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第3章 渇き
第44話 契約の穴
しおりを挟む周りの魔女もそれをみて悲鳴をあげて後ずさる。
「な、何故だ……誓約書の効力は……!」
フルーレティはキャンゼルを横目で見た。キャンゼルは怯えるように壁に向かって必死に這って移動し、その身を丸くして自分を守るように震えだす。
僕はドーラを殺した後は冷静だったがシャーロットも、ご主人様もガーネットも困惑している様子だ。
僕の視界は真っ赤だった。
それは僕の髪の色が赤いからじゃない。ドーラの血が僕の頭から身体にかけて汚い血でべったりと絡みついていたからだ。
身体をボキボキと鳴らして自分の四肢の動きを確認する。
全員が恐れおののいて唖然としていた。
たった一人ロゼッタを除いては。
「あははははは! それでこそノエルよ! 今すぐ殺し合いましょう!!?」
僕は拘束魔術をロゼッタに使った。
ロゼッタは身動き一つできなくなり、言葉も発せなくなって硬直した。
「そんな怖がらなくても僕は無差別に殺したりはしない。僕を怒らせない限りはね」
転がっているドーラの首を拾い上げ、魔女たちに見せた。
まだ新鮮な血液が頭部からしたたり落ちる。
「ふざけるとこういうことになるってこと」
ドーラのまだ血の滴っている頭部をフルーレティの方に投げて渡した。しかし、フルーレティはそれを受け取らず、足元にソレは転がりゴロゴロと不穏な音を立てた。
「キャンゼル……! どうなっているの!? 答えなさい!」
フルーレティが僕に拘束魔法をかけようとしたが、その動きをいち早く僕は察知しそれよりも早く僕はフルーレティの両腕をとばした。
風の刃が音速で飛んでいき、目にも留まらない速さで切断された腕がまだ空中を舞っている最中にフルーレティは叫び声をあげた。
「キャアアアアアアアアッ!!」
叫び声が部屋にこだまする。
赤い。
部屋がどんどん赤く染まっていく。僕はフルーレティが失血死しないように傷口を焼いた。焼いた際に激痛を感じたのか、またしても悲鳴が室内にこだまする。
ご主人様にこんなところを見せたくはなかったけれど、そうも言っている場合ではない。
そちらを見て確認はしなかったが、3人がどんな表情をしているのかは想像に容易かった。
「動かないで。下手なことをしたら皆殺しにするよ」
「皆殺しにする」なんて、軽々しく言えるものじゃない。その言葉を言うことは簡単でも、実際にするのは簡単じゃない。
殺せる実力があっても、殺したくないと強く思う気持ちがそれを阻害する。
どうして他の魔女たちは簡単に人を殺せるのだろう。
僕には何かを手にかける時にものすごい抵抗感があって容易にはできない。
身を護るときにやむを得なくそうする以外はどうしても殺すという行為から逃げてしまう。
「僕らを逃がしてくれるなら助けてあげるけど?」
その結果の言葉がこれだ。
ガーネットに絶対「貴様は正気か!?」と言われるだろうと僕は考えていた。できることなら殺したくはない。
なによりもご主人様の前でこんなことしたくはない。
こんなことを言っても、逃がしてくれる魔女なんていないと思うけれど、それでも良心がすこしでもあるならと願いを込めて言葉を紡ぐ。
「何故……何故……誓約書は本物と同等のはず……他の魔女同士で誓約をさせたときにはきちんと効力を発揮していた……!! キャンゼル!!! 答えなさい!!!」
僕の願いなど全く聞いていないようで、ひたすらに取り乱している魔女たちの表情を見て、僕は絶望感に苛まれる。
いつも冷静なフルーレティがまるで断末魔の叫びかのようにキャンゼルを問い詰めた。
「あ……あたしは……! 謂われた通りのものを作っただけ……」
キャンゼルは心底震えながらソレに答える。寒い訳でもないのにガチガチと歯が鳴っている。
僕は他の魔女を牽制しながら、気持ちを切り替えて話にならないキャンゼルの代わりに話始めた。
「キャンゼルは関係ない。誓約文の中身の問題。文面をよく考えてごらんよ」
・シャーロットによりノエルの希望する奴隷を治療完了した場合、ノエルはその身体の全てを魔女ゲルダに捧げること
