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40節.火蓋
しおりを挟む三度、参上したベントメイル。アダムズは傭兵ギルドでの情報収集を試みていた。
ギルド1つとっても母国とは雲泥の差があった。活気に満ち溢れ、見るからに一筋縄ではいかない連中ばかりが視界に入る。いずれも数多の死線をくぐり抜けてきたであろう者達だ。しかし、掲示板に貼られてある依頼書の数は思ったより少ない。魔物退治や困り事が山のように押し寄せるギルドの姿とは思えない。彼らは暇を持て余しているようにさえ見える。
アダムズが興味本位で訊ねると、その背後にはカタストロフ騎士団という名があった。覚えがある。以前目にした猛者2人の居る騎士団だ。“王の剣”などと大仰な呼ばれ方をしていた。国の防衛の要である彼らは国民からの好感度も非常に高く、街の悩みや問題すらも一手に引き受けているらしい。おかげでベントメイル国内に魔物が出現することは殆どなく、あったとしても人里離れた場所に限られると。あれだけの強さを持っている騎士団なら不思議ではない。
だがしかし、その事実を考慮しても“今のアダムズ”にとってはさしたる脅威にはならない。王へ続く道に転がっている小石に過ぎず、弊害になることは断じて無い。王の元へ悠々と闊歩すれば、その首に剣が届く。
そんなアダムズが、現在わざわざ情報収集などとしてここを訪れているのは国の様子を見る目的に他ならない。幸福度調査のようなものだろうか。民の顔を見る。この国がどういう状態で、どんな人が暮らしており、どんな境遇でいるか。イーレモートの政策を、彼の実績の上に成り立つ国の現状を、その目に焼き付けておきたかった。
「なんか、繁盛してなさそうだね。ここの傭兵さん達」
ふいに放たれるバレーの吐露に深い意味はない。
「騎士団とやらがこれ以上ないほどの安全を提供しているみたいだ。強くて親身。“死なずの兵団”なんて呼ばれてるんならそうなんだろう。平和…といって差し支えないかもね」
アダムズは空中に吐き捨てるように答えた。
「うん。……ならさ、なにもする必要はないんじゃない?」
バレーは何気なくそう言った。アダムズに心酔していると言っても過言ではない彼女の不随意、無意識が口を動かした。具体的なイメージは浮かばずとも、これから行うであろう強行手段の先にアダムズの笑顔があるようにはどうしても思えなかった。
「そういうわけにはいかない。大丈夫。こんなでも、食いっぱぐれることがないくらいこの国は福祉が充実してて貧困とは無縁だ。この国の人に手を出したりはしないよ。けど、イーレモートだけは許さない。この力で復讐する。母さんの為に、俺の為に。……それが終わったら、2人でどこか遠くへ行こう」
腰に下げた剣の柄を握るアダムズ。
「そっか…そうだよね。やっと手に入れた力、やっと届く距離、だもんね。……私、ちょっとお腹空いたし食べ物買ってくる」
バレーは足早にギルドを出た。アダムズは引き止めず、再度屋内の隅々を確認することにした。
30分ほどの時が経った。
アダムズはいまだ帰ってこないバレーを待ち、周辺を忙しなく徘徊していた。
(バレー、一体どこに…。道にでも迷ったのか?)
