紅屋のフジコちゃん ― 鬼退治、始めました。 ―

木原あざみ

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2:鬼狩りのお仕事 編

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「ご存知かもしれませんが」

 倒れたのは事実で、お恥ずかしい話なのですが体調不良で。今後はそう言ったことがないように気を付けようと思っています。
 そう、誤魔化そうとしていた言葉の代わりに、あたしは回想する。

「最後の課題は、実地での訓練でした」

 できるだけ順序立てて話そうと、頭の中で整理して続ける。あの日のことを。

「鬼狩りの仕事現場に立ち会い、自分たちの眼で犯罪者である鬼を見る。それが訓練の目的です。あたしたち学生は、B+とAランクの先生が傷害罪で逮捕状をとった鬼を確保する現場に同行していました」

 学生は五名。先生たちから距離を置いた場所で、あたしたちは立ち会っていた。あたしの他の同期生の顔には不安も緊張もあまりなく、ただ初めての実践への興奮があった。そのなかで、あたしは一人だけ場違いにドキドキしていた。

「ライセンスと逮捕状を提示し、連行するだけだと言う話でした。けれど、その鬼は抵抗を示しました。鬼はBランクでした。Bランクの中でも下位の鬼だとも聞いていました。先生が負けるはずもありませんでした」

 あたしはすっと息を吸って、そして、一息に吐き出した。

「あたしは、その現場を見た瞬間、息ができなくなりました」

 所長は、何も言わなかった。深紅に染まる瞳が視界に入った途端、何も考えられなくなった。怖い。それだけで頭がいっぱいになった感覚。今まであたしたちと変わらない人間の姿だったそれが「人に害を成す鬼」に変わる瞬間、鬼の瞳は紅く染まる。角が生え、身体は巨大化し、あたしたち人間を捕食するものに変わる。
 肩ひもを握りしめたままの指先は、じんわりと汗ばんでいた。けれど、離せなかった。これは、あたしの唯一の武器だ。ただの人間のあたしが、「鬼」と対峙するための。
 だから、怖くない。あたしは震えているだけの獲物じゃなくなった。何度目になるのか分からない言い聞かせをして、あたしはゆっくりと言葉を継いだ。

「言い訳がましいかもしれませんが、その後、先生の指示でカウンセリングも受けました。現場に出ても良いと許可を貰い、特別に実施して頂いた予備試験に臨みました。鬼に接近しましたが、何の問題もありませんでした。その鬼も多少挑発的な言動を見せましたが、それでも問題ありませんでした」

 そうだ。だから、あたしは研修生になれた。無様に倒れはしなかった。怖くない、と思い込んで、最後まで訓練に参加することができた。

「だから、大丈夫です。問題ありません」

 あたしは所長をしっかりと見据えて言い切った。
 鬼狩りになる。それがあたしのこの十年の目標で夢で、すべてだった。

「問題があるかどうかを判断するのは、俺と桐生だと言うことはさておいて」

 返ってきたのは、呆れを含んだ、けれど、突き放すでもない、いつもの所長の声だった。その声に、ふっと、力が抜ける。

「鬼が怖いか」

 けれど、続いたそれに、あたしはまたぎくりと身体を強張らせることになった。抜け落ちかけていた緊張が、ぐるぐると全身を巡り始めている。鬼のすべてを怖いとは思っていない。これは本当だ。何度だって繰り返すけれど、本当で、そのつもりだ。でも、紅い瞳の鬼は、――。

「人を害す鬼を怖いと感じることは、人間として当たり前の感情だ」
「え……?」
「無理をして抑え込まなくても良い。とは言え、理性的に向かい合っていく必要はあるが。この仕事を続けていきたいのなら」

 意外だった言葉に、あたしの喉から勝手に質問が零れ落ちた。

「所長は、怖いと思うことはあるんですか。あ、……すみません。失礼なことを」
「構わない」

 短く応じて、所長が踵を返した。歩き始めたその背を追って、あたしも慌てて足を進める。視界の先で所長の黒髪が風に揺れていた。しゃんとまっすぐに伸びた背筋は、所長そのものを表しているみたいだった。

「俺は鬼を怖いと思うことがあれば、もっと恐ろしいことを想像するようにしている」

 所長のそれが先程の答えだと気が付いて、あたしは瞳を瞬かせた。
 蒼くんは、フジコちゃんが聞いたら、なんでも答えてくれるよ、たぶん。そう言っていた桐生さんの保護者面が蘇って、あぁ、本当だったんだなぁ、と思った。本当だった。

