出戻り勇者の求婚

木原あざみ

文字の大きさ
1 / 28

プロローグ

 南の空に太陽がさしかかったころ、エリアス・ヴォルフは今日を始めることに決めた。
 だらだらしようと思えばいくらでもできるからこそ、こういうものは踏ん切りが必要なのである。それが隠居生活五年目のエリアスの体感であった。
 気楽に過ごすことに異議はないが、あまりにも自堕落な生活はいただけない。言い聞かせ、のそりとベッドから身を起こす。朝は苦手なのだ。
 欠伸をこぼしながら身支度を整え、台所で昨夜のスープを温め直す。家の裏の畑で育てた根菜とハーブを煮込んだだけの簡素なものだが、自分ひとりが食べるのであれば十分だ。
 頬にかかった銀糸を無造作にうしろで束ね、温まったスープを大きめのカップに注ぐ。居間の丸テーブルに着いたところで、エリアスはほっと息を吐いた。
 窓から差し込む春の光が、穏やかにテーブルの木目を照らしている。手には温かな食べ物があり、急ぐ仕事もない。

 ――なんとも優雅な時間だな、これは。

 そう、優雅だ。かすかに響く小鳥の囀りを耳に、スープに口をつける。
 宮廷魔術師としてあくせくと働いた日々も今は昔。五年前に職を辞したエリアスは、王都近郊の小さな村で静かな生活を営んでいた。
 研究と仕事に明け暮れていた当時は考えることもできなかった、のんびりとした時間。背もたれに身を沈め、エリアスはしみじみとかつての日常を顧みた。
 狭き門の選ばれし仕事だったわけだが、まぁ、なんだ。早い話が、人付き合いも政治もなにも自分に合わぬと見切りをつけたということである。
 幸いにして、エリアスは天涯孤独の身の上だ。自分が生きるだけであれば、宮廷勤めのころに貯めた金と、事情があって手にすることになった報奨金。そうして片手間に行う薬師のまねごとで事足りる。
 気づいてからの自分の行動は早かった。上司に惜しまれつつもさらりと宮廷を辞し、王都から少し離れた静かな村の、これまた静かな森にあった一軒家をポンと購入。ひとりで暮らすようになったのである。
 決断した当時のエリアスは二十一才という若さだったので、世捨て人の生活を辞めさせようとするお節介者も少なくなかったが、それも半年ほどのことだった。
 変わらず今も訪れる人間は、かつて縁のあった変わり者の宮廷騎士と、かつての上司の使い走りくらいのものである。
 そういえば、少し前にやってきた子どものような顔の宮廷魔術師に、「頼むから宮廷に顔を出してくれ」と泣きつかれたのだった。背後でせっついているのはビルモスだろうが、あの若者も変わり者の上司と変わり者の自分に挟まれ、気の毒なことである。

 ――しかたない。近日中に一度足を運ぶとするか。

 面倒ではあるものの、頼まれていた仕事もある。本当に心底面倒ではあるが、ビルモスにはそれなりに恩もある。
 とは言え、だ。必要と頭でわかっていても、想像するに億劫だ。
 村に出て、そこから乗合馬車に揺られること、片道だけで二時間弱。宮廷でなんやかんやとしているうちに、あっというまに日が暮れる。ついでにまたビルモスから小言を頂戴するに違いない。いわく、「きみはいつまで、その日暮らしを続けるつもりかな?」。返す返す面倒だ。
 優雅だったはずの時間が、一気に憂鬱に成り下がる。重い溜息を吐き、取り直すようにカップを持ち上げた瞬間。チリッとした感覚が指先に走った。とんでもなく巨大な魔術の気配。

「なんだ?」

 こぼれた疑問に答えるように、魔力の源である髪がぶわりと浮き上がる。場に魔の力が充満し始めたのだ。五年前と同じ、魔術の波動。

 ――なぜ、そんな力が、この家の前で?

 こんな、なにもない森の中に。カップを置き、ふらりと扉を開ける。強大な魔術だが、まったくと言っていいほど害意がない。警戒しようという気は終ぞ起きることはなかった。
 だって、自分はこの魔術を知っている。この国に必要な人間を問答無用に召喚する、特定魔術。いや、だが、まさか。なにせ、向こう九十年は実行されないはずのものだ。

「……ハルト」

 開けた視界にあった姿に、呆然と名前を呼ぶ。見慣れない衣服を纏った、黒い髪に黒い瞳を持つ青年。
 記憶にある顔より幾分も大人びているものの、メルブルク王国において黒髪と黒の瞳は勇者の証だ。なによりも、この子どもを自分が見間違えるはずがない。
 まさかが現実になっている事実に、エリアスは呆気に取られた。青年がハルトであるということ以外、皆目理解できなかったからだ。
 次の言葉も出ず凝視していると、ようやくハルトと目が合った。ぱちりと瞳が瞬き、青年らしく整った顔がうれしそうに破顔する。その変化にエリアスは息を呑んだ。

「ただいま、師匠」
「……ただいま?」

 再び召喚されたことに対する文句であればまだしも、「ただいま」とはどういうことだ。わけがわからず言葉尻を繰り返す。

 ――いや、そもそも、これは召喚なのか?

