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ウネリカの戦い(6)
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「こりゃあ……酷いもんだな……」
一條の右隣から、そんな呟きが聞こえてきた。
さしもの高井坂も、街の惨状に顔をしかめる他はないと見える。
街は予想通りもぬけの殻。
居るのはやはり、ロキが関せずに放置されている動物の類いのみ。
家はあちこちが倒壊し、此方の進路を塞いでいる。
「まるでゴーストタウンね……平気? ジャンヌ姉」
「俺に振るなよ……いやうんごめん。確かにこういう雰囲気は苦手なんだけど。……でも、まぁ、ロキが散発気味なのは、救いだな」
渇いた笑い混じりの言葉に、テリアが一瞬こちらを見た。
特に何も言わないものの、心配しているのはその表情が物語っている。
一條とて苦手なものはあるのだが、今は胸の内に仕舞っておく。
その上で、ため息を吐きつつ、周囲へ視線を送る。
ウネリカは、地図上では分からなかったものの、幾つかの家々を一つの区画として纏めており、破壊の跡が無ければ非常に整理された様相となっていたろう事が窺えた。
道幅もある程度取られている為、馬での移動もそれほど苦は無い作りになっている。
と言うより、馬での移動を前提とした街作りが為されていると言えた。
この辺り、ウネリカが二つの国家間に跨がっている故、その街中での移動も円滑にする構造でもあるかも知れない。
――三つも橋が架かってるのも、今思えばその為かも。
平時であれば、それこそ賑わっていた筈である。
とはいえ、長引く両国の戦争状態で、それもあまり活かせたとは思えないのだが。
「これ、入り口の方とかに殺到してる感じなのかもね」
「……だとすれば予定通りだけど、そうなるとこの先に居るのはラスボスかな」
「ラスボスがこんな所に居るとか考えたくもねぇな……」
先頭を行く三人でそんな事を言い合う。
緊張感に欠けると言えばその通りなのだが、ここまで一條の隊に目立った損耗はない。
黒犬型のロキによる襲撃もここまで二度しかなく、一人がそれに驚いて落馬し、打ち身をした程度である。
些か拍子抜け、とも言えた。
「ジャンヌ・ダルク。この先を行った所が中央広場です」
テリアの進言に、一條は頷きつつも、眉を顰める。
他の二人も似た顔をしていた。
「……正直、ぞっとするのは俺だけ、じゃあないよな」
「向こうから少しばかり音は聞こえてきますが、これは静か過ぎますな」
リョーカも違和感を覚えたのか、忙しなく周囲を確認しながら告げる。
「これはいよいよ、知恵を付けてきた証拠か?」
誰に言う訳でもなく、一人愚痴た。
そうして、言い知れぬ不安を抱えたまま、中央広場に出た瞬間。
「っ!?」
一條は、今度こそ背筋が寒くなった。
黒猪や人型の時とは違う。
はっきりと、そいつと目が合ったのを感じた。
「総員、戦闘開始だ! 注意しろ! 初めて見る奴だ!!」
代わりに叫んだリョーカの声に叩き起こされる様にして、一條も動き出す。
「初めて!? まぁ、初めてだよあんな見た目の奴はよ!」
即座に下馬し、大盾を構える高井坂が続けざま叫ぶ。
「頭が二つあるワニかありゃあ!?」
歪な黒い塊。
しかし、姿を表現するならそうとしか言えない。
鰐に似た頭が二つ、胴体から生えている。
だが、足は三対ある他、最も特異なのはその尻尾だ。
蛇の様に細く、長いものが二本波打つが如くうねっている。
更に言えば、
――紫鉱石が、身体を突き破ってる、のか!?
