鬼百合懺悔

文月 沙織

文字の大きさ
14 / 14

夏の亡霊

しおりを挟む
「さらに言ってしまうなら、安治から聞いた話ですが、あのお清さん、いっとき安治とそういう関係にあったこともあるらしいです」
「男女の関係ということか?」
 朝の庭でこっそりと須藤は私に囁いた。少しはなれた所では警官たちが現場の認証にいそがしい。
「まだ奴が学生時代に、ときどきこの屋敷に泊まりに来ることがあったそうですよ。そのときにね……。どうやら旦那もご存知で、多分もてあましていたんでしょうね。お清のことを、安治に下げわたしたんですよ。」
「たしかにひどい奴だな。安治も、松林氏も、おまえも」
「否定はしません。たぶん……だからこそ、安治が家を継ぐ可能性がつよくなったとき、彼女は煩悶したんでしょうね。どこかで、よりを戻して、あわよくば自分が安治の正妻、は無理でも愛人の座を、という。大事な坊ちゃんが悪い男にいいようにされていても、見て見ぬふり、いえ、むしろ坊ちゃんが本当に旦那に愛想をつかされるようなことでも起これば、と心のどこかで願っていたのかもしれない」
「あー、やっぱりおまえ、あの美少年に手を出したな」
 夏の朝日を背に須藤は笑う。否定の言葉はないが、その笑みがすべてを物語っていた。
「役得というものでしょう。正直、奥さんを誘惑するよりずっと楽しかったですよ」
「鬼だな、貴様。美紀さんの言うとおり、おまえら全員ひどい奴だ」
「まあね。ですが、安治の奴、言ってました。お清さんのことを最初はただただ大人しい女だと思ったけれど、見かけによらず怖いところがる、と。それで最初からお清さんを睨んでいたんですが、時折、お清さんが奥さんの食事に薬――睡眠薬かなにかを入れていてるのを見たんですよ。そのせいでしょう、奥さんは急にだるそうになったり、眠りこんだりしてましたよ。そうして、お清さんは屋敷のなかを自分の思いどおりに仕切っていたんでしょうね。俺が坊ちゃんに手出ししても止めようとしなかったし、安樹になっていた坊ちゃんに近づいていても、なにもしようとせず傍観していた。心のなかでは、きっとそうやって坊ちゃんが落ちていくのを期待していたんでしょう。忠実な女中の顔をしながら、実は残酷な復讐心に燃えていたんですよ」
 心なしか、そう語る須藤の横顔に怒りはなく、奇妙な静かさがただよっているのは、もしかしたら妾腹の生まれという彼の出自が原因かもしれない。戦争からまだ十年。家、家名のために人間が、とくに女や子どもが人あつかいされずに犬か猫のようにあつかわれた時代や世界はまだまだ消えてはいないのだ。そしてこれからも完全になくなることはないだろう。
 思えば、お清も哀れである。だがやはりひどい。道子夫人も悲しい人だが、息子のために強くなろうとはしなかった。そういう連中にかこまれて育ち、今父もなく孤児となった竜樹少年がつくづく哀れになってくる。
 朝日が、犬黄楊の木を照らしている。その向こうに、いるはずのはい紅い着物すがたの美少女――安樹の亡霊を私は見た気がした。

