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第二章:白狐と初恋
VS先輩①
「おはようございます!」
八時過ぎ。いつもの時間にあやかしよろず相談課のドアを開けた先輩を、渾身の笑顔で出迎えると無言で半歩後じさりされてしまった。ひどい。
あたしの笑顔を凝視していた先輩が、嫌そうに口を開く。
「なんなんだ、そのおまえの、気持ち悪い自信満々なツラは」
「あまりにもひどくないですか、それ!?」
せっかく切り替えたのにと憤慨したあたしを無視して、先輩はもじゃもじゃ頭をかき回しながら椅子を引く。
というか、小学生男子じゃあるまいし、職場の同僚の……仮にも異性に対して言う台詞じゃないだろう。いまさらと言えばいまさらではあるけれど。
「それだ、それだ。昨日のしょぼくれたツラはどこに捨ててきたんだ」
「だって、しょぼくれてもしょうがないじゃないですか。だから、あたしなりに考えて、あたしができることをすることにしたんです」
言い切ると、先輩は珍獣を見るような顔になった。そして一言。
「七海か」
「え?」
「七海の入れ知恵だろ。そうに決まってる」
「いや、まぁ、その入れ知恵というか相談には乗ってもらいましたけど」
「あの野郎」
どう好意的に解釈しても職場の上司に対する呼称ではないが、七海さんも私情丸出しで「真晴くん」呼びを改めないので、似た者同士なのかもしれない。
「おい、あいつと一緒にするな」
「え? すみません、声に出てました?」
ぎろりと眼鏡の奥から睨まれて、あたしは慌てて弁明した。やばい、うっかり声に出ていたのだろうか。
むっつり黙り込んだ先輩の指先は、苛々とデスクの端を叩いている。
うわぁご機嫌斜めだなぁと思いながら観察していると、あからさまな溜息を吐かれてしまった。
「おまえの場合、声に出てなくても顔に出てんだよ」
「はぁ、その、……いや、すみません」
としか言いようがない。せっかく見てもらおうと思ってたのになぁと、パソコンの画面にちらりと視線を移す。
……午後にしようかな。
「で?」
「え?」
「え? じゃねぇよ。なんか俺に見せるもんがあったんじゃねぇのか」
「あ、……はい。あります」
そうやって声をかけてくれるなら、最初からもう少し優しくしてくれてもいいのに。ほんの少し拗ねながらも、先輩のほうにパソコンの画面を傾ける。
「これなんですけど……」
「なんだ、それ。グループメール?」
「はい。あの、庁内のグループメールです。あたしの前後三期くらいの方に上森のお祭りの日程をお知らせしようかなと思いまして」
「なんでだ」
「庁内のお知らせ掲示板に、うちの課の名前でお祭りのことを伝えるのはさすがにちょっとあれかなぁと思いまして。なのでもう少し個人的にグループメールにしました」
昨夜、七海さんに見てもらって文面を整えたんです。朝一で送信しました。言い切ると、先輩がうんざりと首を振った。
「いや、そういうことを聞いたんじゃねぇよ」
「あ、念のために言っておきますけど。いくらあたしでも庁内に『ゆうたくん』がいるなんて能天気なことを考えて送ったわけじゃないですよ。そうじゃなくて、お祭りの存在自体を知らない人が多いのはもったいないなぁと思って。それに賑やかなお祭りになれば神様も喜ぶんじゃないのかなぁ、なんて」
先輩の反応の悪さが心配になって、あたしはつらつらと言い募った。先輩は言いたいことを呑みこんだような顔で一点を見つめている。ちょっと怖い。
「あ、あの……あ!」
返信のスレッドが立って、ぱっと意識がメールに戻る。さっそく誰かが返信してくれたらしい。表示された名前にあたしはいたく感動した。静山さんだ。
以前にいた課で大変お世話になった二期上の先輩である。新卒で配属された当時のあたしの教育担当だった人なのだが、一言でいうとものすごく優しい人なのだ。
右も左もわからなかったあたしにも根気よく一から教えてくださって、注意されたことは数あれど、感情的に怒られたことも、面倒がられたりしたことも一度もない。
こうしたグループメールにもすぐに返信をしてくれるあたり、本当に人間ができていらっしゃる。
「上森のお祭りか。そういやそんな季節だね。俺の実家も上森だから、顔出せたら顔出すよ。ただちょっと仕事が忙しい時期だから確約はできないけど」
一読して、あたしはうんうんと頷いた。そりゃそうだ。国民健康保険課は六月が一年のなかでも一番と言っていい忙しい時期なのだ。
――保険料の更新の時期だからなぁ。あたしもまた休日出勤されてるころに一回くらい差し入れがてら顔を出しに行こうかな。
それにしても、静山さんって上森の出身なんだ。知らなかったなぁと思ったところで、あたしは「あ」と短く叫んだ。
唐突なあたしの発声に、びくと先輩の肩が揺れた気もするが、それどころではない。まさかなと疑いながらも、あたしはもう一度スレッドを見た。
スレッドには返信者のフルネームが出るようになっている。静山、優太。
マジか。
「先輩」
そんな都合のいいことがあっていいのだろうかとドキドキしながら、呼びかける。静山さんは先輩の同期だ。大卒で入ってきた人だから年は先輩の四つ上。そしてあたしの六つ上。
神様の言うところの「ほとんど変わらない年齢」の誤差の範疇だろう。
「先輩、静山さんってどう思います?」
「は?」
先輩の声が裏返る。パソコンから視線を外すと、及び腰の先輩がものすごく嫌そうな声を出した。
「恋愛相談は受け付けてねぇぞ」
「え? いや、違います、違います」
