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第3章 渇き
第62話 赤き龍の鱗
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気が付くと、城は半壊していた。
身体は血まみれだったが、身体に痛みも傷跡もない。部屋の概念もなく、そこかしこが溶けてなくなってしまっていた。
黒いドロドロした液体がそこかしこに散らばっていて、煙を出している。
「ノエル……」
名前を呼ぶガーネットの方を見ると、恐怖におののいた表情をしている。
赤い龍は横たわり、もう微かにしか息をしていない。リサは身体がボコボコと再生し始めているがかなりの傷を負っている。
「僕は……何してた……?」
「覚えていないのか…………」
たしかに覚えていないが、そのセリフには聞き覚えがあった。
セージが言っていた言葉と同じだと僕は思った。
リサはご主人様を抱えて守っている。ご主人様は頭部から出血していて気を失っているようだった。
それを見た僕は驚いて息が止まる。
「ご……ごしゅ……じ……」
「ノエル、早く……その身体についている血液で龍の……制約を解くのよ……」
「え……」
リサが息も絶え絶えにそう言うと、自分の身体についている不愉快な血液の存在を改めて感じ取る。
僕の身体にべったりとついているその血液は、どうやらゲルダのものらしかった。
ゲルダは酷くボロボロに切り裂かれていて、徐々に肉体が再生し始めているのが見えた。
翼の付け根の部分を中心に、肉がうごめいている姿はもはやなんの生き物なのか解らない。
「魔術式はあたしが作るわ。早く龍にその血を……」
「あ……うん」
僕が龍に近寄って、その首元にゲルダの血を少しつける。
すると、リサが魔術式を龍にかけ、制約を解いた。龍は息も絶え絶えだったが、僕の方を見て
「(乗って……)」
と一言言った。
「そんな身体で……飛んだら……」
「ノエル! 来い!」
ガーネットはご主人様をリサから引きはがし、龍の背に乗せた。僕の腕を引っ張り、強引に龍へ乗せる。
「リサは……」
「あたしは……ゲルダを食い止めるわ……行きなさい」
龍は血まみれの身体で羽ばたいた。羽ばたくたびに龍の血が飛び散っている。
それはまるで赤い薔薇の花びらが舞っているように見える。
「(城……外……仲間)」
「(理解……)」
ガーネットと龍は異界の言葉で話をしている。僕は頭がぼーっとして何も考えられない状態だった。
僕はただ、ご主人様の頭部の出血を押さえながら抱きかかえるしかない。
「白魔女!」
ガーネットは龍に着陸するように指示し、城の外の外壁に降りさせた。
シャーロットは驚いた目をしていたが、ガーネットに急かされて龍の背中に乗り込んだ。ガーネットはラブラドライトの身体を龍の背中に乗せる。
「ノエル……何があったんですか? その血はあなたの血ではないのですか?」
「うん……僕は大丈夫。彼の怪我を治して……龍の傷も……」
僕は力なくそれだけ答えた。
城から遠ざかる風景をぼんやりと見つめる思考がまとまらない。
「ノエル、大丈夫か」
ガーネットは珍しく心配そうに僕の前にかがみこんだ。
いつも僕を突き放すのに、よほど僕は酷い状態だったのだろうか。
「………………僕、何してた?」
「それは……憶えていないなら、思い出せなくていい」
「……でも、ご主人様が……どうして怪我を……ガーネットがついていたんでしょう?」
「……この男は、お前を助けると走って行った。私も追いかけたが、お前が傷を受けた際に足止めされ、行かせてしまった……」
彼はバツの悪そうな顔をしていた。
まるで僕に怒られることを受け入れているようなそぶりだ。しかし、僕はそれを聞いても怒りは湧いてこなかった。
「そう……」
「お前……本当に大丈夫か?」
「…………」
シャーロットがご主人様の頭の傷を治した後、彼の血色の悪い顔に触れた。
「ノエル……この龍は…………もう助かりません」
「……どうして?」
「制約の負荷で魔術抵抗が強く、治癒魔術を受け付けません……」
「……そうか」
僕は龍の背中の堅い鱗をさすった。
そこかしこから出血している。
「ノエル、これ以上龍が持たないならどうやって移動するんだ」
「…………」
「おい、しっかりしろ!」
僕が答えないと前後に揺さぶられ、ガクンガクンと前後に頭が揺れる。
以前、僕がしたことや先ほどまで僕がしていたことが思い出せない。
この返り血や、ぐちゃぐちゃになっていたゲルダや、やけに心配そうなガーネット、気絶しているご主人様。
セージの心配そうな目。
守るために力を使えと言われていたのに、僕は殺すために力を使った。
――セージ……
「あの化け物、まだ追ってくる。お前がしっかりしないと――――」
「ゲルダのことか? 追ってはこないぜ」
いつの間にか龍の背中に乗っていたクロエが、ガーネットの言葉を遮ってそう言った。
「貴様……生き延びていたのか……」
「あぁ、流石にくたばるかと思ったぜ。おっと、俺に敵意はない。争うつもりはないんだ。その鋭い爪をしまえ」
「信用できるか!」
