さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと

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第13話 共にいる未来のために

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外交が終わってからも、セリーヌは外務大臣室に通い続けていた。
もう王城の部屋は引き払ったというのに、彼女は毎日のように、まるで当然のことのように姿を見せては、机に山積みの書類を整理し、体調の優れぬ日は肩を揉み、時には温かなお茶を淹れていた。

その様子を、ハロルド王太子は耳にしていた。
「使節団との交渉を支えた立役者の一人が、今も変わらず側にいるらしい」と。

リサエル公爵家に戻ったはずのセリーヌが、今も通いで外務大臣室に出入りしている――
その理由を、彼は直接本人の口から確かめようと、重い扉を叩いた。

「失礼する」

部屋に入ると、思いのほか柔らかな空気が流れていた。
昼休憩の時間らしく、窓際のテーブルには布が敷かれ、陶器の皿が二つ並んでいる。
その中央には、セリーヌが手早く詰めたと思われる彩り豊かな弁当が置かれていた。

彼女が手にした箸を一度止め、優雅に頭を下げた。

「殿下。お疲れのところをわざわざ……」

「いや、気にしなくていい。テーブルの上も、そのままで構わない。
ところで、シモンはなぜ食堂へ行かない?」

問いに答えたのは、当のシモンだった。
ソファの背に身を預けながら、苦笑交じりに言う。

「時間が惜しくてな。昼を抜くことも多かったのだが、それをセリーヌが心配して……
毎日、こうして手作りの弁当を持って来てくれるようになった。」

「なるほど……随分と手が込んでいるな。美味そうだ。」

「もしよろしければ、殿下もご賞味なさいますか?」
セリーヌがさりげなく勧めた。
「料理人の方には及びませんが、私の手製でございます。」

「では、少しだけいただこう。」

彼女は落ち着いた手つきで小皿に取り分け、王太子と側近のロイドに一皿ずつ手渡した。

最初に箸をつけたロイドが、目を見開いて言った。

「……美味しい、です! 本当に!」

それを確認するように、ハロルド王太子も一口。
そしてすぐに、口元をほころばせた。

「旨いな。――しかし、毎日こんな食事をしているからか?
最近、シモンの顔が以前よりも怖くないという噂が出ているぞ。
柔らかくなったってな。」

それに対し、シモンは珍しく照れたように視線を逸らし、
「私が変わったのだとすれば……それは、セリーヌがそばにいてくれるからだろう」と、穏やかな笑みを浮かべた。

その視線に気づいたセリーヌが、くすっと笑いながら口を開く。

「シモン様は放っておくと、ご自分の身体を顧みずに働き過ぎてしまいますので。
こうして、見張っているのですわ。」

その一言に場が和んだ――が、すぐに彼女は表情を引き締める。

「……何か、ご迷惑をおかけしているようでしたら……」

その瞬間、シモンが慌てて声を上げた。

「ダメだ! セリーヌが側にいないなんて……そんなの無理だ。頼む、離れないでくれ。」

まるで縋るように。
その声に、ハロルドは視線を落とし、静かに口を開いた。

「迷惑だなんて、誰も思っていない。
だが……セリーヌ嬢は未婚のご令嬢だ。世間体というものもあるだろう。
縁談もいくつか届いていると聞いている。」

セリーヌの手が、ほんの少しだけ止まった。
その言葉が彼女の胸を少しだけ刺したのか、それとも――。

「……確かに、未婚の女性が大臣室に頻繁に通うのは、望ましいことではありません。
そのことは重々承知しております。
もし、それが……シモン様の再婚や立場の妨げになるのだとしたら……」

言い終える前に、シモンが椅子を蹴る勢いで立ち上がった。

「セリーヌ。――私と、結婚してくれ。
君が誰かのものになるなんて、想像もしたくない。
愛してる。どうか……どうか、離れないでくれ。」

その言葉には、打算も躊躇もなかった。
ただ真っ直ぐで、不器用な男の――まっすぐな懇願だった。

セリーヌは、しばし言葉を探すように目を伏せた。
そして静かに、けれど真剣な眼差しで顔を上げる。

「……わたくしも、シモン様となら――結婚しても良いと思っております。
けれど、ひとつ懸念があるのです。
シモン様のご長男、アレクサ様から、一方的にライバル視されておりまして……
わたくし、ひどく嫌われているのです。
ですから、きっとご家族のご理解は得られないかと。」

それを聞いたシモンは、まるで自身に向けて言い聞かせるように、ゆっくりと頷いた。

「……もし、家族の理解が得られたなら、結婚を考えてくれるのか?」

「……はい。
わたくしも、シモン様を……愛しております。」

自分の口からそうはっきりと出た言葉に、
彼女自身が一瞬、驚いているようだった。

――それでも、確かに、心の中で思っていた。
男性だった前世の記憶よりも、今この瞬間を生きる“わたし”としての気持ちが、
いつの間にか、ずっと強くなっていたのだと。

ただ寄り添いたい。そばにいたい。
それが理由で充分だった。

ハロルド王太子は、その様子を見て微笑み、
少しだけ背筋を伸ばして言った。

「――ならば、シモン。君が家族の理解を得たなら、特急で結婚の手続きを進めよう。
我が国の外務大臣の妻として、誇れる女性だからな。」

笑顔とともに言われたその言葉に、室内の空気があたたかく満ちていった。

ふたりの指先が、ほんの少し、机の下で触れ合ったことに気づいた者は――誰もいなかった。
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