愚者の園

木原あざみ

文字の大きさ
17 / 61
案件2.永遠の子ども

02:探偵と犬

しおりを挟む
 瞼の裏側が光で白んでいる。目覚めようとする意識は朝の訪れを告げていたが、行平の身体は惰眠をむさぼりたがっていた。
 光から逃れるように寝返りを打つと、べろんとなにかが鼻を舐めた。顔をそむければ、今度はざらりとした生暖かいなにかが頬骨を這う。耳元で獣の息遣いが聞こえたところで、たまらず行平は目を開けた。防衛本能である。
 果たして、目覚めの視界には、クリーム色とつぶらな黒色が広がった。わふわふと生暖かい空気がくすぐったい。

 ……なんだ、これ。

「あぁ、おはよ。滝川さん」
「うわ、なんだ、おまえ! なんだ、この犬!」

 さも平然と寄こされた挨拶に、急速に頭が回転を始める。
 自分の顔面に乗っかっていた犬を持ち上げ、行平は叫んだ。赤ちゃんを高い高いするような格好になったが、バグは愛嬌のある顔をわふわふと緩めるばかりである。
 だらんと垂れた舌から滴った涎が額に落ち、行平はまた小さくぎゃっと声を上げた。なんだ、これ。

「なんだって、犬だけど。このビルの前に落ちてたんだよね。というわけで、管理人のあんたに託そうと」
「犬が落ちてるわけがねぇだろうが! しかもこれ雑種じゃねぇだろ、たぶん! 飼い主を探して来い、飼い主を! あと、なんで、おまえは当然の顔で勝手に入ってきてるんだ!?」

 間違いなく鍵は閉めていた。なんならチェーンもかけていたはずだ。賭けてもいい。
 嬉しそうに短い脚をぱたぱたと空中で動かしている犬を、とりあえずとフローリングに下ろす。ひとまず首輪が付いていないことを確認して、行平は、ほっと一息を吐いた。誘拐犯――犬だから窃盗犯か――にはなりたくない。

「よく朝からそれだけ叫べるね、滝川さん」

 ベッド脇にしゃがみ込んでいた呪殺屋が、ゆっくりと立ち上がる。相変わらずの法衣だ。こいつに夏服という概念は存在しえないのかもしれない。

「おい、こら。俺の質問に答えろ、呪殺屋」
「鍵を壊したわけじゃないから安心して?」
「おい」
「俺の前じゃ鍵の意味はないってことかな。あぁ、滝川さん。大変だ」

 いかにも棒読みな台詞だった。胡乱な瞳を呪殺屋に向けるのとほぼ同時に、足の裏を生暖かい液体が伝う。
 ちょろちょろと嫌な音を立て、フローリングに水たまりが形成され始めていた。

「うわ!」

 放尿中の犬を持ち上げて叫んだ行平だったが、「人間、焦っているときほどろくなことをしない」の典型を地で行った。固まる行平を他所に、犬は嬉しそうに口を開いている。

「あーぁ、滝川さん。駄目だって、そんな余計に被害が広がるようなことをしたら。それとも、顔におしっこを浴びたかったの?」
「とんでもない疑惑を人に擦り付けるな。おい、ちょっと。頼むから動くな。尻尾も振るな」

 犬の短い尻尾が小刻みに揺れるたび、尿を巻き散らかされている気がする。わふわふと顔にくっついてこようとする犬を押しとめて、

「こいつ洗ってくるから、おまえが床を拭け」
「えー。なんで俺が」

 不満げな呪殺屋に、行平は地団駄を踏んだ。

「おまえが連れ込んだんだろうが、おまえが!」
「滝川さんが賭けに勝ったら、やってあげてもいいよ。簡単にコイントス。どう?」
「裏!」

 結果を待たず、行平は犬を抱えたまま浴室に飛び込んだ。嫌がるのではないかと危ぶんだものの、案外と犬は嬉しそうだ。
 自身をかき回す大きな手のひらが気持ち良いのか、円らな黒い瞳を幸せそうに緩めている。絆されそうになった行平は、どうにか眉間に皺を刻んだ。

「飼い犬だよな、これ……」

 首輪が意図的に外されていたとすれば、捨てられたのかもしれないが。
 そうでないならば、早急に飼い主を探さなければならない。面倒だが、ある意味では探偵らしい仕事である。言い聞かせ、一回り小さくなった犬の身体を行平はタオルで包み込んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜

のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、 偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。 水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは―― 古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。 村を立て直し、仲間と絆を築きながら、 やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。 辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、 静かに進む策略と復讐の物語。

公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌

招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」 毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。 彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。 そして…。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

2度死んだ王子は今度こそ生き残りたい

緑緑緑
ファンタジー
王太子ロイは、かつて二度の革命によって祖国を崩壊させてしまった過去を持つ。命を落とすたび、彼はある時点へと巻き戻される。そして今、三度目の人生が静かに幕を開けようとしていた。 ――自分は民を理解しているつもりだった。 だが実際には、その表面しか見えていなかったのだ。 その痛烈な自覚から、物語は動き始める。 革命を回避するために必要なのは、制度でも権力でもない。「人を知る」ことこそが鍵だと、ロイは気付く。 彼はエコール学園での生活を通じ、身分も立場も異なる様々な人間と深く関わっていく。 そこで出会う一人ひとりの想いと現実が、やがて国の未来を大きく左右していくことになるとは、この時のロイはまだ知らない。

生きるために逃げだした。幸せになりたい。

白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。 2020/9/19 第一章終了 続きが書け次第また連載再開します。 2021/2/14 第二章開幕 2021/2/28 完結

処理中です...