 五年前、元の世界に戻ったはずのハルトが目の前にいるのだ。魔術で世界を渡ったことに違いはない。だが、しかし。あの特定魔術は、入念な準備の上、一級の魔力を誇る宮廷魔術師が数人がかりで行うものなのだ。召喚した七年前も、送り返した五年前も、複雑な手順を踏んで実行した。身をもって、エリアスは知っている。
 それが、なぜ、いきなり、なにもないところで。
 混乱し切りのエリアスに向かい、かつて勇者だった子どもが、

「俺と結婚してください」

 と、まったく意味のわからないことを言った。
 これで足元に跪いていたら、蹴っていたかもしれない。ただ、現実のハルトはエリアスの瞳を真剣に見つめるばかりだったので。ほかにどうしようもなく、エリアスは海より深い溜息をこぼした。
感想 0

あなたにおすすめの小説

虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」 不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。 待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。 しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。 「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」 記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。

転生先は猫でした。

秋山龍央
BL
吾輩は猫である。 名前はまだないので、かっこよくてキュートで、痺れるような名前を絶賛募集中である。 ……いや、本当になんでこんなことになったんだか! 転生した異世界で猫になった男が、冒険者に拾われて飼い猫になるほのぼのファンタジーコメディ。 人間化あり、主人公攻め。

将軍の宝玉

なか
BL
国内外に怖れられる将軍が、いよいよ結婚するらしい。 強面の不器用将軍と箱入り息子の結婚生活のはじまり。 一部修正再アップになります

拝啓、目が覚めたらBLゲームの主人公だった件

碧月 晶
BL
さっきまでコンビニに向かっていたはずだったのに、何故か目が覚めたら病院にいた『俺』。 状況が分からず戸惑う『俺』は窓に映った自分の顔を見て驚いた。 「これ…俺、なのか?」 何故ならそこには、恐ろしく整った顔立ちの男が映っていたのだから。 《これは、現代魔法社会系BLゲームの主人公『石留 椿【いしどめ つばき】(16)』に転生しちゃった元平凡男子(享年18)が攻略対象たちと出会い、様々なイベントを経て『運命の相手』を見つけるまでの物語である──。》 ──────────── ~お知らせ~ ※第3話を少し修正しました。 ※第5話を少し修正しました。 ※第6話を少し修正しました。 ※第11話を少し修正しました。 ※第19話を少し修正しました。 ※第22話を少し修正しました。 ※第24話を少し修正しました。 ※第25話を少し修正しました。 ※第26話を少し修正しました。 ※第31話を少し修正しました。 ※第32話を少し修正しました。 ※第33話を少し修正しました。 ──────────── ※感想(一言だけでも構いません!)、いいね、お気に入り、近況ボードへのコメント、大歓迎です!! ※表紙絵は作者が生成AIで試しに作ってみたものです。

りんご成金のご令息

けい
BL
 ノアには前世の記憶はあったがあまり役には立っていなかった。そもそもあまりにもあいまい過ぎた。魔力も身体能力も平凡で何か才能があるわけでもない。幸いにも裕福な商家の末っ子に生まれた彼は、真面目に学んで身を立てようとコツコツと勉強する。おかげで王都の学園で教育を受けられるようになったが、在学中に両親と兄が死に、店も乗っ取られ、残された姉と彼女の息子を育てるために学園を出て冒険者として生きていくことになる。  それから二年がたち、冒険者としていろいろあった後、ノアは学園の寮で同室だった同級生、ロイと再会する。彼が手を貸してくれたおかげで、生活に余裕が出て、目標に向けて頑張る時間もとれて、このまま姉と甥っ子と静かに暮らしていければいいと思っていたところ、姉が再婚して家を出て、ノアは一人になってしまう。新しい住処を探そうとするノアに、ロイは同居を持ち掛ける。ロイ×ノア。ふんわりした異世界転生もの。 他サイトにも投稿しています。

売れ残りオメガの従僕なる日々

灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才) ※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!  ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。  無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。

【完結】生まれ変わってもΩの俺は二度目の人生でキセキを起こす!

天白
BL
【あらすじ】バース性診断にてΩと判明した青年・田井中圭介は将来を悲観し、生きる意味を見出せずにいた。そんな圭介を憐れに思った曾祖父の陸郎が彼と家族を引き離すように命じ、圭介は父から紹介されたαの男・里中宗佑の下へ預けられることになる。 顔も見知らぬ男の下へ行くことをしぶしぶ承諾した圭介だったが、陸郎の危篤に何かが目覚めてしまったのか、前世の記憶が甦った。 「田井中圭介。十八歳。Ω。それから現当主である田井中陸郎の母であり、今日まで田井中家で語り継がれてきただろう、不幸で不憫でかわいそ~なΩこと田井中恵の生まれ変わりだ。改めてよろしくな!」 これは肝っ玉母ちゃん(♂)だった前世の記憶を持ちつつも獣人が苦手なΩの青年と、紳士で一途なスパダリ獣人αが小さなキセキを起こすまでのお話。 ※オメガバースもの。拙作「生まれ変わりΩはキセキを起こす」のリメイク作品です。登場人物の設定、文体、内容等が大きく変わっております。アルファポリス版としてお楽しみください。

売れ残りの神子と悪魔の子

のらねことすていぬ
BL
神子として異世界トリップしてきた元サラリーマン呉木(くれき)。この世界では神子は毎年召喚され、必ず騎士に「貰われて」その庇護下に入る、まるで結婚のような契約制度のある世界だった。だけど呉木は何年経っても彼を欲しいという騎士が現れなかった。そんな中、偶然美しい少年と出会い彼に惹かれてしまうが、彼はとても自分には釣り合わない相手で……。 ※年下王子×おじさん神子