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案件4.愚者の園
12:悔恨
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「二時だ」
永原悠の顔が携帯電話の灯りで暗闇に浮かび上がる。社に続く石畳から数メートル離れた大木の影で、行平は頷いた。悠の携帯の画面に表示されている時刻は、丑三つ時を指していた。
自分たち以外に人の気配はない。時折、耳の辺りを飛ぶ蚊の羽音が気に障るが、それ以外の物音は驚くほど聞こえなかった。石造りの階段が二十段ほどある、少し高い場所に位置する境内は、さほど広くない。昼間であれば、子どもや老人で賑わっているのかもしれないが。
この真っ暗な闇の中、階段を上るのは、どんな心地なのだろう。友人であった誰かを呪う為だけに、足をかけるのは。
「あたしね」
永原悠が場を繋ぐようにぽつりと呟いた。
「全然、怖くなかったよ。場所は違うけど、あたしも呪殺屋さんと待ち合わせたのは家の近くの神社だった」
「こんな遅い時間に?」
「そう。あたし、夜遊びなんてしたことがなかったから。親が寝静まったあとに家を抜け出したのも、あのときがはじめてだった」
「じゃあ、今日が二度目だね」
なんの気なしに応じた行平に、悠は曖昧に笑ったように見えた。
「これが最後になったら、いいな」
それは、自分の無断外出を指しているのだろうか。それとも、『呪殺屋』と誰かの取引を指していたのだろうか。
そうだね、と頷きかけた声を呑み、行平は耳を澄ました。カツン、と石段を上る音をかすかに捉えたからだ。視線で悠を制すれば、彼女もまた察したのか身を固くする。足音はゆっくり行平たちのもとに近づいていた。
社に向かって石畳を歩んでいた足音が、中ほどで止まる。闇に慣れた視界の中で、その輪郭が次第にあらわになる。そこにいたのは、行平が夕方にビルですれ違った少女だった。
「ねぇ」
緊張気味の声が境内にこだまする。
「来たんだけど! 誰もいないの!?」
きょろきょろと忙しなく視線を動いていることが、揺れる髪の影でわかった。虚勢を張る高い声に、彼女はまだ覚悟を決めていないのではないかと想像する。誰かを呪い殺すまでの決意はできていないのではないか、と。
「来た」
吐息のような声で悠が唸る。行平はその声を辿って目を凝らし、――そして、瞠目した。
いつからそこにいたのだろう。拝殿に一人の男が腰かけていた。年はおそらく若い。自分と変わらないくらいだ。行平のよく知る呪殺屋と似たような暗い着流しを身に付けた男。法衣かもしれない。月明りに照らされた錫杖が、鈍い光を放っている。
「こんばんは」
場違いなほどに柔らかな声音だった。男が一歩足を踏み出して、石畳の上に立つ。『呪殺屋』と名乗る人間は、皆こうなのだろうか。整った顔に浮かぶ微笑からは、人間味が感じ取ることはできなかった。相対する少女の身体は、突如姿を現した男を前に硬直している。
「きみは誰を呪いたいの?」
優しげなくせに、どこか面白がっているような声でもあった。言葉に窮した少女を嗤う調子で声が続く。
「そんな驚いた顔せんでもええんとちゃうの。きみは誰かを呪って殺してやりたいと願ったから、ここにいるんやろう?」
西の訛りだった。西の一族と言っていた見沢の声が過る。かすかに錫杖が音を立て、少女の震える声が境内に響いた。
「あたしは、……あたしは、あの子が許せない。親友だと思ってたのに、ずっと相談してたのに、陰であたしを嗤ってた。あたしの男を奪っていったあの子が許せないの」
裏切った。消えそうな声で繰り返したのは悠だった。彼女はたぶん、誰にも裏切られてはいない。ある意味で、裏切ったのは彼女だ。
「人を呪わば穴二つ、という言葉を知っている?」
はっきりと男の顔は見ることは叶わない。だが、笑っていると思った。
「もし、きみにその覚悟があるのなら」
