紅屋のフジコちゃん ― 鬼退治、始めました。 ―

木原あざみ

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2:鬼狩りのお仕事 編

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「えー……と。あ、来てる、来てる」

 始業十分前の八時二十分。特殊防衛隊データシステムのメーラーを起動して、あたしは思わず独りごちた。あたしの独り言の多さに慣れたのか、最早、桐生さんもすぐ近くに居たとしても、これくらいでは反応してくれない。

 ――反応して下さるのも申し訳ないから、それは全く良いのだけれど。

 受信ボックスの本部からのメール内容を識別して印刷する。東京都内で発生した鬼が関わったとされる重要犯罪案件の先月分の統計だ。

「あの、桐生さん。重要犯罪の統計って毎月、本部から届くんですか?」

 斜め向かいの席で、眠そうに珈琲を飲んでいた桐生さんが、顔を上げる。

「あー……、もうそんな時期か。それなぁ、月の初めにそれぞれの事務所が取り扱った事案をデータ化して、本部に送ってるの。で、本部はそれを取りまとめて、こうやって中旬までに僕らに総合計と言うかたちで送ってくれるんやけど」
「と言うことは、来月は、もしやあたしが」
「そうそう。フジコちゃんがデータを纏めるの。勿論、チェックはするけどね。月末にまとめてやろうとすると死ぬから、一事案終わるたびにデータ化する癖を付けといた方がえぇよ」
「……頑張ります」

 半笑いで頷いて、プリンターから吐き出された資料を二部ずつにまとめる。そして一部を手に、ひっそりと気合を入れて席を立つ。

「所長。本部から届きました三月の都内の鬼による重要犯罪事案の統計です」

 桐生さんと違い、朝の気怠さを感じさせないおもむきで新聞に目を落としていた所長の顔が上がる。見苦しいと見苦しくないのちょうど境目、と言った風の黒髪が揺れて、同じく黒い瞳と視線が合った。つい先日、桐生さんが、あのぼさぼさ頭が童顔に拍車をかけてると思うんやけどなぁ、と。真顔で判じていた声が(と言うか、そう思うなら言ってあげたら良いじゃないですかとも思ったのだけれど)脳裏を過りそうになって、あたしは慌てて打ち消した。

「どうぞ」

 資料を受け取った所長が、その場で目を通し始めたのを視認して、あたしは戻るタイミングを見失ったことを遅れて悟った。行き場を失って所長のつむじを見下ろしているうちに、所長がおもむろに顔を上げた。

「この数字を見て、どう思った?」
「え、……えぇと、はい!」

 まさかの展開に声が裏返る。数字とは、重要犯罪の発生件数のこと……なのだろうけれど。
 都内での先月の鬼による重要犯罪の認知件数は、百五十件超。うち、殺人まで至ったケースが二十三。悲しいかな、あたしが小学校で習った「人間が殺人を犯す率と変わらない」と言われていた時代から比べれば倍増している数字でもある。

「この数年で、格段に鬼が関わる事案は増加している……と思います」

 所長の瞳は、眼力が強いと言えば聞こえは良いものの、めったやたら迫力がある。視線を逸らさないように頑張ったあたしを、誰でも良いから褒めて欲しい。

「その背景理由として考えられることは?」
「えぇと、……法令の改正、ですよね」

 視線で続きを促がされているのを察知して、あたしは座学の記憶を引っ張り出した。見当外れのことは今のところ言っていないらしいと言い聞かせながら。

「二〇一四年の特殊防衛法の改正で、鬼に対する厳罰化が進んだことで反発が生じた。それが昨今の鬼の犯罪率の増加の原因のひとつではないかと」

 本当に大昔。特殊防衛法が成立した直後、人間は人間を殺した鬼を自分たちの法で裁くことはできなかったそうだ。それが、あたしが生まれる数年前、新たな条約が締結され法令も一部改正。人間に害を成した鬼は、人間の法で裁かれるようになり、罪を犯した鬼を収容する特殊刑務所も配置された。その法令が更に厳しく改正になったのが、今から六年前の二〇一四年のことだ……と、習ったはずだ。

「その反発で増えたのは重要犯罪だけか?」
「……昨年、東京で未遂には終わりましたが、過激派によるテロリズムが発覚しており、今後ますますそう言った事案が増えていく可能性もあると思われます」

 そう。確か、寮の部屋でみっちゃんと話をした記憶がある。

「そ、そう言った懸念事項を頭に置き、より一層、研修に励んでいきたいと……」
「お、えらーい。フジコちゃん。しっかり勉強してるやん。なぁ、蒼くん」

 所長の視線に耐えかねて、勝手にまとめに入ろうとした語尾が、桐生さんの茶々で、尻すぼみに消えた。「なぁ」と言われた所長は、果たしてなんと答えるのだろうか。冷や汗をかきたい心境で見守っている先で、所長が、ふっと口を開いた。

「そうだな」
「……」 
「どうした?」
「あ、いえ……」
「戻って良いぞ」

 促がさるがまま、あたしはぎこちなく回れ右をする。なんだかちょっと頭の回転が追い付かないのだけれど。今のはもしかして、褒められたのだろうか。
 自席を引く音がいやに大きくなったのは、動揺していたからかもしれない。ともすればにやけそうになる顔を引き締めて、ノートパソコンを立ち上げる。

 ――もしかして、この一週間の何かしらお話しよう作戦がちょっとは功を奏していたのかな。分からないけど。

 話しかけてもいいと少しでも思って貰えたなら嬉しいし、仕事に関する事項で褒められたのかなと思えることも嬉しい。
 もしそうであれば、あたしの努力も無駄じゃなかったと言うことで。やって間違いはなかったのだな、と再認する。悩むくらいなら前向きに、があたしの密かなモットーだ。だって、次の瞬間に死ぬかも分からないのだし、それなら少しでも後悔を残したくない。
 だから良かった、と。前進していると信じて口元を緩ませたあたしに、桐生さんは、「ご機嫌やなぁ、フジコちゃん」としたり顔で微笑んでいて。

「良い朝ですから」

 照れ隠しがてら、へらりと笑って、あたしは書類の作成を開始した。今日のノルマも滞りなく終わらせられますように、と気合を一つ。
 最初のころに比べればスムーズに動くようになった指先でキーボードを打つ。カタカタと断続的な音が響く事務所の中には変わらない顔がある。やっぱり良い朝だな、と改めて思いながら、あたしは手元の参考資料を捲った。
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