6 / 72
第一章:ようこそ「あやかしよろず相談課」
いざ「よろ相」初出勤④
「最上先輩。あの、どうぞよろしくお願いします」
「――って呼ぶな」
「はい?」
ふいっと目を逸らした先輩が、ぼそりと呟く。聞き取り損ねて、あたしは目を瞬かせた。
「俺はおまえみたいな後輩がいた記憶はねぇし、職場でその呼び方すんな」
「で、でも」
「だいたい、なんだ。先輩って。ここは学校の仲良し部活か。俺はな、おまえの同僚ではあっても、上司でもねぇし、先輩でもねぇ。おまえの尻拭いは一切しねぇからな。新入り面して甘えてんじゃねぇぞ」
「こら、真晴くん。いいかげんにしなさい」
小さい子を叱るような七海さんの取り為しに、大きな子どもが黙り込む。
なに、この人。なんなの、いったい。
目を白黒させることしかできないでいると、七海さんが心底申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんね、三崎くん。仕事はできてもこのとおりのコミュニケーション不全で。まぁ、野生動物みたいなもので、しばらく一緒にいたら慣れていくと思うから、それまで我慢してやってくれるかい?」
「おい、ふざけんな! 誰が野生動物だ!」
「きみだよ、きみ。そのバリバリの警戒心とむやみに主張したがる縄張り意識。その上とんでもなく繊細ときた」
「……」
「これで野生動物じゃなかったらなんだって言うんだ、まったく」
やれやれと肩をすくめた七海さんを無言のまま睨んでいた先輩が、ふんと鼻を鳴らした。そのまま、あたしたちの脇をすり抜けて先輩の席らしきところに座る。
……調教?
これが人慣れた野生動物の姿なんですか、との突っ込みが喉元までせり上がってきた。七海さんは、よくできましたと言わんばかりの笑みを浮かべている。
「三崎くん、きみの席は真晴くんの隣だ。ちなみに、真晴くんの前が僕の席」
「は、はい」
ぎこちなく頷いて、あたしは言われたとおりに椅子を引いた。隣の先輩は、頑なにこちらを見ようともしない。
野生動物。あたしは心のなかで繰り返した。そうだ、野良猫だと思えばかわいいものじゃないか。
必死で言い聞かせて、国民健康保険課から持ってきた私物の片付けに手を付ける。同期の夏梨ちゃんに去年の誕生日に貰ったハリネズミのマグカップを最後に机の上に置いて、あたしはほっと瞳をゆるませた。ちょっと間の抜けた顔をしているのが最強にかわいい。前の課にいたときも、嫌なことがあったときはこの顔に癒されたのだった。
同じ動物でもこっちはかわいいのに。などと思いながら指先でハリネズミを撫ぜる。
「ん?」
そこで胡乱な視線を感じて顔を上げる。もしかして、うっかり声に出ていただろうか。
「あ、あの、その、どうかしましたか?」
引きつりそうな笑顔で首を傾げると、無言で視線を外されてしまった。
「えぇと、これ、同期の子から貰ったハリネズミなんですけど。そのかわいくないですか? この、警戒心ビリビリな感じ……」
必死で取り繕っているうちにどつぼに嵌まったような気がして、方向転換を試みる。
「いや、あの、先輩みたいだって言ってるわけじゃないですよ」
あ、ヤバい。間違った。悟ったときには七海さんは肩を震わせていて、先輩の眉間の皴は一本増えていた。
「真晴くんもハリネズミくらいのかわいさだったらよかったのにねぇ」
フォローのつもりなのか、七海さんが言う。笑いたいのを堪えたような声だったが。もう片方は無視を貫いている。あははと乾いた声で笑って、あたしは手に取っていたマグカップをそっと元の位置に戻した。いつもは癒されるハリネズミちゃんの顔が嘲笑っているように見える。重症だ。
――始業もまだなのに、大丈夫かな、これ。
机の下で胃を撫でさすっていると、ガチャリとドアが開いた。チャイムの鳴る二分前である。
「よし、間に合った!」
朗々とした声とともに入ってきたのは、五十代半ばといったところの男の人だった。
「そのようですね。一分四十五秒前です」
「あいかわらず七海は細かいなぁ。間に合ったんだからいいじゃないか。お、そうだ。今日から三崎くんが来てるんだったな」
その言葉に、あたしは慌てて席を立った。
「あぁ、大丈夫、大丈夫。座っていてくれたらいいから。今日からよろしく。私が課長の高階です」
「はい、よろしくお願いします!」
頭を下げながら、あたしは心の底からほっとした。課長の明るくも優しい笑顔に胃の痛みが消えていく。
七海さんといい、課長といい、みんなとても優しそうだ。
――やっぱり、噂だけで変なところだって決めつけちゃ駄目だなぁ。
墓場だなんて聞いていたから、閉鎖的で偏屈な人が多いところを想像してしまっていたのだ。偏見はよくない。うんうんと頷いてから、内心で首を傾げる。
……もしかして、課長も七海さんも本館に顔を見せないから、唯一出現する先輩の妙なところが目に付いて、とんでもない職場のように言われているのでは。