結局は、そういうことだよ。誰かを呪うのならば、隣に自分の墓穴も用意しろ。行平のよく知るもう一人の呪殺屋は、そう言っていた。
「僕は手伝ってあげることができる」
男の手がなにかをとろうと懐に差し込まれた瞬間、悠が飛び出した。
「駄目!」
男は微塵も驚かなかった。行平も止めようとは思わなかった。あの呪殺屋は、行平たちにずっと気が付いていると知っていたからだ。
「これは、これは」
自分と少女のあいだに割り入った悠に、呪殺屋の男が芝居がかった口調で微笑む。
「ご友人をいじめで亡くされたお嬢さん。もう一度逢うことになるとは思いませんでしたよ」
「それは、あたしが死んじゃうってわかってたからでしょ!?」
「騙されたみたいな言い方は心外やなぁ。僕はきみにも、ちゃんと説明したと思うんやけど。人を呪わば穴二つ。それでも良いと選んだのはきみ自身やなかったかな」
それが当たり前だと言わんばかりの、平然とした態度だった。
激情を抑えるようにきゅっと息を詰めた遥が、少女へ矛を変える。
「ねぇ、聞いた? もしあなたが呪殺を選んだら、あなたも死ぬかもしれない。それだけの覚悟があるの?」
「あんたは生きてるじゃない! なんであたしにそんなことを言うのよ」
「あたしは死ななかった! でも、後悔してる。すごく後悔してる! あたしは三人を呪い殺した。止められなかった。でも、あなたは踏みとどまれる。だから!」
だから。思いとどまってほしい。
それは、永原悠の本心だったのだと行平は思う。沈黙の落ちた少女たちのすぐかたわらに、ふわりと人型のようなものが落ちた。夜風に吹かれて、ひらひらと狭間で揺れる。彼女たちの足は、どちらもすぐには動かなかった。
白けた瞳で、男は少女たちを見ている。
「使いたかったら好きに使えばいい」
呪いの人型。それは、永原悠がいじめの加害者であった少女たちを死に追いやった呪具だった。
「ただ、それを選ぶのはきみ自身で、死神の鎌を振り上げるのもきみ自身やということは、覚えておいてね」
少女たちのやり取りに一切の興味を示すことなく、男は彼女たちの傍をすり抜けていく。錫杖がしゃらりと揺れる。
石段へと向かう男の背を、行平は吸い込まれるように追いかけた。
永原悠の顔が携帯電話の灯りで暗闇に浮かび上がる。社に続く石畳から数メートル離れた大木の影で、行平は頷いた。悠の携帯の画面に表示されている時刻は、丑三つ時を指していた。
自分たち以外に人の気配はない。時折、耳の辺りを飛ぶ蚊の羽音が気に障るが、それ以外の物音は驚くほど聞こえなかった。石造りの階段が二十段ほどある、少し高い場所に位置する境内は、さほど広くない。昼間であれば、子どもや老人で賑わっているのかもしれないが。
この真っ暗な闇の中、階段を上るのは、どんな心地なのだろう。友人であった誰かを呪う為だけに、足をかけるのは。
「あたしね」
永原悠が場を繋ぐようにぽつりと呟いた。
「全然、怖くなかったよ。場所は違うけど、あたしも呪殺屋さんと待ち合わせたのは家の近くの神社だった」
「こんな遅い時間に?」
「そう。あたし、夜遊びなんてしたことがなかったから。親が寝静まったあとに家を抜け出したのも、あのときがはじめてだった」
「じゃあ、今日が二度目だね」
なんの気なしに応じた行平に、悠は曖昧に笑ったように見えた。
「これが最後になったら、いいな」
それは、自分の無断外出を指しているのだろうか。それとも、『呪殺屋』と誰かの取引を指していたのだろうか。
そうだね、と頷きかけた声を呑み、行平は耳を澄ました。カツン、と石段を上る音をかすかに捉えたからだ。視線で悠を制すれば、彼女もまた察したのか身を固くする。足音はゆっくり行平たちのもとに近づいていた。
社に向かって石畳を歩んでいた足音が、中ほどで止まる。闇に慣れた視界の中で、その輪郭が次第にあらわになる。そこにいたのは、行平が夕方にビルですれ違った少女だった。
「ねぇ」
緊張気味の声が境内にこだまする。
「来たんだけど! 誰もいないの!?」