ロキが落とすそれを、目の前の存在は胸元や背中にも携えていた。
特に背中部分は放射状に広がっており、一種の背びれにも見える。
そんな存在が、人の二倍近い体高を誇っているのだ。
人型以上に、明らかに今までのものとは決定的に違う生物であった。
「―――――!!」
犬の遠吠えに男女の金切り声が混じった様な、聞くに堪えない声。
二つの頭から放たれるそれは、最早、竜の咆哮とでも呼べる代物である。
一條や紀宝、高井坂は勿論、三人よりも遙かに訓練や実戦を積んできているリョーカ達ですら、身が竦んでいた。
「耳、潰す気かこの鰐はっ」
すぐさま悪態を吐く辺り、流石は紀宝である。
「気を付けっ、」
一條が言うより早く、尻尾が鞭の様にしなり、降ってきた。
見た目以上に長い、のではない。
明らかに伸びて襲ってきたのだ。
「うお、おぉあっ!」
初撃を、高井坂が咄嗟に一歩前へ出て大盾で受けたが、勢いが止まらない。
「くっそ、がっ!」
ほぼ同時に動き、跳躍した先で尻尾を切り落とした。
が、衝撃を全ていなす事は出来ず、一條は馬上のテリアと縺れる様に地面を転がって行く。
「つあー、マジか。……あっ、平気!? テリアさん」
咄嗟に抱き留めた為、頭二つは小さい彼女は一條の胸に埋もれつつも外傷は見当たらなかった。
「えぁ……はい、なんとか……」
声が若干震えているが、無事ではあるらしい。
「一、ジャンヌ姉! 斬ったとこ、もう回復してんだけど!?」
紀宝の声に、一條はすぐさま立ち上がる。
乗ってた馬にも衝撃が多少なりいったお陰もあるだろうが、こちらはお礼を言う前にあらぬ方向へ走っていく。
とはいえ、予想していた事柄を告げられた為、構っていられる状況でもなかった。
改めて、一條は剣を構える。
同時に周囲へ視線を飛ばせば、まともに動けているのは数える程。それも、近くの者へ何事か声を掛ける位しか出来ていない。
初めて体験する未知に、先程の大咆哮、更には尻尾の初撃が重なり、思考が追いつかないと見える。
その上、端から見ればその尻尾で一條が吹き飛んだ様にすら感じたろう。
――アランさんかクラウディーさんでも居れば良かったけど。
思うが、居ない人物を頼っても仕様が無い。若干不本意ではあるが、覚悟を決める。
とりあえず、動きが緩慢な目の前の二頭を持つ鰐は無視。
それを確認しつつ、一條は深呼吸一つ。
背筋を伸ばし、視線を前へ。
「この場に居る勇気ある者達よ! 立ちなさい!」
叫んだ。
周囲からの視線が集約していくのを肌で感じる。
一條・春凪としてではなく、ジャンヌ・ダルクとして言葉を紡ぐ。
「戦う時です! 相手が何者であれ、私と共に。恐れずに戦うのです!」
たかが小娘の言葉にどれだけ奮起するかは賭けだ。
しかし、数秒を待たずに各々が動き出す。
予想に反して、と言ってしまえばそれまでだが、疎らではあるものの、皆一様に武器を手に駆け出した。
逃げ出す者はいない。
「何を迷う必要がある! 我らにはジャンヌ・ダルクが居るのだ! すぐに味方も来る! 動けっ!」
リョーカの言葉が契機となり、続々と半包囲する様に広場へ広がっていく。
が、二頭を持つ鰐は特に気にする様子はない。
ただ一点。一條を四つの目で見るのみである。
「私も居るんだけどなぁ……」
「あはは……なんかごめん」
「ま、士気が上がりゃ何でも良いさ。さっきの咆哮で、他の隊も大物が此処に居るって分かったろ」
軽口に、短いながらも再び咆哮が飛ぶ。
三対の足を器用に動かし、尻尾を揺らしながらゆっくりと行動開始。
「ジャンヌ姉! まずはやってみるわよ!?」
「あぁ! ……シャラ! こっちも全員に構っていられない! 死んでも文句言うなよ!」
