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Chapter-04
Log-059【母校の師】
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時は同じ頃、ウルリカは母校『アウラ王立大学』へと到着していた。職人が技術の粋を集めて掘っただろう彫刻が美しくも威厳高い門が聳える。その門戸を潜ると、庭師の腕が光る形の整えられた草木が生い茂る中庭が現れた。それを中心として縁取った回廊を進んでいく。門戸から中庭を挟んで真向かいには、大聖堂へと繋がる渡り廊下。ウルリカは脇目も振らず、足早に歩を進めた。
そのまま真っ直ぐ行けば大聖堂に到着する手前で、廊下が十字に交わっていた。そこを右手に曲がると、大聖堂の周りをぐるりと取り巻く回廊となっており、更に奥へと進んで行く。足元には、縁を金で、内を深紅のベルベットで編み上げられた、最高級の絨毯が続く。ウルリカは在籍していた頃から、この絨毯の踏み心地を気に入っていた。
大聖堂の裏手に当たる場所に来ると、更に奥へと廊下が伸びていた。その先は、学長や各分野の最高顧問、世界的にも最先端を行く研究室、更には司教など、大学機関の頭脳と権威が集まる場所。そこに、ウルリカがわざわざ母校に訪れた、目的の人物がいるようだ。歩調は更に早くなって進んで行く。
その道の先から、同じ年頃の学徒たちが談笑しながら歩いてきて、ウルリカを横切っていく。彼女は一瞥をくれることもない。歩調は変わらず、ただ突き進むのみ。
だが、かすかに胸を過ぎる思い。彼女にも、そのような時代があったのだ。
飛び級に次ぐ飛び級による進学から、周囲よりも十歳近く離れていた。そうなれば当然、好奇な目で見られもしよう。しかし、そんな彼女にも、数は少ないが、友人と呼べる者がいた。年齢や肩書きでは偏見を抱かない人間が、幾人かいたのだ。もれなく、変人ばかりだったようだが。
だが、やはりと言ったところか。時にそういった人間は、突拍子もなくどこかに消えてしまうことがある。目的や夢を叶えるために、別れの連絡も寄こさず、ただフッと。ウルリカの友人も、まさにそういった類の人種だった。今やもう、どこで何をしているのか、その安否さえ分からない。
普段の生活の中で、大学時代の友人たちを思い返すことも少なくはなったが、母校を訪れると、否応なしに思い浮かんでしまうものだ。
「随分と感傷的になるのね、あたし。大していたわけでもないくせに」
足早な歩調も、表情も変えず、ウルリカは一人、そう呟いた。
通常、大学では六年間の教育課程を踏んで卒業するのだが、ウルリカが在籍していたのは、たったの三年間だけだった。最初は目新しいものも多く、極めて意欲的に励んでいたのだが、最後は学ぶことも無いと見切りをつけ、三年分の教育課程を素っ飛ばして卒業してしまった。
その在籍した三年間で、交流した人物の数は少ないものの、ウルリカにとっては得るものの多い人間関係だったようだ。
これから会いに行くのは、その中でも唯一人、彼女が自ら教えを請うた人物だった。
ウルリカは『魔術学部研究科長室』と書かれた表札を掲げる扉の前で立ち止まる。その扉には、魔力に対して高い抗体を持つ老樹メトシェラ製の装飾が施されていた。
意匠はシンプルで古風ながらも、完成された骨董的な価値を感じさせる植物模様の紋章。扉の先にいる人物の家紋という噂だが、この紋章を掲げた土地や家屋を見た者は誰もいない。
「失礼するわよ」
ウルリカはノックをして、扉を開ける。蝶番が僅かに音を立てた。
扉の先には、淡黄色の髪と髭を蓄え、好々爺のような柔和な顔つきの翁が、椅子に腰掛けていた。
「メルラン・ペレディール教授、久しぶりね。不肖ウルリカ・ローエングリン。憚らずも勇者として舞い戻ってきたわ」
夕日が差し込む窓辺に座り、書物を読み耽っていた、メルランと呼ばれた男。
発した言葉の字義に反して、何ら遜る素振りを見せないウルリカに反応すると、彼は笑顔で迎え入れた。
「おお! 久しぶりじゃのう、ウルリカよ! いや、遅かれ早かれ来るとは思っとったが、やはりお主は性急じゃのう」
