際限なき裁きの爪

チビ大熊猫

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第2章.飛翔

23.早めの小春日和

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 新年を迎え、数日が経った。

 池袋の街を歩く。
 日本の首都、東京。土地に反して人口の過密さ。
 いつだって賑やかな場所が多い。

 彈は、少し外れた人の少ないところに行く。
 池袋にしては閑静かんせいな街並みの通りだ。
 老若男女、皆楽しそうに暮らしている。こうやって顔を上げてみれば平和が広がっている。
 当たり前だ。自分は深く、見えないところの“黒ずみ”をとるために闘っているのだから。
 聡と話して以来、また視野が狭く、肩に力が入り過ぎていたかもしれない。

 ふと、目の前によそおいの新しい店が飛び込んでくる。
 店員だろうか、チラシを配っているようだった。
 歩みを進め、店を横切る。
 すると小走りで、少し遠めの彈に声がかかる。
「あのっ…! 新しくオープンしましたっ。スイーツお1つ、いかがですか?」
 随分小柄なその女性はか細い声でチラシを差し出す。
「は、ハーブ…?」
「havre《アーヴル》 de《ドゥ》 paix《ペ》です。フランス語で平和な避難所、…私たちは”安らぎの場”としてここを提供したくて」
「”安らぎの場”…」
 不思議な感じがした。
「…少しだけなら…」
「ありがとうございますっ!」
 自然と、彈の足は店先へと向かっていた。



 暗い部屋でプロジェクターにパソコンの画面を映しながら胎田が話す。
「とどの詰まり、あのスーツを着れば、個人差・使い方や頻度にもよるが、最大で寿命は残り10年くらいまでには縮まるだろう」
 信じたくはない内容に絶句する時任。
「それだけの負担が…」
 胎田は淡々と続ける。
「誰が作ったのかは知らないが、元々はペスティサイドが使っていた物だ。つまり、“死を前提としている人間が使う代物しろもの”。副作用や肉体に及ぼす“多少の”影響は度外視どがいししていたんだろう」
 自らの部下の命を削る。そんなものを使い続けさせていいものか。
「ただの人間には過ぎた力だってことさ。まあ、僕が改良したおかげで随分と使いやすくはなっているけどね」
 事実、胎田が手を加えたことにより、スーツの補修ほしゅうはもちろん、万人がそのまま使えるオートフィット機能や、通信機能、その他機能を充実させている。
 表情を曇らせたままの時任に胎田が問いかける。
「大変だとは思うけど、仕方ないよ」
「……現時点でこれだけの影響が分かっているんだろう?…なら、今後もっと激しい仕事が増えていけばそれだけ負担も大きくなるのではないか?」
「…んー。寿命どうこうがそこまで大きく変動することはあまり考えられないけど、痛みや疲労として体が信号を出すことはあるだろうね」
「その際のショック死や、過労死の可能性は?」
「もちろん考えられるだろう。」
 時任はじっと資料を見つめる。
「どうしたのさ?」
「警察になった以上…、いや、ジンゴメンに配属した以上は死の危険は付き物だ。それはわかってる。だが、俺はあいつらを死なせる為に向かわせているつもりは無い。
犯罪者を捕まえるのが目的だ。無理にスーツを使う必要があるのか…」

 意外だった。
 胎田は自分の思い描いていた時任とは違い過ぎる意見を述べる本人に驚き、を隠せない。
「国の為に働いているのが国家公務員だろ? ましてや警察、その精鋭なんだ、国の為に死ぬのは本望ほんもうだろう?」
 時任は自らの手のひらを見る。
「果たして全員にそれだけの覚悟が…いや、それを“覚悟”と言えるのか…」



 綺麗な内装ないそうに美しく並べられたスイーツの数々。
 小ぢんまりとした中に4つのテーブルもあり、テイクアウトだけでなく店内でも食せるようになっている。
 ケーキやタルト、パンケーキなどが色とりどりに飾られている中、店長らしき高齢の女性が口を開く。
「あら、いらっしゃいませ」
 店内には2人だけのようだった。
「お2人でやられてるんですか?」
 店員の女性が横から答える。
「はい。私と祖母の2人でやらせてもらってます」
「先週オープンしたばっかりだってのに、もう客足が遠のいてしまってねえ」
 2人そろって穏やかな口調をしていた。
 是非、と商品と勧められ彈はショーケースを眺める。
 ケーキをあまり食べない彈は選択に迷っていた。
「どれも、腕によりをかけて作っているので味は保証しますよ」
 悩んでいると、一際目を惹かれるものがあった。
「…じゃあ、これを1つ」
 彈はレアチーズケーキを1つ頼んだ。
「あ! それ、数少ない私が作ったメニューなんですよ!」
 小柄な店員が嬉しそうに声を上げる。