「分かってらぁ! 此処に居る以上、皆も承知してんだろ! 今回ばかりは悪いが手が回らねぇ!!」
高井坂が大盾を構え直したのを見届け、紀宝と二人で突撃を仕掛ける。
それに反応し、尻尾の二本が振り下ろされた。
尻尾自体に意思でもあるのか、軌道も、速度も、何もかもが異なる一撃である。
「ほい、よっ、はいっ、とっ!」
「斬った端から再生してないこれ!?」
「知らーん!」
左右に細かく振るわれる鞭を、正に紙一重で回避していく紀宝。
基本的に上から叩き付けられる軌跡を描いて来るのを、冷静に切り落としていく一條。
対処の方法も、二人は対極的だった。
「一番槍ぃっ!」
無駄なく回避行動を取っていた紀宝が、言葉と同時に大型ロキへ辿り付く。
勢いそのままに更に一歩進み、頭の下へ滑り込めば、相手からすれば完全に死角の位置になる。
「せー、のっ!」
気合いと共に披露するのは、震脚。
杭打ち機の如き轟音が響いた瞬間。
大人程はあろうかと言う鰐の頭を、下から掌底でかち上げた。
千切れる事こそ無かったが、跳ねた頭から、相応の威力なのは誰の目にも明らかである。
――こーわ……っ。
先日、素手で木を粉砕した事件を思い出し、一條は内心冷や汗。
襲ってくる鞭を律儀に切り落としての進撃なので、紀宝から若干遅れて到達するが、その時には一條側の頭も大口を開けての出迎えだ。
人一人は余裕で収まりそうな大きさのそれを、一瞬の溜めを作り、引き付けた上で回避。
狙いは三つある足である。
「でかぶつは足元が弱点、ってなっ」
叫びつつ、左側の足を一本切断。
が、二本目の半ばで剣が止まる。
一本一本が人間の胴体程度はあろうかと言う太さだが、硬さも相応だ。
しかし、
「想、定、内っ!」
右手を添え、一息に力を込める。
ごり押しだ。
「おおぉぉあぁぁっ!」
二本目も通過。三本目へ行く瞬間、上空からの鞭が来た為、断念。
しかし、勢い良く足や胴体にもぶち当てているが、気にはしていないらしい。
片側の足が二本も切れれば、流石に均衡も崩れ、大型ロキの身体が斜めになった。
追加で降ってきた尻尾を避けつつ離れれば、足はまだ欠損したままである。
場所によって再生速度に差がある、と言うのが分かったのは幸いであろう。
――やっばぁ、この剣の切れ味。
それでも、一條が思ったのはロキの事ではない。
今までの武器とは根本的に違う印象を受けた、今現在の主武器だった。
他の者達も持つ剣や槍と言った類いも、決して悪い代物でないのは既に承知している。
ヴァロワ皇国は、良質の鉱山を南の方に有している為だ。
大貴族、ラースリフ・リギャルドの直轄地とも言えるそこで採れる各種鉱物を利用して作られる物は、他国でも評判が良いらしい。
「心が……」
それだけに、ここに至るまで何本折ったかは、改めて考えるととんでもない事である。
再び鳴り響く轟音に苦笑いしつつ、振り下ろされる尻尾を切り捨て、右手を掲げた。
「槍隊! 進めぇ!」
それを合図とし、リョーカの掛け声で槍隊が一條の後ろから突撃を開始。
馬力が無い中で、どこまで通せるかは未知数だが、任せる場面だ。
「尻尾の相手はこっちでします!」
鰐の胴体へ攻撃を仕掛けた者達の声を背に走り出した一條の後を追う様に、尻尾が飛んでくる。
そして先程、一撃した際に気付いたが、尻尾も立派な生物の一種だ。
最初からなのか変化したのかまでは定かではないが、先端が蛇の頭そのものである。
更に言えば、今はもう目一杯に口を開けていた。
「鰐と蛇って脈絡がなさ過ぎるんですけど!?」
ロキに言っても仕方ないとは思う。
なにせ、鰐と言っても頭を二つ持つ種は存在しない。
「ジャンヌ姉!」
「ミラ! こいつ頭と尻尾の蛇とで周囲を、あっ!?」
