罪状は【零】

毒の徒華

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第4章 奈落の果て

第107話 心の在り処

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 強い力は少し使い道を過っただけで、いままでの全てが崩壊するほど忌避される。
 共に行動するうちにそれが解った。
 柔軟な水のように相手に合わせ、受け入れるその暖かさにすがりたくなる。傷つき、渇いた心を満たしてくれる。それは暴力で奪い取るのとは違う。
 何の見返りも求めずに、ただ側に置き、そして心配してくれる。
 ノエルが主と呼んでいる人間のことを考えていると、いつしか私は苛立ちが抑えられくなっていた。

 ノエルと白い魔女が2人で話していたのを遠くから聞いていたとき、男の魔女に話しかけられた。
「ノエルに惚れてるのか?」と聞かれ、私はすぐさま否定できなかった。「違う」と口にした時の違和感は例えようもないものだった。
「なら邪魔すんなよ。あいつは俺のものなんだから」そう、にやけた顔で言われたときに無性に腹が立った。
 ノエルがあの男の求愛を「考えておく」などと言ったことが、どれほど納得できなかったことか。

 そのときからか、私はノエルに尋ねられた“好き”とは何なのか、愛情とはなんなのかということなのか、解ってしまったのかもしれない。
 ノエルは私に嫌われていると思っていたようだが、その逆だ。
 全くの逆の感情に苛まれていたからこそ、私は「考えておく」などと言ったノエルに苛立ちを感じたのだ。
 だが『好きだ』などと言えよう筈もない。
 私は自分のその気持ちを認めるわけにはいかなかった。

 ノエルが一緒に風呂に入るなどと言い始めたときは、正直困ってしまった。本人は大したことないような素振りだったが、ノエルの透けるような白い肌をみたとき、私は気がどうにかなりそうだった。
 エルベラには偉そうなことを言ったが、私もあのときは理性を保てないのではないかと思った。
 私の理性を保たせたのは、ノエルが声を殺して泣き始めたからだ。
 何故泣いているのか、そのくらいは解る。

 ――あんな男のことなど、忘れてしまえばいいものを

 そう思いながらも、私はそう言えなかった。
 ノエルの震えている背中を見ると、左側には三枚の白い翼があるのが見えた。それと同時に右の翼があったであろう部分には大きな傷が残されていた。
 その大きな傷を見て、私は唐突に解ってしまった。

 ――ずっと独りで、孤独に耐えて生きてきたのか……

 セージが危惧した通り、魔族にも受け入れられず、魔女にも受け入れられず、人間にも受け入れられなかったノエルを唯一受け入れてくれたのがあの人間だったのだろう。
 セージはノエルを魔女として育てた。
 ノエルが自分のことを魔女だと言っているのがその証拠だ。何の意図があったのか、あるいは何の意図もなかったのかはわからないが、ノエルは自分がセージと違うものだと思いながら育ったに違いない。
 それに、自分の力については強い抑制がセージからあっただろう。
 自分の存在というものは、その強い力がなければセージは育ててくれなかったのかもという孤独や不安があったのではないだろうか。
 常に抑圧されている力は、見張られているだけだと感じる時もあっただろう。
 ノエルは片翼だからか私にも積極的に翼を見せることはなかった。混血ではあるが、自分を翼人だとはあまり思っていないようだ。

 その強い力を利用しようとしない者など、魔女にはいなかっただろう。
 女王はノエルの心を閉ざすほどに拷問的実験を試みていた。
 心を閉ざしたノエルを、ただの人間として扱ったのはあの主とやらが初めてだったのだ。
 どんな経緯があったのか、あの人間の男は頑なに話そうとしなかったが、魔女だということを知らなかったという点を鑑みれば、そう考えるのが妥当だ。

 ――とはいえ、それも納得いかない

 力がどうだということではないかもしれないが、ただの都合のいいオンナとして扱っていたようにしか私には見えない。
 それなのに、どうしてあんなにノエルはあの男に執着するのか。
 それをしつこく聞いたこともあったが『好きだから』の一点張りで詳しいことを言わなかった。
 なぜあの男でなければいけないのかと迫ったとき、ノエルは答えられなかった。
 理屈で説明できないということが“好き”ということだと、私は身をもって知ることになるとは知る由もなく。
 私が“好き”という気持ちを頑なに理解したくなかったのは、理由がある。
 私は以前のノエルの質問を思い出していた。
 好きとはどういうことなのか。

