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第二章:白狐と初恋
稲荷神社の夏祭り④
「人数も少ない弱小チームだったけどね。練習が忙しくなって、……それで、このお祭りも来れなくなったんだったな」
「楽しかったのか?」
「弱いなりにね。仲間と一緒にやるのは楽しいよ。うちの中学はどの学年も一クラスしかないようなところだったからね。みんな子どものころからの顔見知りで、妙な上下関係も存在してなかったから」
――そうか。楽しかったのか。
「高校でもやってたのか?」
「まぁね。俺は最上たちとは違って南高だったけど、あんまり強くはなくてね。万年初戦負けのチームだったけど、それでも三年間やったよ」
――そうか。
神様の優しい声が響く。まるで神様と静山さんが会話をしているみたいだった。
「それで、大学で県外に出たっつうに、物好きに戻ってきたんだよな、おまえは」
「それは最上もだろ。この地を選んだっていうのは一緒だ」
「……俺の話はいいんだよ。おまえの話だ」
「似たようなものだと思うけどな」
そう言って、静山さんが境内を見渡した。
「なんだかんだ言っても、この場所が好きだからだよ」
――そうか。
「そうかよ」
「うん。まぁ、はっきり言うと照れるけどな。でも、まぁ、そういうことだよ」
――ゆうた。
それは、母親が幼子に向けるような優しい声だった。
神様にとってあたしたちは、本当に小さな子どものような存在なのだろうと思い知る。
静山さんを見つめる紅い瞳も、たまらなく優しかった。静山さんに見えていないのが、もったいないくらいに。
――大きくなったな。
その一言を最後に、ふわりと神様が肩から浮き上がった。思わず小さな声が零れそうになって、慌てて呑み込む。
けれど、視線は誤魔化しようがないくらい、上空に浮かぶ神様に吸い付いてしまっていた。
いたずらな笑みを残して、社の屋根にふわふわと上っていく。どこに消えてしまったのだろうと目を凝らしたのは一瞬だった。
社の屋根の一角に、ぽわりとした優しい灯りが集まり始めている。あぁ、と思った。
そこならみんなが見える。静山さんだけではなく、この祭りにきたみんなの顔が。
楽しそうな声を上げながら甚平を着た子どもが、あたしたちの脇を走り抜けていく。元気だなぁと静山さんが笑う。
じんわりと視界が滲みそうになって、あたしはぶんぶんと頭を振った。ここで泣いたら、完全なる変人だ。
先輩から突き刺さる冷たい視線が、妙なことをするな、言うなと言っている。わかってますよと頷いたものの、笑顔は泣き笑いになってしまった。
「ガキでもできたら、連れて来てやれよ」
「最上にそんなことを言われるとは思わなかったな。でも、そうだな。引き継いでいかないとな、こういった地域の行事も」
「そう……ですよね」
恥ずかしい話ではあるけれど、今の課に配属されるまで、そういったことをしっかりと考えたことはなかった。
けれど、それが事実なのだ。意識して引き継いでいかないと廃れてしまう。そのことを、あたしたちは知っておかなければならないのかもしれない。
じっと上空を見上げたまま、先輩が問いかけた。
「なぁ、静山。この祭り、なんで行われてるのか、知ってるか?」
「そういや知らないな。最上は知ってるのか?」
「昔、人間のために死んだ狐の葬いだ」
淡々とした言葉に、あたしははっとして視線を向ける。分厚い眼鏡ともっさりとした前髪で、ほとんど表情を覆い隠された横顔。どんな顔をしているのかは、想像することしかできない。
けれど、声同様の静かな顔をしているのだろうなと思った。
社の屋根の周辺には、ぽわぽわと明るい光の玉が浮かんでいる。そこにいる神様は、なにを思っているのだろう。
人間を守って死んでしまった狐を崇め、神に祭り上げた人間。そしていつしか、そのことを忘れてしまったあたしたち。
「そうだったのか」
静山さんの声が響く。賑やかだった境内の音が遠いたような感覚に、あたしは周囲をぐるりと見渡した。
けれど、なにも変わってはいなかった。
母親にヨーヨーすくいをしたいと強請る子ども。石段に座って団扇で扇ぎ合っているおじいちゃんとおばあちゃん。少ない屋台を吟味して回っている小学生くらいの女の子三人組。
「知らなかったな。いや、もしかしたら、小さいころにじいちゃんに聞いたことがあったのかもしれないけど」
べつに無理はねぇよと責める色のいっさいない調子で先輩が言う。本当に心の底から先輩はそう思ってるんだろう。
「笑って楽しんで、それで、ほんの少し感謝の念を持っていればいい。あいつらは忘れ去られることを一番怖がってるんだ」
「そうか。誰だって、忘れられるのは怖いよな」
納得したように頷いて、静山さんは境内を眺めている。
そこにはきっと、忘れていたものも含めて、静山さんの過去があるのだろうと思う。静山さんが覚えていなくても、神様と交わった時間はある。あたしと先輩はきっと覚えている。
そして、あたしたちが生きているあいだは、きっと神様も。それだけで、いいのだとも思う。
そうだよねと同意を求めるように、あたしは夜を見上げた。光の玉は蛍のようにも明るすぎる星のようにも見える。