きょろきょろと忙しなく視線を動いていることが、揺れる髪の影でわかった。虚勢を張る高い声に、彼女はまだ覚悟を決めていないのではないかと想像する。誰かを呪い殺すまでの決意はできていないのではないか、と。
「来た」
吐息のような声で悠が唸る。行平はその声を辿って目を凝らし、――そして、瞠目した。
いつからそこにいたのだろう。拝殿に一人の男が腰かけていた。年はおそらく若い。自分と変わらないくらいだ。行平のよく知る呪殺屋と似たような暗い着流しを身に付けた男。法衣かもしれない。月明りに照らされた錫杖が、鈍い光を放っている。
「こんばんは」
場違いなほどに柔らかな声音だった。男が一歩足を踏み出して、石畳の上に立つ。『呪殺屋』と名乗る人間は、皆こうなのだろうか。整った顔に浮かぶ微笑からは、人間味が感じ取ることはできなかった。相対する少女の身体は、突如姿を現した男を前に硬直している。
「きみは誰を呪いたいの?」
優しげなくせに、どこか面白がっているような声でもあった。言葉に窮した少女を嗤う調子で声が続く。
「そんな驚いた顔せんでもええんとちゃうの。きみは誰かを呪って殺してやりたいと願ったから、ここにいるんやろう?」
西の訛りだった。西の一族と言っていた見沢の声が過る。かすかに錫杖が音を立て、少女の震える声が境内に響いた。
「あたしは、……あたしは、あの子が許せない。親友だと思ってたのに、ずっと相談してたのに、陰であたしを嗤ってた。あたしの男を奪っていったあの子が許せないの」
裏切った。消えそうな声で繰り返したのは悠だった。彼女はたぶん、誰にも裏切られてはいない。ある意味で、裏切ったのは彼女だ。
「人を呪わば穴二つ、という言葉を知っている?」
はっきりと男の顔は見ることは叶わない。だが、笑っていると思った。
「もし、きみにその覚悟があるのなら」
結局は、そういうことだよ。誰かを呪うのならば、隣に自分の墓穴も用意しろ。行平のよく知るもう一人の呪殺屋は、そう言っていた。
「僕は手伝ってあげることができる」
男の手がなにかをとろうと懐に差し込まれた瞬間、悠が飛び出した。
「駄目!」
男は微塵も驚かなかった。行平も止めようとは思わなかった。あの呪殺屋は、行平たちにずっと気が付いていると知っていたからだ。
「これは、これは」
自分と少女のあいだに割り入った悠に、呪殺屋の男が芝居がかった口調で微笑む。
「ご友人をいじめで亡くされたお嬢さん。もう一度逢うことになるとは思いませんでしたよ」
「それは、あたしが死んじゃうってわかってたからでしょ!?」
「騙されたみたいな言い方は心外やなぁ。僕はきみにも、ちゃんと説明したと思うんやけど。人を呪わば穴二つ。それでも良いと選んだのはきみ自身やなかったかな」
それが当たり前だと言わんばかりの、平然とした態度だった。
激情を抑えるようにきゅっと息を詰めた遥が、少女へ矛を変える。
「ねぇ、聞いた? もしあなたが呪殺を選んだら、あなたも死ぬかもしれない。それだけの覚悟があるの?」
「あんたは生きてるじゃない! なんであたしにそんなことを言うのよ」
「あたしは死ななかった! でも、後悔してる。すごく後悔してる! あたしは三人を呪い殺した。止められなかった。でも、あなたは踏みとどまれる。だから!」
だから。思いとどまってほしい。
それは、永原悠の本心だったのだと行平は思う。沈黙の落ちた少女たちのすぐかたわらに、ふわりと人型のようなものが落ちた。夜風に吹かれて、ひらひらと狭間で揺れる。彼女たちの足は、どちらもすぐには動かなかった。
白けた瞳で、男は少女たちを見ている。
「使いたかったら好きに使えばいい」
呪いの人型。それは、永原悠がいじめの加害者であった少女たちを死に追いやった呪具だった。
「ただ、それを選ぶのはきみ自身で、死神の鎌を振り上げるのもきみ自身やということは、覚えておいてね」
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