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第37話
ようやくサイモンのもとへたどり着いたアリスティアだったが、先ほどのやり取りのせいで会場の空気が微妙になってしまっていることを感じ、思わず肩をすぼめた。
「お父様……変な空気にしてしまって、すみません」
しゅんとした声音に、サイモンは苦笑を浮かべる。
「仕方ないさ。マイラは、自分が築いてきた大切なものすべてを置いて、この国で生きると決めた。その覚悟を、貴族たちにも分からせる必要があっただけだ」
その言葉にイザベルがすかさず頷き、優しく微笑んだ。
「そうよ。嫌な思いを無理に我慢することなんてないわ。家はいつでもあなたを歓迎するわ。帰ってきたいときは、いつでも帰ってらっしゃい」
「そうね。またパジャマパーティーもしなきゃ」シーラが茶目っ気たっぷりに言い、ふと思い出したように首を傾げた。
「ところでマイラ……あなたの婚約者様を紹介してくれない?」
アリスティアは「あっ」と声を漏らし、連れてきている二人の存在を忘れていたことに気づく。
「こちらが第二騎士団副団長、サンジェル伯爵家嫡男のクラウス様。そして、こちらが近衛騎士団副団長、リジェス子爵家三男のレイモンド様です」
イザベルが目を細める。
「ライデン陛下が選んだ方々なのかしら?」
「はい。父が選んでくれた方々ですが……実は私から求婚しました」
そう口にすると、シーラとイザベルは顔を見合わせ、ほほ笑んだ。
「自分からって……マイラらしいわね」
「ええ。ライデン陛下の人選なら、安心できるわ」
そこでサイモンが、真剣な眼差しをクラウスとレイモンドに向けた。
「マイラ……いや、アリスティア王女は寂しがりで、少し泣き虫なところがあります。不安な時、寂しい時には、すぐに抱きしめてもらいたがるでしょう。その時は、迷わずしてやってください。クレーント王国からでは、この子が寂しいと思っても駆けつけることはできません。だから……お二人で、たくさん甘やかしてやってほしい」
そう言って頭を下げる父の姿に、アリスティアは目を潤ませ、思わず飛びついた。
「お父様……」
サイモンは「ほらね」と笑みを浮かべながら娘の頭を撫でた。ふと、その髪飾りに気づき、目を細める。
「マイラ、この髪飾りは……私が贈ったものか?」
「そうよ。初めてお父様にもらった大切なプレゼント」
「こんな人前でつけるなら、もっと立派な物があっただろうに」
「これは、エレンス王国での思い出の品なの。この髪飾りをつけていると、お父様がそばにいるって思えるの」
そんなやり取りの後、ライザルが口を開く。
「そういえば……刺繍は上達したか? おじさんは、次の作品を心待ちにしてるぞ」
ダリオも笑みを浮かべて続ける。
「きっと大作を作っているんだろうな。私も楽しみにしているよ」
「もう、おじ様たちったら! 私だって少しは上達したのよ。レイモンドも、私の刺繍のこと、おじ様たちに何か言って」
レイモンドが困ったように眉を上げる。
「失礼ですが……アリスティア王女の最初の作品とは、どんなものだったのですか?」
その問いに、ライザルはニヤリと笑い、ポケットから小さな布片を取り出した。そこには、たどたどしい縫い目で描かれた花が。
「これが処女作だ」
「……花、ですか」レイモンドが言葉を選びつつ呟くと、アリスティアはぷくっと頬を膨らませた。
「もう! レイモンドまで! これは初めての刺繍よ。最近は上手くなったって言ってくれたじゃない」
クラウスが思わず吹き出す。
「ちょっと! クラウスまで笑うの? いいわ、決めた。おじ様たちが家宝にしたくなるような大作を作って贈るわ!」
「おお、それは楽しみだな。……ただし、おじさんがヨボヨボになる前にな」ライザルが冗談めかして言うと、
「もう!」と返すアリスティアに、場は大きな笑いに包まれた。
周囲の貴族たちは、つい先ほどまでの近寄りがたいほど凛とした王女の姿とのあまりの落差に戸惑いを覚えていた。だが同時に、この穏やかで温かな空間から、先ほどの毅然とした仮面を被らざるを得なかった背景が透けて見える気がした。
――もし自分の子が、突然「他国の子だ」と言われて取り上げられたら、自分はどう思うだろう。そう考えた時、王女の先ほどの言葉が胸に深く沁みた。
玉座からその様子を見ていたアイリス女王とライデン王は、静かに貴族たちへの対応をこなしながらも、心の奥では複雑な思いを抱いていた。
家族と笑い合う娘の顔は、彼らが知っているどんな表情よりも無邪気で、甘えるような響きを帯びていた。
――「お父様」と呼び抱きつくのは、ライデンではない。
――「おば様」と笑いながら抱きつくのは、アイリスではない。
娘はずっと甘えたかったのだ。それを叶えられなかった年月の重さが、二人の胸にのしかかる。
