵を閉め、階下に降りると、ようやく日が暮れてきたのがわかった。高崎は三喜雄を見上げて言う。
「片山先輩、声ってほんとに、神が人間に個々に与えたものですよね」
三喜雄は何を言われたのか、一瞬理解できなかった。
「……ああ、そうかもしれない」
「世の中のそう沢山でない人がね、声をそのまま持ち腐れさせないで、他人のために使う使命を与えられてると思うんです」
「そうなのかな」
ぼんやり答える三喜雄に、高崎は大真面目に言った。
「あなたがそうなんですよ、片山さん」
三喜雄は思わず渡り廊下で立ち止まる。紫色を帯び始めた空を背にした高崎は、静かな慈悲のようなものを、その顔に浮かべている。
迷える自分に預言を与えに来た天使か、あるいは愚かな自分を唆して面白がる悪魔か。どちらにせよ三喜雄は、この華奢で儚げな姿をしたふてぶてしい下級生に振り回されていると、ようやく気づいたのだった。
三喜雄はこれまで誰にも話さなかった、ずっとくすぶっている思いを口にした。高崎は一瞬眉間に薄く皺を寄せ、困惑を見せたが、うーん、と首を傾げる。
「勘違いから始まって何かを成し遂げる人のほうが、古今東西圧倒的に多いんじゃないですかね」
何でそう人生3回目発言なんだと、三喜雄は綺麗な顔に突っ込みたくなる。すると高崎は、精緻に作られた人形のような完璧な形の唇から、毒を塗った矢を次々と吹き出した。
「それで? 教育大受けるのやめるんですか? もう引き返せない場所まで来てるのに? まさかそのことに気づかないふりしてます? それとも、いやいや先輩そんなことないですよぉって言ってほしいんですか?」
「……っ、おまえなぁ……」
あ然とした三喜雄は滅多刺しにされ言葉を失った。いちいち思い当たる気がして、悔しくて泣きそうである。どっと疲れを覚えて、椅子に腰を落として項垂れた。情けなかったが高崎の言う通りで、今更方向転換すれば、受けるダメージも大きいに違いなかった。
ひとつ溜め息をつくと、すぐそばに高崎が来た気配がした。彼はいつも足音をあまり立てないので、いつもちょっと驚かされる。
顔を上げると、高崎の仄かに青く色づいた人差し指と親指に、数センチの茶色い楕円のものが挟まれていた。
「はい、口開けて」
自分を見下ろす黒い瞳の感情が窺えずにどきりとしたが、何故か三喜雄はその命令に抗えなかった。長い睫毛を見つめながら、言われるまま口をゆっくり開けると、中に茶色い物体を押し込まれた。それは舌の上でゆっくり溶け、最近ご無沙汰していた濃厚な甘味を、脳内にびりびりと伝えてきた。
「今日はもう帰って、食べたいもの食べてゆっくり寝てください……『さくら横ちょう』は次回やりましょう」
チョコレートの中にはアーモンドが入っていた。さっき音楽室に高崎が来た時に、三喜雄が彼に渡したものだった。噛むとぽりっと音がして、懐かしさを伴う香ばしい匂いが鼻に抜ける。
チョコレートの糖分は、三喜雄を幾分ほっとさせた。
「失礼します、片山先輩……隣片づけましたよ」
カバーをかけたキーボードを後輩2人が運んできたので、三喜雄はアーモンドチョコを飲み下す。
「お疲れさま、教卓の横の机に置いとけばいいよ」
「はい、鍵渡します、すみません」
時計は19時15分前を指していた。三喜雄は後輩たちが、自分と高崎に好奇心混じりの視線を向けてくるのを感じつつ、鍵を預かり彼らを見送る。お先です、と言いながら、4人はばらばらと足音を立てて階段を降りて行った。ジュース代くらい握らせてやればよかったと思った。
「こっちも片づけますね」
高崎はピアノの鍵盤を拭き始める。三喜雄も窓を順番に閉めた。外はまだ明るいが、グラウンドも静かになっていた。夏休み期間中の部活の上限時間は19時だ。サッカー部の連中も、もう着替えているのだろう。
音楽室の鍵を閉め、階下に降りると、ようやく日が暮れてきたのがわかった。高崎は三喜雄を見上げて言う。
「片山先輩、声ってほんとに、神が人間に個々に与えたものですよね」
三喜雄は何を言われたのか、一瞬理解できなかった。
「……ああ、そうかもしれない」
「世の中のそう沢山でない人がね、声をそのまま持ち腐れさせないで、他人のために使う使命を与えられてると思うんです」
「そうなのかな」
ぼんやり答える三喜雄に、高崎は大真面目に言った。
「あなたがそうなんですよ、片山さん」
三喜雄は思わず渡り廊下で立ち止まる。紫色を帯び始めた空を背にした高崎は、静かな慈悲のようなものを、その顔に浮かべている。
迷える自分に預言を与えに来た天使か、あるいは愚かな自分を唆して面白がる悪魔か。どちらにせよ三喜雄は、この華奢で儚げな姿をしたふてぶてしい下級生に振り回されていると、ようやく気づいたのだった。
3
あなたにおすすめの小説
沢田くんはおしゃべり
ゆづ
青春
第13回ドリーム大賞奨励賞受賞✨ありがとうございました!!
【あらすじ】
空気を読む力が高まりすぎて、他人の心の声が聞こえるようになってしまった普通の女の子、佐藤景子。
友達から地味だのモブだの心の中で言いたい放題言われているのに言い返せない悔しさの日々の中、景子の唯一の癒しは隣の席の男子、沢田空の心の声だった。
【佐藤さん、マジ天使】(心の声)
無口でほとんどしゃべらない沢田くんの心の声が、まさかの愛と笑いを巻き起こす!
