罪状は【零】

毒の徒華

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第1章 人間と魔女と魔族

第3話 果実と石の重み

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 また僕は眠れない夜を過ごしていた。
 僕は目をあけたまま天井を見ていた。作りの荒い家の壁や天井、ご主人様のベッドの横から見上げる天井はもう見慣れたものだ。
 その石の細かいヒビなどを目で追いかける。

「ゴホッ……ゴホッ……」

 咳き込むご主人様に不安を覚え、僕は上半身を起こして彼の背を見つめた。僕に背を向けて眠っている彼の背中を見ると、生々しい傷跡が目につく。
 鞭で打たれたかのような傷痕。
 僕はいつも、それを見るとなんとしてでも守ってあげなければという気持ちになる。
 この世の何もかもから。
 この世のご主人様を蝕む全てから。
 咳が収まると苦しそうに寝返りを打つ。少し呼吸が早い。
 その様子を僕はどうすることもできすに見つめていた。彼がいなくなってしまったら、僕はどうしたらいいんだろう。

 もう、この世のここ以外のどこにも僕の居場所なんてないのだから……――



 ◆◆◆



 薬学の勉強を始めたのは、身体の弱いご主人様の為だった。
 昔、少しだけ教えてもらったが簡単な薬草の見分け方と使い方くらいしか僕は知らなかった。今では薬の調合もできるようになった。
 僕の身体は弱くない。
 そもそも僕の中で僕を蝕むものなんて生息できない。
 高位の魔女になるほどその傾向が強く、歳をとるのを抑えることすらできる。
 僕は治癒魔法の魔力系統が違いすぎて使えない。そうでなければ、本来なら僕に薬学なんて必要なかった。
 しかし治癒魔法を使えない僕は薬学に頼る他、ご主人様の容体を維持できる術がなかった。
 町の先生のところで薬草の勉強をして、同時に働いた分の報酬ももらっていた。

 ご主人様はこの町がまだ魔女に支配されていたほんの数年前、革命戦争に出ていた戦士だったと聞いた。
 それはとても優秀な戦士で、一番多くの魔女を殺したと言われている。
 そのときに讃えられたご主人様は魔女が使用している通貨の金貨や銀貨、銅貨などを沢山贈られたらしい。この町で一番のお金持ちと言っても過言ではない。
 しかし、もうこの町の魔女もその革命戦争でいなくなった。
 僕を除いては。
 僕も魔女だとは知られていない。だから闘う必要はなくなった。

 そのときの話を聞くと今でも気が気ではない。
 いくら下位の魔女で支配されていた町とはいえ人間が逆らおうとするとなれば相当の犠牲者を覚悟しなければならない。
 ご主人様がそのときに死んでいたかもしれないと考える度に、生きていてくれてよかったと何度も何度も確かめる。

 ご主人様は働かなくても生活ができるくらいの財産があるが、僕はそれに頼りたくないから働いている。
 まるでご主人様のお金目当てで奴隷をしているように見られるのは嫌だった。僕はそんなに卑しい女じゃない。

 しかし僕がいくら働いていようと、町の人からのそういう目は消えたりしない。

 僕がそうしてあらゆる努力を、一心に注いで調合した薬をご主人様の元に持っていくと、彼は横になっていた身体を起こした。

「ご主人様、お薬をお持ちしました」
「あぁ」

 ご主人様は特に気を止める様子もなく、僕の手から粉薬を取ると口に含み、近くにおいてあった水の入った容器を手に取って流し込んだ。
 表情一つ変えずにその苦い薬を飲むご主人様を見届けて、僕は一礼して下がることにした。

「失礼いたしました」

 僕はお休みの邪魔になってはいけないと思い、薬を調合する部屋に戻ろうとした。
 ご主人様の家の使われていなかった部屋の一室をお借りして、僕は毎日時間があればそこで山で摘んできた薬草を研究しては薬を調合して、町の先生に確認してもらっている。
 自分で使用することもたまにあるが、僕の身体は毒などに反応を示さないために参考にならず、成果が実感できない。
 今度はどの薬草を使ってみようか、咳の症状が最近酷くなってきたので僕はまた薬草を摘みに行こうと考えながら、彼に背を向けた。

「おい」

 呼び止められ、僕はご主人様の方へ振り返る。ご主人様の銀色の髪が、外から入ってくる光で眩しく光っているのが見えた。
 彼が僕に向かって一枚の紙を差し出してきた。
 その白くて細い手から紙を受け取る丁重に受け取る。

「買い物に行って来い。買うものは書きだしておいた」

 渡された紙を見ると、食材類など書かれていた。

「解りました」
「早く帰って来いよ。金は適当に持って行け」
「はい」

 僕はいくらかの通貨とその紙を持って買い物に出た。


 ◆◆◆


「うーん、あとは……果実か」

 買い物を一通り済ませて、多くの紙袋を持って最後のお店に行く途中に、僕は改めて町を見渡した。今年は収穫が沢山あり、町も豊かになりつつある。

 魔女から支配を逃れて2年程、この町は平穏そのもので、些細な争いもあまりない町。
 僕やご主人様のことをよく思っていない人は大勢いるが、それでも大きな問題は何もない。

 ご主人様は町に入りたがらない。
 定期的に町の売春婦を買って家に来させる程度で、町の人間はご主人様のことを話したがらない。
 ご主人様もご自身のことは話さない。
 それに、僕はご主人様に聞けるような立場ではない。

