出戻り勇者の求婚

木原あざみ

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新たなる日々(1)

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 愛だのなんだの、と。耳障りの良い言葉を多用するうちは子どもとエリアスは思っている。
 ついでに言えば、自分とは縁の遠い話でもあった。幼い時分は日々を生きることに精いっぱいで、運良くビルモスに才を見い出されて以降も、期待を裏切らないためにただ必死。そんな状況だったのだ。愛情らしいものを抱いた覚えはほとんどなかったと言っていい。
 そのすべてと今は距離を置いているわけだが、さておいて。とかく、エリアスにとって、愛とはそういうものだった。
 世界のどこかにあることを否定はしないものの、自分の近くにはないもの。だが、それで、問題のないもの。
 そのはずだったのに、馬鹿の一つ覚えのように愛を囁く人間が現れてしまった。そういったわけで、最近の自分はたぶん少しおかしいのだ。


「知ってる人も多いし、大変だけど楽しいよ。まぁ、ちょっと、俺に気ぃ使いすぎって思うことはあるけど」

 それが、以前より遅くなった夕食時。騎士団はどうだと尋ねたエリアスに対する、ハルトの返答だった。
 機嫌の良い顔で食事を進めるハルトを見つめ、エリアスは「そうか」と相槌を打った。楽しいのであれば、なによりなことである。気を使うなというのは土台無理な話だと思うが。

「うん。あ、でも、これは俺の問題なんだけど、やっぱり五年のブランクは大きいな。昔のほうが体力はあったと思う。そのうち戻るはずだし、べつにいいんだけど」
「向こうでは、なにもしていなかったのか?」
「なにもしてなくはないけど。部活……えっと、学校でみんなでやる運動みたいなものなんだけど、はしてたけど、騎士団の訓練とは違うっていうか」
「そういうものか」

 ハルトの説明が雑なのは昔からのことなので、エリアスはあっさりと納得を示した。説明する気がないという意味ではない。純粋に語彙が足りていないという意味だ。
 部活とやらの詳細は不明であったものの、魔王退治に向けた研鑽を積んでいた当時のハルトは小さい身体で一生懸命だった。仕事の合間に訓練場をたびたび覗いていたので、よくよく知っている。だから、今もそうなのだろうと思ったのだ。

「そうなんだよ」

 エリアスとさして変わらない調子で頷き、きれいに残りを平らげる。あいかわらずうまそうに食べるやつだと感心していると、ハルトが言いにくそうに口火を切った。

「あのさ、作ってもらってる俺が口出す話じゃないってわかってるんだけど」
「なんだ。食べたいものがあれば言えばいい」

 頭は大丈夫かと問い詰めたくなる距離を往復するハルトと比べるまでもなく、時間の融通は利く身である。エリアスは気負わず請け負った。

「あ、えっと、それは本当にうれしいし、ありがたいんだけど。……あ、今日のハンバーグもすごくおいしかったです。ありがとう。ごちそうさまでした」
「気にするな。たいした手間でもない」

 人の善意を当然と受け取らず、きちんと感謝を告げる律義さは、間違いなくハルトの長所である。だが、しかし。いざ自分に向くと、どうにも据わりが悪かった。
 エリアスはおざなりに応じたが、ハルトは変わらずにこにこと笑っている。

「でも、なんか、ちょっと不思議だな。いまさらだけど、師匠が俺の国のごはんを覚えて作ってくれるの。昔はさ、俺が説明するたびに不思議そうな顔してたでしょ」
「それは、おまえの説明が雑だったからだ」
「え、そうなの? いつもちゃんと再現してくれたから、問題なく伝わってると思ってた」

 自分の努力と聞き取りの成果でしかない。呆れたものの、エリアスは指摘はしなかった。
 なにせ、「ハンバーグとはなんだ」と問い返したエリアスに、「細かく叩いた肉片を丸くこね直して焼くんだよ」と即答した子どもである。指摘したところで、そうかなぁ、と呑気に笑うのが関の山だ。
 ちなみに。聞いた当時のエリアスは「肉の塊をそのまま焼けばいいのでは」と思うことしかできなかった。なんなら言った。「それはステーキなんだよ」としょぼくれた顔でハルトが答えたので、がんばらざるを得なくなったわけだが、それもさておいておく。

「あ、えっと、そうじゃなくて。ちょっと話は戻るんだけど」
「なんだ」
「俺の好みにばっかり合わせてくれなくてもいいよって言いたかったの」

 ハルトの顔をまじまじと眺め、エリアスは首を傾げた。

「そうなのか?」
「ああ、もう、その顔。師匠の中の昔の俺はいったん忘れてもらってもいいかな」
「こちらの食べ物は嫌だとずぴずぴと泣いていたおまえの顔か?」
「そうだよ!」

