隣のチャラ男くん

木原あざみ

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隣との距離①

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「お兄ちゃん、慎吾くん、おかえり!」

 実家のドアを開けた瞬間に飛び込んできた、かわいい妹の満面の笑みに、真白はでれっと相好を崩した。我が妹ながら、あいかわらずかわいい。

「本当、しろは、かなちゃんの前でだけでろでろだよね」
「あたりまえだ」

 呆れ気味のつっこみを切り捨てて、靴を脱ぐ。帰省するのは実に半年ぶりだった。変わらない実家のにおいに、帰ってきたなぁという実感が湧いてくる。

「そうでしたね。でもその愛想を、ちょっとくらい俺に向けてくれてもいいんじゃないかな」

 こんなに尽くしてるのに、とぼやきながらも、あたりまえの顔で上がり込んでくる。あははと明るく笑いながら、慰めるように妹が慎吾の肩を叩く。

「たしかに慎吾くんは尽くし系だよね。ちょっとおかん入ってるけど」
「しろだけね。かなちゃんには尽くさないからね」
「えー、ひどーい。あたしの面倒も見てくれたらいいのに」
「なに言ってんだ。かなみの面倒は俺が見てるだろ」

 荷物を自室に置いて居間に戻ってくるなり、真白は主張した。兄は自分である。ふんと鼻を鳴らすと、早々に炬燵にこもっていたふたりが顔を見合わせる。なぜだ。

「いや、まぁ、うん。そうだね、お兄ちゃん。ありがとう」
「おう。任せろ」
「でも、あいかわらず、お兄ちゃんと慎吾くんは仲良しそうだね。なんか安心しちゃった」

 一瞬で話題を流されてしまったが、妹が笑っているのでまぁいいこととする。手招かれるままに、真白も炬燵に潜り込んだ。

「おかげさまで。ね、しろ」

 ね、と言われても素直に頷きづらいものがあったのだが、否定するのもおかしいかもしれない。逡巡の末に、真白はこくんと頷いた。
 仲が良いのは、きっととてもいいことだ。妹の言う「仲が良い」と慎吾の言う「仲が良い」が同じかどうかは、ちょっとわからないけれど。



  【隣との距離】



「かなちゃん、大掃除するんだったら手伝おうか?」

 近況報告が一段落ついたのを見計らって、慎吾がそう提案をする。無論、城崎家の大掃除であるが、なんでおまえが言うのかとつっこむ人間はここにはいない。やる気のない兄妹のケツを慎吾が叩くのは、昔からの恒例行事なのだ。

「うーん、一応、あたしの部屋はやったんだけどなぁ」

 台所その他の大掃除までする気はございませんといわんばかりに、かなみがぬるい笑みを浮かべた。かわいいが、さすがにちょっとこれは駄目かもしれない。かわいいが。一抹の反省心で、首を横に振る。

「いいよ。明日、どうせ母さんが張り切ってやるだろうし」
「まぁ、間違いなく手伝わされるよね」
「まぁ、なぁ」
「兄妹そろってそこまで嫌そうな声出さなくても。かわいそうに、佳代子さん」

 いたく同情した声に、この一年弱を真白は振り返った。食事どころかこまごまとした部屋の掃除に至るまで、この幼馴染みにお世話になりまくっていた日々を。

 ……来年はちょっとがんばろう、かな。

 なにせ、つい三週間ほど前に、甘やかされすぎてるよなぁ、あたりまえじゃないよなぁ、と思い知ったばかりである。

「善処する」
「うん。ぜひそうしてあげて」

 かなちゃんもねと釘を刺されて、かなみがぺろっと舌を出した。かわいい。

「そうするからさ。おまえも、おばさんに顔見せてきたら?」
「そう?」

 さも意外そうに慎吾が首を傾げる。毎年大掃除を手伝わせていたことを思うと、当然の反応かもしれない。だがしかし。今年は一味違うのだと主張するように、真白は大きく頷いた。

「あとで俺も顔出すし」

 大晦日の夜は、慎吾の家で二家族そろって紅白を見て年越しそばを食べるのが、年末のもうひとつの恒例行事なのだ。そうして、除夜の鐘が鳴るころに、子どもたちだけで近所の神社に初詣に行く。お詣りをして、甘酒であたたまって、夜道を歩く。ちょっとだけ特別なイベント。
 今年もきっとそうやって過ごすに違いない。
 あたりまえだと思っていたけど、これもすごいことなのかもしれないと、ふと思った。家族でもない人間とずっと一緒にいることは、お互いが求めてはじめて成立することだ。

「ん。じゃあ、またあとでね。かなちゃんも」
「うん、夜に行くね」

 通り過ぎざまに頭をわしゃっと撫でて、慎吾が帰っていく。ふたりになった途端に妙な視線を感じた気がして、真白は呟いた。むやみにちょいちょいと髪も直す。

「なんなんだ、あいつ」
「お兄ちゃんたち、さぁ」
「うん」
「なんか、……また仲良くなった?」
「ふつうだけど」

 努めてあっさりと応じてみせる。そのふつうが、どんなふつうなのかは、よくわからないが、自分たちにとってはふつうのつもりだ。
 じっとりとこちらを見ていた妹が、

「まぁ、それ以上どうにもなりようがないか」

 とわかるようなわからないことを言う。よくわからないが、納得したらしい。スマホを触り始めた妹の横顔を眺めながら、真白は口の中で溜息を吐いた。
 ふつうと言ったのは自分だが、自分たちふたりがなにか変わったのか、実はよくわかっていなかった。
 ただ、いいかな、と思ったのだ。それは本当だ。慎吾が自分を特別だと言ってくれるのなら、いいかな。それが受け入れた理由のすべてだった。
 一緒にいることは自分たちにとってあたりまえで、だからこれからも一緒にいたいし、その上で特別だと思ってもらえることは素直にうれしい。
 一緒にいたいのほかに必要なプラスアルファの感情が、慎吾と同じものなのかと問われると、「どうなんだろう」と悩んでしまうかもしれない。でも。
 自分にとっても、慎吾がどこまでも「特別」な存在であることだけは間違いがなかった。
 スマホを炬燵の上に置いた妹が、かごからみかんをひとつ取り出した。皮をむきながら、おもむろに話しかけてくる。