 ――好きっていうのはね……相手の事大事にしたいって思ったり、その人の一言一句で一喜一憂したり、ちょっとのことで心配になったり、その人が笑ってくれたら嬉しくなったり……その人のことを独占したいって思ったりとか……

 男の魔女にもリゾンにも、あの人間の男にも渡したくない。
 触れさせたくない。
 あれは私のものだ。
 あれは私だけの魔女だ。

 私はそのような自分の気持ちに戸惑いを隠せなかった。
“好き”という気持ちがこんなにも狂おしい気持ちなのだと自覚したとき、ノエルのあの男に対する想いが解ってしまう気がしたから。
 私はその気持ちを振り払った。
 戦いや生きる為には不要な感情だと頭では解っていた。

 解っていたはずなのに……――――

「ガーネット、ずいぶん遅かったじゃない」

 私が思考することに専念しすぎている間に、いつの間にやらノエルの座っている場所までたどり着いていた。
 そこは吸血鬼の墓所とは方向が少し違う。

「お前が先に行き過ぎていただけだ。こちらの方向ではないぞ」
「え。ごめん、こっちかなと思って」
「お前な……まだ異界で完全に安全だという保障もないのに……魔女の匂いをさせて一人で行くなど……本当に、賢いのか愚かなのか解らない女だ」
「だってさ……ガーネットに恋人がいるなんて知らなかったし」
「恋人? あの女のことか? 冗談ではない。お前の勘違いだ」
「でもすごく綺麗な吸血鬼だったから。僕と全然違うしさ」
「……まぁ、確かにお前はあれと比べるとあまり女らしくないが――――」
「気にしてるんだから、もう少し気を遣ってよね」
「そんなに気にすることでもないだろう」
「そういうの、気にするの!」

 ムキになって私にそう主張するノエルに対して、また口を滑らせてしまいそうだったので適当にあしらった。

 スズランという花についてノエルが話していたとき、

 ――可愛らしい見た目とは裏腹に、強い毒がある

 その言葉に対してそのときに思わず口にしてしまったが、ノエルには聞こえていなくて良かったと私は思っていた。
「お前に似ているな」と、口走ってしまった私は自分自身に驚いた。
 自分で言ったにも関わらず、混乱した。
 いや……私がノエルに対して好意を寄せていること自体、既にずっと混乱しているのかもしれない。

「こっちだ、方向音痴め」
「知らないところなんだから仕方ないでしょ」

 拗ねた様子で私の半歩後ろをついてきていた。

「あっ……っと……」

 ドサッ……

 ノエルが木の根に脚をとられ、転びそうになって私の腕にしがみつく。

「何をしているのだ……」

 私はノエルを両腕で抱きかかえた。
 柔らかく、生白い肌をしていて、スズランの香りがした。
 私の目とは少し違う、深みのある赤い色をしている瞳で私のことを見つめてくる。
 やけにうるさい私の心臓の音が、ノエルに伝わってしまうのではないかと不安になった。

「無理するな。まだ足元がおぼつかないのではないか?」
「自覚はないけど……ここのところ魔術を使いっぱなしだったし……そうかもね」
「体力を温存しておけ」
「あぁ……そう言えば、僕何も食べてないや……ガーネットも食事してないよね?」
「…………私はお前が眠っている間に食事しておいた」
「え……寝込みを襲っ――――」
「お前の血液ではない!」

 ノエルは無邪気に笑っていた。
 その笑顔が、どれほど貴重な笑顔なのかと考えると、私は胸の奥が熱くなる。
 雑談と言うには重い内容であったが、ふざけているほどの余裕があるノエルを見て安堵した。
 悶々と考え事をしながら、私たちは墓所へ向かう。

 ――諦めろ……

 そう自分に言い聞かせなければならなかった。
 いくら傍にいられても、私はノエルの心までは手に入れられない。

 ノエルの心はもう、ノエルの元にはないのだから。


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