鋭い爪でクロエの喉元を狙っている。
シャーロットはクロエを見て震えているし、飛んでいる龍は不快感をあらわにして暴れ出しかねない。
そうなったらご主人様も危ない。
「ガーネット……死にかけてる龍の背中で争わないで」
「賢いなノエル、流石俺の女だ」
反論する気にもならず、僕は視線を逸らした。
間もなく街の中部だ。しかし、龍は次第に飛行が不安定になり、もう飛べないというのは十分に理解した。
「ガーネット、龍に降りるように伝えて」
「あぁ……」
ガーネットが龍と話している間、僕はご主人様を抱きしめ、振り落とされないようにしっかりと龍の身体を固定する。
「それがお前の大切な人間か」
ご主人様に触れようと手を伸ばしたクロエの手を、僕は雷ではじき返した。
クロエは自分の手をさすりながら笑う。
「触らないで」
「なんだよ、そんなに怒るな。お前はいつでも俺に連れないよな」
「…………」
龍はやっとの思いで街の中部の噴水のある公園に着陸した。街の人間は恐れおののき、身体をのけぞらせながら後ずさりする。
他の中階級の魔女もともに怯えている。この前の大惨事のときのトラウマがあるのだろう。誰も僕だと気づいても襲ってくる気配はない。
全員が龍から降りたあと、僕はぐったりしている龍の目を近くで見つめた。
「(ありがとう……)」
異界の言葉でそう言うと、龍は弱くうなる。
「(レイン……お願い……)」
「(わかった)」
それを聞いて安心したのか、龍はそのまま目を閉じて息を引き取った。
僕はその龍の鱗を一枚はぎ取った。
赤く、硬い鱗は光に当たると僕の目と同じように輝いて見える。僕は法衣のポケットにそれをしまった。
遺体を弔ってやる時間はない。せめて、せめて生きていた証をと、僕はまとまらない思考の中でそう思った。
「せっかく無理して助けたのに、無駄になっちまったな」
「ゲルダが追ってこないって、どういうこと?」
「……安心しろ。ゲルダはあの城から出られない」
僕がクロエと話していると、ガーネットはクロエに容赦なく襲い掛かった。
クロエはそれを簡単に避ける。それを見ていて僕はガーネットに向かって「やめて」というと、その命にガーネットは止まった。
「信用できない! ノエル! 貴様は今正気ではない!」
「僕は正気だよ。話を聞くくらい、いいじゃない」
「罠かもしれないだろう!?」
「罠って……お前なあのとき俺はお前たちを助けただろう? 俺はもう城へは戻れない。ゲルダに捨てられたんだよ。せいせいするぜ」
「それで、どうしてゲルダは追ってこられないのか教えて」
ガーネットにそれぞれを抱えるように言った。
ラブラドライトとご主人様を背負い、シャーロットはアビゲイルを背負って、僕とクロエは駆け足気味で街の外側に向かって移動しながら話を続けた。
「正確に言うなら、身体を維持する為の薬やら治療を数時間おきに行わなければならないから、設備のないところへ長時間はいられない。その間隔はどんどん短くなってきている。お前の魔力を防いだ時にかなり身体に無理を強いたせいもあって、今は特に出られない。もうあれが暴走するのは時間の問題だろうな……」
「……でも死ねないんでしょ」
「そうみたいだな……」
そんな処置をしなければ生きられない魔女だが、それでも逆らうことすらできない程の強い魔女だということを僕は感じる。
僕と同じ、癒しや構築以外の高位の破壊の魔術系統。
「片翼で翼の力が不安定だから、もう一対あれば力が安定して完全な身体になれると信じている。そう信じないと自我が保てねぇんだよ」
馬鹿馬鹿しいと僕は思った。
この世の全てが馬鹿馬鹿しいと思った。
僕がずっとこんな生活をしていたのも、全部ソレの為だ。ゲルダが僕の翼を狙い続けているせいだ。
魔女がこの世を支配なんてしているせいだ。
僕は再び悲しみが怒りへと変貌し始めると、また僕の意識は遠のき始めた。周りが揺れ始め、物が浮き上がり始める。
「おい、ノエル!」
ガーネットのその呼び声で僕は意識を取り戻した。
浮いていた物が下に落ちる。
「貴様……ノエルにおかしなことを吹き込むな!」
「ガーネット……ありがとう、大丈夫……」
「……お前、本当に大丈夫か?」
クロエが心底心配そうに僕に尋ねる。
「うん……。それってさ、僕の翼じゃなくても良かったんじゃないの? 別に翼があるのは他の翼人も同じでしょ」
「あぁ、確かにそれも試した。対になる翼を求めて、あらゆる翼人の翼をむしり移植を試みたが、お前の翼の力が強すぎてすぐに拒否反応が起きて定着せず、移植はできなかった」
翼人を皆殺しにしたゲルダの理由を一つ聞いて、僕は更に苛立ちが募った。憎しみが気が遠くなりそうになるが、僕は首を振ってなんとか正気を保つ。
「それなら……翼を身体から切除すればいいじゃない。外に出られない身体になってまで……つけておく意味あるの」
冷たくそう言い放つと、クロエは「そうだな」と答えにならない答えをした。
「それは無理でした」
僕とクロエの会話の中にシャーロットが割って入った。
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