「どういう意味よそれ。単にあたしより物事の変化の方が早いだけよ。あたしはそれに対応してるだけ」
「そうじゃな。今回、お主が訪問した理由は分かっておるよ。『セプテム』の件じゃろ?」
「流石は魔術界の最高顧問だけあって政府機密にも通じてるのね。なんでもお見通しか」
メルランは、手に持った古めかしい書物に質素な栞を挟み、机に置いた。椅子から腰を上げると、藍色に染まる燕尾服の上からでも分かるほど、大岩のように大きく逞しい体躯に、背筋の伸びた姿勢の良い翁が立っていた。齢八十を超える御老体とは到底思えない姿だった。
「あんた、いつ見ても礼装がはち切れそうね」
「何事も元気あってこそ、じゃからの。んー……じゃがその点、お主はいつまで経っても幼さが抜けんのう。ちゃんと食べて、運動して、しっかり寝ぬと、年不相応に小さいままじゃぞ? 諸々と」
メルランは心底残念そうな表情でウルリカの某各部位を見つめると、俯いて深い深い溜息を吐いた。
「うっさいわ色ボケジジイ。なるようにしかならないっての、そんなもん」
ウルリカは腹立たしさを全面に押し出しながら、来客用のソファに勢いよく腰掛ける。そんな物言いにもどこ吹く風、メルランは飄々と勝手場に向かい、今しがた沸かしていた珈琲を淹れて、ウルリカに手渡した。
「ありがとう。随分用意がいいわね」
「丁度沸かしとったところじゃったからの。お主はいつもタイミングが良いわい」
「下手な冗談ね。見てたんでしょ? あたしがこっち向かって来るの。丸くて球みたいな魔術媒体、あんたのでしょ? ふわふわ浮かんでたの見えたわよ」
「な、何っ!? わ、儂の……隠し撮り……バレとったんかぁ……」
「は?」
メルランの言葉に反応して、ウルリカは凍えるような殺意と、冷厳なる眼差しを突き刺した。
「いや! いや! なんでもない、なーんでもないんじゃ! やはりお主は儂の見込んだ“属性多種の魔術師”じゃわい! 儂の千里眼を見破ったのはお主が初めてじゃよ! ワッハッハッハッハッ!」
「次やったらあんたをこの部屋ごと亜空間に放り込んでやるわ」
帯刀する鞘尻に接いだ魔石が、金切り声のような尋常ならざる音を立てて歪に煌めく。
「……すまん、すまんかった、いや、本当に」
「ったく、ただの犯罪者じゃないあんた。どうしてこの国の上層はこうも頭おかしい連中が占めてんのかしら」
ウルリカはそう悪態をつきながら、珈琲を一口啜る。
鼻を抜ける香ばしい匂いと、絶妙な酸味と苦味の均衡に、ウルリカは思わず口角を上げる。
「まあ、珈琲の淹れ方だけは褒めてあげるわ」
メルランは得意気に笑みを浮かべる。彼は珈琲を持ったまま、机を挟んだウルリカの向かいに座った。
「儂がお主に付いていくのは、ちと難しくてのう。大勢の学生も背負っておるからに」
「それは承知の上。でも教授ならセプテムに伝手もあるんじゃないかと思ってね」
湯気立つ珈琲を静かに啜るメルラン。カップとソーサーを机に置くと、懐から一枚の紙きれを手渡す。
「そこでじゃ、その住所を訪ねてもらえんかの。都市の一角に、儂の古い知人がおるんじゃ。そいつには前もって、お主に助力するよう言ってある。此度の件も把握しておるし、事前に策も練ってくれておる。力強い後ろ盾になってくれるはずじゃ」
「話が早いわね――いや、早すぎるわ」
ウルリカは鋭い流し目を投げるも、しかし、老獪なるメルランには軽くあしらわれてしまったようだ。
「ホッホッホ、儂を誰じゃと思っとる。お主のことなぞ隅から隅までお見通しじゃわい」
「そうね、色んな意味で筒抜けのようね。だけど次、羽目を外すようなら、分かってるわね?」
「と、当然じゃ! 儂は物事を見通すだけじゃ、やましい気持ちなぞ決してないわい!」
必死に言い訳するメルランに、溜息を吐くウルリカ。しかし、そんな軽口もウルリカが相手を信頼している証でもある。
「ところで、他の問題児たちは今なにしてるの? 教授は知らない?」
ウルリカが問題児と呼ぶのは、彼女が大学在籍時に交流のあった、共にメルランの手を焼かせた悪友たちのことだ。
その誰もが一芸に秀でていたが、人格や社交性に問題がある者、他の教授では手に負えない者、訳あって大学に通う者、など様々な理由ではみ出し者となっていた。同様にはみ出し者であるウルリカは、ある種同じ立場を共有する間柄として、時に罵り合い、時に協力し合いながら、大学生活を謳歌していた。