追い縋ってきた一本を斬り伏せたが、再生した瞬間には紀宝へと矛先を変えたのだ。
再生速度もさる事ながら、その上で無茶苦茶な軌道を取った為、一條も反応が遅れる。
「ふっ!」
が、当人はそれを片手一本で弾き飛ばした。
「ミラ!」
「っ」
その行為に感心する間もなく、叫ぶと同時に一條も走り出す。
声で、紀宝も瞬時に悟った様だった。
あろう事か、このロキは囮を使ったのである。
一條の位置からは見えたが、弾かれた一本を隠れ蓑にして本命の二本目が突撃していた。
「んにゃろう!」
掛け声と共に、紀宝は手甲と脛当てで防御姿勢。
更に激突する瞬間、空中に飛んだ。衝撃を少しでも和らげる手段を取る。
空を水平にかっ飛びながらも、彼女は叫んだ。
「シャラー!! 盾ー!!!」
次の瞬間には、紀宝は高井坂の構えた大盾に正面から着地。
続く動作で、持ち上げた大盾の上に彼女が綺麗に収まる形となった。
「……息ぴったりだな……」
展開の速さに一條も呆れる他ない。
たった十数メートルの間の出来事なのもそうだが、即座に行動する高井坂と、空中で上手い事姿勢制御する紀宝。
二人でなければ到底為し得ない芸当だろう。
――全く羨ましい限りだ。
苦笑しながら思う。
「今弓隊に建物から斉射して貰うから、それまでこっちで引き付けるぞ!」
何故かそのままの体勢で向かってきつつ声を張り上げる親友に、一條も眉根を詰めるがそれだけに留めておく。
大型ロキへと向き直れば、横腹へ打撃を繰り返している隊の勢いも落ちている。
本体も然程気にしている様子がないのを見るに、あまり良い成果はないらしい。
人型以上に尋常ではない防御力を有しているのは確かだ。
――弓の攻撃もどこまで届くか。
さりとて、試してみるしかない。
「少しはその熱視線を逸らして欲しいものだけど……」
二つの鰐頭と、二本の蛇頭。
全てが一條を見ている。
まるでそれが自然であるかの様だ。
「まぁ……啖呵切った手前、相手はしてやるとも」
ゼルフの出番も思案しつつ、一條は一歩を踏み出した。
一條の右隣から、そんな呟きが聞こえてきた。
さしもの高井坂も、街の惨状に顔をしかめる他はないと見える。
街は予想通りもぬけの殻。
居るのはやはり、ロキが関せずに放置されている動物の類いのみ。
家はあちこちが倒壊し、此方の進路を塞いでいる。
「まるでゴーストタウンね……平気? ジャンヌ姉」
「俺に振るなよ……いやうんごめん。確かにこういう雰囲気は苦手なんだけど。……でも、まぁ、ロキが散発気味なのは、救いだな」
渇いた笑い混じりの言葉に、テリアが一瞬こちらを見た。
特に何も言わないものの、心配しているのはその表情が物語っている。
一條とて苦手なものはあるのだが、今は胸の内に仕舞っておく。
その上で、ため息を吐きつつ、周囲へ視線を送る。
ウネリカは、地図上では分からなかったものの、幾つかの家々を一つの区画として纏めており、破壊の跡が無ければ非常に整理された様相となっていたろう事が窺えた。
道幅もある程度取られている為、馬での移動もそれほど苦は無い作りになっている。
と言うより、馬での移動を前提とした街作りが為されていると言えた。
この辺り、ウネリカが二つの国家間に跨がっている故、その街中での移動も円滑にする構造でもあるかも知れない。
――三つも橋が架かってるのも、今思えばその為かも。
平時であれば、それこそ賑わっていた筈である。
とはいえ、長引く両国の戦争状態で、それもあまり活かせたとは思えないのだが。
「これ、入り口の方とかに殺到してる感じなのかもね」
「……だとすれば予定通りだけど、そうなるとこの先に居るのはラスボスかな」
「ラスボスがこんな所に居るとか考えたくもねぇな……」
先頭を行く三人でそんな事を言い合う。
