出戻り勇者の求婚

木原あざみ

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親愛と深愛 (3)

 この五年、自分は逃げていた。その事実を改めて認識し、ようやく受け入れた気分だった。
 魔術師の仕事から距離を取ることは、楽だった。研究に没頭すればするほど、自分たちが召喚した勇者についての是非を考えてしまうから。
 誰とも関わらないでいることは、楽だった。他人と関わると、いつかいなくなることへの恐れを抱いてしまうから。
 だから。だから、森の家での生活は気楽で穏やかだった。ハルトが現れてからは、騒がしさばかりになってしまったけれど。それでも、たしかに幸福だった。
 その幸福を、エリアスは手放したくないと思う。あんな喪失感を抱くのは、一度で十分だ。
 頼まれていた仕事を携え、ビルモスの執務室を訪れたエリアスは、いずれ宮廷に復帰したい旨を伝えた。
 自分の意志があったとして、魔術師殿のトップである男が認めないことには叶わない願いである。手ぐすねを引いて待っていたと承知していても、言葉にするにはそれなりの決心が要った。
 騎士団に入ると言ったときのハルトは平然としているように見えていたけれど、もしかすると同じだったのかもしれない。

「きみが戻ってくるというなら、僕としてはありがたい話だよ。だが、きみも、僕のコネと言われたくないだろうからね。そのためにも結果は出してもらいたい」
「わかっている」

 吹っ切れた心境で、エリアスは請け負った。そうしてから、はっきりと「ビルモス」と名前を呼ぶ。

「何年も迷惑をかけてすまなかった」

 蒸し返すつもりはないが、自分のけじめとして言いたかったのだ。自分が青かったというだけのことで、今も昔もビルモスに謝るつもりなどないと知っている。

「なに。かまわないよ。僕はきみの後見人でもあるからね」

 エリアスの予想どおりの顔でほほえんだビルモスが、もちろん、と言葉を続ける。

「魔術師長しても、優秀な魔術師が宮廷に戻ってくることはありがたいことだ。過度な軋轢は生まないよう努力してほしいが」
「承知した」

 短時間で二度も釘を刺されてしまい、エリアスは神妙に頷いた。過去の自分はなかなかの態度だったに違いない。まぁ、当然、覚えがないわけでもない。
 真面目な顔を維持したつもりだったのだが、苦虫を嚙み潰したようになっていたのかもしれない。紅茶のカップを持ち上げたビルモスが、目元をにこりと笑ませた。

「承知してくれたところで、後見人としてきみを見守ってきたつもりの僕からひとつ、質問をしてもいいかな」
「なんだ」
「勇者殿を元の世界に戻すことはできるのかと言っていただろう。きみらしくもない、切羽詰また調子で。あのあときちんと話すことはできたかな」

 どこからどう見ても子ども扱いなのだから嫌になる。エリアスはうんざりと釈明した。

「これからだ」
「そうか、これからか」

 いいことだね、とくすくすとビルモスが笑う。楽しげな様子に辟易としていると、勇者殿によろしく頼むよ、と。厄介な上司で、そうして、後見人でもあるところの男が言った。

「たまにはふたりで遊びに来なさい。ニナも喜ぶ」

 職場で奥方の名前を出すとは珍しい。プライベートを滅多と晒さない男だから、ハルトが独り身と思い込み、とんでもない勘違いをするのだ。唖然としていた顔を思い出し、エリアスは苦笑を返した。

「近いうちに、ぜひ」

 そんな男の家に、自分は行ったことがある。彼の大切な奥方を紹介されたことがある。それを信用と呼ばないほど、今のエリアスは頑なではなかった。

「エミールにもよろしく頼むよ。ついこのあいだも、きみに余計なことを言ったと気に病んでいたから」
「余計なことを言われた覚えはないが、承知した」
「真面目な出世頭なんだけれどね。少しばかり人が良すぎるからいけない。きみもそうだが、そろそろ政治のなんたるかも覚えてもらわないと」

 にこりとした笑みに浮かぶ圧を感じながらも、承知した、と同じ了承を返す。戻ると決めた以上は、面倒くさいで避けていた事柄にも向き合わないとならないのだ。
 期待されているだけの能力が自分にあると言い切る自信はない。五年のブランクの大きさもよくよくわかっている。
 だが、ビルモスの言うとおり、周囲に認めてもらうことができるよう努力を重ねるほかないのだ。かつての自分が、わき目もふらずそうしていたように。

 ――あのころよりは、対人関係はまともに機能できるようになっていると信じたいが。

 なにせ、五年だ。新人とは口が裂けても言うことのできない年になっている。宮廷の中庭を歩いていたエリアスだったが、渡り廊下を進む美しい薄水色の髪を見かけ、声をかけた。

「エミール」

 驚いたふうにエミールが振り返る。あっというまに気まずそうな顔を見せるので、苦笑を浮かべたままエリアスは距離を詰めた。人が良すぎると言うべきか、妙なところで素直すぎると言うべきか。どちらにせよ、少々どうにかせねばならぬのだろう。
 まぁ、本当に、自分に言えた義理はないのだが。お互いさまというやつだ。

「このあいだは話が途中になってしまってすまなかった」
「いや、……こちらこそ。ひさしぶりに会ったというのに、問い詰めるような真似をしてすまなかった」
「構わない。気にかけてくれたんだろう」

 そう応じたエリアスに、エミールが目を丸くする。

「なんだ?」
「いや、すまない。ビルモスさまから多少話は聞いていたのだが、本当に随分と丸くなったものだと驚いて」
「……どんな話だ、いったい」

 憮然と呟いたはずが、照れ隠しのような響きを帯びてしまった。どこかほほえましそうに笑んだエミールが言う。

「勇者殿が戻って、エリアスが楽しそうにしているという話だ」
「楽しそう……」
「そう、照れなくともいいだろう。ビルモスさまはあの調子なら、きみが戻りたいと言い出す日も近いのではないかとおっしゃっていて。それで、つい」

 先走って問うてしまったのだ、とエミールは明かした。つまるところ、自分はビルモスの手のひらの上で踊っていたということか。
 呆れるような、諦めたような。それでいて、くすぐったいような。なんとも言えない心境を抱えつつ、エリアスも打ち明けた。ビルモスがわざわざ「エミールによろしく」と言ったのだ。事前に手を回しておけの意に違いない。もちろん、エリアスも魔術師殿の人間に誰に一番に伝えたいかと問われたら、この同期の名前を挙げただろうが。

「まだ少し先の話だが、環境が整えばこちらに戻ろうと思っている」
「そうか……!」
「おまえと同じ役割をこなすことができるようになるには時間がかかるだろうが、早急に取り戻したいと思っている。だから、またよろしく頼む」
「もちろんだ」

 素直な顔で、エミールが笑う。

「その日が楽しみだ」
「ああ」

 本心でエリアスも頷いた。それでは、また、とひさかたぶりの挨拶を交わし、騎士団の訓練場に足を向ける。かつて、魔術師殿から幾度となく通った道だった。
 らしくないことをしている自覚はあったので、勇者を預かる立場であることを言い訳に。
 ハルトのことが心配だったのだ、と。今であれば素直に認めることができる。だが、あのころの自分には、誰かを心配するということは未知の感覚だったのだろう。
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