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最終話
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幌川にある尊の実家では、自宅にある小さな畑で働くタミの姿があった。
いつもと変わらず黙々と働くタミのもとに、大勢の町の人たちが訪ねてきた。
「やあ、タミさん、こんにちは。」
「どうしたんですか、こんなに大勢で。」
多くの人たちを前にして、タミはなにごとが起こったのかと思うのであった。
「タミさん、新聞を読んだかね。」
そう言ってひとりの男が新聞をタミに手渡した。
「空の神兵、沖縄の敵飛行場を強襲、敵機多数を破壊」
「敵兵遁走、為すところを知らず」
「敵飛行場を一時的に占拠、制空権を奪還」
勇ましい見出しが踊る中、最後の一文がタミの目に突き刺さった。
「隊員は全員壮烈なる戦死を遂げたものと認む」
新聞を持つタミの手が小刻みに震え出した。
「まさか…」
新聞を手渡した男がタミに向かって言った。
「ここに尊君の名前が載っている。たいしたもんだ。」
タミは心臓が止まるかと思われるほどの衝撃を受けた。
茫然とする彼女に向かって、次々と言葉が飛んできた。
「いやあ、さすがは尊君だ、アイヌにしておくにはもったいない。」
「アイヌだってやるときはやるもんだな。」
「アイヌだけど見直したぞ。」
「アイヌだけど」、「アイヌのくせに」、「アイヌなのに」
笑いながら話す人々をタミは睨みつけた。
「お前たち、いい加減にしろ。」
彼女の迫力を前に、一瞬にしてその場のすべての人たちの顔から笑みが消えた。
「息子は、尊は、アメリカと戦ったんじゃない…」
「お前たち和人と戦ったんだ!!」
そう叫ぶタミの顔は怒りと悲しみに満ちており、目からは悔し涙が溢れていた。
そんな彼女に対し、狼狽したしらじらしい笑顔で言う者がいた。
「タミさん、何を言っているのかね。別にそんな意味で言ったわけでは…」
そこにひとりの声が響いた。
「みなさん、もうその辺で。」
いつの間にか、鈴谷が立っていた。
その場の者たちは、鈴谷に向かって言い訳を並べ始めた。
「俺たちはただ、尊君の武勲を褒めたかっただけで。確かに、言い方は悪かったが…」
「それに、じいさんや親父の代から同じようなことを言ってるぞ。」
「北海道ならどこでも、誰だって、似たようなことを言っているだろ。」
しかし、いつもの鈴谷とは違う鬼気迫る言葉が返ってきた。
「だからこそ、誰かがどこかで止めなければならないのです!」
黙り込む人々を前に鈴谷は続けた。
「明らかに我々は間違っている。その間違いを子どもや孫にも受け継がせるのですか。この先もずっと間違い続けるのですか!」
タミは鈴谷の足元に泣き崩れた。
「鈴谷先生…、尊が、尊が…」
鈴谷は、泣き崩れる彼女の背中にそっと手を当てるのであった。
戦争が終わってから最初の春が来た。
日本各地や南方へ出征していた若者が復員してきており、幌川の駅に列車が着くたびに我が家へ向かう人々の姿が見られた。
そのような中、郊外へ向かって歩くひとりの男の姿があった。
この辺では見かけない顔だ。
歩く男にひとりの女の子が声をかけた。元気な声で。
「おじさん、どこに行くの。この先には、家はあんまりないよ。」
「冬月さんの家に用事があってね。」
「それって私の家だよ!」
男は驚き、女の子の顔をまじまじと見た。
間違いない、尊の妹だ。
「君は尊の妹だね。」
女の子はまるで兄と再会したかのように嬉しそうに答えた。
「お兄ちゃんを知っているの!」
「ああ、知っているとも。忘れるものか。」
通学鞄を持っているということは、学校帰りなのだろう。
良かった。
尊よ、お前の妹は元気に学校に通っているようだよ。
「お母さん、お客さんだよ。」
恵子の声を聞きつけ、タミが戸口に出てきた。
「おばさん、ご無沙汰しております。」
タミは驚きのあまりしばらく声が出なかった。
「兵吉か、兵吉なんだな。いったいなんでここに。」
「どうしても伝えなければならないことがあって…」