「おい、今すぐ用意しろ」
 悪魔のような男はずかずかと僕の部屋に入ってきた。
「な、なんなんだよ? なんでおまえがまだいるんだ?」
 この男が探偵で、母の秘密をさぐりに来たのだということはすでに美紀や、父、いや父だった男からも聞かされていた。
「今すぐ荷物をまとめろ」
「え?」
 母は精神病人に入院して、もう出ることもないという。義父からは、この屋敷は売り払うから、叔父の家に行くように言われていた。だが、叔父とは付き合いなどなく、向こうからも自分が迷惑がられていることはわかっている。
「叔父さんの家へ行けっていうのか? それは来月からだろう」
 夏が終わるまではこの屋敷にいていいと言われているはずだ。
「いや、俺のところに来るんだ」
「おまえのところ?」
 びっくりして訊きかえす僕に、須藤はさも当然という顔でうなずくと、さっさと僕の本を荷造りしだす。
「な、なにしてるんだ?」
「おまえもう十六だろう? 親戚にたよらなくても一人で生きていけるだろう?」
「……」
「明日から、いや、今日から働け。おまえは今日から須藤探偵事務所の助手だ」
「助手?」
 探偵の助手? 僕が?
「冗談じゃない、なんで僕がおまえの助手にならなきゃいけないんだ」
 怒りに頬が熱くなる。
「俺のそばにいたら、仕返しができるぞ。たとえば、コーヒーに塩を入れるとか、パンに辛子を盛るとかな」
 餓鬼大将のようにずるがしこい笑い顔でそんなことを言う。
「何言ってるんだよ」
 僕は思いっきり変な顔になっていたろう。
「ほら、竜樹、さっさとしろ。もう坊ちゃんじゃないんだぞ」
 竜樹と呼ばれて、我知らず胸が高鳴った。
 結局、それから一時間かけて、僕はいやいやながら自分の荷物を整理した。かさばるものは、あとで運送屋にたのむことにして、とにかく必要な服と本だけは持っていけるようにした。
「そら、行くぞ、助手」
「う、うん」
 つい返事してしまっていた。
「はい、って言え。今日からはおまえはもう社会人だ」
「……はい」
 しぶしぶ僕は言う。複雑だが、叔父のところに行くよりかは、まだこいつの仕事を手伝うほうがマシかもしれない。本当にコーヒーに塩を入れてやれるかもしれないし。
 両手にそれぞれ荷物を持って庭を歩きながら、須藤はぽつりと言う。
「あのな……ひどい女だったけれど、あんまりお清さんのこと恨むなよ」
「あんたが言うのか?」
 こいつにされたことを思い出すと怒りがわいてくる。そうだ、ゆるしたわけじゃないぞ。
「まぁ、そうだけどな。あの人……若いときに旦那の手がついて、一度子を堕ろしたことがあるらしい。自分の子はまぎれもなく松林氏の血をひく子なのにどうして、という恨みがずっとあったんだろう」
 義父の血を引く子を堕ろし、母の不義によって生まれた僕につかえていたお清はどんな気持ちだったのだろう。心から自分を想ってくれていたときも確かにあったのだ。だが安治が決定的にお清を変えてしまった。芝居に出てくる滝川のように、お清は男によって豹変してしまったのだ。
 今思うと、それも無理はない。お清は、この屋敷と、男たちにに人生を奪われつづけていたのだ。そして、心の底で母のことも僕のことも恨んでいたのだろう。
「安治のことも、けっこう本気で好きだったみたいだが、……向こうははなから遊びでそんな気はまるでないし。男たちにいいようにされ、どんどんおかしくなっていったんだろうな。思えば哀れな人だ」
 そうかもしれない……。
 まだまだ複雑な想いでいっぱいだけれど、すくなくともこの男の、あのときの言葉は真実だったのだ。僕をさらって行ってしまいたい、という他愛もないはずの言葉を、今実行している。
 僕は乱れる想いをふりきるようにして屋敷の庭をながめた。
 そこに顔もしらない姉、安樹が立って見送ってくれているような気がした。
 だが、その背後には暗い目をしたお清の顔が浮かぶ。
 もう恨みはわかなかった。お清には、約束をはたしてくれる相手は誰もいなかったのだから。
「重たいか?」
 気遣うように僕をふりむく須藤に、僕は生意気に言っていた。
「平気だよ」

              終わり
 


        参考資料
         「名作歌舞伎全集」 第二十三巻
          東京創元社

しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

きみに会いたい、午前二時。

なつか
BL
「――もう一緒の電車に乗れないじゃん」 高校卒業を控えた智也は、これまでと同じように部活の後輩・晃成と毎朝同じ電車で登校する日々を過ごしていた。 しかし、卒業が近づくにつれ、“当たり前”だった晃成との時間に終わりが来ることを意識して眠れなくなってしまう。 この気持ちに気づいたら、今までの関係が壊れてしまうかもしれない――。 逃げるように学校に行かなくなった智也に、ある日の深夜、智也から電話がかかってくる。 眠れない冬の夜。会いたい気持ちがあふれ出す――。 まっすぐな後輩×臆病な先輩の青春ピュアBL。 ☆8話完結の短編になります。

姫を拐ったはずが勇者を拐ってしまった魔王

ミクリ21
BL
姫が拐われた! ……と思って慌てた皆は、姫が無事なのをみて安心する。 しかし、魔王は確かに誰かを拐っていった。 誰が拐われたのかを調べる皆。 一方魔王は? 「姫じゃなくて勇者なんだが」 「え?」 姫を拐ったはずが、勇者を拐ったのだった!?

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―

無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」 卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。 一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。 選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。 本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。 愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。 ※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。 ※本作は織理受けのハーレム形式です。 ※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください

処理中です...