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第二章

13.目障りな羽虫

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数日後、スエムは順調にトウカを教育していた。
トウカは基本従順で、優等生だ。
指導をする人間に対して、恐怖で絡めてであれなんであれ、教わる事には対して、貪欲に求める。
だから、スエムの手はあまり掛かっていない。
言われた事、する事を、トウカは真面目に取り込む。

そして、今、トウカが復習で、机に向かい、教わった事をボードに書き出している。
スエムは後ろに座り、その様子を見ている。
護衛と言われても、教会のアスランの部屋では、その危険性はほとんどない。
ただ、ラウラ聖女のような輩が突然やってこないように、トウカの強奪の牽制だ。

「わからなくなったら、すぐ言いなさい」
「はい、先生」
トウカはガリガリとチョークで書いていく。
スエムは冷めた眼差してそれを見ている。
トウカは決して、神童といった才能の持ち主ではない。
だが、従順に知識を求める姿は評価出来た。

昼間は食事に至るまで、トウカに対してマナーや教養を詰め込ませている。
基本素直なトウカは、言われた通りに勉強をしている。
朝の祈りから、夕刻の祈りまで。
夕刻の祈りの時間に、アスランが戻り、そこでスエムはトウカから解放される。
アスランは、新しい知識を知り、嬉しそうなトウカを愛しげに見つめている。
アスランの期待に沿えれて、スエムは嬉しかった。


昨日、ラウラ聖女がやってきて、トウカの健康状態や精神状態を確認して、満足そうに帰っていった。

私が管理しているのだ。
私のトウカだ。
当たり前だろう。

そう思っている自分に気付き、はっとする。
思いがけない心境の変化だった。
ただ、小汚ないガキに、勉強を教えるだけなのに。

スエムはトウカの後ろ姿を見ながら、考察する。
ここ数日だけで、トウカは雛鳥のように近くの大人(スエム)に対して、懐く動作をする。
あの青い瞳が見上げ、庇護を求める。

その瞳に、自分をもっと映したい。
もっと頼って欲しい。

これは、トウカに対する〝支配欲〟と〝庇護欲〟だ。
自分のものと勘違いする。
恐ろしいと思った。
揺れる瞳は、本人の意思関係なく、人を捕らえて離さない。
アスラン以外、興味がない自分が、無意識に好意的にトウカを支配下に置こうとしている。



スエムは貴族の出身だった。
ある高名な貴族の三男であったが、幼少期に王都の戦乱に巻き込まれ、瓦礫の下から重傷をおって発見された。
その時の傷で、男性機能が失われ、次代に継ぐことも出来ず、三男という曖昧な立場で、一生家で軟禁生活をおくる予定だった。
スエムは神に救いを求めた。
それは必然だった。
祈りを捧げ、神の為に生きる事を誓ったスエムの目に写ったのは、腐敗した教会内部だった。

自分の力はあまりにも無力で、この腐った世界を変える事は出来ない。
けれど、アスランなら。
勇者の称号を持つ、自分の上司。
燦然と現れた、自分の信じる神を具現化したような存在。
彼はきっと変えてくれる。
スエムは、アスランに対して、狂気的迄の信奉者の一人だった。


アスランが唯一、心を許す少年。
本当に、魂が欲を司る黒神ならば。
トウカが、人を利用する事を覚えるならば、人を惑わせる事が出来るだろう。
〝使える〟と思う。
うまく使えば、アスラン司教の地盤の血肉となってくれる。
ただ、トウカはあまりに〝真っ白〟だ。
それをどう、汚していけばいいだろう。
汚して淫らに毒を発するには、どうすればいいだろう。
スエムは、自分が微笑んでいることに気付いた。
トウカに引きずられている。

「スエム先生?」
前を向くとトウカが、不安そうに見つめていた。
「何でもない、トウカ。何処が解らないのですか?」
少し微笑んでやると、トウカが嬉しそうに見つめてくる。
私に依存させて、アスラン司教に献上しようか。
 



スエムがトウカに付いて、二週間が経った。
逆らわなければ、真面目にトウカに勉強を教えてくれるスエムに、トウカは少しづつ心を許して行った。 

スエムは元々貴族だ。
マナーや教育はかなり水準が高い。
アスランは、トウカが望む全てを教えるようにスエムに言っている。
スエムも割りきって、言われた通りに、トウカに指導している。

トウカは真面目に、働く人間を敬愛する。
スエムの、アスランのように全てを絡めとろうとする訳でもなく、ただ、トウカの教育に取り組む姿は、とても尊敬する。
それに、何でも教えてくれる。
なんでも知っている、凄い人。
トウカは、スエムをそう認識した。
トウカは、スエムに父性を求めたのかもしれない。
だから、トウカは無表情に対応するスエムに懐いた。
元々、人懐っこい性格のトウカは、好意を全開にしてスエムに接する。
スエムはただ、少し眉ねを寄せるだけだ。



トウカが今、楽しそうに、治療院に行く廊下を歩いている。
その後ろをスエムは無表情に付いていく。
治療院にいるアークの面会が、許されたのだ。

スエムは、トウカに余計な情報を与えなくないと拒否したが、ラウラに押しきられた。
だから、トウカの護衛として、厳しい眼差しでまだ会わないアークを睨んでいる。


一緒に来た糞ガキに会って、反抗的な態度を取るようになったらどうしてくれる。
アスラン司教の憂いを、増やすつもりか。


スエムはイライラしながら、トウカの後ろ姿を見ていた。

トウカは何度も治療院の側まで来て、うろうろしていた。
会うことは出来なかったが、アークに偶然会えるかもしれないと覗いたりしていた。
だから、面会出来ると聞いて、トウカは朝から浮かれていた。
スエムが、前日に重くした課題も真面目に終わらせ、にこにこ笑っている。