・その際に一切の抵抗をしないこと
・ノエルが誓約を破った際にはノエルの提示した条件全てを無に帰し、奴隷は即座に死亡するものとする
「誓約文はこれだけど。ドーラを殺したのは抵抗じゃない。非常に腹が立って殺しただけ」
「そ……そんな屁理屈が通用するなんて……!」
フルーレティが身悶えしながら、肩で息をしているのが見えた。
息が上がっていて汗が吹き出ている。両腕がない状態なのにそれほど強気で物事をハッキリ言えるのは流石としか言いようがない。
しかし誓約書に関してはかなりの即席のお粗末なものだった。
「あの古の魔術は、認知による魔術伝搬が根本的な術式だ。つまり、破ったという自責の念がなければそもそも発動しない節がある。元々の本物の魔女の心臓を使った制約はもっと色々複雑な術式だけどね」
僕は髪の毛をまとめた。
血でベタベタするが、その感覚も別に慣れている。昔はよく自分の血でこうなっていたことを一瞬思い出した。
セージに沢山本を読んでもらっていた僕の方が、フルーレティよりも上手だったようだ。
「あと……そもそも根本的なところで、彼は僕の『奴隷』じゃない。もうそこから間違っている。差し詰めキャンゼルが僕の言ったことをそのまま伝えて、それを鵜呑みにしたんでしょう」
シャーロットたちは固唾をのんで僕の話を聞いていた。
僕は子飼いにしている奴隷などいない。
「僕の人格からそれも予測できたはずだ。魔女にとって人間はすべて奴隷だと刷り込まれているからこそ、その間違いに気づかなかったんだ」
ここで僕が名推理を披露している間にゲルダがくるとまずい。
――何故ゲルダはこないんだ……?
この街が吹き飛んでいないところを見ると、僕が以前使用した特大の魔術を何とかして防いだのだろう。
だとしたら……少し、あるいはかなりの重症なのかもしれない。
しかし僕の翼を持っているし並の魔女の基準で考えたらいけない。
「ノエル……貴様、きちんと考えていたんじゃないか。無鉄砲が過ぎると呆れてすらいたが……」
ガーネットが小声で僕にそう耳打ちしてくる。
「ガーネットは彼から離れないで守っていて」
「……あぁ。しかし、私が守る守らないにかかわらず、魔女を皆殺しにする他に逃げる手立てはないだろう」
「できればそうはしたくない。穏便に済ませたいんだ。できることならね」
町で怒りに我を忘れていた時とは違う。僕は冷静だった。冷静な僕は殺しが得意じゃない。
僕はそんな中状況を一つ一つ確認する。
フルーレティはもう拘束魔術を使えない。
他の魔女は未知数だけれど、ドーラが殺されたことによって怯えが先行している。しかし、少なくともロゼッタは好戦的で話し合いの余地はない。
キャンゼルはあれだけ痛い目を見せられているから別に向こう側の魔女という訳ではないだろう。何か弱みを握られていなければ。
「ノーラ……あたしを助けて……お願い……」
僕に懇願するキャンゼルは、泣きながら弱々しくそう言った。
生きていたらこの後僕の生涯になりかねない魔女だ。賢くはないが再現魔術は使い方によっては恐ろしい効力を発揮する。
それは僕の見方につけるべきか。
それとも、危険分子は排除しておくべきか。
「お願いよノーラ。裏切ったことは本当に悪かったと思って……」
「別にそれは気にしていない」
僕は魔女たちから視線を背けず、少し間合いを詰めた。
それに反応した魔女たちは少し後ずさる。本能的な行動だが、魔女同士で対立している以上は距離の問題ではない。
僕の視界に入る全ては射程範囲だ。
「異論がないなら通らせてもらうよ。ここで死にたくないでしょう」
息をするという行為すら、緊張感で意識をしないとできない状況だった。
僕がゆっくりと歩くと、他3人も僕に続いてゆっくりと部屋の端を沿うように歩く。
「逃がさないわ! 捕えなさい!!」
その怒号に部屋にいたロゼッタ以外の全員がビクリと身体を震わせる。
もちろん、周りの魔女はフルーレティの命令が聞こえなかった訳ではないだろうが、誰も動かなかった。
というよりも、誰も動けなかったというのが正解だろう。
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