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閑話 ~ひと休みの誕生日~
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「ああ、さっぱりした……何か僕疲れてたなって認識したよ」
奏人はスウェットから頭を出して、言った。
「そんな心配そうな顔しないで、言っても奈良は遠いし、教えるのって気を遣うから仕方ないよ……でも半年もしたら慣れると思う」
暁斗は少し元気が戻ってきた様子の奏人にほっとしつつ、たとえ週1日でも、新幹線通勤は厳しいのではないかと思う。
「暁斗さん、今夜一緒に寝られないから、ちょっとだけ……」
奏人はタオルをバケツに戻した暁斗に言って、抱きついてきた。その身体はやはり、熱っぽかった。暁斗は細い背を抱いて、何度も撫でる。
きついなら、いつでも辞めたらいい。奏人さん一人なら、食わせてやれるんだから。暁斗は言いたくなるのだが、奏人が働きながら博士まで取ると決めたのだから、口にはしない。
「……奏人さん、きついときはもっと頼って」
それでも暁斗は、そこだけは伝えておく。うん、と奏人は小さく答えた。また雨が強くなったのか、水が窓を叩く音がした。
歯を磨きに行った奏人が横になったのを確認すると、暁斗は明かりを消して寝室を出た。リビングのソファをベッドの形にするのは初めてだが、寝心地は如何なものなのだろうか。暁斗は薄手の毛布を出す。降って気温が下がるなんて、例年この時期にはあまり無いのにと思いながら。
翌朝、奏人の熱は37度台に下がっていた。雨も夜中に一旦降り切ったような感じがあったので、タクシーを呼ぶ必要は無さそうだった。
暁斗は食料の調達に、ご近所の厚情を願うことにした。朝食を済ませ奏人が顔を洗っている間に、土曜の朝から申し訳ないと思いつつ、隣家の呼び鈴を押す。
「あら桂山さん、おはようございます」
森山夫人はインターフォンのカメラで暁斗を確認するなり、驚いたように言った。
「おはようございます、あっ、このままお話しください、実は昨夜から奏人さんが発熱してまして」
「まあ! それは大変」
「それでこれから2人で発熱外来に行きます、検査の結果が夕方に出るんですけど」
インターフォンの向こうから、どうしたの桂山さん、と森山氏の声がした。高崎さんが熱があって、一緒に病院に行くんですって、と、夫婦の会話が丸聞こえである。
「ごめんなさい、主人が割り込んできて……それで? 何か御用がおありなのよね?
「はい、冷蔵庫がすっからかんなんですが、結果が出ないと動けないです……それでちょっとお買い物をお願いできればと思いまして」
暁斗は隣家の夫婦が、週末に車で買い出しに行くことを知っていた。夫人はあっさりと承諾してくれる。
「私たち食べられないものは基本的にありません、奏人さんもお腹の具合は悪くないようです……とにかくメインになる食材が無いんですよ」
「お魚とかお肉ってことですよね? わかりました、うちと同じものを買ってきます、お野菜もね」
森山夫人の声は、心なしか楽し気である。暁斗は段取りを打ち合わせてから、図々しいお願いですみません、と詫びた。
「お安い御用です、昼から行きますから夕方までに渡しに行きます」
朗らかな森山夫人に、暁斗は心から礼を言う。こんな賃貸マンションで近所づきあいなど無くてもいいと暁斗は思って来たが、隣家がいつも好意的なのは本当に有り難かった。
部屋に戻ると、奏人は身繕いを済ませてダイニングで座っていた。首尾よく運んだと察し、奏人は微笑した。
「……ねえ暁斗さん、僕もう引っ越さなくてもいいかもって思ってる」
「そう?」
暁斗は奏人と生きていくに際して、この部屋は仮住まいだと位置づけていた。いかんせんこのマンションは古い。
また、指輪をつくって以降、同性パートナーシップ制度を今後使うかどうかを話し合うようになった。暁斗は制度自体に多少疑問点があるが、奏人は使いたい意向を示している。今暮らす大田区は制度を導入していないので、導入している区の、もう少し新しい家に引っ越す案が出ていたのだった。
しかし先日、東京都が制度を整え、この秋に運用を開始するというニュースが飛び込んできた。今の奏人の言葉は、それを踏まえているようである。
「お隣りと仲良くできるのって大事だと思うんだ、特に僕たち普通でないカップルだし」