めちゃコミ女性向け漫画原作賞の優秀作品にノミネートされました✨
エブリスタでコメディートレンドランキング年間1位(ただし完結作品に限るッ!)
エブリスタ→https://estar.jp/novels/25774848
少女格闘伝説
坂崎文明
青春
不遇な時を過す天才女子プロレスラー神沢勇の前に、アイドル歌手にして、秋月流柔術の使い手、秋月玲奈が現われる。
人狼戦記~少女格闘伝説外伝~
https://www.alphapolis.co.jp/novel/771049446/455173336
内弟子物語 ー捨てきれない夢、武術の究極「活殺自在」を求める5名の青春群像ー
藤堂慎人
青春
夢を捨てた人生に意味はないと考え、空手に魅力を感じた青年たちが純粋に若い時を駆け巡る青春群像。個性豊かな登場人物が織りなす毎日を綴る。試合を意識した空手ではなく、武術の究極と言われる活殺自在の境地を目指す過程をそれぞれの視点から描く。若いゆえの悩みを抱えつつも、自身が信じたことについて突き進む様子をユニークなエピソードごと紹介。
謎の過去を持つ師、藤堂真人のところに集まった高山誠、御岳信平、龍田真悟、松池進、堀田賢が武術と癒しという両極を学ぶ中で気付き、成長していく。
イケメン警視、アルバイトで雇った恋人役を溺愛する。
楠ノ木雫
恋愛
蒸発した母の借金を擦り付けられた主人公瑠奈は、お見合い代行のアルバイトを受けた。だが、そのお見合い相手、矢野湊に借金の事を見破られ3ヶ月間恋人役を務めるアルバイトを提案された。瑠奈はその報酬に飛びついたが……
初恋♡リベンジャーズ
遊馬友仁
青春
【第五部開始】
高校一年生の春休み直前、クラスメートの紅野アザミに告白し、華々しい玉砕を遂げた黒田竜司は、憂鬱な気持ちのまま、新学期を迎えていた。そんな竜司のクラスに、SNSなどでカリスマ的人気を誇る白草四葉が転入してきた。
眉目秀麗、容姿端麗、美の化身を具現化したような四葉は、性格も明るく、休み時間のたびに、竜司と親友の壮馬に気さくに話しかけてくるのだが――――――。
転入早々、竜司に絡みだす、彼女の真の目的とは!?
◯ンスタグラム、ユ◯チューブ、◯イッターなどを駆使して繰り広げられる、SNS世代の新感覚復讐系ラブコメディ、ここに開幕!
第二部からは、さらに登場人物たちも増え、コメディ要素が多めとなります(予定)
魔王の残影 ~信長の孫 織田秀信物語~
古道 庵
歴史・時代
「母を、自由を、そして名前すらも奪われた。それでも俺は――」
天正十年、第六天魔王・織田信長は本能寺と共に炎の中へと消えた――
信長とその嫡男・信忠がこの世を去り、残されたのはまだ三歳の童、三法師。
清須会議の場で、豊臣秀吉によって織田家の後継とされ、後に名を「秀信」と改められる。
母と引き裂かれ、笑顔の裏に冷たい眼を光らせる秀吉に怯えながらも、少年は岐阜城主として時代の奔流に投げ込まれていく。
自身の存在に疑問を抱き、葛藤に苦悶する日々。
友と呼べる存在との出会い。
己だけが見える、祖父・信長の亡霊。
名すらも奪われた絶望。
そして太閤秀吉の死去。
日ノ本が二つに割れる戦国の世の終焉。天下分け目の関ヶ原。
織田秀信は二十一歳という若さで、歴史の節目の大舞台に立つ。
関ヶ原の戦いの前日譚とも言える「岐阜城の戦い」
福島正則、池田照政(輝政)、井伊直政、本田忠勝、細川忠興、山内一豊、藤堂高虎、京極高知、黒田長政……名だたる猛将・名将の大軍勢を前に、織田秀信はたったの一国一城のみで相対する。
「魔王」の血を受け継ぐ青年は何を望み、何を得るのか。
血に、時代に、翻弄され続けた織田秀信の、静かなる戦いの物語。
※史実をベースにしておりますが、この物語は創作です。
※時代考証については正確ではないので齟齬が生じている部分も含みます。また、口調についても現代に寄せておりますのでご了承ください。
ズボラ上司の甘い罠
松丹子
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。
仕事はできる人なのに、あまりにももったいない!
かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。
やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか?
上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。
モテ男とデキ女の奥手な恋
松丹子
恋愛
来るもの拒まず去るもの追わずなモテ男、神崎政人。
学歴、仕事共に、エリート過ぎることに悩む同期、橘彩乃。
ただの同期として接していた二人は、ある日を境に接近していくが、互いに近づく勇気がないまま、関係をこじらせていく。
そんなじれじれな話です。
*学歴についての偏った見解が出てきますので、ご了承の上ご覧ください。(1/23追記)
*エセ関西弁とエセ博多弁が出てきます。
*拙著『神崎くんは残念なイケメン』の登場人物が出てきますが、単体で読めます。
ただし、こちらの方が後の話になるため、前著のネタバレを含みます。
*作品に出てくる団体は実在の団体と関係ありません。
関連作品(どれも政人が出ます。時系列順。カッコ内主役)
『期待外れな吉田さん、自由人な前田くん』(隼人友人、サリー)
『初恋旅行に出かけます』(山口ヒカル)
『物狂ほしや色と情』(名取葉子)
『さくやこの』(江原あきら)
『爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい!』(阿久津)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる