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32節.一矢
しおりを挟むシールズの矢はロッザの右上腕部を掠めた。流れた血が地面に落ちるより速く、瞬く間に傷は再生する。
「バケモン…があ…!」
ならず者が不意を狙うも、ロッザに浅知恵の同時攻撃は通用しない。
二刀を操り、暴風のように敵を蹴散らす。その最中のシールズの攻撃も払い、集中は極限状態に達していた。
気づけばシールズ以外のならず者は全て地に伏していた。
剣先を前方のシールズに向け、眼前で揺らす。
「ウォンドオに与し、骨董品の為に俺らを殺す……」
鋭くも静謐な表情を崩さないロッザ。唾を飲むことも憚られる沈黙の中で、木枯らしが耳をついた。
シールズはゆっくりと番えた矢を見つめ、両手に力を入れる。
「お前は……お前とタンクスだけは、俺がこうする人間だと分かってくれるな?」
許しを乞うているのではない。ただ、僅かな隙間から、彼の“弱さ”が漏れ出ていると言えた。
「……ああ。誰にでも隠し事の1つや2つ、あるよな……けども……間諜は、ちっとばかし人が悪いんじゃあねえのか? シールズ」
固唾を呑んで見守る団員達。
片方の死以外に、場を収める方法は無い。それを全員が理解していた。
シールズは戦争孤児だった。
幼少からを戦場で過ごし、矢の雨を潜り抜け、命からがら日々を生きていた。
最低限の残飯や野草を食し、食い繋いだ。しかし子供だからといって助けや恵みをもらうことは無く、少しの言動が死に繋がる中で、逃げる術だけが身についていった。
いずれはこの小回りも効かなくなるだろう。そう悟ったシールズは戦場で楽しく酒を浴びる男達に目をつけた。酩酊にも種類がある。気の良さそうな時に、質問に迫ったことがある。彼らは“傭兵”だと言っていた。
自分の身は自分で守り、生計を立てる。まさに理想的な生き方だった。実際、傭兵達は日々を後腐れなく生きているような清々しささえ纏っていた。
シールズは自らの体を見た。戦場に自ら飛び込み生きて帰るには、剣や槍を覚える必要がある。
しかしそんな近接武器を使って生き残るなど、到底出来そうにも無かった。
そこで、シールズは弓に焦点を当てた。弓ならば遠間から敵を殺すことが出来る。生き延びるだけでも大金星だが、戦果を上げれば報酬が上乗せされることもあるという。
“明日の命を買う”傭兵にとって、それ以上のものが手に入るのだ。明後日や“未来”の生活が。
戦場に落ちていた弓を拾い、矢を集めた。敗残兵に殺されてしまいそうで肝を冷やした。
魔物の居ない、そして比較的、熊や猪の出現も少ないと噂の山で練習した。
そこで、考えが浅はかであることに気づいた。弦を引くこと自体が難しいのだ。観察し、扱いやすそうなものを選んだつもりだったが、それでも固く重かった。狙いを定めるなど二の次だった。
野兎や鹿に何度逃げられたか分からない。何度もやっているうちに、弓を横に置いた。諦めたのではない。その状態で矢を番え、両足の底で持ち手を押さえて両手で弦を引く。滑稽な格好だったが、これでシールズは初めて獲物を仕留めた。弓がシールズの得物となった瞬間だった。
それからは体づくりに励んだ。日々をしのぐのに精一杯の人間にとって、体を鍛えるなど出来る筈も無い。それでも、微々たる前進をやめなかった。
やがて月日は流れ、腕は確かなものとなっていった。
そこである話を聞いた。なんでも、今居る地ベントメイルにて新しい騎士団が発足したらしい。王都直属の近衛兵団のようなものでもあると。戦果は上々。まだ団員を入れることもあり得ると言っていた。
シールズはその給与に惹かれた。その場凌ぎの傭兵よりも、確実だ。夢は要らない。保証が欲しかった。
弓の腕だけで交渉をし、戦場を渡り歩いてきた。試す価値はある。
行動は迅速に行われた。するとすぐに代表のものに会うことが出来た。
2人の男は、一目で実力者だと分かった。腕を見る目も確かだろう。見たところ若かった。しかし死線を抜けた数は自分と同じくらいと予想した。