兵吉はこれまでのことを包み隠さずタミに話した。
「そうか、兵吉が、お前が尊を送ってくれたんだな。ありがとう、ありがとう。」
タミは兵吉の手を握り締め、何度も何度も礼を言うのであった。
「尊が、これを渡してほしいと。」
そう言って、兵吉はタミに封筒を手渡した。
中には尊からの手紙が入っていた。
母さん、この手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にはいないのでしょうね。
そう思うと、何だか手紙を書いていて不思議な気持ちです。
寒くはありませんか、風邪などひいてはいませんか、おなかをすかせてはいませんか、恵子は学校に通っていますか。
”少しでも、ほんの少しでも世の中は変わりましたか”
私はアイヌです、父さんの子です。
今まで、そのことから逃げ、できれば隠して生きていきたいとさえ思っていました。
でも、それでは何も変わらないということに気づきました。
戦わなければ守れないもの、命を懸けなければ守れないものがあるのだと思います。
この命が次の時代の礎となるならば、これほどの幸福はありません。
そして、生まれ変わっても、再び父さんと母さんの子、アイヌの子として生まれてきます。
悲しまないでください。
ときどき様子を見にそちらに行きます。
そして、父さんとともに、天からいつもふたりを見守っています。
いつも、いつまでも、見守っています。
タミは涙を浮かべながら手紙を握り締めた。
「尊…」
そのとき、恵子が何かに気づいた。
「白い頭の鷲がいるよ。さっきから家の周りを飛んでる。」
「初めて見た。噂では聞いていたが、ハクトウワシだ。滅多に見かけることはないらしいけどな。しかも、こんな時期に。」
恵子と兵吉の会話を聞いて、タミは何かを感じ取ったようだ。
「尊なんだな、そこにいるのは尊なんだな。」
しばらくの間、鷲は家の周りを飛んでいたのだが、何かを振り切るかのように遥か彼方へ飛び去って行った。
そう、あの日のように。
尊を乗せた飛行機が沖縄へ向かって飛び去って行った、あの日のように。
「完」
よろしければ、あとがきへおすすみください。
いつもと変わらず黙々と働くタミのもとに、大勢の町の人たちが訪ねてきた。
「やあ、タミさん、こんにちは。」
「どうしたんですか、こんなに大勢で。」
多くの人たちを前にして、タミはなにごとが起こったのかと思うのであった。
「タミさん、新聞を読んだかね。」
そう言ってひとりの男が新聞をタミに手渡した。
「空の神兵、沖縄の敵飛行場を強襲、敵機多数を破壊」
「敵兵遁走、為すところを知らず」
「敵飛行場を一時的に占拠、制空権を奪還」
勇ましい見出しが踊る中、最後の一文がタミの目に突き刺さった。
「隊員は全員壮烈なる戦死を遂げたものと認む」
新聞を持つタミの手が小刻みに震え出した。
「まさか…」
新聞を手渡した男がタミに向かって言った。
「ここに尊君の名前が載っている。たいしたもんだ。」
タミは心臓が止まるかと思われるほどの衝撃を受けた。
茫然とする彼女に向かって、次々と言葉が飛んできた。
「いやあ、さすがは尊君だ、アイヌにしておくにはもったいない。」
「アイヌだってやるときはやるもんだな。」
「アイヌだけど見直したぞ。」
「アイヌだけど」、「アイヌのくせに」、「アイヌなのに」
笑いながら話す人々をタミは睨みつけた。
「お前たち、いい加減にしろ。」
彼女の迫力を前に、一瞬にしてその場のすべての人たちの顔から笑みが消えた。
「息子は、尊は、アメリカと戦ったんじゃない…」
「お前たち和人と戦ったんだ!!」
そう叫ぶタミの顔は怒りと悲しみに満ちており、目からは悔し涙が溢れていた。
そんな彼女に対し、狼狽したしらじらしい笑顔で言う者がいた。
「タミさん、何を言っているのかね。別にそんな意味で言ったわけでは…」
そこにひとりの声が響いた。
「みなさん、もうその辺で。」
いつの間にか、鈴谷が立っていた。
その場の者たちは、鈴谷に向かって言い訳を並べ始めた。
「俺たちはただ、尊君の武勲を褒めたかっただけで。確かに、言い方は悪かったが…」