「そうだなぁ、引っ越したらどんな人がご近所になるかわからないもんな」
「僕この辺とても好きだよ」
暁斗はうん、と頷いて、財布の中に保険証が入っていることを確認した。
発熱外来に患者を受け入れている内科に向かう道は、普段暁斗もあまり使わないので、新鮮だった。のんびりと営業していそうな個人商店や小さな集合住宅が多く、暁斗のマンション周辺よりも道が細い。診療所も割に沢山ある印象だ。
有り難いことに雨は小降りだった。奏人のために、お揃いの傘(ふたりの12本骨の傘は色違いで、暁斗は5年前の誕生日にこれを奏人からプレゼントされたのだった)を手に、ゆっくり歩く。
目指す内科の前に辿り着くと、植え込みに紫陽花が咲いていた。濃い青に色づき始めている花が、水滴を纏ってきれいだった。いい色だね、と奏人はマスクの中で呟いた。
奏人はスウェットから頭を出して、言った。
「そんな心配そうな顔しないで、言っても奈良は遠いし、教えるのって気を遣うから仕方ないよ……でも半年もしたら慣れると思う」
暁斗は少し元気が戻ってきた様子の奏人にほっとしつつ、たとえ週1日でも、新幹線通勤は厳しいのではないかと思う。
「暁斗さん、今夜一緒に寝られないから、ちょっとだけ……」
奏人はタオルをバケツに戻した暁斗に言って、抱きついてきた。その身体はやはり、熱っぽかった。暁斗は細い背を抱いて、何度も撫でる。
きついなら、いつでも辞めたらいい。奏人さん一人なら、食わせてやれるんだから。暁斗は言いたくなるのだが、奏人が働きながら博士まで取ると決めたのだから、口にはしない。
「……奏人さん、きついときはもっと頼って」
それでも暁斗は、そこだけは伝えておく。うん、と奏人は小さく答えた。また雨が強くなったのか、水が窓を叩く音がした。
歯を磨きに行った奏人が横になったのを確認すると、暁斗は明かりを消して寝室を出た。リビングのソファをベッドの形にするのは初めてだが、寝心地は如何なものなのだろうか。暁斗は薄手の毛布を出す。降って気温が下がるなんて、例年この時期にはあまり無いのにと思いながら。
翌朝、奏人の熱は37度台に下がっていた。雨も夜中に一旦降り切ったような感じがあったので、タクシーを呼ぶ必要は無さそうだった。
暁斗は食料の調達に、ご近所の厚情を願うことにした。朝食を済ませ奏人が顔を洗っている間に、土曜の朝から申し訳ないと思いつつ、隣家の呼び鈴を押す。
「あら桂山さん、おはようございます」
森山夫人はインターフォンのカメラで暁斗を確認するなり、驚いたように言った。
「おはようございます、あっ、このままお話しください、実は昨夜から奏人さんが発熱してまして」
「まあ! それは大変」
「それでこれから2人で発熱外来に行きます、検査の結果が夕方に出るんですけど」
インターフォンの向こうから、どうしたの桂山さん、と森山氏の声がした。高崎さんが熱があって、一緒に病院に行くんですって、と、夫婦の会話が丸聞こえである。
「ごめんなさい、主人が割り込んできて……それで? 何か御用がおありなのよね?
「はい、冷蔵庫がすっからかんなんですが、結果が出ないと動けないです……それでちょっとお買い物をお願いできればと思いまして」
暁斗は隣家の夫婦が、週末に車で買い出しに行くことを知っていた。夫人はあっさりと承諾してくれる。
「私たち食べられないものは基本的にありません、奏人さんもお腹の具合は悪くないようです……とにかくメインになる食材が無いんですよ」
「お魚とかお肉ってことですよね? わかりました、うちと同じものを買ってきます、お野菜もね」
森山夫人の声は、心なしか楽し気である。暁斗は段取りを打ち合わせてから、図々しいお願いですみません、と詫びた。
「お安い御用です、昼から行きますから夕方までに渡しに行きます」
朗らかな森山夫人に、暁斗は心から礼を言う。こんな賃貸マンションで近所づきあいなど無くてもいいと暁斗は思って来たが、隣家がいつも好意的なのは本当に有り難かった。
部屋に戻ると、奏人は身繕いを済ませてダイニングで座っていた。首尾よく運んだと察し、奏人は微笑した。
「……ねえ暁斗さん、僕もう引っ越さなくてもいいかもって思ってる」
「そう?」
暁斗は奏人と生きていくに際して、この部屋は仮住まいだと位置づけていた。いかんせんこのマンションは古い。
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