ここで騎士団の概要を知った。貴族や生まれの良い人間で構成されているのだと。王都直属という時点で察せれたことだが、実力を交渉に持ち出した。
「身元を把握するのは俺達だけでいい」
長髪の副団長はそう言った。すんなりといったことに一番驚いたのはシールズ自身だった。
己の過去についても詳しく話した。聞かれるがままに。それでなお、この対応だった。
貴族という人間の懐の深さも、存外期待出来るのかもしれない。
いつしか古株と呼ばれる頃には、その居心地に何の違和感も抱かなくなっていた。
「その右目が戦傷であることに変わりはねえ。……懐かしいな、初めて会った時のことを思い出す」
懐古に浸っている場合ではない。
しかし、それはお互いが手向けとして送る最期の時間であることを意味していた。
「……悪いな。俺はこういう生き方しか知らないんだ」
「弁解はいい。違えちまった以上、やることは1つ」
「……」
シールズの矢先と、ロッザの剣先が張り付いた空気に更なる緊迫を上乗せさせる。
乾いた殺意が弥漫し、情を塗りつぶしていく。
その時は一瞬にして訪れた。
弦音が劈く刹那、双剣の騎士が間合いを瞬時に詰める。
正面からなら狙いを読むことなど造作も無い。反応だって容易い。片方の剣を逆さに持ち、前方の縦向きに配置する。体は半身にすることで被弾のリスクを最低限にする。
そこにロッザの反射神経が加われば、剣を代償に矢を免れることに成功する。
「……っっ!」
右手に握った剣を両手で握り直し、シールズの肩口から胴を切り裂く。対角に置かれた弓は防御の役目を果たさず、ロッザの膂力に抗うことは出来なかった。
「…………ぐふっ。力、及ばず……か」
両膝が地面に勢いよく触れる。
騎士は友を切り捨てた。それは、戦いの終わりを告げた。
「う、うわあああああああああ!!」
唯一の“勝機”を失ったならず者達は、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
騎士団や村民達はそれを追いはしなかった。
「終わった…の……?」
ママレードがそう呟くと、ロッザが返答をするように微笑み、周囲に安堵の息が漏れ始めた。
「旦那!」「ロッザ!」
モスケットとリシアはすぐさまロッザに駆け寄った。骨董品のおかげか、当の本人に疲れた様子は見えない。スタミナは無尽蔵らしい。
「……終わった。まずは後始末だ」
仲間だった者のつくる血溜まりに、モスケットは生唾を飲み込んだ。心の中に重い鉛が出来ていた。
ロッザはその血溜まりを見ようとはしなかった。
惨劇が収束を迎えた以上、迅速に情報を持ち帰る必要がある。期せずして、骨董品は手に入った。
しかし、吊り合いはしない数の被害が出てしまった。王都へ帰還し、現状の把握・団員の精神療養などをしなければならない。どれだけの人間は知り得ていたかは分からないが、ウォンドオとの国交は断絶されるだろう。
ロッザはサカトをはじめとする村民達に深く頭を下げた。補償は徹底して行うと約束した。
騎士団は村を後にする。
ママレードの咽び泣く声が背後で谺していた。
帰路の林道を抜けている中、急に立ち止まるロッザ。
「…旦那?」
ロッザは自らのぼろぼろの衣服と双剣を失った鞘を見る。
「……ここの近くにコクーンて町があるって言ってたよな」
「? ええ。栄えてるらしいですけど」
このまま帰るわけにはいかなかった。団員皆が憔悴しきっているとはいえ、いつ敵に襲われるかは分からない。それに、装備を整えるのは基本中の基本だ。
骨董品を体内に宿し、“以前とは変わってしまった”肉体で、以前と同じ装備や戦い方では進歩は見込めないだろう。
「武器を調達する」
ロッザは、不死に生まれ変わってからシールズを切り捨てた以降も消えぬ胸騒ぎが気になっていた。
迫る脅威に備える為、新たな一式を身に付けるのが最優先事項と言えた。
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