際限なき裁きの爪

チビ大熊猫

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新編 第4章.再起

82.恐言の歩み

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 恐言きょうごん

 発する声は低く、空気を震わし、背筋せすじを凍らせる。
 まさに“恐怖”という概念がいねんそのものの坩堝るつぼと化していた。
 構成員達70余名よめい固唾かたずんでいる。
 中央には、ひざまずこうべを垂れた彈と、それを見下ろすアイギャレット。
 対峙たいじするヒーローとヴィラン。
「……勝敗は歴然れきぜん、だな。

君には悪人への復讐心がある。その憎悪ぞうおのみが行動理念だろう?
何かの仕返しやさ晴らしがきっかけに過ぎない。自警団なんてそんなものだ。
……少し良くない言い方になっているが、これでも私は一目置いているんだよ?

“1つの感情が、凡人ぼんじんをヒーローに昇華しょうかさせた”。非常に面白い一例だ」
 彈の周りを円を描くように練り歩くアイギャレット。
 床に着いた両膝が痛む。
 彈は黙って聞くしかなかった。





 懐かしい。
 遠い日の記憶。
 彼が8つの頃には、既に力をコントロールし、周囲の人間をおびやかしていた。
 生まれながらにこの能力ちから自体はそなわっていたんだろう。
 子供というのは傍若無人ぼうじゃくぶじん奔放ほんぽうなもの。
 自らの要望を遺憾いかんなく口にする。
 “声”を能力の条件とする彼にとって、それは常に武器や凶器を振り回しているのと同じだった。
 周りの子供達は同調どうちょうし、大人達は逆らえずに従った。
 毎日、まるで王にでもなったかのようなえつひたった。
 だが、やがて気がつく。
 “彼らの視線に”。
 自ら進んで付き従って、言う事を聞いてくれているわけではない。
 いやいや逆らえずにいるのだ。
 絵本の中の王様の従者じゅうしゃのようにしたってはいない。
 瞳に宿るのは畏怖いふの感情。
 その時初めて、自分の言葉の力は、“人を操るものではない”と理解した。
 根本が違う。
 催眠さいみんのようなたぐいではない。もっと本能的で、生物としての危機感に訴えるもの。
 幼いながらに“人に恐れられる”というのは、子供には中々に“こたえた”。
 それからは、社会への順応じゅんのうの仕方など、普通に生きられる方法を必死で勉強した。
 何年か経ち、万策ばんさくが尽きた頃、初めて、自分からこの力を”有意義ゆういぎに使おう”、そう考えた。
 一度高くきずいてしまった恐怖もの払拭ふっしょく出来ない。
 社会に溶け込めないのなら、人という種として“上”であることを自覚し、諦めなければならない。
 皮肉ひにくにも、勉強をしている過程で、自分がいかに希少きしょうで優れているかを思い知った。
 のちに超人と呼ばれる稀有けうな存在は、身の回りには1人も居なかった。
 16で“裏の世界”に足を踏み入れることになる。
 組織を立ち上げた。
 映画のギャングに多少の憧れや共感があったからかもしれない。
 彼が能力を用いて界隈かいわい牛耳ぎゅうじるのに、そう時間はかからなかった。
 大陸を手にした組織は、海の向こうまで手を伸ばし、世界を手中しゅちゅうに収めんとふくれ上がった。





 脳裏のうりに浮かんだ、圧制あっせいの歴史に思いをせる。
「日本人である君が! …私の関心を引いたということは、誇っていい」
 実に慢心まんしんと言える物言ものいいだった。
 事実、その場の誰一人として否定の言葉を投げかけたりはしない。いや、出来ないと言う方が正しいか。
「……国民性という言葉はあれど、国籍性・人種性なんて言葉は使わない。つまり、その人間の“集団”を判断するのに、1番影響を与えるのは“環境”だ。
アメリカに住んだ日本人は社交的になるし、日本に住んだアメリカ人は内向ないこう的・陰気いんきになるだろう。
そういったケースは少なくない」
 要領ようりょうを得ない彈。
 一方のアイギャレットは、調子付いている様子だ。饒舌じょうぜつさにも拍車はくしゃがかかるというもの。
「君は、日本人で! ただの人間で! それも元々はやみと関わりの無い一般人で! …これほどまでの存在に成長した。

“だがそれは褒められたことなのか”?
…君の能力は認めている。しかしやっていることは身のたけにあっているのかい? 身の程をわきまえている?
そういう話をしているんだ」
「……」
 馬の耳に念仏ねんぶつ
 アイギャレット自身それは分かっていながらも、言葉を止めはしない。
「…君の、他とは一線をかくす固有能力は、その“バネ”だな。
空間を立体的かつ縦横無尽じゅうおうむじんに跳び回る。
体操のオリンピック選手にでもなったらどうだ? パルクールでもスタントでもなんでも、君の能力を活かせるものはいくらでもあるぞ?
それで生計せいけいを立てるべきだ」
 賛美さんびの言葉。
 字面じずらで見れば優しい助言じょげんにも聞こえる。
「例えば、いじめが悪い事だと認識している人間がいる。だが実際にその現場を目撃すれば注意は出来ない。
他にも、窃盗せっとうは批判するが、インターネットに溢れかえる違法視聴や違法ダウンロードに罪悪感を覚える人間は少ない。いや、気づきもしないのか。
…交通ルールやマナーの違反だってそうだ。自分の尺度しゃくどで程度の違いを決め、自らをゆるしてしまう。

