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2.隣の太陽(2)
「悠生!」
講義室を出ようとしたタイミングで大きな声で名前を呼ばれ、悠生は小さく肩を跳ねさせた。
無視するわけにもいかず、ぎこちなく室内を振り返る。こちらを見ているのは、なんでそんなにと言わんばかりの笑顔を浮かべた隣人と、興味津々という顔の大多数。
――でも、しかたないよな。そうなっても。
なんとか溜息は呑み込んだが、眉間のしわを誤魔化すことはできなかった。こういうとき、長い前髪は不満顔も隠してくれるから便利だな、と思う。
まぁ、近づくなという負のオーラは滲み出ていただろうけれど。
「ごめん、ちょっと待って」
その雰囲気をものともせず、笹原が歩み寄ってくる。それまで笹原がいたグループから突き刺さる視線が深くなり、悠生はますます眉間にしわを寄せた。
四月も終わりになると、おおまかな人間関係ができあがる。いくつかあるグループのうち、一番華やかな――いわゆる一軍というやつだ――男女が集まるグループ。それが笹原のグループだった。
「よかった、待ってくれて。悠生、もしかして、そのまま帰るつもりだった?」
「そのまま?」
意味がわからずきょとんと問い返す。その反応に「やっぱり」と笹原は眉を下げた。
「覚えてなかったんでしょ。今日は帰っちゃ駄目だよ」
長身の笹原とは十センチほど目線に差があるので、そういう言い方をされると、なんだか大人に言い諭されている気分になる。バツの悪い心地で、悠生は再び問い返した。
「駄目ってなにが」
「なにがって、昨日も言ったじゃん、俺」
わずかに跳ね上がった語尾に、真顔で首を傾げる。
昨日の夜も笹原とベランダで顔を合わせたことは事実だが、覚えはない。
……喫煙のタイミングが似てるだけなんだろうけど、週に二、三回は出くわすんだよな。
笹原が先にベランダに出ていれば、悠生は絶対、空気を読んで出ないのに。笹原はそういうことをしてくれない。おまけに、嬉々として話しかけてくる始末だ。
これだから陽キャは、と。悠生は笹原が話す内容のほとんどを聞き流しているので、昨夜もそうだったのだろう。沈黙した悠生に、笹原はしかたないという顔でほほえんだ。
「その顔。聞いてなかったんだろ」
「……なんだっけ?」
「今日はこのあと、学食で理数の二年の先輩が交流会を開いてくれるんだよ。基本的に全員参加」
在籍している理数系教育コースの略称に、得心する。少人数制を謳う悠生たちの学科は、縦の繋がりも重要視されているのだ。
「そういえば、最初のガイダンスのときに聞いたかも」
「思い出したならよかった。それで、どう? 参加で大丈夫?」
アルバイト先も決まっておらず、サークルにも所属していない悠生に、参加できない理由はない。面倒だとは思うけれど。もう一度頷いた悠生に、笹原がほっとしたように相好を崩した。
「開始時間はわかる? 六時からだから、三十分くらい時間が空くんだけど」
始まるまで一緒に過ごそうかと言わんばかりのお人好しぶりに、首を横に振る。
「心配されなくても、ちゃんと出るから。戻ったら?」
自分たちを窺っている一団を視線で示すと、「あぁ」と笹原は困ったふうに口角を上げた。
「悠生のことが気になってるんだよ、あれ。ほら、悠生、クールだから」
「そんなわけないだろ」
根暗、オタクのポジティブな互換はクールであるらしい。呆れ顔で言い捨てた悠生に笹原は嫌味なく笑った。
「じゃあ、まぁ、いいや。そういうことで」
……まぁ、いいやって、そういうこと以外になにもないだろ。
訝しげに見上げた悠生の頭を、笹原はなにを思ったのか、大きな手のひらがわしゃわしゃとかき混ぜる。その手をぞんざいに払いのけ、悠生は無言で前髪を整えた。
「またあとでね」
にこにこと人当たりの良い笑みを浮かべ、笹原が手を振る。
「なぁ、おまえ」
「なに?」
やたらパーソナルスペースが狭い人間が存在することは知っている。たいていの場合、笹原のような人の輪の中心にいる人間だ。
住む世界の違う人間に悠生の主観で嫌だと告げても、「なんで?」と笑顔で返されて終わりになる予感しかしない。そう思い直し、悠生はげんなりと首を振った。
「……なんでもない」
「そう?」
不愛想な返事にも気を悪くしないおおらかさは、見習いたい気もするけれど。
自分が立ち去るまで笑顔で見送り続けそうな男に背を向け、悠生は足を踏み出した。あと三十分。交流会は二時間もあれば終わるだろうか。人と交流するのは、苦手だ。
