罪状は【零】

毒の徒華

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最終章 来ない明日を乞い願う

第185話 彼から返事はない

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【ノエル 現在】

 まるですべてが夢だったのではないかと感じた。
 実は僕はまだ幻術の中にいて、独り牢屋の中で震えているのではないかとふと思った。
 腕を少しばかり動かすと、腕や首についていた枷は外れてなくなっていることに気づく。
 思い出せるだけのことを思い出すと、あれは幻術にしてはあまりに生々しく身体の痛みがあったし、あの雨の冷たさもけして夢ではないと考えた。

 ――ここは……拠点の僕の部屋……?

 僕は身体を起こした。
 身体の痛みや傷は嘘のように治っている。

 あの激しい戦いはやはり嘘だったのではないか。

 その思いにかられるが、僕の右側には今までなかった右翼がついていた。
 自分の右翼に触れると、真っ先にガーネットのことを思い出す。
 自分が気絶してどれだけ経ったのか解らないが、僕はベッドから出た。
 服は着換えさせられていて翼人が着る服を着ている。

 階段を急いで降りると、下にはクロエ、キャンゼル、シャーロット、アビゲイルがいた。キャンゼルはどうやら目が覚めたらしい。
 時間はどうやら朝だ。外から日が入ってきて影を長く伸ばしている。
 目覚めた僕を見て、全員が僕の名前を叫ぶように言いながら抱き着いてきた。特にシャーロットとクロエは泣きながら僕を抱擁した。

「ノエル……随分長く眠っていたんですよ?」
「どのくらい……?」
「14日程です」

 随分僕は眠っていたらしい。
 僕は抱擁されている間にも辺りを見回して彼を探した。こんなときにいの一番に僕のところへくる彼がいない。

「ねぇ、ガーネットは? ガーネットはどこ?」

 クロエやシャーロットが目を一瞬見開くが、顔を背けて何も言ってくれない。

 嘘だ。
 あれは悪い夢だっただけだ。
 僕を置いてどこかに行ってしまうはずがない。

「ガーネット? どこ?」

 まだおぼつかない足取りで、僕は彼の名前を呼びながら辺りを探す。
 扉を開き外に出て見回してみるが、彼の姿はない。

「ノエル、彼は……」
「解った。部屋にいるんでしょう? 疲れて僕みたいに眠ってるんだ」

 シャーロットの言葉を最後まで聞かずに、僕はガーネットの部屋へ足を進めた。

「行かせていいのかよ」
「…………」

 クロエとシャーロットが話をしているのが後ろで聞こえた。階段をあがるにつれて彼女たちのその声はすぐにも聞こえなくなった。
 僕はガーネットの部屋の前まできて扉を叩く。

 コンコンコン………

「ガーネット、いる? 入っていい?」

 ……返事がない。

 僕は心臓が止まってしまうのではないかという程の緊張感を感じていた。
 ゆっくりと扉を開くと、白い肌が傷だらけの金髪の青年が横たわっているのが見えた。

「なんだ、ガーネットいるなら返事してよ……」

 珍しく仰向けで横になっている。
 彼の千切れた右腕は丁寧に縫合されてくっついていた。僕は彼のベッドの隣の椅子に座る。
 血などはついておらず、彼はいつも通りの様子に見えた。

「いつまで寝てるの? 起きてよ」

 僕は彼の左肩に触れた。

 冷たい。

 ――そうか。肩のところにかけ布がなくて冷えちゃったんだ

 僕はガーネットの胸のあたりまでしかかかっていなかった布を、肩までかけてあげた。

「…………ガーネット、聞いてる?」

 彼から返事はない。

 きっと、僕が契約を何の断りもなく破棄したから怒っているんだ。
 だから僕に意地悪して返事をしてくれないんだ。
 自分に言い聞かせるようにそう何度も考える。

「ガーネット、あのね……契約を破棄したことは……怒ってるよね。ごめん」

 彼から返事はない。

「謝罪じゃ済まないって言ってたよね。そう思うよ。じゃあ……どうしたらいい?」

 彼から返事はない。

「その…………僕ら、異界に行って伴侶になるって話でしょ……? その……できれば少し町から離れた静かなところに住みたいんだ……いい? それともガーネットの家がいい?」