日はまだ高い。いずれ自分の元に戻ってくるという確信もある。運命を共にすると誓いを立てたその日から、バレーとの繋がりを疑った日は無い。アダムズは一刻も早く計画を実行することだけを考えていた。
ギルドから遠ざかりすぎないように、視界に届く範囲で彷徨っていると、建物に近づく男に注意を引かれた。
あの時の、王の護衛の1人、双剣を携え長髪を結った男だった。忘れもしない顔。格好は全く違い、布地の茶色い薄手の服を身に纏っている。鎧のような重装備は無い。背中には鉄板の如き細長い長方形の剣のようなものが平行に2本並んでいた。
反射的にアダムズは声をかけた。
「あ、あのっ!」
首筋に投げかけられた声があった。
ロッザが振り向くと、そこには金髪に碧眼、全身を鎧に包み、赤い外套を背にする青年が居た。
「ん」
青年は一瞬固まったように見えたが、すぐに次の言葉を紡いだ。
「えっと、カタストロフ騎士団の方ですよね。俺この国に来たばっかりで……この国のこと教えていただけませんか」
たしかに見ない顔だった。ロッザは仲の良い街の人間は大抵覚えている。頻繁に郊外にまでも足を向けるロッザが、ボルツァリオンで知らぬ顔に会うのは珍しいことだ。
「お、おう。構わねえが、今の言い方だと、ボルツァリオンに初めてじゃなく、ベントメイルに初めてってことか?」
青年はまたも目を泳がせる素振りをした。ロッザは警戒をしているわけではなかったが、一挙一動の細部に目がいくのは職業病と言えた。
「はい。ちょっと遠出をしてて、色んな国を回ってるんです」
「へえ、旅人か。国を点々とするのは楽しそうだが、魔物が跋扈する危険性を鑑みると、普通の人間ならしない発想だよな。お前1人でしてるってことか」
「いえ、もう1人います」
「そいつは屈強な大男か?」
ロッザは冗談めいた口調で言った。
「女の子です」
「…でも冗談だろ? いや、まあ世界は広いからな……」
脳裏に浮かんだのは短剣使いの美人の知り合いだ。
「大丈夫。こう見えて俺、腕は立つんで」
青年は意気揚々とそう答えた。ロッザから見ても、騎士団のテストに合格しそうなくらいの腕前はあるように見える。
「アダムズです。よろしく」
「カタストロフ騎士団副団長、ロッザだ。かしこまらなくていい、ロッザで」
「分かりました、ロッザさん」
ロッザは返答に口を歪ませながら少し笑った。
話は弾んだ。
それはアダムズにとって不思議な時間だった。王に与する人間はもっと王に近い思想を持ち、過激で、融通の効かないような性格をしていると思っていた。生来の差別的で排他的な考えを隠さないようなものだと。ロッザはどこにでもいる気前の良い兄貴肌だった。それどころか自分に近しいものを感じさえした。
(もし、俺に父親や男兄弟がいたら…こんな感じなのかな…)
ギルドで最低限の聞き込みをした。国や現王イーレモートのことについて、そしてカタストロフ騎士団について。騎士団は貴族や上流階級の人間を中心に作られた組織だといっていた。催す吐き気に抗いながらも、その変わっていないカーストに納得をした。
しかしこのロッザという男からは、何かアダムズが嫌悪する人間とは別のものを感じた。
「なんか、騎士サマってもっとお高くとまっている怖い人を想像してました」
アダムズの評価に思わず吹き出すロッザ。
「オイオイ、実物は威厳もクソも無かったか?」
「あ、いやっそういうことじゃなくて」
「わーってるよ。親しみ深いように言われるのは俺としても嬉しいことだぜ。俺らは民草に寄り添ってこそ。頼られることで力を発揮する」
「かっこいいですね…」
「そんな真っ直ぐに褒められると照れるな」
「いやホントに……」
アダムズは思案の末、歯止めをかけていたものを投げかけた。
「ロッザさんは、今のベントメイルが好きですか?」
「ん? ああ。当たり前だ」
愚問だという表情のロッザに、アダムズは少しだけ怯んだ。
「騎士なら、副団長ほどの地位なら、知ってると思った上で聞きますけど、王の人柄をどう思いで?」
沈黙を生み出すことはわかっていた。それでもアダムズはロッザという男に一筋の光を見出した。共感が欲しかった。共に戦う仲間が欲しかった。王までの最短距離のための伝手が欲しかった。
「人柄ってオイ。はっ、さては革新派か? 反イーレモートは勝手だが、聞く相手を間違えてるぜ」