人気の少ないところを探して構内を歩きながら、悠生は溜息を吐き出した。
講義室を出ようとしたタイミングで大きな声で名前を呼ばれ、悠生は小さく肩を跳ねさせた。
無視するわけにもいかず、ぎこちなく室内を振り返る。こちらを見ているのは、なんでそんなにと言わんばかりの笑顔を浮かべた隣人と、興味津々という顔の大多数。
――でも、しかたないよな。そうなっても。
なんとか溜息は呑み込んだが、眉間のしわを誤魔化すことはできなかった。こういうとき、長い前髪は不満顔も隠してくれるから便利だな、と思う。
まぁ、近づくなという負のオーラは滲み出ていただろうけれど。
「ごめん、ちょっと待って」
その雰囲気をものともせず、笹原が歩み寄ってくる。それまで笹原がいたグループから突き刺さる視線が深くなり、悠生はますます眉間にしわを寄せた。
四月も終わりになると、おおまかな人間関係ができあがる。いくつかあるグループのうち、一番華やかな――いわゆる一軍というやつだ――男女が集まるグループ。それが笹原のグループだった。
「よかった、待ってくれて。悠生、もしかして、そのまま帰るつもりだった?」
「そのまま?」
意味がわからずきょとんと問い返す。その反応に「やっぱり」と笹原は眉を下げた。
「覚えてなかったんでしょ。今日は帰っちゃ駄目だよ」
長身の笹原とは十センチほど目線に差があるので、そういう言い方をされると、なんだか大人に言い諭されている気分になる。バツの悪い心地で、悠生は再び問い返した。
「駄目ってなにが」
「なにがって、昨日も言ったじゃん、俺」
わずかに跳ね上がった語尾に、真顔で首を傾げる。
昨日の夜も笹原とベランダで顔を合わせたことは事実だが、覚えはない。
……喫煙のタイミングが似てるだけなんだろうけど、週に二、三回は出くわすんだよな。
笹原が先にベランダに出ていれば、悠生は絶対、空気を読んで出ないのに。笹原はそういうことをしてくれない。おまけに、嬉々として話しかけてくる始末だ。
これだから陽キャは、と。悠生は笹原が話す内容のほとんどを聞き流しているので、昨夜もそうだったのだろう。沈黙した悠生に、笹原はしかたないという顔でほほえんだ。
「その顔。聞いてなかったんだろ」
「……なんだっけ?」
「今日はこのあと、学食で理数の二年の先輩が交流会を開いてくれるんだよ。基本的に全員参加」
在籍している理数系教育コースの略称に、得心する。少人数制を謳う悠生たちの学科は、縦の繋がりも重要視されているのだ。
「そういえば、最初のガイダンスのときに聞いたかも」
「思い出したならよかった。それで、どう? 参加で大丈夫?」
アルバイト先も決まっておらず、サークルにも所属していない悠生に、参加できない理由はない。面倒だとは思うけれど。もう一度頷いた悠生に、笹原がほっとしたように相好を崩した。
「開始時間はわかる? 六時からだから、三十分くらい時間が空くんだけど」
始まるまで一緒に過ごそうかと言わんばかりのお人好しぶりに、首を横に振る。
「心配されなくても、ちゃんと出るから。戻ったら?」
自分たちを窺っている一団を視線で示すと、「あぁ」と笹原は困ったふうに口角を上げた。
「悠生のことが気になってるんだよ、あれ。ほら、悠生、クールだから」
「そんなわけないだろ」
根暗、オタクのポジティブな互換はクールであるらしい。呆れ顔で言い捨てた悠生に笹原は嫌味なく笑った。
「じゃあ、まぁ、いいや。そういうことで」
……まぁ、いいやって、そういうこと以外になにもないだろ。
訝しげに見上げた悠生の頭を、笹原はなにを思ったのか、大きな手のひらがわしゃわしゃとかき混ぜる。その手をぞんざいに払いのけ、悠生は無言で前髪を整えた。
「またあとでね」
にこにこと人当たりの良い笑みを浮かべ、笹原が手を振る。
「なぁ、おまえ」
「なに?」
やたらパーソナルスペースが狭い人間が存在することは知っている。たいていの場合、笹原のような人の輪の中心にいる人間だ。
住む世界の違う人間に悠生の主観で嫌だと告げても、「なんで?」と笑顔で返されて終わりになる予感しかしない。そう思い直し、悠生はげんなりと首を振った。
「……なんでもない」
「そう?」
不愛想な返事にも気を悪くしないおおらかさは、見習いたい気もするけれど。
自分が立ち去るまで笑顔で見送り続けそうな男に背を向け、悠生は足を踏み出した。あと三十分。交流会は二時間もあれば終わるだろうか。人と交流するのは、苦手だ。
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