緊張感に欠けると言えばその通りなのだが、ここまで一條の隊に目立った損耗はない。
黒犬型のロキによる襲撃もここまで二度しかなく、一人がそれに驚いて落馬し、打ち身をした程度である。
些か拍子抜け、とも言えた。
「ジャンヌ・ダルク。この先を行った所が中央広場です」
テリアの進言に、一條は頷きつつも、眉を顰める。
他の二人も似た顔をしていた。
「……正直、ぞっとするのは俺だけ、じゃあないよな」
「向こうから少しばかり音は聞こえてきますが、これは静か過ぎますな」
リョーカも違和感を覚えたのか、忙しなく周囲を確認しながら告げる。
「これはいよいよ、知恵を付けてきた証拠か?」
誰に言う訳でもなく、一人愚痴た。
そうして、言い知れぬ不安を抱えたまま、中央広場に出た瞬間。
「っ!?」
一條は、今度こそ背筋が寒くなった。
黒猪や人型の時とは違う。
はっきりと、そいつと目が合ったのを感じた。
「総員、戦闘開始だ! 注意しろ! 初めて見る奴だ!!」
代わりに叫んだリョーカの声に叩き起こされる様にして、一條も動き出す。
「初めて!? まぁ、初めてだよあんな見た目の奴はよ!」
即座に下馬し、大盾を構える高井坂が続けざま叫ぶ。
「頭が二つあるワニかありゃあ!?」
歪な黒い塊。
しかし、姿を表現するならそうとしか言えない。
鰐に似た頭が二つ、胴体から生えている。
だが、足は三対ある他、最も特異なのはその尻尾だ。
蛇の様に細く、長いものが二本波打つが如くうねっている。
更に言えば、
――紫鉱石が、身体を突き破ってる、のか!?
ロキが落とすそれを、目の前の存在は胸元や背中にも携えていた。
特に背中部分は放射状に広がっており、一種の背びれにも見える。
そんな存在が、人の二倍近い体高を誇っているのだ。
人型以上に、明らかに今までのものとは決定的に違う生物であった。
「―――――!!」
犬の遠吠えに男女の金切り声が混じった様な、聞くに堪えない声。
二つの頭から放たれるそれは、最早、竜の咆哮とでも呼べる代物である。
一條や紀宝、高井坂は勿論、三人よりも遙かに訓練や実戦を積んできているリョーカ達ですら、身が竦んでいた。
「耳、潰す気かこの鰐はっ」
すぐさま悪態を吐く辺り、流石は紀宝である。
「気を付けっ、」
一條が言うより早く、尻尾が鞭の様にしなり、降ってきた。
見た目以上に長い、のではない。
明らかに伸びて襲ってきたのだ。
「うお、おぉあっ!」
初撃を、高井坂が咄嗟に一歩前へ出て大盾で受けたが、勢いが止まらない。
「くっそ、がっ!」
ほぼ同時に動き、跳躍した先で尻尾を切り落とした。
が、衝撃を全ていなす事は出来ず、一條は馬上のテリアと縺れる様に地面を転がって行く。
「つあー、マジか。……あっ、平気!? テリアさん」
咄嗟に抱き留めた為、頭二つは小さい彼女は一條の胸に埋もれつつも外傷は見当たらなかった。
「えぁ……はい、なんとか……」
声が若干震えているが、無事ではあるらしい。
「一、ジャンヌ姉! 斬ったとこ、もう回復してんだけど!?」
紀宝の声に、一條はすぐさま立ち上がる。
乗ってた馬にも衝撃が多少なりいったお陰もあるだろうが、こちらはお礼を言う前にあらぬ方向へ走っていく。
とはいえ、予想していた事柄を告げられた為、構っていられる状況でもなかった。
改めて、一條は剣を構える。
同時に周囲へ視線を飛ばせば、まともに動けているのは数える程。それも、近くの者へ何事か声を掛ける位しか出来ていない。
初めて体験する未知に、先程の大咆哮、更には尻尾の初撃が重なり、思考が追いつかないと見える。
その上、端から見ればその尻尾で一條が吹き飛んだ様にすら感じたろう。
――アランさんかクラウディーさんでも居れば良かったけど。