 彼から返事はない。

「………………」

 ついに僕の目から涙が溢れだした。

「っ……うっ……返事……してよ…………ッ……ガーネット…………」

 僕は彼の左手を握った。
 冷たく、爪は鋭く硬い。
 彼の手に触れると、最期につないだ手と、彼の言葉を思い出す。


 ――過去―――――――――――――――――


「ノエル……お前を“好き”になって……よかった……生きろ……お前が……この世界を変えるんだ……」


 ――現在―――――――――――――――――


 彼の最期の笑顔、最期の言葉を思い出して、尚更僕は辛かった。
 涙がとめどなく溢れてくる。

 あれは悪い夢ではなかったのだ。

 しばらく僕はガーネットの側で泣いていたが、ようやく涙を出し切って止まった頃、僕は立ち上がってガーネットの額に口づけをした。

「約束通り、僕が世界を変えるよ」

 彼の金髪にそっと触れ、僕は扉から出て再び下へ降りた。
 泣きすぎて瞼が少し腫れている僕を見て、下にいた魔女たちはかける言葉が見当たらないようだった。

「リゾンやレインは?」
「レインはあなたの主の元です。魔族たちは異界に帰ってもらいました」

 ご主人様のことを、気絶する間際に見たような気がしたのを思い出す。

「…………ご主人様は……ゲルダの城に来た?」
「……ええ」
「それで……彼はなんだって……?」
「あなたを渡せと……連れて帰るからと聞きませんでした」
「…………それから?」
「リゾンはあの人を殺そうとしましたが……レインが間に入って、事なきを得ました……」
「……彼は無事なの?」
「はい。ご自宅にいます」
「その後の様子は……?」
「…………あなたが望んだように、あなたはもう戻らないのだと説得を続けました。あなたは……ガーネットと伴侶になるのだから、もう諦めてほしいと……説得を続けました」
「………………」

 すぐ傍らで絶命している者の伴侶になると説明されて、それで納得するわけがないと容易に想像ができる。

「……諦めた?」
「いいえ。まだあなたの帰りを待っています」
「……そう」
「もう、脅威は去りました。魔女たちも落ち着きを取り戻しています。これからは人間と良い関係を築いていけばいいのではないですか? もう……魔女を縛る必要も――――」

 矢継ぎ早にシャーロットがまくし立てるのを僕は遮った。

「駄目だ。当初の予定通り、魔女の心臓で魔女を縛る。世界も作る」
「……もう、ゲルダの心臓も残っていませんし……アナベルもいません……」
「できるよ。解ってるでしょ?」

 悟り切った僕の口調に、シャーロットは涙ぐんでいる。
 クロエもいたたまれず険しい表情をしていた。

「やめろ、ノエル……どうしてお前がそこまでするんだ? もう十分色々なものを犠牲にしてきただろ、どうしてお前が……これ以上……」

 キャンゼルは泣いていた。
 アビゲイルもボロボロと涙を流して、声を殺して泣いている。

「クロエ……黙っていたことがある。数人の……いわゆる僕らだけは例外的にこの世界に残るよう手配しようと言ったけど……魔女は全員世界を隔てるって決めてたんだ。僕は……異界に行こうと思ってた」
「…………それでいいから、お前は異界に行けよ……」

 クロエは反対すると思ったが、ただ泣きながら僕を抱きしめた。

「お前が犠牲になって心臓を使う必要ないだろ……?」
「もう……それしかないんだよ」

 僕は、自分の心臓を使うしかない。
 もうゲルダの亡き今、僕の心臓を使う他に方法はなかった。

「大丈夫……ガーネットと約束したから。僕が世界を変えるって」
「お前が生きていればこそだろ……やめてくれよ……」
「……生きて世界を変えるって約束だったけど……前半は守れそうにないや」

 その場にいる僕以外の者は全員泣いていた。
 クロエは僕の堅い覚悟が伝わったのか、嫌がりながらも強く止めようとはしない。

「僕はレインをつれてくるね。あの町には魔女除けを張り直してから異界に行って……魔力を貸してくれる者を連れて戻ってくる。魔術式の準備してて」
「それはもう、済んでいます。ノエルが眠っているときに、用意しておきました……」
「そう……」

 僕は彼女たちに背を向けて、ご主人様のいる家へ行くために外にでた。
 両翼を羽ばたかせてみる。
 自分の翼で飛ぶのは、幼いころにした以来だ。あの頃よりももっと翼は大きくなっていたし、飛ぶ感覚が解らない。
 思い切り羽ばたかせてみたら、僕の身体は浮かび上がる。
 思っていたよりも自分の本能のようなものが飛ぶことを覚えていたようだ。
 高く羽ばたきあがると空から見る景色を僕は眺めた。その世界は美しく見えた。
 森林や、砂漠、遠くに見える町、それらが美しい。

 世界は、残酷なほど美しく見える。


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