62 / 72
第三章:真夏の恐怖怪談
おばけよりも怖いもの①
「なんだか河童さん、今日はご機嫌斜めでしたねぇ」
はじめて会ったときの善良そうなおばあちゃんの仮面はどこへやら。今日の河童さんは完全にへそを曲げたおばあちゃんだった。
……とはいえ、へそを曲げた理由が理由なので腹は立たないのだけれど。
「しかたねぇだろ。どこぞの馬鹿がゴミばっかり捨ててくんだ。おまえだって自分ちの庭に空缶やらなんやら投げ捨てられたら腹も立つだろ」
「まぁ、そうなんですけどね」
夏になると川遊びやらバーベキューやらで、あの河原を利用する市民が増える。楽しんでくれるだけならいいのだが、悲しいかな先輩の言うとおり汚して帰っていく人間が多いのだ。
そうじゃない人もいるんだろうけど、たいした悪気も罪悪感もなく川にゴミを捨てていく人がいるのである。川掃除であたしは思い知った。なんでもかんでも捨て過ぎだ。
そんなわけで、すっかり帰りが遅くなってしまった。もう定時を過ぎている。お盆のあいだは残業している人は少ないようで、本館からは三分の二以上の電気が消えていた。
旧館の入り口に向かいながら、あたしは問いかける。
「やっぱり地域の方を巻き込んでの大掃除とかってできないですかねぇ」
「だからうちの案件じゃないっつったろ」
「じゃあせめて川に看板立てるとか。その看板づくりを小学生に手伝ってもらうとか」
「うちの一存でできるわけねぇだろうが」
物の見事に一蹴されてしまったが、律儀に返事をしてくれるだけマシなのかもしれない。それはそうでしょうけど、ともごもごと口のなかで呟く。
先輩の言うことは基本的に正論なのだが、頑固が災いしてなかなか諦めることができない。
「それはそうなんだから、そうなんだよ」
うんざりと評して差しさわりのない声に、あたしは慌てて「わかってますよ」と取り繕った。
少なくとも妙な意地を張って我を突きとおす真似はしないつもりだ。身近な仕事仲間ひとり納得させることができないで、先に進めるわけがない。
まずは先輩ともっとしっかり話して、先輩の意見もちゃんと聞いて、それから七海さんと課長にプレゼンするんだ。
ひそかに決意して旧館を見上げたところで、あたしはあれと首を傾げた。
「先輩」
「あ? なんだよ」
「今日って、たしか七海さん定時には帰られるって朝におっしゃってませんでしたっけ」
「言ってたな、そういや」
「えぇ。なんですけど。なんかうちの課、電気がついてるような」
二階の窓を指差したあたしに、先輩が眉をすがめた。やっぱり、ついている。
「七海さん消し忘れられたんですかね、珍しい」
「おい」
「はい?」
「おまえ、今から俺がいいって言うまで大声出すなよ。あと、静かに歩け」
「え? え、それって……」
いったいどういうことなのか。クエスチョンマークを頭の上に盛大に散らしたあたしを黙殺して、先輩が無言で顎をしゃくった。怖い。様になっているのがやり慣れてる感が滲み出ていて、余計に怖い。
――昔は、もっと大人しそうだったのになぁ。
まぁ、今のほうが生き生きしてるというか、肩から力が抜けている感じがするから、いいと思うけど。
しかし、人って変わるもんだなぁ。そこまで思ってから、あたしは思い直した。あのころもしっかり向き合って話していたら、案外こんな感じだったのかもしれない。
知ろうと思わなきゃ、見ているだけじゃわからないのだ。
苦笑いで頷いて、足音なく階段を上っていく先輩に倣って、できるだけ足音を殺してその後ろに続く。
――でも、なんなんだろうな、本当に。
めったとないことかもしれないけれど、七海さんが電気を消し忘れたとしてもおかしくない。
少なくとも、こんな――あまりいい言い方ではないかもしれないけれど、盗人がいることを確信しているような、足運び。
先輩の世界は、本当になにが見えているんだろう。
その目を借りたら、あたしとはなにもかもが違う世界が見える気がした。
あやかしよろず相談課の前で足を止めた先輩が、ちらりとあたしのほうを振り返った。たぶん、入るぞという合図だ。
同じく無言で頷き返すと、先輩が前を向いた。そして勢いよくドアを開ける。
「……え?」
想定していなかった光景に、ぽかんと口が開く。
「え、え、え? 相馬さん?」
先輩は最初からわかっていたような顔で、なにも言わない。けれど逆にその静けさが恐ろしい。
相馬さんはちっと舌打ちせんばかりの苦々しい顔で、先輩の机の引き出しから手を離した。
はっきり言って怪しすぎる。
はじめて会ったときの善良そうなおばあちゃんの仮面はどこへやら。今日の河童さんは完全にへそを曲げたおばあちゃんだった。
……とはいえ、へそを曲げた理由が理由なので腹は立たないのだけれど。
「しかたねぇだろ。どこぞの馬鹿がゴミばっかり捨ててくんだ。おまえだって自分ちの庭に空缶やらなんやら投げ捨てられたら腹も立つだろ」
「まぁ、そうなんですけどね」
夏になると川遊びやらバーベキューやらで、あの河原を利用する市民が増える。楽しんでくれるだけならいいのだが、悲しいかな先輩の言うとおり汚して帰っていく人間が多いのだ。
そうじゃない人もいるんだろうけど、たいした悪気も罪悪感もなく川にゴミを捨てていく人がいるのである。川掃除であたしは思い知った。なんでもかんでも捨て過ぎだ。
そんなわけで、すっかり帰りが遅くなってしまった。もう定時を過ぎている。お盆のあいだは残業している人は少ないようで、本館からは三分の二以上の電気が消えていた。
旧館の入り口に向かいながら、あたしは問いかける。
「やっぱり地域の方を巻き込んでの大掃除とかってできないですかねぇ」
