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本編

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 篠宮は俺のことを好きだというけれど、きっと大学へ進学すれば篠宮の考えも変わるだろう。

 美しいΩは、優秀なαを捕まえてしまう……そういう定めなのだから。


「お待たせ。吾妻、ちょっと後ろ向いて」

 篠宮が何を持ってきたのかはわからないが、機嫌が良さそうな篠宮の声に俺は素直に背中を向けた。するとすぐに確かめるように篠宮の手が俺の首筋を撫でる。くすぐったさに身を捩ってしまいそうになる俺を見越してか、「動かないで」と篠宮は俺の耳元で囁いた。妙な色気を孕んだ声色に逆らえず、俺はその場でじっと耐えた。

「……なあ、さっきから何を……」

 いよいよ妙な雰囲気に耐えられなくなった俺が振り返ろうとした時、うなじにしっとりとした感触を感じて身を硬らせる。そして、ちゅっとリップ音を立ててその感覚は離れていった。

 ……篠宮のやつ、もしかして俺のうなじに……キス、したのか?

 言葉の出てこない俺を置き去りにして、篠宮は手早く俺の首に何かを付けたようだった。カチャンと鍵が閉まるような音が聞こえて俺は慌てて自分の首元を確認する。

「っ、おい!これ……」

 首に付けられた見えない何かを触れば、硬く冷たい感触が手に伝わった。もしかしなくても、Ω用のチョーカーを付けられたのだろうと俺は察する。問い詰めようと篠宮の方を振り返ると、悠長にも携帯を手に俺の首元を勝手に撮影しているようで、パシャリと何度かシャッターを切る音が聞こえた。

「やー、いい感じいい感じ。思った通りサイズもぴったりだし、よく似合ってるね。吾妻」
「いや、そういうことじゃなくて。どういうつもりだよ、これ……」

 首に付けられた硬い感触のチョーカーを引っ張ってみようとするが、うまく隙間に手が入らない。薄い素材でできているようだが、やたらと丈夫に硬く作られているらしい。その割に肌に馴染むようで付けていても違和感がないのは、おそらく高級品だからなのだろう。うなじを触ってみれば、チョーカーの留め具となっているだろう小さな鍵の金属の冷たさが伝わってくる。

「吾妻専用のチョーカーだよ。僕からのプレゼント……本当は想いが通じ合ってから渡したかったんだけど、吾妻まだ僕のこと好きになってくれないみたいだからさっさと付けちゃったよ」
「俺が悪いみたいな言い方するなよ。っていうかこれ、高級品だろ?こんなに高いものを渡されても俺、払えない」
「ええ?なーに言ってんの、プレゼントって言ったでしょ。これね、僕の提案で開発してもらったんだ。新事業用の試作品ってわけだね」

 自慢げに腰を手に当てている篠宮は、褒めて褒めてと尻尾を振る犬のようなキラキラした目で俺のことを見てくる。何がそんなに嬉しいのかわからず、俺はそっと篠宮から視線を外して溜息を吐いた。

「吾妻のチョーカーの鍵は、僕が預かっておくから。絶対誰にも外させないんだから」

 ありもしない心配をする篠宮は、俺のチョーカーのものとみられる鍵を手にしていた。鍵はどうやらネックレスに加工されているらしく、細いシルバーのスネークチェーン、それのちょうど真ん中にシルバーの小さな鍵が付けられている。そのネックレスを篠宮は自分の首にかけると、綺麗な鎖骨の真ん中で鍵が揺れた。

「てことは、俺はこのチョーカーを自分で外せないってことか……」

 別に外す用事もないので篠宮の好きにさせておいても支障はないが、このまま一生外されなかったらと思うとそれはそれで思うものがある。

「吾妻も僕の鍵、持ってていいよ」

 篠宮は手を首の後ろへ回し、カチャカチャと身につけていたチョーカーを外した。黒いシンプルな見た目のチョーカーだが、おそらく俺につけたものと同じ素材でできているのだろう。軽く見ただけでも高額だと分かるほど、質が良さそうに見える。篠宮はそのチョーカーと篠宮が先ほど身につけたものと同じくネックレスに加工された鍵を俺に手渡し、俺に背を向けてうなじが見えるように後ろ髪をそっと手のひらで上に撫で付けた。篠宮の細い首が外気にさらされ、ふわっとシャンプーの良い香りが俺の鼻腔をくすぐる。

 放課後なのに汗臭さの一つもない……誰もが羨む美貌のΩが、誰もが蔑む地味なΩにうなじを差し出している。おかしな状況だと他人事みたいに考えていると、「早く」と篠宮に急かされた。俺がαだったのなら、篠宮のフェロモンはどんな香りとして感じるんだろうか。

 そんな下らないことを考えながら、俺は篠宮の首へチョーカーをまわす。うなじでちょうど金具が噛み合うように作られているらしく、四宮の細く長い首を覆い隠すようにチョーカーはぴったりとフィットした。小さめの南京錠の鍵穴に、先ほど篠宮から手渡された鍵を入れて回すとカチャリと音を立ててΩを守るチョーカーの装着が完了した。

「わざわざ外してまた着けるの、意味なくないか?」
「わかってないなあ、吾妻は。こういうのは気分が大事なの」

 鍵をかけた音を確認してうなじを見せるように髪を上げていた手を下ろした篠宮は、振り返って満足そうに俺に笑いかける。篠宮の言葉の意味が俺にはわからなかったが、さっきのように告白の雰囲気を残されるよりはマシだと思ったので適当に流しておく。

 篠宮は俺が手に持ったままでいる鍵を見ると、「それ、かして」と半ば勝手に持って行った。そして膝立ちになって俺の頭へそのネックレスを通した。篠宮と同じく、俺の鎖骨の間でも鍵が揺れる。

「それ、僕だと思って大事にしてね」
「……なんだそれ」

 どうやら篠宮は、篠宮のチョーカーの鍵を俺に持たせておくことにしたらしい。俺たちはお互いのチョーカーの鍵を交換して身に付けることになったということか。俺は一度も了承していないが、逆らう理由も見つからないので満足げに微笑んでいる篠宮のやりたいようにさせておくことにした。

 “篠宮は誰とも番にならなくていいのか”なんて、今聞くのは違う気がして口にはできなかった。

「うーん、吾妻の大学とは片道1時間か……うんうん、思ったより離れてないよね」
「俺の大学から……篠宮の大学までの距離の話か?通学時間含めたら結構だるい距離だと思うけど」
「愛が足りないなあ、愛が!」

 高校最後の雪が解けた後は、お互い少しずつ大人へなっていくだろう。
 社会の仕組みには逆らえないと、嫌というほど知ることになるのだろうか。
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