「うむ、全く分からん」
そんなウルリカと悪友たちは、メルランの職務室に昼夜入り浸っては、研究という名目で行われる、時に法に触れるギリギリを攻めたり、時に学界における新発見を掘り出す問題行動だったりと、随分目を瞑ってもらったものだった。
「当時はだいぶ迷惑掛けたくせに、薄情なものね。何の音沙汰も寄越さないなんて」
「お主がそれを言うか。あー、じゃが一人はセプテムで研究職に就いていると聞いたのう」
「誰のことかしら……あ、ヴィルマーのこと?」
「おお、よう分かったのう。そうじゃそうじゃ、あの軍事オタクじゃ」
「そうね、あいつは無駄に軍事の造詣が深かったわね。そっか、もしかしたら会うこともあるかもね」
そう呟いたウルリカは、僅かに微笑んでいた。それを見たメルランは、静かにほくそ笑む。
「いや、きっと再会できるじゃろうて」
「なんで言い切れるのよ」
「この儂が言うんじゃぞ? 間違いなかろうて」
「はあ、ホントこのジジイも面倒くさい部類の人間だわ」
ウルリカは温くなった珈琲を飲み干して、カップを机に置いた。ソファから腰を上げて、踵を返す。
「礼を言うわ。つくづく迷惑掛けるけど、これまでの借りはいずれキッチリ払わせてもらうから」
真顔でそんなことを言う律儀なウルリカに、メルランは思わず失笑してしまう。
「な、ちょっと、なに笑ってんのよ」
「ホッホッホ、なんのなんの、些末な問題じゃ。若造が気にするでないわい」
「そんなのあたしの勝手じゃない。あんたの方こそ素直に受け取っときなさいよ」
一頻り笑ったメルラン。柔和な面貌を湛えつつも、神妙な表情で、ウルリカの目を見て話す。
「儂はの、ウルリカよ。お主が勇者としての覚悟を決めた瞬間から、恩を返してもらっとるつもりじゃよ」
「え? 何それ、どういうことよ?」
「今は分からんでもよい。いずれ分かることじゃ」
「チッ、あんたもゴドフリーみたく謎掛けしてくるんじゃないわよ」
「ホッホッホ、彼奴も好き者じゃからの。年寄りの戯れじゃ、寛容に許しとってくれんか」
「もう呆れを通り越して諦めてるわよ」
ウルリカは首を横に振って、ゆっくりと扉の前に向かう。そこで立ち止まり、背を向けたまま手を振る。
「じゃ、生きてたらまた会いましょ」
「ああ、息災での」
そのまま真っ直ぐ行けば大聖堂に到着する手前で、廊下が十字に交わっていた。そこを右手に曲がると、大聖堂の周りをぐるりと取り巻く回廊となっており、更に奥へと進んで行く。足元には、縁を金で、内を深紅のベルベットで編み上げられた、最高級の絨毯が続く。ウルリカは在籍していた頃から、この絨毯の踏み心地を気に入っていた。
大聖堂の裏手に当たる場所に来ると、更に奥へと廊下が伸びていた。その先は、学長や各分野の最高顧問、世界的にも最先端を行く研究室、更には司教など、大学機関の頭脳と権威が集まる場所。そこに、ウルリカがわざわざ母校に訪れた、目的の人物がいるようだ。歩調は更に早くなって進んで行く。
その道の先から、同じ年頃の学徒たちが談笑しながら歩いてきて、ウルリカを横切っていく。彼女は一瞥をくれることもない。歩調は変わらず、ただ突き進むのみ。
だが、かすかに胸を過ぎる思い。彼女にも、そのような時代があったのだ。
飛び級に次ぐ飛び級による進学から、周囲よりも十歳近く離れていた。そうなれば当然、好奇な目で見られもしよう。しかし、そんな彼女にも、数は少ないが、友人と呼べる者がいた。年齢や肩書きでは偏見を抱かない人間が、幾人かいたのだ。もれなく、変人ばかりだったようだが。
だが、やはりと言ったところか。時にそういった人間は、突拍子もなくどこかに消えてしまうことがある。目的や夢を叶えるために、別れの連絡も寄こさず、ただフッと。ウルリカの友人も、まさにそういった類の人種だった。今やもう、どこで何をしているのか、その安否さえ分からない。
普段の生活の中で、大学時代の友人たちを思い返すことも少なくはなったが、母校を訪れると、否応なしに思い浮かんでしまうものだ。
「随分と感傷的になるのね、あたし。大していたわけでもないくせに」