どうすれば、この失われた時間を埋められるのか――答えはまだ見えなかった。
「お父様……変な空気にしてしまって、すみません」
しゅんとした声音に、サイモンは苦笑を浮かべる。
「仕方ないさ。マイラは、自分が築いてきた大切なものすべてを置いて、この国で生きると決めた。その覚悟を、貴族たちにも分からせる必要があっただけだ」
その言葉にイザベルがすかさず頷き、優しく微笑んだ。
「そうよ。嫌な思いを無理に我慢することなんてないわ。家はいつでもあなたを歓迎するわ。帰ってきたいときは、いつでも帰ってらっしゃい」
「そうね。またパジャマパーティーもしなきゃ」シーラが茶目っ気たっぷりに言い、ふと思い出したように首を傾げた。
「ところでマイラ……あなたの婚約者様を紹介してくれない?」
アリスティアは「あっ」と声を漏らし、連れてきている二人の存在を忘れていたことに気づく。
「こちらが第二騎士団副団長、サンジェル伯爵家嫡男のクラウス様。そして、こちらが近衛騎士団副団長、リジェス子爵家三男のレイモンド様です」
イザベルが目を細める。
「ライデン陛下が選んだ方々なのかしら?」
「はい。父が選んでくれた方々ですが……実は私から求婚しました」
そう口にすると、シーラとイザベルは顔を見合わせ、ほほ笑んだ。
「自分からって……マイラらしいわね」
「ええ。ライデン陛下の人選なら、安心できるわ」
そこでサイモンが、真剣な眼差しをクラウスとレイモンドに向けた。
「マイラ……いや、アリスティア王女は寂しがりで、少し泣き虫なところがあります。不安な時、寂しい時には、すぐに抱きしめてもらいたがるでしょう。その時は、迷わずしてやってください。クレーント王国からでは、この子が寂しいと思っても駆けつけることはできません。だから……お二人で、たくさん甘やかしてやってほしい」
そう言って頭を下げる父の姿に、アリスティアは目を潤ませ、思わず飛びついた。
「お父様……」
サイモンは「ほらね」と笑みを浮かべながら娘の頭を撫でた。ふと、その髪飾りに気づき、目を細める。
「マイラ、この髪飾りは……私が贈ったものか?」
「そうよ。初めてお父様にもらった大切なプレゼント」
「こんな人前でつけるなら、もっと立派な物があっただろうに」
「これは、エレンス王国での思い出の品なの。この髪飾りをつけていると、お父様がそばにいるって思えるの」
そんなやり取りの後、ライザルが口を開く。
「そういえば……刺繍は上達したか? おじさんは、次の作品を心待ちにしてるぞ」
ダリオも笑みを浮かべて続ける。
「きっと大作を作っているんだろうな。私も楽しみにしているよ」
「もう、おじ様たちったら! 私だって少しは上達したのよ。レイモンドも、私の刺繍のこと、おじ様たちに何か言って」
レイモンドが困ったように眉を上げる。
「失礼ですが……アリスティア王女の最初の作品とは、どんなものだったのですか?」
その問いに、ライザルはニヤリと笑い、ポケットから小さな布片を取り出した。そこには、たどたどしい縫い目で描かれた花が。
「これが処女作だ」
「……花、ですか」レイモンドが言葉を選びつつ呟くと、アリスティアはぷくっと頬を膨らませた。
「もう! レイモンドまで! これは初めての刺繍よ。最近は上手くなったって言ってくれたじゃない」
クラウスが思わず吹き出す。
「ちょっと! クラウスまで笑うの? いいわ、決めた。おじ様たちが家宝にしたくなるような大作を作って贈るわ!」
「おお、それは楽しみだな。……ただし、おじさんがヨボヨボになる前にな」ライザルが冗談めかして言うと、
「もう!」と返すアリスティアに、場は大きな笑いに包まれた。
周囲の貴族たちは、つい先ほどまでの近寄りがたいほど凛とした王女の姿とのあまりの落差に戸惑いを覚えていた。だが同時に、この穏やかで温かな空間から、先ほどの毅然とした仮面を被らざるを得なかった背景が透けて見える気がした。
――もし自分の子が、突然「他国の子だ」と言われて取り上げられたら、自分はどう思うだろう。そう考えた時、王女の先ほどの言葉が胸に深く沁みた。
玉座からその様子を見ていたアイリス女王とライデン王は、静かに貴族たちへの対応をこなしながらも、心の奥では複雑な思いを抱いていた。
家族と笑い合う娘の顔は、彼らが知っているどんな表情よりも無邪気で、甘えるような響きを帯びていた。
――「お父様」と呼び抱きつくのは、ライデンではない。
――「おば様」と笑いながら抱きつくのは、アイリスではない。
娘はずっと甘えたかったのだ。それを叶えられなかった年月の重さが、二人の胸にのしかかる。
どうすれば、この失われた時間を埋められるのか――答えはまだ見えなかった。
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