15 / 39
14.観測(4)
自分の近くにいることが楽だと言われたのは、はじめての経験だった。嬉しいと思うのと同じくらいに、なぜか、その言葉は悠生の心をさざめかせた。
チャイムと同時にペンを置く。大学の試験は高校までのそれとは違い、一定時間を過ぎれば解き終わった者は退出することができる。けれど、必修のこの講義の試験を難しいと感じていたのは悠生だけではなかったようで、ほとんどの人間が席に着いたままだった。
ようやくこれで前期試験は終わり、と。溜息とも歓喜ともつかぬ空気が講義室に満ちている。
――今日は夜にまた飲み会があるって言ってたな。
頑なにグループラインには登録していないので、その予定は笹原から聞いて知ったことだけれど。
ついで、欠席すると告げた悠生を笹原は咎めることなく、「頑張ったあとだからゆっくり寝たいよね」と笑っただけだった。
子どもかと思わなくもなかったが、悠生が希望する時間の過ごし方は笹原の言と一字一句違わなかったので、黙り込むしかなかった。
その悠生を一瞥して、俺もアパートで悠生とゆっくり飲んでるほうが気楽なんだけどね、と。そう言っていたが、笹原は律儀に参加するのだろう。悠生と違って望まれているのだし、笹原自身もそうすることがあたりまえと思っている節がある。
飲み会までどこで時間をつぶそうかと話す楽しそうな声々を後目に、机の上を片付ける。欠伸を噛み殺したのとほぼ同時に、空いていた前の席に誰かが座った。
分厚いレンズと前髪の隙間から、人当たりの良い笑顔が見える。笹原だ。目が合うと、力の抜けた笑みに変わる。アパートで二人きりのときに目にすることが増えたそれ。
「疲れてんの?」
「おまえ、俺が昨日、何時に寝たと思ってるの」
「知らねぇよ」
「興味持ってくれてもいいじゃん。一応、これでも俺、我慢したのよ? 眠気覚ましに悠生の部屋に行こうかなと何度思ったことか」
「止めろ」
軽口の応酬に、ふっと小さな笑みが落ちそうになって、唇を噛む。なんだかそわそわとして落ち着かないのは、ちらちらと送られる視線のせいだろうか。
「悠生、まっすぐアパートに戻る?」
「なんで?」
「えー、もしそうするんだったら、俺も飲み会まで一回帰ろうかなぁと思って」
「どこか行くんだろ」
「だって、……いや、悠生と一緒だったら、寝過ごさないだろうし」
面倒くさいと言いかけて言葉を呑んだらしい笹原に、悠生は今度こそ笑ってしまった。自分にだけこうして愚痴をこぼしたり、甘えるようなことを言ってくるのがおかしい。
「だって、悠生のほうがちゃんと起きれるじゃん」
「目覚ましにあれだけ気が付かないほうがおかしい」
自分のアラームではなく、壁越しの鳴り止まないアラームで起こされたことが何度となくあるので、自然と声のトーンが下がる。
迷惑だと思うほどの頻度ではないのだが、悠生からすれば、なぜ一発で起きられないのか、甚だ疑問だ。
「昔から弱いんだよね、朝。悠生のおかげで助かってます」
「べつに……」
それこそ、それ以外のことで助けられているのは自分なのだ。視線をふいと逸らした悠生に、笹原が「かわいい」と笑う。相変わらず、この男の感覚はよくわからない。
チャイムと同時にペンを置く。大学の試験は高校までのそれとは違い、一定時間を過ぎれば解き終わった者は退出することができる。けれど、必修のこの講義の試験を難しいと感じていたのは悠生だけではなかったようで、ほとんどの人間が席に着いたままだった。
ようやくこれで前期試験は終わり、と。溜息とも歓喜ともつかぬ空気が講義室に満ちている。
――今日は夜にまた飲み会があるって言ってたな。
頑なにグループラインには登録していないので、その予定は笹原から聞いて知ったことだけれど。
ついで、欠席すると告げた悠生を笹原は咎めることなく、「頑張ったあとだからゆっくり寝たいよね」と笑っただけだった。
子どもかと思わなくもなかったが、悠生が希望する時間の過ごし方は笹原の言と一字一句違わなかったので、黙り込むしかなかった。
その悠生を一瞥して、俺もアパートで悠生とゆっくり飲んでるほうが気楽なんだけどね、と。そう言っていたが、笹原は律儀に参加するのだろう。悠生と違って望まれているのだし、笹原自身もそうすることがあたりまえと思っている節がある。
飲み会までどこで時間をつぶそうかと話す楽しそうな声々を後目に、机の上を片付ける。欠伸を噛み殺したのとほぼ同時に、空いていた前の席に誰かが座った。
分厚いレンズと前髪の隙間から、人当たりの良い笑顔が見える。笹原だ。目が合うと、力の抜けた笑みに変わる。アパートで二人きりのときに目にすることが増えたそれ。
「疲れてんの?」
「おまえ、俺が昨日、何時に寝たと思ってるの」