口にした以上、アダムズに退く気は無かった。
「先代であるオルゼバーンや今のイーレモートは王の器じゃない。暴虐の限りを尽くした前者はもちろん、それを変えて英雄にでもなったつもりの偽善者のイーレモート。彼のせいで非道い目に遭った人間はごまんといます」
王の近衛と知っていて尚ぶつけられる問いに、ロッザは真摯に向き合った。
「俺は…」
途中で言葉は遮られることとなる。
「お、ロッザじゃねえか」
向かいから仲間達がぞろぞろと歩いてくるのが見えた。
「タンクス」
「おう」
タンクスは数名の騎士団員と共に1人の少女を連れていた。大人の女性とは言い難い、若い女だった。
「この娘さんが道に迷ってるみたいだったんでな」
「違いますって」
むっとしながらも、顔を綻ばせるバレー。すっかりタンクス達と仲を深めたようだった。
「アダムズ、あれがカタストロフ騎士団団長のタンクスだ。お前くらい無知だとあいつの名前も知らないんだろ?」
アダムズは目を丸くした。バレーが帰ってきたことや、カタストロフ騎士団の人間と交流していることではない。ロッザがタンクスと呼んだ人物が、あの時のもう一方、自分を取り押さえた男その人だったからだ。一抹の不安を抱えながらもアダムズは第一印象の感触を良くすることに努めた。顔を隠せば余計に怪しまれる可能性がある。
「アダムズっ」
バレーは快活に彼の名を呼び、駆け寄った。
「バレー。心配したよ」
「その子がお仲間か」
ロッザはにこやかに訊ねた。武装をしたアダムズとは違い、少女は手ぶらだった。共に旅をしているなど嘘のように見える。
「ええ」
和気藹々としていた。誰もこの2人の若者がこの国の王を殺しにやって来たとは夢にも思わないだろう。事実、アダムズとバレーは少しばかり気が緩んでいた。バレーに至っては当初の目的など忘れ、他国で人の優しさに触れている時間に身を浸らせている。
「ん? お前、どこかで……」
突然、気温が下がったかのような錯覚を覚えた。空気がひりついた。時が止まったように思考が混濁するのを感じるアダムズ。
騎士団の長は、6年前に会ったその青年のことを覚えていた。やがてタンクスの脳裏は記憶の輪郭を鮮明に映し出した。
「ベリーマルクゥの……!」
タンクスが大きく目を見開くと同時に、アダムズの口から溢れたものがあった。
「……残念だ」
「アダムズ?」
「ロッザさん、タンクスさん。俺の言うことを聞いてくれますね?」
少しでも心を開きかけた人物に骨董品の力を使うのは気が引けた。これからそれ以上のことをしでかそうというのに。
「……頼み事か?」
ロッザが問いかけた。アダムズはいち早く城を目指すことにした。
「ボルツァリオン王城へ案内してくれ」
「もちろんだ」
タンクスがはきはきと答えた後、ロッザもそれに続いた。
「城に何の用だ?」
「……?」
あまりにも自然なロッザの物言いに、アダムズは一瞬の間気がつかなかった。この男は今自分に“質問をした”。今まで“勇者の瞳”の力を用いて服従させてきた人間は皆、二つ返事で行動を始めた。それに反する例などない。
「ロッザ、アダムズさんに無粋な真似はよせ」
タンクスの右手がロッザの肩に触れる。
「あ? 何言ってんだ。俺ら近衛が内容を聞かないでどうする。民間人で城に用があるんだぞ」
ロッザはその懐疑的な視線を崩さなかった。タンクスの敬語は礼儀的な意味合いではなく、目上の人間に対して使うような言い方で、何よりアダムズの突然の命令口調に違和感を覚えた。
「ち、ちょっと」
バレーは空気の澱みを察し、宥めるように言った。
その時、ロッザの喉元へ1本の刃が襲い掛かる。
「なっ」
上体を仰け反らせ、眼前を通過させることで攻撃を躱す。風圧と共に風を切る音が耳に触れる。
「おい!?」
ロッザは思わず叫んだ。剣を振るったのは他でもない盾の勇士だった。
「モスケット…!?」
「旦那、今日の俺は盾を持ってねえ。だから彼を守る為に腰の剣を振るうことを許して下さい」
モスケットは銀色に煌めく鋒を上司へと躊躇なく向け言い放った。
困惑の表情を浮かべているのはロッザとバレーただ2人だけであった。
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