思いついてしまった疑惑を、あたしは慌てて打ち消した。有り得そうで笑えない。
「七海から説明があったと思うけど、仕事にはゆっくり慣れていってくれたらいいからね。きみ個人に任せるような大きな仕事も今のところはないし。基本的には電話番だ」
「電話番、ですか?」
「そう、電話番。ここの課の一番大事な仕事はね。かかってくる電話を絶対にないがしろにしないということなんだ」
なんといってもうちは「よろず相談課」だからね、と課長が言う。よろず相談。有海さんも、そんなふうにあたしを諭してくれたっけ。
行政の隙間に落ちてしまいかねない声を拾い上げる最後の砦。すごく市民に寄り添った仕事ができる課だと思うわ。そう言ってくれた。
「ここにかかってきた電話を、どこかの課に押し付けるようなことは絶対にしない。必ずうちの課で対応して解決する」
自信たっぷりの顔で課長は言い切った。なんだかすごく頼もしい。あたしは「はい」と頷いた。隣から響いた溜息は聞こえないことにした。
その返事に満足そうに課長がほほえむ。
「うん。それがきみの仕事だよ」
あたしの、新しい仕事。
まだわからないことだらけだけれど、そんなふうに課長が考えておられる場所で働けることは素直にうれしい。だから、あたしはもう一度しっかりと大きく頷いた。
「よろしくお願いします!」
「――って呼ぶな」
「はい?」
ふいっと目を逸らした先輩が、ぼそりと呟く。聞き取り損ねて、あたしは目を瞬かせた。
「俺はおまえみたいな後輩がいた記憶はねぇし、職場でその呼び方すんな」
「で、でも」
「だいたい、なんだ。先輩って。ここは学校の仲良し部活か。俺はな、おまえの同僚ではあっても、上司でもねぇし、先輩でもねぇ。おまえの尻拭いは一切しねぇからな。新入り面して甘えてんじゃねぇぞ」
「こら、真晴くん。いいかげんにしなさい」
小さい子を叱るような七海さんの取り為しに、大きな子どもが黙り込む。
なに、この人。なんなの、いったい。
目を白黒させることしかできないでいると、七海さんが心底申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんね、三崎くん。仕事はできてもこのとおりのコミュニケーション不全で。まぁ、野生動物みたいなもので、しばらく一緒にいたら慣れていくと思うから、それまで我慢してやってくれるかい?」
「おい、ふざけんな! 誰が野生動物だ!」
「きみだよ、きみ。そのバリバリの警戒心とむやみに主張したがる縄張り意識。その上とんでもなく繊細ときた」
「……」
「これで野生動物じゃなかったらなんだって言うんだ、まったく」
やれやれと肩をすくめた七海さんを無言のまま睨んでいた先輩が、ふんと鼻を鳴らした。そのまま、あたしたちの脇をすり抜けて先輩の席らしきところに座る。
……調教?
これが人慣れた野生動物の姿なんですか、との突っ込みが喉元までせり上がってきた。七海さんは、よくできましたと言わんばかりの笑みを浮かべている。
「三崎くん、きみの席は真晴くんの隣だ。ちなみに、真晴くんの前が僕の席」
「は、はい」
ぎこちなく頷いて、あたしは言われたとおりに椅子を引いた。隣の先輩は、頑なにこちらを見ようともしない。
野生動物。あたしは心のなかで繰り返した。そうだ、野良猫だと思えばかわいいものじゃないか。
必死で言い聞かせて、国民健康保険課から持ってきた私物の片付けに手を付ける。同期の夏梨ちゃんに去年の誕生日に貰ったハリネズミのマグカップを最後に机の上に置いて、あたしはほっと瞳をゆるませた。ちょっと間の抜けた顔をしているのが最強にかわいい。前の課にいたときも、嫌なことがあったときはこの顔に癒されたのだった。
同じ動物でもこっちはかわいいのに。などと思いながら指先でハリネズミを撫ぜる。
「ん?」
そこで胡乱な視線を感じて顔を上げる。もしかして、うっかり声に出ていただろうか。
「あ、あの、その、どうかしましたか?」
引きつりそうな笑顔で首を傾げると、無言で視線を外されてしまった。
「えぇと、これ、同期の子から貰ったハリネズミなんですけど。そのかわいくないですか? この、警戒心ビリビリな感じ……」
必死で取り繕っているうちにどつぼに嵌まったような気がして、方向転換を試みる。
「いや、あの、先輩みたいだって言ってるわけじゃないですよ」
あ、ヤバい。間違った。悟ったときには七海さんは肩を震わせていて、先輩の眉間の皴は一本増えていた。
「真晴くんもハリネズミくらいのかわいさだったらよかったのにねぇ」
フォローのつもりなのか、七海さんが言う。笑いたいのを堪えたような声だったが。もう片方は無視を貫いている。あははと乾いた声で笑って、あたしは手に取っていたマグカップをそっと元の位置に戻した。いつもは癒されるハリネズミちゃんの顔が嘲笑っているように見える。重症だ。
――始業もまだなのに、大丈夫かな、これ。