「それに、じいさんや親父の代から同じようなことを言ってるぞ。」
「北海道ならどこでも、誰だって、似たようなことを言っているだろ。」
しかし、いつもの鈴谷とは違う鬼気迫る言葉が返ってきた。
「だからこそ、誰かがどこかで止めなければならないのです!」
黙り込む人々を前に鈴谷は続けた。
「明らかに我々は間違っている。その間違いを子どもや孫にも受け継がせるのですか。この先もずっと間違い続けるのですか!」
タミは鈴谷の足元に泣き崩れた。
「鈴谷先生…、尊が、尊が…」
鈴谷は、泣き崩れる彼女の背中にそっと手を当てるのであった。
戦争が終わってから最初の春が来た。
日本各地や南方へ出征していた若者が復員してきており、幌川の駅に列車が着くたびに我が家へ向かう人々の姿が見られた。
そのような中、郊外へ向かって歩くひとりの男の姿があった。
この辺では見かけない顔だ。
歩く男にひとりの女の子が声をかけた。元気な声で。
「おじさん、どこに行くの。この先には、家はあんまりないよ。」
「冬月さんの家に用事があってね。」
「それって私の家だよ!」
男は驚き、女の子の顔をまじまじと見た。
間違いない、尊の妹だ。
「君は尊の妹だね。」
女の子はまるで兄と再会したかのように嬉しそうに答えた。
「お兄ちゃんを知っているの!」
「ああ、知っているとも。忘れるものか。」
通学鞄を持っているということは、学校帰りなのだろう。
良かった。
尊よ、お前の妹は元気に学校に通っているようだよ。
「お母さん、お客さんだよ。」
恵子の声を聞きつけ、タミが戸口に出てきた。
「おばさん、ご無沙汰しております。」
タミは驚きのあまりしばらく声が出なかった。
「兵吉か、兵吉なんだな。いったいなんでここに。」
「どうしても伝えなければならないことがあって…」
兵吉はこれまでのことを包み隠さずタミに話した。
「そうか、兵吉が、お前が尊を送ってくれたんだな。ありがとう、ありがとう。」
タミは兵吉の手を握り締め、何度も何度も礼を言うのであった。
「尊が、これを渡してほしいと。」
そう言って、兵吉はタミに封筒を手渡した。
中には尊からの手紙が入っていた。
母さん、この手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にはいないのでしょうね。
そう思うと、何だか手紙を書いていて不思議な気持ちです。
寒くはありませんか、風邪などひいてはいませんか、おなかをすかせてはいませんか、恵子は学校に通っていますか。
”少しでも、ほんの少しでも世の中は変わりましたか”
私はアイヌです、父さんの子です。
今まで、そのことから逃げ、できれば隠して生きていきたいとさえ思っていました。
でも、それでは何も変わらないということに気づきました。
戦わなければ守れないもの、命を懸けなければ守れないものがあるのだと思います。
この命が次の時代の礎となるならば、これほどの幸福はありません。
そして、生まれ変わっても、再び父さんと母さんの子、アイヌの子として生まれてきます。
悲しまないでください。
ときどき様子を見にそちらに行きます。
そして、父さんとともに、天からいつもふたりを見守っています。
いつも、いつまでも、見守っています。
タミは涙を浮かべながら手紙を握り締めた。
「尊…」
そのとき、恵子が何かに気づいた。
「白い頭の鷲がいるよ。さっきから家の周りを飛んでる。」
「初めて見た。噂では聞いていたが、ハクトウワシだ。滅多に見かけることはないらしいけどな。しかも、こんな時期に。」
恵子と兵吉の会話を聞いて、タミは何かを感じ取ったようだ。
「尊なんだな、そこにいるのは尊なんだな。」
しばらくの間、鷲は家の周りを飛んでいたのだが、何かを振り切るかのように遥か彼方へ飛び去って行った。
そう、あの日のように。
尊を乗せた飛行機が沖縄へ向かって飛び去って行った、あの日のように。
「完」
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