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第二章:白狐と初恋
七海さんの話①
「――くん、三崎くん」
ふいに声が聞こえて、没頭していたファイルから顔を上げる。
「七海さん」
そして、外が真っ暗になっていたことに気がついた。あたしの席の横に立っていた七海さんが、いつもどおりの顔でにこりとほほえむ。
課内にはあたしたち以外は誰もいないようだった。
「すみません。もしかして、けっこう前から声かけてくれてました?」
「そのとおり。根の詰め過ぎは身体に毒だよ」
優しい声で諫めて、七海さんが窓際へと近づいていく。その白い指先が窓を閉めて、ブラインドを下ろす。帰れって言われてるんだろうな。わかっていてなお居残る度胸はない。読み込んでいたファイルも、残すところあと一ページだ。
「これだけ読み終わったら、帰ります」
言われる前に宣言すると、七海さんは眉を下げた。
「そこを読めば、きみのその困り顔は解消されそうなのかな」
「え……、と」
空元気で応えることに失敗して、あたしは中途半端な笑みを浮かべる。解消されるわけがないことは、自分が一番わかっていた。
今あたしが読んでいたのは、七海さんから貸してもらったファイルだった。あの神社に関する雑事をまとめたもの。この課が創設されて以降で相談のあった上森の案件。
けれど、あたしが求めていた神様個人のことはなにひとつ記載はなかった。白狐様とはこういうものだという記述はあっても、白狐様がどんなことを考えていたかだとか、そういったものはなにもない。
日記ではなく記録なのだから、当たり前なのだろうけれど。
それでも過去に似たような事例はなかったか、なんらかの手掛かりはないか。そんな一縷の望みに縋るようにして、ページを繰っていた。
「真晴くんがなにを言ったのかは、だいたいのところ想像が付くのだけどね」
そう言って七海さんは先輩の席に座った。あたしもファイルを閉じて、身体ごと向き直る。
「たしかに真晴くんは、きみより長い時間この仕事に従事しているし、おそらくきみよりも生まれつき、こういった特殊な事案に慣れてもいる」
「……はい」
「彼が考えて解決してきた事柄のなかで、うまくいったと評されるだろうことも、きみが手がけたものより多いかもしれない」
当たり前のことを淡々と言ってから、「でもね」と七海さんが声を潜めた。
「それが本当に正解かどうかなんて、誰にもわからないんだよ」
「え……?」
「そのままの意味だよ。難しく考えなくていい。世間一般的に考えれば真晴くんの意見が正しいかもしれない。でも、あのお狐ちゃんにとっては、もしかするときみの意見が正しいのかもしれない。そんなことは僕にはわかりようがないからね」
どこか懐かしむように、ふっと七海さんの目元がゆるむ。優しい顔だった。
「だから、自分が後悔しないように、しっかりと考えて選択すればいい。まぁ、責任は伴うけれど」
「でも」
「もちろん、判断をするまでに、自分とは違う価値観を持つ誰かの意見を聞くことも大切だろうし、相談することもいいと思う。誰かと話すなかでまとまっていく考えもあるだろうからね。でも、最終的に判断を下すことができるのは、当事者だけだ」
優しい顔のまま、七海さんはシビアなことを言う。その厳しさは先輩に通じるものがあった。
「その判断が正しかったのかどうかは、未来でしか知ることができない。だから判断を下すときに必要なものは覚悟だけなんだと僕は思うよ」
「覚悟、ですか」
「そう。覚悟。自分はこういった信念をもって選んだのだと胸を張って言えるような、ね。そうすれば、もし誤っていたとしてもしっかりと自身の非を認めることができるだろう?」
「それで、もし」
どこまでも正しく厳しい言葉に、縋るような声が出た。
「うん?」
続きを促すように七海さんが笑みを深くする。ぎゅっと掌を握りこんだまま、あたしは言葉を絞り出した。
ふいに声が聞こえて、没頭していたファイルから顔を上げる。
「七海さん」
そして、外が真っ暗になっていたことに気がついた。あたしの席の横に立っていた七海さんが、いつもどおりの顔でにこりとほほえむ。
課内にはあたしたち以外は誰もいないようだった。
「すみません。もしかして、けっこう前から声かけてくれてました?」
「そのとおり。根の詰め過ぎは身体に毒だよ」
優しい声で諫めて、七海さんが窓際へと近づいていく。その白い指先が窓を閉めて、ブラインドを下ろす。帰れって言われてるんだろうな。わかっていてなお居残る度胸はない。読み込んでいたファイルも、残すところあと一ページだ。
「これだけ読み終わったら、帰ります」
言われる前に宣言すると、七海さんは眉を下げた。
「そこを読めば、きみのその困り顔は解消されそうなのかな」
「え……、と」
空元気で応えることに失敗して、あたしは中途半端な笑みを浮かべる。解消されるわけがないことは、自分が一番わかっていた。
今あたしが読んでいたのは、七海さんから貸してもらったファイルだった。あの神社に関する雑事をまとめたもの。この課が創設されて以降で相談のあった上森の案件。
けれど、あたしが求めていた神様個人のことはなにひとつ記載はなかった。白狐様とはこういうものだという記述はあっても、白狐様がどんなことを考えていたかだとか、そういったものはなにもない。
日記ではなく記録なのだから、当たり前なのだろうけれど。
それでも過去に似たような事例はなかったか、なんらかの手掛かりはないか。そんな一縷の望みに縋るようにして、ページを繰っていた。
「真晴くんがなにを言ったのかは、だいたいのところ想像が付くのだけどね」
そう言って七海さんは先輩の席に座った。あたしもファイルを閉じて、身体ごと向き直る。
「たしかに真晴くんは、きみより長い時間この仕事に従事しているし、おそらくきみよりも生まれつき、こういった特殊な事案に慣れてもいる」
「……はい」
「彼が考えて解決してきた事柄のなかで、うまくいったと評されるだろうことも、きみが手がけたものより多いかもしれない」
当たり前のことを淡々と言ってから、「でもね」と七海さんが声を潜めた。
「それが本当に正解かどうかなんて、誰にもわからないんだよ」
「え……?」
「そのままの意味だよ。難しく考えなくていい。世間一般的に考えれば真晴くんの意見が正しいかもしれない。でも、あのお狐ちゃんにとっては、もしかするときみの意見が正しいのかもしれない。そんなことは僕にはわかりようがないからね」
どこか懐かしむように、ふっと七海さんの目元がゆるむ。優しい顔だった。
「だから、自分が後悔しないように、しっかりと考えて選択すればいい。まぁ、責任は伴うけれど」
「でも」
「もちろん、判断をするまでに、自分とは違う価値観を持つ誰かの意見を聞くことも大切だろうし、相談することもいいと思う。誰かと話すなかでまとまっていく考えもあるだろうからね。でも、最終的に判断を下すことができるのは、当事者だけだ」
優しい顔のまま、七海さんはシビアなことを言う。その厳しさは先輩に通じるものがあった。
「その判断が正しかったのかどうかは、未来でしか知ることができない。だから判断を下すときに必要なものは覚悟だけなんだと僕は思うよ」
「覚悟、ですか」
「そう。覚悟。自分はこういった信念をもって選んだのだと胸を張って言えるような、ね。そうすれば、もし誤っていたとしてもしっかりと自身の非を認めることができるだろう?」
「それで、もし」
どこまでも正しく厳しい言葉に、縋るような声が出た。
「うん?」
続きを促すように七海さんが笑みを深くする。ぎゅっと掌を握りこんだまま、あたしは言葉を絞り出した。
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