「知らねぇよ」
「興味持ってくれてもいいじゃん。一応、これでも俺、我慢したのよ? 眠気覚ましに悠生の部屋に行こうかなと何度思ったことか」
「止めろ」
軽口の応酬に、ふっと小さな笑みが落ちそうになって、唇を噛む。なんだかそわそわとして落ち着かないのは、ちらちらと送られる視線のせいだろうか。
「悠生、まっすぐアパートに戻る?」
「なんで?」
「えー、もしそうするんだったら、俺も飲み会まで一回帰ろうかなぁと思って」
「どこか行くんだろ」
「だって、……いや、悠生と一緒だったら、寝過ごさないだろうし」
面倒くさいと言いかけて言葉を呑んだらしい笹原に、悠生は今度こそ笑ってしまった。自分にだけこうして愚痴をこぼしたり、甘えるようなことを言ってくるのがおかしい。
「だって、悠生のほうがちゃんと起きれるじゃん」
「目覚ましにあれだけ気が付かないほうがおかしい」
自分のアラームではなく、壁越しの鳴り止まないアラームで起こされたことが何度となくあるので、自然と声のトーンが下がる。
迷惑だと思うほどの頻度ではないのだが、悠生からすれば、なぜ一発で起きられないのか、甚だ疑問だ。
「昔から弱いんだよね、朝。悠生のおかげで助かってます」
「べつに……」
それこそ、それ以外のことで助けられているのは自分なのだ。視線をふいと逸らした悠生に、笹原が「かわいい」と笑う。相変わらず、この男の感覚はよくわからない。
あなたにおすすめの小説
消えることのない残像
万里
BL
最愛の兄・大貴の結婚式。高校生の志貴は、兄への想いが「家族愛」ではなく「恋」であったと、失恋と同時に自覚する。血の繋がりという境界線、そして「弟」という役割に縛られ、志貴は想いを封印して祝福の仮面を被る。
しかし数年後、大貴の息子が成長し、かつての兄と瓜二つの姿となったとき、止まっていた志貴の時間は歪な形で動き出す。
志貴(しき):兄・大貴に長年片思いしているが、告げることなく距離を置いていた。
大貴(だいき):志貴の兄。10歳年上。既婚者で律樹の父。無自覚に人を惹きつける性格。志貴の想いには気づいていない。
律樹(りつき):大貴の息子。明るく素直だが、志貴に対して複雑な感情を抱く。
君の恋人
risashy
BL
朝賀千尋(あさか ちひろ)は一番の親友である茅野怜(かやの れい)に片思いをしていた。
伝えるつもりもなかった気持ちを思い余って告げてしまった朝賀。
もう終わりだ、友達でさえいられない、と思っていたのに、茅野は「付き合おう」と答えてくれて——。
不器用な二人がすれ違いながら心を通わせていくお話。
キスの仕方がわかりません
慶野るちる
BL
全寮制男子校に入学した市原はクラス委員長になったため書類を提出しに生徒会室に行くと、そこに一人いた、初対面の副会長の近藤に襲われてしまう。
混乱するも相部屋の同級生・松川に助けられて元気を取り戻したある日、生徒会長の桜野から仕事を手伝って欲しいと依頼される。
最初は近藤に無視されていたが手伝う中で近藤から告白され、近藤への印象が少しずつ変わっていく市原だが。
表紙:Photo by Markus Spiske on Unsplash / powered by かんたん表紙メーカー様
【完結】I adore you
ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。
そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。
※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。
窓のない部屋の、陽だまりみたいな君
MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。
そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。
そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。
完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。
「五分だけ、ここにいさせてくれないか」
一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。
次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。
住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。