 やけくそのように認めたハルトが、むいと唇を尖らせる。

「だから、その、昔はそうだったかもしれないけど、今は違うっていうか」
「そうなのか」
「そうだよ。ちょっとは慣れたし、大人になったし。それに、俺、こっちで暮らすって決めたから。だったら、こっちの味にもっと慣れるべきじゃないかなって」

 最終的にさも当然と言い切られ、エリアスはほんのわずか返事に迷った。生まれた空白を誤魔化すように、温くなった紅茶に手を伸ばす。

「そうか」

 煙草のことといい、「そういう気分だから」そんなふうに言っているだけかもしれない。ただ、どう受け止めるべきかよくわからなかったのだ。もう一度カップに口をつける。
 宣言したことで満足をしたのか、ハルトはさらりと話題を流した。

「そういえば、師匠は宮廷に行かないの? このあいだはたまに行くって言ってたけど。ビルモスさま寂しがってたよ」

 寂しがっていたという表現には、多大な語弊があるに違いない。苦笑を呑み込み、エリアスは首を横に振った。

「むしろ、あいつが暇すぎるだろう。そんなにおまえに会いに騎士団に顔を出しているのか」

 宮廷の敷地内にあるからと言って、そこまでの暇はないだろうに。勇者を預かっているという名目のあった当時の自分と同列に考えていいわけがない。そう言ったエリアスに、ハルトは考えるように指を折った。

「初日に様子を見に来てくれたのと、あと一回か、二回かな。どっちもそんなに長く話したわけじゃないけど、俺のことを気にして足を運んでくれたんだってわかったから。ビルモスさま、いい人だよね」

 嫌味のない調子に、今度こそ苦笑がこぼれる。魔術師殿の狐と名高いあの男を「いい人」と衒いなく表現する人間もそういまい。

「あと、アルドリックさんも。敬語を使うのは勘弁してほしいけど、でも、やっぱりいい人だよね。向こうに帰ったあとに入団した人とも馴染めるように、すごく気を配ってくれるんだ」
「そうだな」

 アルドリックがいい人という評価は、素直に認めるところである。そうでなければ、辺鄙な田舎にたびたび顔を出しはしないだろう。多少の難はあれど、御愛嬌というやつだ。
 空けたカップと皿を手に立ち上がると、すぐさま声がかかった。

「あ、片づけは俺がするって言ってるのに」
「わかった、わかった」

 本当に手間ではないので、自分がやっても一向に構わないのだが。ごはんも作ってもらってるんだし、せめてこのくらいは俺がするよ、とハルトが譲らなかったので、夕食の片づけはハルトの役割となっていた。
 そんなことを気にするくらいなら、騎士団の寮に入ったらどうだ、とは。一度言ったときにとんでもなく拗ねられたので、口にしないようにしている。

 ――まぁ、べつに、嫌なわけではないしな。

 ハルトとの同居生活のことだ。一度うっかりとやらかしてしまったものの、それ以降はとくになにごともなく日々が過ぎている。少々接触が過剰な気もするが、距離の近いところのある子どもだったので、勘定には含めない。

「ねぇ、師匠」

 運んだ皿をシンクに置いた途端、背後からぎゅっと抱きすくめられたものの、これもノーカウントだ。いちいち気にしていたら、ろくなことにならない。

「おまえはいつまで俺に甘えたい年なんだ」

 呆れたふうに告げたにもかかわらず、返ってきたのは甘え切った声だった。

「一生だけど。でも、違うから。求愛なの、これは。俺の求愛」
「求愛」
「求婚でもいいけど」

 だって、そのために帰ってきたんだし。意味不明な理論を掲げ、ハルトが息を吸い込む。匂いを嗅がれているみたいで嫌だな、と思ったが、エリアスはそれも言わなかった。

「結婚しよ」
「するつもりはないと言ったろう。諦めろ」
「ええ、でもさ、今の状態も結婚とほとんど変わらなくない? 一緒に住んでるし、俺は好きだし、師匠も好きだし、やることやったし」

 黙れ、と言う代わりに、だったらいいだろう、と投げやりに切り返す。黙れと言ったところで黙るわけがないと学習した結果である。
 あと、誰がそういう意味で好きだと言った。軽くハルトを押しのけて場所を譲り、先ほどまで座っていた椅子を引く。腰を落ち着けたところで、今晩も自室に籠もるタイミングを失ったことに気がついた。
 溜息を呑み、台所に立つ背中に目を向ける。皿を洗っているだけであるのに、ハルトはいやに楽しそうだ。堪え損ねた溜息が、水の音にかき消されていく。
 些細なことでハルトが楽しそうにするのは昔からだ。だが、しかし、自分はどうだ。呑気にイレギュラーを受け入れている場合でもないだろう。
 たぶんどころか、間違いなくおかしいに違いない。心底呆れ切った心地で、エリアスは深い溜息を吐いた。
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