足早な歩調も、表情も変えず、ウルリカは一人、そう呟いた。
通常、大学では六年間の教育課程を踏んで卒業するのだが、ウルリカが在籍していたのは、たったの三年間だけだった。最初は目新しいものも多く、極めて意欲的に励んでいたのだが、最後は学ぶことも無いと見切りをつけ、三年分の教育課程を素っ飛ばして卒業してしまった。
その在籍した三年間で、交流した人物の数は少ないものの、ウルリカにとっては得るものの多い人間関係だったようだ。
これから会いに行くのは、その中でも唯一人、彼女が自ら教えを請うた人物だった。
ウルリカは『魔術学部研究科長室』と書かれた表札を掲げる扉の前で立ち止まる。その扉には、魔力に対して高い抗体を持つ老樹メトシェラ製の装飾が施されていた。
意匠はシンプルで古風ながらも、完成された骨董的な価値を感じさせる植物模様の紋章。扉の先にいる人物の家紋という噂だが、この紋章を掲げた土地や家屋を見た者は誰もいない。
「失礼するわよ」
ウルリカはノックをして、扉を開ける。蝶番が僅かに音を立てた。
扉の先には、淡黄色の髪と髭を蓄え、好々爺のような柔和な顔つきの翁が、椅子に腰掛けていた。
「メルラン・ペレディール教授、久しぶりね。不肖ウルリカ・ローエングリン。憚らずも勇者として舞い戻ってきたわ」
夕日が差し込む窓辺に座り、書物を読み耽っていた、メルランと呼ばれた男。
発した言葉の字義に反して、何ら遜る素振りを見せないウルリカに反応すると、彼は笑顔で迎え入れた。
「おお! 久しぶりじゃのう、ウルリカよ! いや、遅かれ早かれ来るとは思っとったが、やはりお主は性急じゃのう」
「どういう意味よそれ。単にあたしより物事の変化の方が早いだけよ。あたしはそれに対応してるだけ」
「そうじゃな。今回、お主が訪問した理由は分かっておるよ。『セプテム』の件じゃろ?」
「流石は魔術界の最高顧問だけあって政府機密にも通じてるのね。なんでもお見通しか」
メルランは、手に持った古めかしい書物に質素な栞を挟み、机に置いた。椅子から腰を上げると、藍色に染まる燕尾服の上からでも分かるほど、大岩のように大きく逞しい体躯に、背筋の伸びた姿勢の良い翁が立っていた。齢八十を超える御老体とは到底思えない姿だった。
「あんた、いつ見ても礼装がはち切れそうね」
「何事も元気あってこそ、じゃからの。んー……じゃがその点、お主はいつまで経っても幼さが抜けんのう。ちゃんと食べて、運動して、しっかり寝ぬと、年不相応に小さいままじゃぞ? 諸々と」
メルランは心底残念そうな表情でウルリカの某各部位を見つめると、俯いて深い深い溜息を吐いた。
「うっさいわ色ボケジジイ。なるようにしかならないっての、そんなもん」
ウルリカは腹立たしさを全面に押し出しながら、来客用のソファに勢いよく腰掛ける。そんな物言いにもどこ吹く風、メルランは飄々と勝手場に向かい、今しがた沸かしていた珈琲を淹れて、ウルリカに手渡した。
「ありがとう。随分用意がいいわね」
「丁度沸かしとったところじゃったからの。お主はいつもタイミングが良いわい」
「下手な冗談ね。見てたんでしょ? あたしがこっち向かって来るの。丸くて球みたいな魔術媒体、あんたのでしょ? ふわふわ浮かんでたの見えたわよ」
「な、何っ!? わ、儂の……隠し撮り……バレとったんかぁ……」
「は?」
メルランの言葉に反応して、ウルリカは凍えるような殺意と、冷厳なる眼差しを突き刺した。
「いや! いや! なんでもない、なーんでもないんじゃ! やはりお主は儂の見込んだ“属性多種の魔術師”じゃわい! 儂の千里眼を見破ったのはお主が初めてじゃよ! ワッハッハッハッハッ!」
「次やったらあんたをこの部屋ごと亜空間に放り込んでやるわ」
帯刀する鞘尻に接いだ魔石が、金切り声のような尋常ならざる音を立てて歪に煌めく。
「……すまん、すまんかった、いや、本当に」
「ったく、ただの犯罪者じゃないあんた。どうしてこの国の上層はこうも頭おかしい連中が占めてんのかしら」
ウルリカはそう悪態をつきながら、珈琲を一口啜る。
鼻を抜ける香ばしい匂いと、絶妙な酸味と苦味の均衡に、ウルリカは思わず口角を上げる。
「まあ、珈琲の淹れ方だけは褒めてあげるわ」