思うが、居ない人物を頼っても仕様が無い。若干不本意ではあるが、覚悟を決める。
とりあえず、動きが緩慢な目の前の二頭を持つ鰐は無視。
それを確認しつつ、一條は深呼吸一つ。
背筋を伸ばし、視線を前へ。
「この場に居る勇気ある者達よ! 立ちなさい!」
叫んだ。
周囲からの視線が集約していくのを肌で感じる。
一條・春凪としてではなく、ジャンヌ・ダルクとして言葉を紡ぐ。
「戦う時です! 相手が何者であれ、私と共に。恐れずに戦うのです!」
たかが小娘の言葉にどれだけ奮起するかは賭けだ。
しかし、数秒を待たずに各々が動き出す。
予想に反して、と言ってしまえばそれまでだが、疎らではあるものの、皆一様に武器を手に駆け出した。
逃げ出す者はいない。
「何を迷う必要がある! 我らにはジャンヌ・ダルクが居るのだ! すぐに味方も来る! 動けっ!」
リョーカの言葉が契機となり、続々と半包囲する様に広場へ広がっていく。
が、二頭を持つ鰐は特に気にする様子はない。
ただ一点。一條を四つの目で見るのみである。
「私も居るんだけどなぁ……」
「あはは……なんかごめん」
「ま、士気が上がりゃ何でも良いさ。さっきの咆哮で、他の隊も大物が此処に居るって分かったろ」
軽口に、短いながらも再び咆哮が飛ぶ。
三対の足を器用に動かし、尻尾を揺らしながらゆっくりと行動開始。
「ジャンヌ姉! まずはやってみるわよ!?」
「あぁ! ……シャラ! こっちも全員に構っていられない! 死んでも文句言うなよ!」
「分かってらぁ! 此処に居る以上、皆も承知してんだろ! 今回ばかりは悪いが手が回らねぇ!!」
高井坂が大盾を構え直したのを見届け、紀宝と二人で突撃を仕掛ける。
それに反応し、尻尾の二本が振り下ろされた。
尻尾自体に意思でもあるのか、軌道も、速度も、何もかもが異なる一撃である。
「ほい、よっ、はいっ、とっ!」
「斬った端から再生してないこれ!?」
「知らーん!」
左右に細かく振るわれる鞭を、正に紙一重で回避していく紀宝。
基本的に上から叩き付けられる軌跡を描いて来るのを、冷静に切り落としていく一條。
対処の方法も、二人は対極的だった。
「一番槍ぃっ!」
無駄なく回避行動を取っていた紀宝が、言葉と同時に大型ロキへ辿り付く。
勢いそのままに更に一歩進み、頭の下へ滑り込めば、相手からすれば完全に死角の位置になる。
「せー、のっ!」
気合いと共に披露するのは、震脚。
杭打ち機の如き轟音が響いた瞬間。
大人程はあろうかと言う鰐の頭を、下から掌底でかち上げた。
千切れる事こそ無かったが、跳ねた頭から、相応の威力なのは誰の目にも明らかである。
――こーわ……っ。
先日、素手で木を粉砕した事件を思い出し、一條は内心冷や汗。
襲ってくる鞭を律儀に切り落としての進撃なので、紀宝から若干遅れて到達するが、その時には一條側の頭も大口を開けての出迎えだ。
人一人は余裕で収まりそうな大きさのそれを、一瞬の溜めを作り、引き付けた上で回避。
狙いは三つある足である。
「でかぶつは足元が弱点、ってなっ」
叫びつつ、左側の足を一本切断。
が、二本目の半ばで剣が止まる。
一本一本が人間の胴体程度はあろうかと言う太さだが、硬さも相応だ。
しかし、
「想、定、内っ!」
右手を添え、一息に力を込める。
ごり押しだ。
「おおぉぉあぁぁっ!」
二本目も通過。三本目へ行く瞬間、上空からの鞭が来た為、断念。
しかし、勢い良く足や胴体にもぶち当てているが、気にはしていないらしい。
片側の足が二本も切れれば、流石に均衡も崩れ、大型ロキの身体が斜めになった。
追加で降ってきた尻尾を避けつつ離れれば、足はまだ欠損したままである。
