上 下
111 / 172
Chapter-06

Log-105【天を翔ける魔女-壱】

しおりを挟む
「セプテムの魔術師達、聞こえてるかしら? 今からあたしの言う通りにして頂戴。他部隊はそのまま迎撃を続けなさい」

 連盟部隊にはセプテム中の魔術師達が集っていた。ウルリカは再び齎音ボイスボークを執行し、彼らに向けて声音を拡声する。

「これからあたしが示した結界構造に攻性防壁ファイアウォールを展開しなさい。位相における振動の振れ幅は甚大、とにかく綻絡が無尽蔵に生み出されるから片っ端から潰してって」

 そう言って、彼女は掌に乗せた縮退魔境エルゴプリズムを再び、起動する。

「……抑え込むのはあんなに大変だったのに、暴れさせるのはなんて呆気ないのかしら」

 そう呟いている間にも、黒鉄の魔石は周囲の全てを飲み込まんと、その自転を急加速させていく。

「これから精神感応テレパシーを通して攻性防壁ファイアウォールの展開先パスを繋ぐわ! 各位、意識をこっちに向けて頂戴!」

 ウルリカは魔術師達に向けて、精神感応テレパシーを接続する――だが当然、突如として協力を仰がれた彼らは混乱の渦中にあった。

「何?」「どういうことですか?」「勇者ウルリカよ、理由を説明してください」「位相といえども構造は多種多様、一筋縄ではいかぬはずだが……」「うん? この魔力の流動……先の事象と同じ……?」「重力だ……! 天より降り注ぎし火矢をもたらした、あの沈み込むような重力波と同じだ!」「これは……まさか! 縮退魔境エルゴプリズムの暴走か!」

 そう、なによりも彼らの混乱を加速させるのは、今し方ウルリカが起動した縮退魔境エルゴプリズムの、隠しきれぬ強烈な気配。慣れぬ者がそれを間近で当てられたなら、まさに瘴気の如く、たちまち気の病に侵されてしまうだろうほど。

「んっ……まあ、それもそうよね」

 頭を掻きながら、多少強引だったと反省をするウルリカ。そんな只中にあって彼女は、新たに魔術を唱え始めた。

「『霜降りて、千草色褪せ、小半年、雪解けに見ゆ、蒼き勁草けいそう。臣下の真価は戦禍の最中に開化せん、歳寒の松柏ノーブル・エンデュランス』」

 それは、集団意識を共振させ、術者の精神が乱れない限り集団の理性を保ち続ける魔術。表面上どれほど感情を発露しようとも、根底には決して揺るがぬ冷徹を敷くウルリカならではの魔術と言えよう。

「貴方達の察しの通りよ。今から縮退魔境エルゴプリズムを故意に暴走させるわ。現状、それだけあたし達は窮地にあるってわけ」

 彼女は淡々と、飽くまでも事実を述べた。希望的観測ではなく、非情なる事実を。

「でも、あたしは諦めない。試せる事は全部試す。なげうてる物は全部なげうつ。微かな可能性を信じて、あらゆる可能性を確かめるの。魔術師であり研究者でもある貴方達なら良く分かるわよね?」

 魔術師達に同意を求める問い。彼らの肩書きは魔術師、と言えど、魔術という秘奥にして深淵なる学問を究めんとする一個の研究者に他ならなかった。つまり、諦めの悪い人間の集まりだということ。

「あたしも勇者である前に、人として死力を尽くすわ。貴方達も死力を尽くしなさい」

 そう言い放つと同時に、ウルリカは小型射出機のシャトルに番えた儀仗剣の上に飛び乗った。サーフィンの要領で両足を鞘の腹に乗せ、その足下から剣へと魔力を注ぎ込んでいく。その魔力は鞘尻に接がれた純白の魔石を刺激し、まるで蒸気原動機の如き鈍く重い音をうねらせた。

「三つ数えたらぶっ放しなさい、アクセル。後のことはあたしに任せて」

 ウルリカの背後に居て、射出機の引き金を握るアクセルに伝える。彼は首肯して、

「……分かった。任せっきりで申し訳ないけど、頼んだよ。ウルリカ」

 激励の言葉を贈る。その言葉に、背中越しでニヤリと口角を上げて承った。

「三、二、一……」

 ウルリカが全身に力を込める。だが心は冷徹、肌を刺す冷たいそよ風を感じる。鼻孔から取り入れた冷気は脳裏を鎮める。そこから、身体の芯へと冷静な熱情を送り込む。そして、

「……アクセル!」

「ああ!」

 アクセルが引き金を引いた――同時に射出機の火薬が炸裂し、背面の円筒が強烈な推力を得て前進、連動して儀仗剣を番えたシャトルを牽引、三メートル程の滑走から瞬く間に射出された。そして、離陸した直後、

