あいみるのときはなかろう

穂祥 舞

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衝撃

8月⑩

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 学校から一番近いパン屋で昼食を調達して、お互いの盆明けの予定を確認すると、三喜雄の声楽コンクールの準本選まで、高崎と確実に時間が合わせられそうな日が1日しか無かった。

「だいぶ仕上がった感じするんで、この日は本番と同じ流れで通すといいと思います」

 紅茶のペットボトル片手に、高崎は言った。ソロで歌う場合、本番はピアニストに背中を向けるが、三喜雄はこれにまだ慣れない。
 予選で弾いてくれた関谷は、あの日限界まで緊張していた三喜雄をずっと後ろから支えてくれた。でも高崎が相手なら、もっと安心できるのではないかと思ってしまう。
 高崎は昼食が済むと、美術室に移動する用意を始めた。

「お菓子ありがとうございます、気を遣っていただいて本当にすみません」
「いつもありがとう、俺が買ったんじゃないけど家の人と食べて……美術部は今から誰か来るの?」

 高崎のズボンのポケットには、美術室の鍵が入っていた。

「誰も来ないと思います、僕も今日は5時には帰ります」

 グリーは珍しく上谷と、少なくとも3人の1、2年生が来る予定である。

「長谷部も来るって言ってた、こっちも5時までかかるだろうから、帰り際に覗いてやって」

 三喜雄が言うと、そうなんですか、と高崎は目を見開いた。

「長谷部、やけに練習熱心ですね」
「合演で彼女を見つけるために張りきってる」
「えーっ、不純ですよ」

 高崎は苦笑して音楽室から出て行った。
 たぶんグリーの面々は14時にしか集まらないので、三喜雄は古典の参考書を開いた。喉を休めるためでもあったが、おおよそ気休めである。
 集中し始めた時、廊下を人が通った。グリーの誰かだと思い三喜雄は顔を上げたが、予想しなかった姿を目にして思わず参考書をうつ伏せにした。不機嫌な表情のすらりとした男は、美術部の須々木だった。
 美術室には今、高崎しかいない。時計を見ると13時20分だった。彼が音楽室を出て行ってから今まで、誰も3階に来ていない筈である。……2人にするのは、まずいんじゃないのか。
 蝉がじいじいと鳴く声が聞こえる。廊下の窓は開けっぱなしで、音楽室の廊下側の窓も一部開けているので、そこから聞こえてくるのだが、やけに耳についた。
 不安を抱いた三喜雄が廊下の窓からそっと首を出すと、ちょうど須々木は美術室の引き戸に手をかけていた。互いにろくに挨拶もせず、同じ空間で絵を描くなんて、俺なら耐えられない。三喜雄が思っている間に、須々木は部屋に入った。
 高崎は須々木の仕打ちに対する文句や愚痴を、これまで口にしたことがない。やめてくれと言われた日以来、三喜雄は突っ込んだ話を高崎に直接振るのは控えている。2度ほどそれとなく須々木の話に誘導しようとしたが、彼は巧みに話題をはぐらかした。
 高崎は須々木だけでなく、美術部の誰のことも悪く言わない。だが彼がこれまで口にした美術部内の話題を総合すると、彼が須々木とほとんど話をしていないのが透けて見えた。
 自分が須々木と2人きりになる訳でもないのに、三喜雄の胸に黒っぽくてどろどろしたものがどんどん湧き出してくる。それとなく覗きに行き、美術室の雰囲気が悪かったら、練習につき合ってくれと言って高崎を連れ出そうか。
 その時、階段を昇ってくる足音がした。姿を見せたのは、ダンボール箱を抱えた美術部顧問の松倉だった。ばっちり目が合ってしまったので、三喜雄は彼にこんにちは、と挨拶する。

「こんにちは、片山くんも暑いのに毎日熱心だな」

 松倉は言った。彼が美術室に行くなら安心だ。三喜雄はほっとして、その分口も滑らかになる。

「あ、俺がというよりグリーが9月から本番多いんで」
「そうか、秋は文化系クラブの繁忙期だからなぁ」

 松倉は箱を抱え直す。三喜雄は手伝いを申し出たが、重くはないらしい。松倉に、須々木の部長らしからぬ態度を告げ口してやりたくなったが、高崎の意向に沿わないだろうと思いとどまった。
 三喜雄が参考書に再度視線を落として10分もしないうちに、開けろ、という声がした。松倉の声のようである。三喜雄は立ち上がり、窓から美術室のほうに首を伸ばした。

「開けろ! 須々木!」

 引き戸の前で松倉がはっきりそう言うのを聞き、三喜雄は美術室で何か起きたことを瞬時に察した。高崎、と呟き咄嗟に廊下に出た三喜雄は、松倉が抱えていた箱を床に置いて、引き戸に手をかけがたがた音を立てているのを見た。
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