メルランは得意気に笑みを浮かべる。彼は珈琲を持ったまま、机を挟んだウルリカの向かいに座った。
「儂がお主に付いていくのは、ちと難しくてのう。大勢の学生も背負っておるからに」
「それは承知の上。でも教授ならセプテムに伝手もあるんじゃないかと思ってね」
湯気立つ珈琲を静かに啜るメルラン。カップとソーサーを机に置くと、懐から一枚の紙きれを手渡す。
「そこでじゃ、その住所を訪ねてもらえんかの。都市の一角に、儂の古い知人がおるんじゃ。そいつには前もって、お主に助力するよう言ってある。此度の件も把握しておるし、事前に策も練ってくれておる。力強い後ろ盾になってくれるはずじゃ」
「話が早いわね――いや、早すぎるわ」
ウルリカは鋭い流し目を投げるも、しかし、老獪なるメルランには軽くあしらわれてしまったようだ。
「ホッホッホ、儂を誰じゃと思っとる。お主のことなぞ隅から隅までお見通しじゃわい」
「そうね、色んな意味で筒抜けのようね。だけど次、羽目を外すようなら、分かってるわね?」
「と、当然じゃ! 儂は物事を見通すだけじゃ、やましい気持ちなぞ決してないわい!」
必死に言い訳するメルランに、溜息を吐くウルリカ。しかし、そんな軽口もウルリカが相手を信頼している証でもある。
「ところで、他の問題児たちは今なにしてるの? 教授は知らない?」
ウルリカが問題児と呼ぶのは、彼女が大学在籍時に交流のあった、共にメルランの手を焼かせた悪友たちのことだ。
その誰もが一芸に秀でていたが、人格や社交性に問題がある者、他の教授では手に負えない者、訳あって大学に通う者、など様々な理由ではみ出し者となっていた。同様にはみ出し者であるウルリカは、ある種同じ立場を共有する間柄として、時に罵り合い、時に協力し合いながら、大学生活を謳歌していた。
「うむ、全く分からん」
そんなウルリカと悪友たちは、メルランの職務室に昼夜入り浸っては、研究という名目で行われる、時に法に触れるギリギリを攻めたり、時に学界における新発見を掘り出す問題行動だったりと、随分目を瞑ってもらったものだった。
「当時はだいぶ迷惑掛けたくせに、薄情なものね。何の音沙汰も寄越さないなんて」
「お主がそれを言うか。あー、じゃが一人はセプテムで研究職に就いていると聞いたのう」
「誰のことかしら……あ、ヴィルマーのこと?」
「おお、よう分かったのう。そうじゃそうじゃ、あの軍事オタクじゃ」
「そうね、あいつは無駄に軍事の造詣が深かったわね。そっか、もしかしたら会うこともあるかもね」
そう呟いたウルリカは、僅かに微笑んでいた。それを見たメルランは、静かにほくそ笑む。
「いや、きっと再会できるじゃろうて」
「なんで言い切れるのよ」
「この儂が言うんじゃぞ? 間違いなかろうて」
「はあ、ホントこのジジイも面倒くさい部類の人間だわ」
ウルリカは温くなった珈琲を飲み干して、カップを机に置いた。ソファから腰を上げて、踵を返す。
「礼を言うわ。つくづく迷惑掛けるけど、これまでの借りはいずれキッチリ払わせてもらうから」
真顔でそんなことを言う律儀なウルリカに、メルランは思わず失笑してしまう。
「な、ちょっと、なに笑ってんのよ」
「ホッホッホ、なんのなんの、些末な問題じゃ。若造が気にするでないわい」
「そんなのあたしの勝手じゃない。あんたの方こそ素直に受け取っときなさいよ」
一頻り笑ったメルラン。柔和な面貌を湛えつつも、神妙な表情で、ウルリカの目を見て話す。
「儂はの、ウルリカよ。お主が勇者としての覚悟を決めた瞬間から、恩を返してもらっとるつもりじゃよ」
「え? 何それ、どういうことよ?」
「今は分からんでもよい。いずれ分かることじゃ」
「チッ、あんたもゴドフリーみたく謎掛けしてくるんじゃないわよ」
「ホッホッホ、彼奴も好き者じゃからの。年寄りの戯れじゃ、寛容に許しとってくれんか」
「もう呆れを通り越して諦めてるわよ」
ウルリカは首を横に振って、ゆっくりと扉の前に向かう。そこで立ち止まり、背を向けたまま手を振る。
「じゃ、生きてたらまた会いましょ」
「ああ、息災での」
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