誰かの記憶から自分が消え失せてしまうことは、とても怖いことだ。
「楽しかったのか?」
「弱いなりにね。仲間と一緒にやるのは楽しいよ。うちの中学はどの学年も一クラスしかないようなところだったからね。みんな子どものころからの顔見知りで、妙な上下関係も存在してなかったから」
――そうか。楽しかったのか。
「高校でもやってたのか?」
「まぁね。俺は最上たちとは違って南高だったけど、あんまり強くはなくてね。万年初戦負けのチームだったけど、それでも三年間やったよ」
――そうか。
神様の優しい声が響く。まるで神様と静山さんが会話をしているみたいだった。
「それで、大学で県外に出たっつうに、物好きに戻ってきたんだよな、おまえは」
「それは最上もだろ。この地を選んだっていうのは一緒だ」
「……俺の話はいいんだよ。おまえの話だ」
「似たようなものだと思うけどな」
そう言って、静山さんが境内を見渡した。
「なんだかんだ言っても、この場所が好きだからだよ」
――そうか。
「そうかよ」
「うん。まぁ、はっきり言うと照れるけどな。でも、まぁ、そういうことだよ」
――ゆうた。
それは、母親が幼子に向けるような優しい声だった。
神様にとってあたしたちは、本当に小さな子どものような存在なのだろうと思い知る。
静山さんを見つめる紅い瞳も、たまらなく優しかった。静山さんに見えていないのが、もったいないくらいに。
――大きくなったな。
その一言を最後に、ふわりと神様が肩から浮き上がった。思わず小さな声が零れそうになって、慌てて呑み込む。
けれど、視線は誤魔化しようがないくらい、上空に浮かぶ神様に吸い付いてしまっていた。
いたずらな笑みを残して、社の屋根にふわふわと上っていく。どこに消えてしまったのだろうと目を凝らしたのは一瞬だった。
社の屋根の一角に、ぽわりとした優しい灯りが集まり始めている。あぁ、と思った。
そこならみんなが見える。静山さんだけではなく、この祭りにきたみんなの顔が。
楽しそうな声を上げながら甚平を着た子どもが、あたしたちの脇を走り抜けていく。元気だなぁと静山さんが笑う。
じんわりと視界が滲みそうになって、あたしはぶんぶんと頭を振った。ここで泣いたら、完全なる変人だ。
先輩から突き刺さる冷たい視線が、妙なことをするな、言うなと言っている。わかってますよと頷いたものの、笑顔は泣き笑いになってしまった。
「ガキでもできたら、連れて来てやれよ」
「最上にそんなことを言われるとは思わなかったな。でも、そうだな。引き継いでいかないとな、こういった地域の行事も」
「そう……ですよね」
恥ずかしい話ではあるけれど、今の課に配属されるまで、そういったことをしっかりと考えたことはなかった。
けれど、それが事実なのだ。意識して引き継いでいかないと廃れてしまう。そのことを、あたしたちは知っておかなければならないのかもしれない。
じっと上空を見上げたまま、先輩が問いかけた。
「なぁ、静山。この祭り、なんで行われてるのか、知ってるか?」
「そういや知らないな。最上は知ってるのか?」
「昔、人間のために死んだ狐の葬いだ」
淡々とした言葉に、あたしははっとして視線を向ける。分厚い眼鏡ともっさりとした前髪で、ほとんど表情を覆い隠された横顔。どんな顔をしているのかは、想像することしかできない。
けれど、声同様の静かな顔をしているのだろうなと思った。
社の屋根の周辺には、ぽわぽわと明るい光の玉が浮かんでいる。そこにいる神様は、なにを思っているのだろう。
人間を守って死んでしまった狐を崇め、神に祭り上げた人間。そしていつしか、そのことを忘れてしまったあたしたち。
「そうだったのか」
静山さんの声が響く。賑やかだった境内の音が遠いたような感覚に、あたしは周囲をぐるりと見渡した。
けれど、なにも変わってはいなかった。
母親にヨーヨーすくいをしたいと強請る子ども。石段に座って団扇で扇ぎ合っているおじいちゃんとおばあちゃん。少ない屋台を吟味して回っている小学生くらいの女の子三人組。
「知らなかったな。いや、もしかしたら、小さいころにじいちゃんに聞いたことがあったのかもしれないけど」
べつに無理はねぇよと責める色のいっさいない調子で先輩が言う。本当に心の底から先輩はそう思ってるんだろう。
「笑って楽しんで、それで、ほんの少し感謝の念を持っていればいい。あいつらは忘れ去られることを一番怖がってるんだ」
「そうか。誰だって、忘れられるのは怖いよな」
納得したように頷いて、静山さんは境内を眺めている。
そこにはきっと、忘れていたものも含めて、静山さんの過去があるのだろうと思う。静山さんが覚えていなくても、神様と交わった時間はある。あたしと先輩はきっと覚えている。
そして、あたしたちが生きているあいだは、きっと神様も。それだけで、いいのだとも思う。
そうだよねと同意を求めるように、あたしは夜を見上げた。光の玉は蛍のようにも明るすぎる星のようにも見える。
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