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Chapter-02

Log-017【気高き大蛇の異様】

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 アクセルの眼前に聳える、八首を持った怪竜、その討伐こそが、女王の試練だった。夭之大蛇ワカジニノオロチと呼ばれ、太古の時代からグラティアのヴィバシー洞穴という澄み切った湖が広がる洞窟内に生息すると伝わる。

 その生態は、数メートルをゆうに超える図体に似合わず、非常に臆病な性格をしている。そもそも洞窟内部には水音以外に、碌に音が生じない。そのため、限られた獲物を捕食するには、極めて敏感な聴覚と臆病な性格が不可欠だった。

 案内役のエレイン含む四人は偵察として夭之大蛇ワカジニノオロチの生息するヴィバシー洞穴へと進入。過去、彼女は大蛇討伐隊に同行し、大蛇との直接戦闘も経験した。しかしその彼女をして、今回の討伐対象である大蛇は、眼を疑うほど巨大だったのだ。

 一行は偵察を終えて引き上げる。元々はエレインが士官として関わっていた討伐計画の対象だったこともあり、アクセルらは女王の指示の下、試練に挑む間は宮殿内の客間を貸与される運びとなった。

「うわっ、凄いなぁ。ここに仕えてきて初めてこの部屋に入ったよ」

 一行に用意された部屋は、本来は国賓級の者だけが利用できる格調高い客間だった。豪勢さは宮殿内でも指折りだったが、使わなければ意味も価値もない、という女王の一言で一行に開かれたのだとか。

「客前のあの鷹揚な物腰に似合わず、大胆な変革を厭わない人なのね」

「うん、それがマース様の凄いとこ。やる時はやる、出るとこは出る。優しさと強さが同居した方なんだ」

 ウルリカは既にソファで寛ぎながら、夭之大蛇ワカジニノオロチに関する資料と睨めっこをしていた。

 エレインもまたソファで寛ぎ、併設された勝手場で淹れた紅茶を啜っていた。

「……みんな、何でそんなに冷静なのですか」

 アクセルはその純粋な脅威に触れて、未だ恐々とした心理を、内に閉まってはいられなかった。

「じゃあ何? アンタはそうやって慌てふためきながら、あのでかい蛇に食い殺されるのを待とうってわけ? 冗談じゃないわ、あたしはあれが障害だっていうなら、何匹だってぶっ倒すわよ」

「い、いや、そこまでは……ただみんな切り替えが早いな、と――」

「――ウルリカ様」

 ルイーサはエレインに淹れてもらった紅茶を啜りながら、ウルリカの言動を一言で窘めた。

「……ルイーサ、悪かったわ。こういう時こそ冷静じゃなきゃいけないのに、あの蛇の所為であたしも気が立ってたみたいね」

「なんだよ、僕だけじゃなかったんだね、興奮してたのは」

「……え?」

 アクセルは唖然とした。誰しもが少なからず、心を揺さぶられていたのだ。

 皆それを表に出さなかっただけだった。敢えて平静を装わなければならないほど、その相手は余りにも大きすぎた。

「正直……参ったわ。あんなデカブツ、よくもまあこの国の人間は古くから立ち向かっていったものね。正気の沙汰じゃないわ」

「ううん、ウルリカ。あれは多分ね、例外中の例外だよ。古代から現代までの夭之大蛇ワカジニノオロチ討伐記録を記した資料が残ってるけど、そのどこにも、あんな大きな例は載ってなかった。以前僕が参加した討伐計画の時に対峙した大蛇だって、せいぜいアレの三分の一くらいだったんだよ。それでもね、大きい方だった。たとえ怪竜と恐れられていたって、統率の取れた軍隊があれば十分に立ち向かっていける程度のものなんだ」

 確かにウルリカが手に持っている資料には、蛇のように分節する頭部から胴体を入れても、およそ十メートルから、最大級でも二十メートル程度の大きさだという。

 しかし、今回の夭之大蛇ワカジニノオロチはどう見積っても、頭から首だけで二十メートルはあった。それに胴体を入れると、五十メートル超という、生物としてデタラメな大きさを持つ計算となる。

「本来なら、ね……ところでエレイン、魔石の産出は近年順調なのかしら?」

「え?」

 唐突な話題の切り替えにキョトンとするエレイン。

「いっつも唐突だなぁ、ウルリカは。でも良く分かったね、ウルリカは物流に明るいのかな? そうだよ、ここ最近は魔石の質も量も年々高まってきている傾向にあるんだ。それがどうかしたの?」

 エレインはなぜ今、魔石の事情を説明させられたのか理解できなかった。

「近年の研究でね、魔物の生態について一つ分かったことがあるの。それは、魔物が元々自然界に生息する強い魔力を帯びた尋常の生物だったってこと」

「え……それって……まさか」

「そういうこと。実際、魔物の縄張りには高濃度の魔力が渦巻いてたって分析されてるわ。潜在魔力量が低すぎても高すぎても生体に様々な影響を与えることは貴女も知ってるわよね?」

「うん、どっちにしろ身体は悲鳴を上げるね。もちろん、徐々に慣らしていくことはできなくないけど」

「ここは無味乾燥な砂漠が広がった極限環境なわけだから、魔物に変異するほどの生命力を持った生物がいなかった。生命力の高さは燃費の悪さに置き換えられる、資源に乏しい世界での大型化は難しいわ。その唯一例外が夭之大蛇ワカジニノオロチって怪物なんじゃないかしら」

「高い生命力を持つ夭之大蛇ワカジニノオロチだけが、魔物に変われるほど高濃度な魔力を受容できた……かぁ」

「まあ何にせよ、今回垣間見た限りではどの資料と照らし合わせても余りに突飛な変化を遂げてるわ。何かがおかしいのよ、あの個体は」

 ウルリカは手に持った資料を眺めながら、溜息混じりに頭を抱える。既存の討伐手段では太刀打ちできないと理解してしまっていた。

「……あそこ以外じゃ、手は打てないわけ? わざわざ弩級の虎穴を選ぶ必要ないじゃない」

「それはダメなんだよ、ウルリカ。伝統っていうのは表向き。実はね、あのヴィバシー洞穴以外に、特別良質な魔石が採れる場所なんて……この国に無いんだ」

「……どういうこと?」

「これ、本当なら国家機密なんだけど。ヴィバシー洞穴以外で採れる魔石の水準って、実は他国と同等程度のものしかないんだよ……」

 エレインが囁くような声で語る事実は、ウルリカも驚愕した。グラティアの魔石は他国と比べて、確かに圧倒的な品質を誇っていた。どの国もグラティアから産出される魔石の量も質も、その水準を凌駕することはできなかった。しかし、その理由は今もって謎のままだった。

「原因は分からない。けど、目に見えて違うんだよ、あの洞窟で採掘される魔石の質は。しかも不思議なんだけど、ある程度年月は必要ではあるけど、あそこは魔石が再生するんだよ」

「は? 再生? 嘘、そんな馬鹿なこと……」

 にわかに信じがたかった。魔石自体は遍く鉱物と同様に、広義としては単に石の類でしかない。生命のように再生などという能動的な反応は本来ありえない。

 外部からの魔力に対して受動的に反応し、魔術と同様に魔力というエネルギーを“理に則った事象”へと変質させる。魔石とは飽くまでも作用素。例えるなら、呪文という作用素を宝石の形に固体化したものでしかなかった。そう、どこまで追求しようとも無機物なのだ。

 やはりあの洞窟こそが何らかの鍵を握っている、とウルリカは考えた。

「とにかくやってみるしかないわね。ここで立ち止まってるようなら最初から勇者なんてやってないわ」
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