とんだ勘違いにあたしはぶんぶんと首を振った。違う。というか、もし仮に静山さんにあたしが恋をしたとしても、絶対に相談相手に先輩は選ばない。
八時過ぎ。いつもの時間にあやかしよろず相談課のドアを開けた先輩を、渾身の笑顔で出迎えると無言で半歩後じさりされてしまった。ひどい。
あたしの笑顔を凝視していた先輩が、嫌そうに口を開く。
「なんなんだ、そのおまえの、気持ち悪い自信満々なツラは」
「あまりにもひどくないですか、それ!?」
せっかく切り替えたのにと憤慨したあたしを無視して、先輩はもじゃもじゃ頭をかき回しながら椅子を引く。
というか、小学生男子じゃあるまいし、職場の同僚の……仮にも異性に対して言う台詞じゃないだろう。いまさらと言えばいまさらではあるけれど。
「それだ、それだ。昨日のしょぼくれたツラはどこに捨ててきたんだ」
「だって、しょぼくれてもしょうがないじゃないですか。だから、あたしなりに考えて、あたしができることをすることにしたんです」
言い切ると、先輩は珍獣を見るような顔になった。そして一言。
「七海か」
「え?」
「七海の入れ知恵だろ。そうに決まってる」
「いや、まぁ、その入れ知恵というか相談には乗ってもらいましたけど」
「あの野郎」
どう好意的に解釈しても職場の上司に対する呼称ではないが、七海さんも私情丸出しで「真晴くん」呼びを改めないので、似た者同士なのかもしれない。
「おい、あいつと一緒にするな」
「え? すみません、声に出てました?」
ぎろりと眼鏡の奥から睨まれて、あたしは慌てて弁明した。やばい、うっかり声に出ていたのだろうか。
むっつり黙り込んだ先輩の指先は、苛々とデスクの端を叩いている。
うわぁご機嫌斜めだなぁと思いながら観察していると、あからさまな溜息を吐かれてしまった。
「おまえの場合、声に出てなくても顔に出てんだよ」
「はぁ、その、……いや、すみません」
としか言いようがない。せっかく見てもらおうと思ってたのになぁと、パソコンの画面にちらりと視線を移す。
……午後にしようかな。
「で?」
「え?」
「え? じゃねぇよ。なんか俺に見せるもんがあったんじゃねぇのか」
「あ、……はい。あります」
そうやって声をかけてくれるなら、最初からもう少し優しくしてくれてもいいのに。ほんの少し拗ねながらも、先輩のほうにパソコンの画面を傾ける。
「これなんですけど……」
「なんだ、それ。グループメール?」
「はい。あの、庁内のグループメールです。あたしの前後三期くらいの方に上森のお祭りの日程をお知らせしようかなと思いまして」
「なんでだ」
「庁内のお知らせ掲示板に、うちの課の名前でお祭りのことを伝えるのはさすがにちょっとあれかなぁと思いまして。なのでもう少し個人的にグループメールにしました」
昨夜、七海さんに見てもらって文面を整えたんです。朝一で送信しました。言い切ると、先輩がうんざりと首を振った。
「いや、そういうことを聞いたんじゃねぇよ」
「あ、念のために言っておきますけど。いくらあたしでも庁内に『ゆうたくん』がいるなんて能天気なことを考えて送ったわけじゃないですよ。そうじゃなくて、お祭りの存在自体を知らない人が多いのはもったいないなぁと思って。それに賑やかなお祭りになれば神様も喜ぶんじゃないのかなぁ、なんて」
先輩の反応の悪さが心配になって、あたしはつらつらと言い募った。先輩は言いたいことを呑みこんだような顔で一点を見つめている。ちょっと怖い。
「あ、あの……あ!」
返信のスレッドが立って、ぱっと意識がメールに戻る。さっそく誰かが返信してくれたらしい。表示された名前にあたしはいたく感動した。静山さんだ。
以前にいた課で大変お世話になった二期上の先輩である。新卒で配属された当時のあたしの教育担当だった人なのだが、一言でいうとものすごく優しい人なのだ。
右も左もわからなかったあたしにも根気よく一から教えてくださって、注意されたことは数あれど、感情的に怒られたことも、面倒がられたりしたことも一度もない。
こうしたグループメールにもすぐに返信をしてくれるあたり、本当に人間ができていらっしゃる。
「上森のお祭りか。そういやそんな季節だね。俺の実家も上森だから、顔出せたら顔出すよ。ただちょっと仕事が忙しい時期だから確約はできないけど」
一読して、あたしはうんうんと頷いた。そりゃそうだ。国民健康保険課は六月が一年のなかでも一番と言っていい忙しい時期なのだ。
――保険料の更新の時期だからなぁ。あたしもまた休日出勤されてるころに一回くらい差し入れがてら顔を出しに行こうかな。
それにしても、静山さんって上森の出身なんだ。知らなかったなぁと思ったところで、あたしは「あ」と短く叫んだ。
唐突なあたしの発声に、びくと先輩の肩が揺れた気もするが、それどころではない。まさかなと疑いながらも、あたしはもう一度スレッドを見た。
スレッドには返信者のフルネームが出るようになっている。静山、優太。
マジか。
「先輩」
そんな都合のいいことがあっていいのだろうかとドキドキしながら、呼びかける。静山さんは先輩の同期だ。大卒で入ってきた人だから年は先輩の四つ上。そしてあたしの六つ上。
神様の言うところの「ほとんど変わらない年齢」の誤差の範疇だろう。
「先輩、静山さんってどう思います?」
「は?」
先輩の声が裏返る。パソコンから視線を外すと、及び腰の先輩がものすごく嫌そうな声を出した。
「恋愛相談は受け付けてねぇぞ」
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