場所によって再生速度に差がある、と言うのが分かったのは幸いであろう。
――やっばぁ、この剣の切れ味。
それでも、一條が思ったのはロキの事ではない。
今までの武器とは根本的に違う印象を受けた、今現在の主武器だった。
他の者達も持つ剣や槍と言った類いも、決して悪い代物でないのは既に承知している。
ヴァロワ皇国は、良質の鉱山を南の方に有している為だ。
大貴族、ラースリフ・リギャルドの直轄地とも言えるそこで採れる各種鉱物を利用して作られる物は、他国でも評判が良いらしい。
「心が……」
それだけに、ここに至るまで何本折ったかは、改めて考えるととんでもない事である。
再び鳴り響く轟音に苦笑いしつつ、振り下ろされる尻尾を切り捨て、右手を掲げた。
「槍隊! 進めぇ!」
それを合図とし、リョーカの掛け声で槍隊が一條の後ろから突撃を開始。
馬力が無い中で、どこまで通せるかは未知数だが、任せる場面だ。
「尻尾の相手はこっちでします!」
鰐の胴体へ攻撃を仕掛けた者達の声を背に走り出した一條の後を追う様に、尻尾が飛んでくる。
そして先程、一撃した際に気付いたが、尻尾も立派な生物の一種だ。
最初からなのか変化したのかまでは定かではないが、先端が蛇の頭そのものである。
更に言えば、今はもう目一杯に口を開けていた。
「鰐と蛇って脈絡がなさ過ぎるんですけど!?」
ロキに言っても仕方ないとは思う。
なにせ、鰐と言っても頭を二つ持つ種は存在しない。
「ジャンヌ姉!」
「ミラ! こいつ頭と尻尾の蛇とで周囲を、あっ!?」
追い縋ってきた一本を斬り伏せたが、再生した瞬間には紀宝へと矛先を変えたのだ。
再生速度もさる事ながら、その上で無茶苦茶な軌道を取った為、一條も反応が遅れる。
「ふっ!」
が、当人はそれを片手一本で弾き飛ばした。
「ミラ!」
「っ」
その行為に感心する間もなく、叫ぶと同時に一條も走り出す。
声で、紀宝も瞬時に悟った様だった。
あろう事か、このロキは囮を使ったのである。
一條の位置からは見えたが、弾かれた一本を隠れ蓑にして本命の二本目が突撃していた。
「んにゃろう!」
掛け声と共に、紀宝は手甲と脛当てで防御姿勢。
更に激突する瞬間、空中に飛んだ。衝撃を少しでも和らげる手段を取る。
空を水平にかっ飛びながらも、彼女は叫んだ。
「シャラー!! 盾ー!!!」
次の瞬間には、紀宝は高井坂の構えた大盾に正面から着地。
続く動作で、持ち上げた大盾の上に彼女が綺麗に収まる形となった。
「……息ぴったりだな……」
展開の速さに一條も呆れる他ない。
たった十数メートルの間の出来事なのもそうだが、即座に行動する高井坂と、空中で上手い事姿勢制御する紀宝。
二人でなければ到底為し得ない芸当だろう。
――全く羨ましい限りだ。
苦笑しながら思う。
「今弓隊に建物から斉射して貰うから、それまでこっちで引き付けるぞ!」
何故かそのままの体勢で向かってきつつ声を張り上げる親友に、一條も眉根を詰めるがそれだけに留めておく。
大型ロキへと向き直れば、横腹へ打撃を繰り返している隊の勢いも落ちている。
本体も然程気にしている様子がないのを見るに、あまり良い成果はないらしい。
人型以上に尋常ではない防御力を有しているのは確かだ。
――弓の攻撃もどこまで届くか。
さりとて、試してみるしかない。
「少しはその熱視線を逸らして欲しいものだけど……」
二つの鰐頭と、二本の蛇頭。
全てが一條を見ている。
まるでそれが自然であるかの様だ。
「まぁ……啖呵切った手前、相手はしてやるとも」
ゼルフの出番も思案しつつ、一條は一歩を踏み出した。
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