「だからうちの案件じゃないっつったろ」
「じゃあせめて川に看板立てるとか。その看板づくりを小学生に手伝ってもらうとか」
「うちの一存でできるわけねぇだろうが」
物の見事に一蹴されてしまったが、律儀に返事をしてくれるだけマシなのかもしれない。それはそうでしょうけど、ともごもごと口のなかで呟く。
先輩の言うことは基本的に正論なのだが、頑固が災いしてなかなか諦めることができない。
「それはそうなんだから、そうなんだよ」
うんざりと評して差しさわりのない声に、あたしは慌てて「わかってますよ」と取り繕った。
少なくとも妙な意地を張って我を突きとおす真似はしないつもりだ。身近な仕事仲間ひとり納得させることができないで、先に進めるわけがない。
まずは先輩ともっとしっかり話して、先輩の意見もちゃんと聞いて、それから七海さんと課長にプレゼンするんだ。
ひそかに決意して旧館を見上げたところで、あたしはあれと首を傾げた。
「先輩」
「あ? なんだよ」
「今日って、たしか七海さん定時には帰られるって朝におっしゃってませんでしたっけ」
「言ってたな、そういや」
「えぇ。なんですけど。なんかうちの課、電気がついてるような」
二階の窓を指差したあたしに、先輩が眉をすがめた。やっぱり、ついている。
「七海さん消し忘れられたんですかね、珍しい」
「おい」
「はい?」
「おまえ、今から俺がいいって言うまで大声出すなよ。あと、静かに歩け」
「え? え、それって……」
いったいどういうことなのか。クエスチョンマークを頭の上に盛大に散らしたあたしを黙殺して、先輩が無言で顎をしゃくった。怖い。様になっているのがやり慣れてる感が滲み出ていて、余計に怖い。
――昔は、もっと大人しそうだったのになぁ。
まぁ、今のほうが生き生きしてるというか、肩から力が抜けている感じがするから、いいと思うけど。
しかし、人って変わるもんだなぁ。そこまで思ってから、あたしは思い直した。あのころもしっかり向き合って話していたら、案外こんな感じだったのかもしれない。
知ろうと思わなきゃ、見ているだけじゃわからないのだ。
苦笑いで頷いて、足音なく階段を上っていく先輩に倣って、できるだけ足音を殺してその後ろに続く。
――でも、なんなんだろうな、本当に。
めったとないことかもしれないけれど、七海さんが電気を消し忘れたとしてもおかしくない。
少なくとも、こんな――あまりいい言い方ではないかもしれないけれど、盗人がいることを確信しているような、足運び。
先輩の世界は、本当になにが見えているんだろう。
その目を借りたら、あたしとはなにもかもが違う世界が見える気がした。
あやかしよろず相談課の前で足を止めた先輩が、ちらりとあたしのほうを振り返った。たぶん、入るぞという合図だ。
同じく無言で頷き返すと、先輩が前を向いた。そして勢いよくドアを開ける。
「……え?」
想定していなかった光景に、ぽかんと口が開く。
「え、え、え? 相馬さん?」
先輩は最初からわかっていたような顔で、なにも言わない。けれど逆にその静けさが恐ろしい。
相馬さんはちっと舌打ちせんばかりの苦々しい顔で、先輩の机の引き出しから手を離した。
はっきり言って怪しすぎる。
あなたにおすすめの小説
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
皇太子殿下は、幼なじみの頬しか触らない
由香
恋愛
後宮には、美しい妃が大勢いる。
けれど皇太子・曜は、誰にも触れないことで有名だった。
――ただ一人を除いて。
幼なじみの侍女・翠玉。
彼女の頬だけは、毎日のようにつつき、摘まみ、抱き寄せる。
「殿下、見られてます!」
「構わない」
後宮中が噂する。
『皇太子は侍女に溺れている』
けれど翠玉はまだ知らない。
それが幼なじみの距離ではなく、皇太子の独占欲だということを。
【完結】婚約破棄はお受けいたしましょう~踏みにじられた恋を抱えて
ゆうぎり
恋愛
「この子がクラーラの婚約者になるんだよ」
お父様に連れられたお茶会で私は一つ年上のナディオ様に恋をした。
綺麗なお顔のナディオ様。優しく笑うナディオ様。
今はもう、私に微笑みかける事はありません。
貴方の笑顔は別の方のもの。
私には忌々しげな顔で、視線を向けても貰えません。
私は厭われ者の婚約者。社交界では評判ですよね。
ねぇナディオ様、恋は花と同じだと思いませんか?
―――水をやらなければ枯れてしまうのですよ。
※ゆるゆる設定です。
※名前変更しました。元「踏みにじられた恋ならば、婚約破棄はお受けいたしましょう」
※多分誰かの視点から見たらハッピーエンド
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~
秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。
五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。
都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。
見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――!
久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――?
謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。
※カクヨムにも先行で投稿しています