「『初めに火が在った。人は其の手を取った。文明と云う叡智を拾った。全てはそこから始まった。人の世の暁を灯せ、発火イグニッション!』」

 呪文の詠唱を完了する。すると、儀仗剣の鞘尻に接がれた純白の魔石から、辺りを吹き飛ばしかねない噴流を放出し、爆轟波ばくごうはを伴って急加速し、大空へと飛翔した。アクセルは吹き飛ばされ、再び胸壁に背中から激突してしまったようだが。

「咄嗟の思い付きだったけど、何とかなったわね……」

 空を舞う、世界を見渡す、地平が広がる、風が鋭く頬を撫でる、二つ結いの髪が波濤はとうを立てる。かつて足を着けていた地上は遙か下に見えた――だが、そこにあるのは無尽蔵にうごめく、人の命を狩る獣。別天地の如き見晴らしに、心躍らせる余暇はない。

「……全く。こんな時でなきゃ感嘆の一つでも零すのに。そうも言ってられないわ」

 颶風を受けながら、片手に縮退魔境エルゴプリズムを握りつつ、もう片方の手をこめかみに遣って精神感応テレパシーを執行。眼下に見える魔術師達に接続する。

「セプテムの魔術師達、聞こえてるわね。貴方達からあたしが上に見えるかしら? 手に縮退魔境エルゴプリズムを持ってるわ。それを今から本格的に暴走させるから、その魔力の奔流に意識を傾けなさい」

 魔術師達が一斉に空を仰ぎ見る。天には紅蓮の焔を放ちながら一筋の雲を描く飛翔体を見た。直後、彼女の宣言通り、異様な雰囲気が辺りを包み込んでいく。縮退魔境エルゴプリズムが生み出す超重力の暴威と呼ぶべき圧力だった。

 魔術師達は、ウルリカから接続された精神感応テレパシーを通して、彼女の手に握られた魔石へと意識を向ける。そして、彼らの感覚神経は魔石が形作る術式を垣間見た。

「これは……」「複雑怪奇……と思っていたが、存外シンプルだ」「ええ、その単純構造がまるで、網の目のように絶え間なく折り重なっています」「難儀なものだよ……此奴相手に攻性防壁《ファイアウォール》を展開するとはね」「だが、目に付いた綻絡を片っ端から潰していくしかない。でなければ、私達の意識ごと押し潰されるぞ……!」

 彼らが覗いた先には、無限と言えるような魔術の術式が綴られていたようだ。夥しい数の呪文、夥しい数の図式、夥しい数の紋様。その一つ一つは単純なようだが、それは言わば万華鏡のように常に変化し、色を変え、角度を変え、寸法を変え、変幻自在の様相を呈して押し寄せる。意識を強く保たなければ、容易に引き寄せられ、たちまちち滅裂となるだろう様は、まさに魔石がもたらす超重力と同義。

 とはいうものの、魔術師達の精神は存外にも安定していた。生来の学者肌によるものか、加えて歳寒の松柏ノーブル・エンデュランスによる冷徹なる理性の共有ゆえか。何にせよ、彼らの平静な思考に一先ず安堵しつつ、ウルリカは作戦の段取りを伝える。

「位相構造はさっきの執行で掴んでるから共有するわ。綻絡の存在証明から距離空間の割り出し、ポインタ記述から耐久閾値規定まではあたしがやるから、情報が更新され次第、手を付けてって頂戴」

 魔術師達への精神感応テレパシーを一先ず切断すると、即座に懐から無線機を取り出し、パーシーに接続する。

「パーシー、聞こえる?」

「うん、聞こえてるよ。今敵影観測を再開したところだよ。そっちはどう?」

「今側防塔から二〇〇〇メートル地点まで来てるわ。もうすぐ弾道範囲に接触するから、高度を上げなくちゃいけない。だからそれまでにコイツのシュバルツシルト半径約一五〇〇メートル、つまり最小安定円軌道約四五〇〇メートル圏内を有効利用する位置取りを考えて頂戴。行けって言うなら連中の土手っ腹にだって突っ込んでやるわよ」

 ウルリカ曰く、縮退魔境エルゴプリズムが暴走した際に発生する極大の重力がもたらす破滅的損壊の有効射程は、球状に半径およそ四五〇〇メートルだという。その範囲にあるものは全て――光や時空間さえも――黒鉄の魔石の餌食となる。

「うーん、そうだねぇ……こっちの安否と君の安否の兼ね合いを考えても、結構なところまで進んで貰わないとかも。ちょっと待ってて、今計算するから」

「ええ、頼むわ」

 そう言ってウルリカは無線機の接続を切断した。そして彼女は、意識を再び縮退魔境エルゴプリズムに向ける。既に魔術師達による暴走の抑制は始まっていた。手から零れ落ちそうになるほどの振動と、闇夜よりも静かな制動とを――まるで鼓動のように――交互に繰り返す。それこそが、人と魔石とが互いに支配せんとせめぎ合う証左だった。

「……頼むわよ、みんな。何が何でもこの局面……切り抜けるわよ」
しおりを挟む

処理中です...