「お兄ちゃんの駄目なところって、いろいろあるけどさ」
「うん」

 いろいろあるのかと思ったが、賢明にも真白は口に出さなかった。妙なところで几帳面な妹は、みかんの筋を一本一本取り除いている。

「決定的に言葉が足りないところだよね」
「そうか?」

 きれいにしたみかんをひと房口に放り込んでから、「そうだよ」とかなみが頷く。
 そんなつもりはないのだが、妹が言うならそうかもしれない。簡単に判定を変えたシスコンは、炬燵の中で思う存分に足を伸ばした。
 本当は、ひとり暮らしの部屋にも炬燵がほしいのだが、慎吾の「炬燵から動かなくなるから駄目」の一言で却下されているのだった。

「慎吾くんは甘いからなぁ。だからお兄ちゃんが喋らなくなるんだよね」
「なんでそこで慎吾が出てくるんだ」
「お兄ちゃんが言わなくても、ぜんぶ慎吾くんが察しちゃうからさ。それに甘えてお兄ちゃんが主張しなくなるっていう、なにその老夫婦みたいなね。残念感がね」
「老夫婦?」
「そうだなぁ。じゃあ、たとえば」

 合点のいっていない様子の兄に向かって、妹が続ける。「あたしに彼氏がいたとしてさ」

「俺、そんな話、一言も聞いてないんだけど」

 ワントーン下がった真白の声に、妹が邪気なく笑った。

「だからたとえばって言ってるじゃん」

 本当にたとえなのだろうかと疑おうとして真白はやめた。深く考えたくはない。

「たとえばだけどね。いたとしてね? それで、あたしは、その彼氏がめちゃくちゃ好きだったとしてね」
「……おう」
「もう、たとえばって言ってるんだから、難しい顔しないでよ。今からそんなんで、あたしが本当に彼氏連れてきたときどうすんの」

 もぐもぐとみかんを食べている横顔は、どこからどう見てもかわいかった。考えたくはないが、紹介される未来は近いのかもしれない。

「話が進まないから、いったんその話は置いとくね。それで、あたしはちゃんと『好き』って言ってるのに、その人はなんにも言葉にしてくれない人だったら、お兄ちゃんどう思う?」

 言葉より行動で示せ、だとか。行動で察しろ、だとか。そういうタイプの人種がいることは否定しないけれども。
 なんとなくむっとしたまま、吐き捨てるように真白は答えた。

「言えるのに言わないのはそいつの怠慢だろうが。そんなのと付き合っても、おまえが不安になって疲れるだけだぞ。やめとけ、やめとけ」
「だったら、お兄ちゃんは、恋人ができたとして、ちゃんと愛情表現するんだね?」

 言葉でね、しっかりとね。なぜかやたらと強調されて、真白は「あれ?」と思った。
 好きだとは言われた。べつにいいよ、と自分は応えた。でも、それだけである。仲直りはした。けれど、そのあとに、なにかそういった「恋人」らしい進展があったわけでもない。今までどおりふたりでごはんを食べて、大掃除をしてここに帰ってきた――それがこの三週間の顛末である。
 はたして自分たちは、付き合っているのだろうか。

「お兄ちゃんに恋人ができたとしても、相手の人は苦労するだろうなぁ」

 悩み始めた真白に、妹がとどめを刺した。

「するだろうな」
「だよねぇ。前のお兄ちゃんの彼女なんて、ぜんぜん相手してくれないからつまんないって言ってたもんねぇ」
「なんでおまえが知ってるんだよ」

 その情報源は慎吾か、もしかしなくても。真白の問いかけを無視したまま、妹は続けた。

「なにも言ってくれないし、なにを考えてるのかわからないから嫌だとも言われたんじゃなかったっけ、たしか」
「……」

 言われたような気もするが、記憶の彼方のできごとである。
 何年前の話なのかもはっきりとしないし、言った相手の名前ももう思い出せない。ただひとつ覚えているのは、慎吾に愚痴をこぼしたことだけだ。
 俺はしろの考えてることわかるし大丈夫だよ、と笑って請け負われて、ならいいやと安心したのだ。
 うん、そうだよな。ひとりで頷いてから、「大丈夫」と宣言する。

「たぶん、できても今のやつは、大丈夫。わかると思うし」

 言い切った真白に、妹が微妙な顔になる。

「お兄ちゃんが考えてることが本当に伝わってるかどうかなんて、どっちにもわかんないよ?」
「いや、でも」
「それにさ、直接言われたら安心するし、うれしいじゃん」

 みかんの皮を丸めて、妹がごみ箱に放り投げる。その軌跡を追いながら、それはそうかもしれないと真白は思い直した。

 ――誰よりも、一番特別に、好き。

 その言葉を聞いたとき、たしかに自分は安堵した。今まで悩んでいたことがぜんぶどうでもいいような気分にもなった。
 この腕も、体温も、自分だけのものだと思えることに、満足した。
 言葉にするというのは、そういうことなのだろうか。
 妹の言うことに一応の理解はできたものの、でもなぁと真白は思ってもいた。俺は、慎吾になにをどう伝えればいいんだろう。
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