 僕は果実を扱っているお店に歩いて向かった。ジャラジャラと首につけている鎖が、歩くたびに揺れる。

「いらっしゃい、ノエルちゃん」
「こんにちは、ガネルさん」

 ここにはよく来るので店主の人とは顔馴染みだ。
 僕はどこにいっても後ろ指を指されるが、僕に良くしてくれる大人の人もいる。
 ガネルさんはよく日焼けしていて、細い身体をしている初老の男性。白髪交じりの口髭を蓄えていて弱々しく微笑む。
 僕はできるだけ良くできているであろう赤い果実を2つ取った。

「2つください」
「はいよ、銅貨2枚だね」
「はい」

 僕は銅貨をガネルさんに渡した。

「彼の具合はどうだい?」

 ガネルさんはご主人様の容体を気にしてくれた。あまり勝手なとを話すとご主人様が嫌がるので、僕は少し言葉に詰まる。

「そうですね……咳をしているのは相変わらずです」

 そう言うと同時に苦しそうなご主人様の咳をする姿を思い出し、僕は暗い顔をした。僕のその表情を見たガネルさんも困ったような顔をした。
 白髪交じりの髭を撫でつけながら僕に優しく声をかけた。

「そうかい、それは大変だね。もう一つ持って行っていいよ。病気を早く直さないとね」

 ガネルさんは僕が両手いっぱい抱えている紙袋の中に、もう一つ果実を入れてくれた。

「だ、駄目ですよ。そんな……!」

 けして豊かではない生活をしている様子は、彼の身なりを見れば想像できた。お金をたくさん持っているご主人様とは明らかに違う。
 僕が慌ててそう言うと

「いいんだよ、ノエルちゃんも彼もまだ若いんだから。年寄りの言うことは聞くもんだぞ」

 ガネルさんはまた弱々しく微笑んだ。
 やはり僕は優しくされるとなんだか目を泳がせてしまう。
 優しくされるとどうしていいのか全く分からない。

「……ありがとうございます」

 知っている。
 こういうときは頭を下げるんだってことくらいは。
 僕は頭を下げ、ガネルさんにお礼をすると少し浮足立ってお店を後にした。
 こんなに沢山の食材、ご主人様がお料理してくれるのかな。と、僕はますます浮足立っていい気分で帰路についた。
 紙袋を両手でもっているせいで視界が悪い。僕がつたない足取りで帰路を歩いていると

「呪われっこだ!」
「奴隷のノエルだー!」

 その声が聞こえたと同時に身体に鈍い痛みが走る。

「当たったぞ!」
「腕だから30点だな!」

 続けて僕の頭にゴツンと固いものが当たり、痛みを感じた。

「よっしゃ! 頭は100点だな!」

 投げられている物が何かすぐに解った。
 石だ。
 僕が石を投げてきた人たちを見ると、小さい子供たちが3人見えた。僕よりもいい服を着ているということと、顔の判別が僕には出来ない。どれも同じような顔をしているようにしか見えない。

「呪われっこがこっちみた!」
「逃げろー! 呪われるー!」
「あははははははは」

 無邪気に走り去っていくその子供たちの先には、親とみられる大人がいた。
 大人たちは僕を見るなり険しい顔をして「関わっちゃダメじゃない」とか「あの男とアレに関わったら駄目」とか、そんな言葉が行き交っている。

 僕は頭から出血していることに気が付いた。
 水のようなものが頭から頬に伝う感触が解った。僕は慌てて紙袋を下に置いて、その血を手で拭った。

「……服を汚したら、ご主人様に怒られる……」

 大丈夫。
 こんなの日常茶飯事だ。
 頭の出血している部分に手を当てた。それほど出血している訳でもない。しかし、この血をぬぐうものを持っていない。

 僕は帰路から少し外れて、山に近いところにある水くみ場まで足を延ばした。紙袋を置いて、僕は自分の血がついている手を洗おうと、汚れていない方の手で水をすくった。そして僕の手から伝う水がもう片方の手の血液を落とした。
 その土についた血を、周りに誰もいないということを確認してから僕は炎の魔術式を使い、完全に燃やし尽くした。
 多少の炎ではない。まるで何もかもを焼き尽くすような灼熱の炎が瞬間的に巻き起こる。

「怪我をしないように、今度は気を付けよう……ぼんやりしてた僕も悪いよね……」

 そう虚空に話しかける。
 誰も答えてはくれない。
 僕は頭の傷からもう出血していないことを確認すると、再び紙袋を持って帰路についた。
 家に着くころには日は傾き始めていた。僕の影が少し長く伸びているのを見て、その影の延長線上にある町を僕は見た。

 ――今日は良いことがあった……それだけを考えていよう

 悪いことがあるのは当然のことだ。それがご主人様ではなく、僕が怪我をしたのだから、それでいい。

「よっと……」

 僕は器用に扉を開けた。もう夕暮れで暗くなってきている。
 そろそろ灯りをつけないといけない。ご主人様のメモに書いてあった蝋燭もきちんと買ってきた。これでしばらくは明かりに困ることはない。

「ただいま帰りました。ご主人様」

 ……………………

「?」

 何の返事もない。物音さえもしない。
 眠っていらっしゃるんだろうか。それとも外出されているのか……と、思ったが、ご主人様の部屋の扉が半開きになっていた。

「ご主人様……?」

 おそるおそる中を見ると、ご主人様が倒れていた。

「ご主人様っ!?」

 僕は両手いっぱいの袋をその辺に放り出してご主人様の元へ走った。
 赤い果実がゴロゴロと転がった。


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