それさえも、スエムにとって、不愉快だった。
アスランが、どんなにトウカと激しいスキンシップをとっても、負の感情が湧かないのに。

気にくわない。

「アークは、聖騎士を目指しているのですよ」
「そう、ですか」
そっけなく答えるスエムに、トウカは言葉を重ねる。
「とても強くて、格好いいのです」
「アスラン司教の方が格好いいですよ」 
「そうですね。でも、アークは私の憧れなんです」
珍しくトウカは饒舌に、アークを褒め称える。

とても気にくわない。
アスラン司教を一番近くに感じてるくせに、トウカはその価値を分かっていない。
アスラン司教の隣に居ることは、特別な事だ。
糞ガキを賛美するなら、もっとアスラン司教を認めるべきだろう。

アスランの心が乱れる可能性があると言われ、彼が日中外出した時間帯に、会うことになっている。
報告はきちんとするつもりだ。
アスランに折檻されればいい。

昼過ぎから夕刻の祈りまでの時間だから、短い時間だったが、トウカは構わないようだった。

トウカから少し離れて、スエムはドアの前に立っていた。
トウカは椅子に座り、そわそわと前のドアを見つめている。

ラウラもスエムの横に立っている。
スエムは、自分が邪魔をすると思っているのかと、いらりとしながらラウラを睨み付けた。

「怖いわね。色男が台無しよ、スエム」
前を向いたまま、ラウラが軽口をたたく。
「ここは、私一人で大丈夫ですので、業務にお戻りください、ラウラ聖女」
ラウラは繊細な麗しい顔で、にっこり笑った。
「あらあ、私、可愛い男の子が好きなの。タイプが違う美少年二人なんて、目の保養じゃない。だから、見に来ただけよ。ついでに近くで見ておくから、貴方、帰っていいわよ?」
「・・・・・」
スエムは無視して、前を見つめた。

かちゃりとドアが開いた。
入ってきた少年にトウカが呼んだ。
茶色の柔らかそうな髪は少し伸びたのか、肩に付く位になっている。
トウカより、一回り大きな姿をした少年。
少し大人びた、青年の姿に近づく少年。
「アーク」
近付くと、アークは嬉しそうに微笑んだ。
少しやつれたように見えたが、トウカのよく知る彼だった。
「トウカ」
アークの腕を掴み、トウカはアークを抱き締めた。
「良かった。アーク、無事だったんだっ」
「ああ、トウカも」
おずおずとアークもトウカの背を抱き締める。
前より顔色も良くなっている。
はにかむように、アークはぎこちなく笑う。
「ずっと心配してた」

久しぶりに見たトウカは、とても綺麗になっていた。
きっと大切にされているのだ。
良かったと思う。
ラウラ聖女達によって助け出されて、治療をしてもらったが、まだ薬の後遺症が抜けない。
時折、どうしようもない渇望と破壊衝動に見回れる。
いつも思い浮かべるのは、泣いてるトウカの顔。
俺にもっと力があれば。
何も出来ない絶望と一緒に、無力感に苛まれる。

綺麗な青い瞳は、真っ直ぐに自分を見つめている。
何処までも信じている瞳だ。
ああ、俺はトウカによって生かされているのだ。
「俺も、心配していたよ」
「うん。元気だよ。皆良くしてくれる」
「そうか。少し、背が伸びたな」
「すぐ、アークに追い付くから」
「そう、だな・・・・・」


治療院でのアークは、薬も抜けて、落ち着いているそうだ。
まだ、依存性があるので、様子を見ながら院の手伝いをしている。
手を握りあいトウカとアークは、嬉しそうに、話す。
特にトウカが一方的に話していたが、アークは嬉しそうに微笑んでいた。

「少し、外を歩こう」
アークが手を引いた。
治療院の裏の庭を二人で歩く。
ちらほらと、教会関係者ではない服を着た人間も居る。
治療院だから、外の人間も治療に訪れるのだなと、トウカはぼんやり思った。
知り合いも出来たのだろうか、皆、アークに声をかけている。
アークもにこやかに返している。


手を繋ぎながら歩く二人の姿を、ラウラはうっとりと見つめる。
「尊い・・・・」
ラウラの呟きに眉ねを寄せながら、スエムは苦虫を潰したような顔をして、トウカを見ていた。
トウカは、はにかんだような少し恥ずかしそうな顔をしてアークと話している。

「アーク、元気そう」
「・・・・お前もな」
「・・・・うん」
色々、話したい事はあったが、トウカはあまり話すとアークに迷惑をかける事を思いだし、慌てて手を離した。
「アーク、また来るね」
「ああ」
離れようとしてトウカが後ろを向いた。
「トウカ」
アークがトウカを抱き締めた。
「アーク?」
「・・・・俺の体が治ったら、一緒にここから出ていこう」
他の人間に聞こえない声で、アークが囁いた。
「うん」
「約束する」
「・・・・・うん、約束」
トウカが頷いた。



その姿を離れた場所で見ていたスエムは、ぎらぎらとした目で、二人を睨み付けていた。
部屋に戻るまで、スエムは無言だった。



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