机の下で胃を撫でさすっていると、ガチャリとドアが開いた。チャイムの鳴る二分前である。
「よし、間に合った!」
朗々とした声とともに入ってきたのは、五十代半ばといったところの男の人だった。
「そのようですね。一分四十五秒前です」
「あいかわらず七海は細かいなぁ。間に合ったんだからいいじゃないか。お、そうだ。今日から三崎くんが来てるんだったな」
その言葉に、あたしは慌てて席を立った。
「あぁ、大丈夫、大丈夫。座っていてくれたらいいから。今日からよろしく。私が課長の高階です」
「はい、よろしくお願いします!」
頭を下げながら、あたしは心の底からほっとした。課長の明るくも優しい笑顔に胃の痛みが消えていく。
七海さんといい、課長といい、みんなとても優しそうだ。
――やっぱり、噂だけで変なところだって決めつけちゃ駄目だなぁ。
墓場だなんて聞いていたから、閉鎖的で偏屈な人が多いところを想像してしまっていたのだ。偏見はよくない。うんうんと頷いてから、内心で首を傾げる。
……もしかして、課長も七海さんも本館に顔を見せないから、唯一出現する先輩の妙なところが目に付いて、とんでもない職場のように言われているのでは。
思いついてしまった疑惑を、あたしは慌てて打ち消した。有り得そうで笑えない。
「七海から説明があったと思うけど、仕事にはゆっくり慣れていってくれたらいいからね。きみ個人に任せるような大きな仕事も今のところはないし。基本的には電話番だ」
「電話番、ですか?」
「そう、電話番。ここの課の一番大事な仕事はね。かかってくる電話を絶対にないがしろにしないということなんだ」
なんといってもうちは「よろず相談課」だからね、と課長が言う。よろず相談。有海さんも、そんなふうにあたしを諭してくれたっけ。
行政の隙間に落ちてしまいかねない声を拾い上げる最後の砦。すごく市民に寄り添った仕事ができる課だと思うわ。そう言ってくれた。
「ここにかかってきた電話を、どこかの課に押し付けるようなことは絶対にしない。必ずうちの課で対応して解決する」
自信たっぷりの顔で課長は言い切った。なんだかすごく頼もしい。あたしは「はい」と頷いた。隣から響いた溜息は聞こえないことにした。
その返事に満足そうに課長がほほえむ。
「うん。それがきみの仕事だよ」
あたしの、新しい仕事。
まだわからないことだらけだけれど、そんなふうに課長が考えておられる場所で働けることは素直にうれしい。だから、あたしはもう一度しっかりと大きく頷いた。
「よろしくお願いします!」
あなたにおすすめの小説
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
皇太子殿下は、幼なじみの頬しか触らない
由香
恋愛
後宮には、美しい妃が大勢いる。
けれど皇太子・曜は、誰にも触れないことで有名だった。
――ただ一人を除いて。
幼なじみの侍女・翠玉。
彼女の頬だけは、毎日のようにつつき、摘まみ、抱き寄せる。
「殿下、見られてます!」
「構わない」
後宮中が噂する。
『皇太子は侍女に溺れている』
けれど翠玉はまだ知らない。
それが幼なじみの距離ではなく、皇太子の独占欲だということを。
【完結】婚約破棄はお受けいたしましょう~踏みにじられた恋を抱えて
ゆうぎり
恋愛
「この子がクラーラの婚約者になるんだよ」
お父様に連れられたお茶会で私は一つ年上のナディオ様に恋をした。
綺麗なお顔のナディオ様。優しく笑うナディオ様。
今はもう、私に微笑みかける事はありません。
貴方の笑顔は別の方のもの。
私には忌々しげな顔で、視線を向けても貰えません。
私は厭われ者の婚約者。社交界では評判ですよね。
ねぇナディオ様、恋は花と同じだと思いませんか?
―――水をやらなければ枯れてしまうのですよ。
※ゆるゆる設定です。
※名前変更しました。元「踏みにじられた恋ならば、婚約破棄はお受けいたしましょう」
※多分誰かの視点から見たらハッピーエンド
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~
秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。
五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。
都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。
見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――!
久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――?
謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。
※カクヨムにも先行で投稿しています