ジャンヌ・ダルク伝説~彼の地にて英雄と呼ばれた元青年~

白湯シトロ

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終章(1)

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「ジャンヌ姉様。聞いてましたか?」
 不意の台詞に、ジャンヌはしかし、数秒の間を置いてから、
「……ん。聞いてる聞いてる……」
 半ば適当にも思われる答えを返した。
 対して、スフィは、特段呆れるでもなく、一言。
「……全く」
 こちらを慮ったのもあるのだろうが、自身の余裕が無いのもあるだろう。
 それだけの怪我であった。
 ロキの黒槍は不十分ながら反応したものの、結果として落馬負傷の形となったのが大きい。
 本来ならば今も騎乗しているのが不思議な位で、にも関わらず、自分への治療はそこそこに、他へ回している。
 十二皇家当主としての意地とも取れる姿勢は、羨ましい程だった。
 そんな彼女の代わりとでも言う様に、声が掛かる。
「心は未だに戦場、と言う事だろう。何、私も経験はある」
 言葉と共に軽く笑うのは、前を行くヨーリウである。
 反対に、彼はほぼ無傷だ。
「助けられただけだ」
 との事らしいが、麾下部隊の殆どを喪失した事実を鑑みれば、ジャンヌの抱えてる事等些末とさえ思えそうだった。
 当然、そんな事を指摘する気も、おくびにも出す気はない。
――まぁ、そうとも言えるし。言えないし。って感じだけど。
 ただそんな思案をしつつ、ジャンヌは更に視線を回した。
 いつもの荷馬車の、いつもの席。
 隣ではクタルナが馬の手綱を握っている。
「既に皇都には郵便が届いてる。私達はこのまま、皇都内を回り、最後に城へと入る事になっている。……かなりの騒ぎなのは覚悟しておく事だな」
 ウッドストックの指摘にも、とりあえず、と言った体で頷いておく。
――もう、皇都か……。
 グランツェへと帰還する隊列。
 ジャンヌが居るのは、その最前列付近である。
 ロキケトーとの一大決戦は、ヴァロワ・ガティネの連合軍の勝利で幕を閉じた。
 無論、大勝利、とはいかない。
「いかないよね……」
 零し、ため息一つ。
 勝利どころか、辛勝、或いは局地的勝利、と言った方が余程正しい位である。
――生き残った方なのか。は、歴史学者にでも任せるけれど。
 幌の中を見る様に視線を持って行きつつも、見えない後方までの全てを見る様に動かしていく。
 戦闘終了後の、重軽傷者の区分分けで三日を費やし、その後の遺体収容と確認で十日を費やしていた。
 最も、これに率先してジャンヌ自身が出向いていた為、逆に他の者が必要以上に頑張り過ぎたのもあって、寧ろ、それだけしか掛かっていない、とも言える。
 今この瞬間にも行われている筈だが、埋葬に関しては一応、全会一致の判断で火葬の上、共同墓地と言う採決がその場で取られた。
 これは戦死者の人数もそうだが、踏み荒らされた事で判別が不可能な者が多いのも理由の一端である。
 そして、最終決戦後の生存者は、二万にも満たない。
 それも後方支援の部隊やらを除けば更に減るし、ヨーリウやパラチェレン、クタルナ等、五体満足となると、それこそ数千人程に落ちる程。
 隊列は、そんな数千人程の内の幾らかと、スフィの様に治療を受けつつ自分の足で動ける者達を中心に構成されていた。
「凱旋、か……」
 あまり素直には喜べないジャンヌの思いを他所に、こちらを見付けた皇都の者達が声を上げ、グランツェの門が、開かれていく。
――……ファウスさん、ラトビアさんと、戦乙女隊の家々には最低限、顔を出すべきだよね……。