 テイクアウトもなんだから、と彈は店内のテーブルで食べることにした。
 ケーキが運ばれてくる。商品を差し出すとともに女性が自己紹介をしてきた。
「私、小春っていいます。よかったら…味の感想頂けますか?」
 悪気は無いんだろうが断りにくいお願いだな、と微笑みながら承諾する。
 チーズケーキの先をフォークで切り分け口に運ぶ。

 チーズのまろやかさが口いっぱいに広がり、レモンだろうか、さわやかな風味が鼻から抜けていくようだった。
 口の端にはほのかな酸味、なめらかな舌触りは甘さを存分に伝えた。
 美味しかった。とても。なんてことはないただのケーキ。そう形容するには、あまりにも彈の心情は動かされていた。
 意図せず瞳から溢れるものがあった。
「!? 大丈夫ですか!? あ、えぇと…。」
 しどろもどろする店員を彈が制する。
「すみません、平気です。…どうしちまったんだろ…」
 ポケットからハンカチを取り出し無言で彈に差し出す。
「あ、ありがとうございます…」
 不安そうな目でこちらを見ている。余計な心配をかけてしまった。


 彈は食事を終え、店を出た。
 見送りに店員が声をかける。
「あの、大丈夫ですか? …色々あると思いますけど、ご無理なさらずご自愛くださいね」
「ありがとうございます。…チーズケーキ、とっても美味しかったです」
 店員の嬉しそうな顔を見て、店を後にした。



 カイアスは、由眼家吉質の元へ行き、無人となったインプレグナブル・ゴッズ日本支部の中の一室にいた。
「おい! いつまで遊んでんだ! いくら仕事が少ないからってやることやった後の面倒は見ねえぞ!」
 カイアスが連れ出した囚人、下々森北斗はルービックキューブをバラバラにして辺りを散らかしていた。
 返事はせずに、むすっと不貞腐ふてくされたような顔でルービックキューブをいじり続ける。
 下々森を解放したあの日も寄り道ばかりしてろくに言うことも聞かなかった。

 年齢は18、少年死刑囚として現時点で死刑判決が確定している人間。
 過去に2回に渡り、バラバラ殺人事件を起こしている。
 出自、家庭環境等に問題はなく、ごく普通の一般家庭で愛されて育った。
 その異常性は生まれつきのものだった。
 元々癇癪かんしゃくを起こしやすい性格であり、喧嘩が絶えなかった。趣味はおもちゃをいじることや手遊び。北斗の周りにはいつもバラバラになったおもちゃが散乱していた。

 はじめは小学4年生の頃。放課後、小金持ちのクラスメイトに親の悪口を言われた、そのことが原因で喧嘩に発展した。
 相手は3人だった。もちろん子供同士の喧嘩。それに体格もさほど変わらない。数の有利が働くのは当たり前だった。
 教室には他に誰も居なかった。
 どうすれば勝てるか? それは、道具を使うことだ。相手を確実に戦闘不能にし、1人ずつ“片付ける”。
 幸い場所は小学校。文房具、机や椅子、子供の力でも充分凶器になりえるものはたくさんあった。
 北斗の常々の興味、ものを分解すること。
 それによって仕組みがわかるという知識の獲得・快感の依存、そしてバラバラに細分化したという達成感。
 北斗は殺した3人を見つめ、人で実践出来るのでは? と考えた。
 鉛筆やはさみ、コンパスや定規など、細かい作業に持ってこいの使いやすさに、北斗は次々とクラスメイトの体を剥ぎ、切り分け、バラしていった。
 大人が駆けつけた頃には教室は赤く染まり、血の海の中で4人が発見された。
 うち1人は息があり、笑っていた。

 2度目。
 少年刑務所に入って5年が過ぎ、15の時。
 仮釈放が許され、外に出た。
 それまでの期間をずっと真面目に過ごし、態度の面でも信頼を得てきた。事実、下々森北斗に素行不良のようなものはなく、性格に難はなかった。
 子供の衝動的な殺人。そう甘い認識の大人が大半であった。
 ——故に、繰り返す。
 事件の凄惨さから、入所以降一度も面会に訪れなかった両親。
 久々の再会を喜んでくれるとばかり思っていた。
 当然、想定していた反応ではなかった。
 北斗は悲しい、という感情は特には湧かなかった。が、“つまらない”、そう感じる。
 その瞬間、北斗の中での両親が、”血のつながりのある家族”という認識から”その他大勢”という認識に変化を遂げた。
 誰に習いもせず天性のものなのか、両親を目にも止まらぬ速さで殺した。
 包丁を使えば難しいことではなかったのだ。
 通報される心配もなく、2人を翌日に渡るまでゆっくりと時間をかけて細かくしていった。
 見た目を気にせず、自分のことにも気をかけていなかった北斗は、その格好のまま家を出た。

 ほどなくして下々森北斗は再び捕まった。



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