「もっと怖いこと、ですか?」
「この鬼を俺が殺さなければ、俺ではない誰かが死ぬ」
「……」
「そう思えば怖いと思っている暇すら惜しい」

 絶句したあたしを後目に、所長はいつもの調子で淡々と告げて、それからほんの少しだけバツが悪そうに、言い足した。

「真似をする必要はないからな。桐生にもよく止めろと言われる」

 真似ができるとは、到底思えなかったのだけれど。あたしは「はい」と頷いて、目前に迫ってきた寮を見上げた。
 鬼を怖いと思うことは、人間として当然の感情だ。
 なんでもないことのように所長が言ったそれが、今頃になってゆっくりと染み渡っていく。
 そうか。あの紅い瞳は、怖くて当たり前の物なのか。
 怖がるわけにはいかない。怖いわけがないとあたしは今まで必死に否定してきた。けれど、それは、乗り越えられていないことと同義だったのかもしれない。目の前の壁から目をそらして、なんとか抜け道を探そうとしていただけで。
 壁を乗り越えなければ、何の意味もないのに。
 そのために、その恐怖と向き合っていくことが必要だと言うならば、その第一歩は、認めることだ。あたしが怖さを持ったまま、ここまで来てしまっていると言うことを。
 あたしにとっての、もっと怖いことって何だろう。
 怖いこと。怖いもの。嗜好を巡らせているうちに所長の足が止まる。あぁ、もう寮なのかと思って、あたしはそこで、自分が全く無理して歩いていなかったことに気が付いた。

 ――歩くペース合わせてくれていたんだ、あたしに……。

 寮の手前で立ち止まる。ふと見上げた空は、満点の春の星だった。

 お父さん、お母さん、それから瑛人。
 嬉しくなって、あたしは胸中で家族に語り掛けた。緊張をほぐすとき、悲しかったとき、嬉しかったとき。誰かに伝えたいなにかを、あたしはずっと家族に一番に伝え続けていた。
 所長は、やっぱり良い人なのかもしれません。桐生さんの言う通り、あたしが気が付いていなかっただけで。見ようとしていなかっただけで。
 最後の課題で倒れたとき、あたしは先生に言われました。
 ミス・藤子。あたしはあなたの辛い過去も知っているわ。それを乗り越えて、「鬼狩り」になりたいと願ったあなたの思いも、旧家の子ども達に負けじと努力を重ねてきたことも知っています。それを承知で言わせてもらうわ。このままでは、あたしはあなたを卒業させることはできない。みすみす死に行かせるようなものだもの。
 ねぇ、ミス・藤子。もう一度、よく考えて。あなたは本当に「鬼狩り」にならないといけないのかしら。「鬼」に関わる仕事は現場に出る「鬼狩り」だけではないわ。術具を作る職人もそうだし、特殊刑務所の刑務官も、ある意味ではもう少し簡単にライセンスが取れる。
 そのなかでも「鬼狩り」は一番危険な職業よ。ミス・藤子。あなたは本当にそれにならなければいけないのかしら。

 恭子先生は、厳しいけれど優しい素敵な先生です。あたしのことを心配して下さっていたのだとよくよく理解しています。現に、あたしの意思が変わらないことを知ると、上に掛け合って特例で試験を受けさせてもくれました。
 卒業の折には、あたしの幸運を祈ると、そう言ってくださいました。
 けれど、あたしは悔しかったです。鬼が怖い自分が情けなくて、悔しくて、辛かった。あの人のような鬼狩りになりたかったのに。そのために頑張ってきたのに。鬼が怖いあたしには、その背中を追う資格もないのかと思うと、悔しかったです。
 所長は、一度も鬼狩りでありたいあたしを否定しませんでした。鬼を怖いと言う、――実戦に不安のある新人なんて、学園に送り返されても、ある意味で仕方がないのに。
 所長はあたしを否定しませんでした。解雇されなかったことよりも何よりも、もしかすると、あたしはそれが嬉しかったのかもしれません。
 その日の夜は、疲れていたこともあったのだろうけれど、とても良く眠れて、お父さんとお母さんと瑛人が出て来る夢を見た。夢で家族に会えたのは本当に久しぶりで、ほんの少しだけ涙が出た。
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