 近付いてくる喧噪と、周囲の張り詰めた気が緩んでいくのを感じながら、思う。
 個人的に繋がりのある、恰幅の良い巨漢の十二皇家当主。
 最後まで面倒を見れたとは言い難いが、それでも、命を落とした部隊員達の家族へ、自らが出向く事は必要だろう。
「ジャンヌ?」
 目を伏せたこちらを心配する様な隣からの問いに、頭を横に振る事で流した。
 戦乙女隊に関して、無事に戦火を潜り抜けたのは三百も居らず、ラトビアを始めとした多くの実力者も失われている。
 正直、共に戦ってくれたガティネの者達が居なければ、もっと被害は大きくなっていたのは想像に難くない。
「んー。もう着いたのね……」
「着いたよ。今ね……平気?」
 のそのそと顔を出した義妹に反応すれば、彼女は渋い表情をしている。
 寝ていた訳ではなく、単に消沈していただけだ。
 多くの知り合いを失った以上に、アプラと言う、明確な好意を表に出してきた人物への弔意の意味合いが大きい。
 戦闘後、赤ん坊の様に泣きじゃくるミランヌを見たのは、あれが初めてであった。
「ん……ま、ジャンヌ姉程じゃあないけれど。スフィも我慢してるしね。回るなら、少しは顔、見せておかないと」
 若干、引き攣った笑み。
「一応、私も十二皇家に並ぶお貴族様の端くれだし? ……ちょっと、ほら、ジャンヌ姉。詰めて詰めて。邪魔よその脂肪」
「その脂肪に喧嘩売ってるんだから世話ない話ですわね」
「落ち込んでいても変わりませんね二人は」
 女子三人で微かに笑い合う中、先頭のヨーリウが門を潜り、ジャンヌらもすぐに抜けて、観衆の大声量に晒された。
「……ふぅ」
 緊張するかとも思ったが、案外と、平常心。
 初めてではない事も理由の一つだろうが、都民らの顔が明るいのもある。
 以前のウネリカ開放時と状況は似ているものの、漂う空気は違っていた。
 、と言う事実は、彼ら彼女らに与える安堵感もやはり異なるのだ。
 そんな、自分の名を呼ぶ声に、ジャンヌも控え目な手振りと、
――ちゃんと笑ってるか微妙だけれど。
 自覚する程度には、ぎこちない笑みで応える。
 とはいえ、それを危惧する様な状況でもないのは、反応を見ていれば嫌と言う程伝わってきた。
「……ま、手酷い被害なのは違いないけど、勝つには勝ってるしね」
「そだね……」
 視線を泳がせながら、ミランヌの言葉に頷いておく。
 列は、大通りを進み、街を円状に回る。
 前回とは違い、端から端までをある程度練り歩く形なのは、他でもないヴァロワ皇の意向もあるだろう。
「……」
 顔と名前が一致する人。しない人。
 見た覚えのある人。ない人。
 こちらへ大仰に手を振り、声を張り上げる人も居れば、身を乗り出そうとして憲兵隊に止められる人も居る。
 また、ジャンヌ以外を呼ぶ声も当然、多い。
 隣のミランヌはそれも笑顔で受けているが、クタルナは相変わらず以上に無表情で前のみを見ている。
 更に言えば、後方からはここよりも熱量の高さが音として聞こえてきていた。
――にぎやかしも、あれはあれで人気あるからなぁ。
 思う。
 それ以外の事にも思いを馳せている間に、列は王城への道に入り掛かる。
「ダルク殿」
 ヨーリウに促され、下車。
 既に、続く道の前にはそこへ向かう為の馬車が並んでいた。
 が並んでいるのを確認し、苦笑いが浮かぶ。
 ここより先は、十二皇家当主以外はお断りの地である。
 つまり、
「クタルナさん。また後で」
 大名行列もここまでであった。
「正式に認められた訳ね。これ」
「……ま、この場で宣言されるとは思わないけれど」
「けれど?」
「ん。……あー、いや、何でもない。とりあえず行こうか」
 足早になっているのを自覚しつつ、次の予定の為と言い訳して乗り込む。