内向的な日本人に関わらず、誰にでもある矛盾むじゅんだ。
だが、これは決して悪いことでは無い。
“事実として大まかな善悪が分かっていれば、結局はそれでいいのだ”」

 正義について。
 それをかれているような気がした。
 善悪のように対義たいぎできるものがあるわけではない。
 不義ふぎは定義上の対義の1つ。
 それは何故なぜか。
 万人ばんにんで正義の解釈かいしゃくが異なるからだ。
 各々おのおのの価値観によって、各々の倫理りんり観によって、各々の人生観によって、各々の宗教観によって。
 各々の基準が違えば、その数だけの正義が存在する。
 更には、個人という単位にしてさえ、その中での正義は細分化さいぶんかされる。
 この世界では、平均化したものを便宜べんぎ上、正義と呼称こしょうしているに過ぎない。

 アイギャレットにとって、おのが正義を貫く為だけに躍起やっきになり、命を投げ捨てるような行為は、到底とうてい理解の出来ないことだった。
「君が振りかざした独善どくぜん的な正義は、多少は社会に貢献こうけんしたのかもしれない。
———だが、所詮しょせんは“こうなる”。

もちろん私とて、核爆弾を撃ち込まれればひとたまりもない。組織ごとお陀仏だぶつだ。
まあ、日本に対してその心配は不用だが。ふっ」
 本心ほんしんと、誇張こちょうした挑発ちょうはつが入り乱れる。
 彈にとって、それは言葉の持つ意味よりも、深く突き刺さった。
“状況”が、そうさせた。
「…どいつもこいつも…難しい言葉並べて気持ちよくなりやがって…」
「何?」
 しかし、彈の瞳から、“闘志とうし”は何一つ消えていなかった。
 身動きを封じた。アイギャレット・シェルシャルルの力を受けている以上、恐怖は全身をむしばみ、正常な思考を許可しない。
 なのに、震条彈という男は通常通りの眼差まなざしを向けている。
 むしろ、いつもより鋭い眼光がんこうと言えた。
「“正義”じゃない! “自分勝手”だっ!!

最初はなから、誰かに認められたり許されたりしようとしてやっちゃいないんだよ!!!」
「!」
 ヒーロー、ラプトルの矜持きょうじは、その場の人間を圧倒あっとうした。
 彈が幾度いくどとなく言われ続けた、いられ続けた。拳を振るう理由。
 法治ほうち国家において、暴力をしゅとする以上、避けては通れないこと。
 だが、一貫して同じ主張・考えを曲げない彈にとって、耳に胼胝たこが出来る思いだった。
 人生を一変させた、“あの日の衝撃”。
 それだけが彈が動く動機であり原動力げんどうりょくとなり得た。
「“こう思うからこうする”、じゃない。…“こうしたいからこうする”…!
…それが俺の行動理念ってやつだ」
「!」
 力は示した。それでも反抗はんこうめない。
 アイギャレット初めての経験だった。
 ゆえに、———“おそれた”。
「……『恐れろ』
『恐れろっ』『恐れろっ』『恐れろっ』『恐れろっ』『恐れろっ!』『恐れろっ!!』」
「ぐっ…!!」
 物理的に何かが起こるわけではない。
 それでも“恐怖”は、触覚しょっかく誤認ごにんするほどに強く、全身の骨をきしませ、心をあっした。
 体を起こすだけの筋力すら入らなくなり、地べたに顔を伏せる。
 床への口づけを余儀よぎなくされた彈は、同時に、自らの精神の折れる音を耳にした。
「……ふふっ。ふはははははははははは!!!」
 勝ちを確信したアイギャレットが高笑いにふける。
 彈の視界を黒が埋めていく。
 両目を閉じ、言葉すら発しなくなった彈を見て、アイギャレットは憐憫れんびんの瞳を向ける。
「打つ手なし……か」
 明暗めいあんは分かれた。

 美波野誠、常良燦護、鑑灰寝、パラサイトキラー、崩壊兄弟。
 走馬灯そうまとうのように駆け巡る姿。
 ヒーローの敗北が意味するのは、その者らの死。
 この船内だけで終わる筈もなく、その魔の手は震条彈という人間の周囲しゅうい全てに及ぶだろう。
 さらに大きく言えば、日本という国自体が、アイギャレット・シェルシャルルこの男1人に呑み込まれる。そう表現して差し支えない。
 彈は後悔や絶望と共に、1つの溜め息を吐く。

 そして、後は運次第、“賭けが上手くいくか、祈った”。

 アイギャレットは彈の耳元でささやく。
「…ラプトル。

君がどんなに優れた技能ぎのうを持っていようが、どんなに強い信念を持っていようが、つまるところはただの人間。
私にとっては十把一絡じっぱひとからげの有象無象うぞうむぞうに過ぎないのだよ」



 その時。

 ———彈の瞳が紫色しいろの輝きを見せた。



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