「はぁ、っ」
 ジャンヌは全速力で街を駆けていた。
 目的地は一つで、その為に王城からの坂を馬車が下り終わった瞬間、転げ落ちる様にして勢い良く飛び出している程。
 未だ興奮と喧噪止まぬ中を、一人走る。
 時折声を掛けられるが、次の一息には置き去りであり、言葉の意味すら聞き取れない。
「はっ、ぁっ」
 もう、彼の事は伝わっている筈である。
 本来ならば直接こちらから言うべき所だったが、状況はそれを良しとはしなかった故だ。
 ヴァロワ皇との謁見は、実の所、そう大した話題も無く、時間も掛かってはいない。
 であっても、今のジャンヌにとっては何日過ぎたか分からない程の経過を感じる。
「……っ」
 ランス邸へ駆け込んだ先、戸口に一人、ぽつんと立っている人物を見付け、ジャンヌは、息を詰めた。
 が、それも数分。
 再び歩みを進めて、縮まった距離と、息を整えたのを見てか、言葉が紡がれる。

 名を呼ばれ、意を決して、彼女の名を呼び返した。
「ルカヨ……さん」
 自分でも分かる位の、消え入りそうな声。
 目の前に立つ女性、ルカヨは、何も言わず、こちらを見詰めるのみ。
 表情に変化はなく、責める雰囲気も一切ないのに、ただただ自責の念だけが強くなってくる。
「え……と、その……私……わた、し…………」
 言葉と思考が一致しないままに喋り出したが、それで何かが変わった訳もない。
 定まらない視線を他へ向けても、周囲は二人以外に誰も居らず、益々、萎縮。
 いや、気配はある。
 家の中だろうとは思うが、ジャンヌの位置からは見え辛い所かも知れない。
「あの……」
 頭を振ってから言葉を紡ごうとして再度失敗し、今まで以上に、一つ。
 深く深く、息を吐いた。
「ごめんなさい」
 下げた頭。
 稚拙とも思える言葉が出る。
「……。ジャンヌは、何か悪い事をしてしまったの?」
 永遠に近い一瞬の後、そんな指摘を受け、勢い良く顔を上げた先、ルカヨと視線が初めて合った。
 
 、しかし、隠し切れていない、何とも言えない表情。
「っ、ぁ……っ」
 出たのは、声にならない声。
「ごめんなさいっ」
 二度目の謝罪。
 それでも零してしまえば、後は言葉が続いていく。
「わた、私っ。アランさんはっ、私の為に、し……命を落としてっ、しまって……私の、所為でっ。私が悪いんですっ。私がっ! ……だからっ」
 だが、支離滅裂な、説明にも弁明にもなっていない台詞。
「謝っても、謝りきれない位、だからっ」
「ジャンヌ」
 不意に、抱き寄せられた。
「良いのよ。貴女は悪くないわ。ジャンヌ」
 遙かに小さいルカヨが、精一杯の背伸びで、頭を撫でてくる。
「ごめんなさい。私は別に、貴女を責める気はないのよ? ……だって、そうでしょう? 他にも多くの人が亡くなってるんだもの。責める訳にはいかないわ」
 それに、
「もしね。あの子だけが亡くなったのなら……うん。それだったら、少しは怒ったかも知れない。……でも、違う。違うでしょう? ジャンヌ」
 顔を背けようとしたこちらの頬に、両手が添えられた。
「あの子は、アランは出来る事をやったのよ。ジャンヌ。貴女もそう……だから、貴女は悪い事なんてしてないわ。もしそんな事を言う人が居たら、私が許さないもの」
 ジャンヌは、固定された視界の中で、目を見開く。
「ぁ……」
 ついて出た言葉と共に、彼女の瞳から、大粒の涙が溢れ、止まらない。
 彼女の頬を伝い、流れて行く。
 それを見て、自然と、ジャンヌも熱いものが頬を伝った。
「だから。だからね。ジャンヌ」
 一息。

 止まらない涙をそのままに、ルカヨは、くしゃくしゃになった笑顔を作った。
「本当にありがとう。……あの子と一緒に居てくれて。あの子を思って泣いてくれて……。ふっ、ふふっ。幸せ者ね……アランは、この国で一番の幸せ者だわ……っ」
「ぅぁ、わたし……ルカヨさんっ。……わたしっ」
 どちらからともなく、強く抱き締め合う。
 ジャンヌは、ただ、泣く事しか出来なかった。
「えぇ……えぇ。おかえりなさい。ジャンヌ。よく無事に……帰って来てくれたわね」
 やがて、二人の慟哭が、暗くなり始めた空を駆けていく。
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