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32.衝突(3)
「よくはないでしょ、ちゃんと否定しないと」
「玉井さんが否定した方が良かったら否定するけど。というか、彼氏いるとか言わないの」
小声で話しかけられて、悠生も思わず小声で返す。非難ととったのか、玉井が困り顔で囁く。
「言ってるに決まってるでしょ。でも効果ないんだから仕方ないじゃない。湊くん、遠距離が続くわけないって頭から決めつけてるから性質が悪いの」
「あぁ」
なるほど。それは確かに厄介だ。
「ちょっとぉ、なにを二人でひそひそ話してんのぉ。のんちゃん、俺のこと無視しないでよ」
テーブル越しに伸びてきた手を、さすがにこれは駄目だろうと悠生は弾いた。その音が、思いのほか、大きく響く。
あ、と思ったときには、あくまで冗談で取り繕っていた湊の顔に、攻撃的な色が乗る。面倒なことになりそうだとげんなりとするよりも、どうして、と失望する気持ちの方が大きかった。なんで、このくらいのことすら、自分の力で対応できないんだろう。
見た目だけ変わっても、中身が変わらなければ意味はない。当たり前のことを、考えることが何度目になるのか分からないことを、痛感する。
「こら、湊」
呆れ声が諫めてきたのは、湊がなにか言おうと口を開きかけた、まさにそのときだった。
「呑みすぎ」
苦笑気味に告げた笹原の手が、世話を焼く要領で湊を引き上げる。
「いつまでも絡んでないで、戻っておいで。たまちゃんには彼氏がいるんだから、仕方ないでしょ」
茶化す調子に、「そんなこと言ってもさぁ」と湊が泣きつく。
「ほらほら、諦めて戻るよ。というか、もう呑むのやめときな」
「なんでだよ。いいじゃん、もっと、もう、ちょっとだけ」
「駄目。女の子に迷惑かける酔っ払いは嫌われるよ」
その言葉に、笹原のいた輪からはやし立てる声が沸く。湊の意識もそちらに向いたらしく、文句を言いながらも、ふらふらと元の輪へと戻っていく。自分の隣で玉井がほっと力を抜いたのが分かって、ぎゅっと悠生は握りしめていたグラスに力を込めた。
ごめんねと言うように、笹原が玉井に小さく手を上げる。悠生の方は一度も見なかった。
――いつから、見られていたんだろう。
嬉しいと言うよりかは、情けなかった。
「はー、やっぱ、葵くんって、よく見てるよね」
常に場の雰囲気を、と言うことだろう。感心した玉井の声に無言のまま悠生は頷いた。年の差、と言うような単純な違いではなく、人格の違いだ。
「あ、でも、真木くんもごめんね。ありがとう」
「……いや、べつに俺はなにもしてないし。というか、あんまりしつこいようだったら、頼りになる人に相談したほうが良いとは思うけど」
「うーん、まぁ、でも、今日は特別だよ。お酒が入ってなかったら、そんなに」
困り顔で玉井が笑う。
「やっぱり、お酒が入ると人間よろしくないね。理性が抜けて本音が飛び出る」
「そうかも」
適当な相槌を打ちながらも頭に過ったのは、あの夜の笹原の姿だった。いつもと違う酔った声、緩んだ顔。悠生の顔を、好きだと言った。
あれが笹原の本音だったのだろうか。だから、面倒な悠生の相手もしてくれていたのだろうか。
「一人暮らしだと、ちょっと怖いかなって思う瞬間はあるけどね。真木くんはない?」
「あの人がいきなり訪ねてきたら、とかそういうこと?」
「いや、まぁ、それも怖いけど。もうちょっと身近でも、たとえば虫が出たらどうしようとか、風邪ひいたらどうしようとか。一人が心細くなる瞬間みたいな」
真木くんは一人でもしっかりしてるから、大丈夫なのかな。続いた言葉に、曖昧に悠生は首を傾げた。
そういったことを心細いと感じることができるのは、誰かと一緒に過ごした記憶のある人間だけだ。その時間を幸せだと感じていた人間。だから、悠生は、笹原と一緒の時間を過ごすようになるまでは、なにも寂しくなんてなかった。寂しいと感じていたのだと、気づいていなかった。
遅れてやってきた玉井の仲のいい友人が近づいてきたことを確認して、悠生はそっと立ち上がった。
「真木くん?」
「ごめん、ちょっと」
煙草、と箱を取り出して提示すると、あぁ、と安心したように玉井が笑った。
「ここで吸ってもいいのに」
「嫌いな人もいるだろうし、外で大丈夫」
「気分転換にもそのほうがなるかもね。確か、ビルの一階にあったよ、喫煙スペース」
この居酒屋が入っているのは、雑居ビルの四階だ。そういえばビルの入り口付近にあったかもしれない。
「酔っ払いに絡まれないようにね」
「そうする」
小さく笑って、その場から抜け出す。頭の中で反響する喧噪も、テナントの外に出れば、ほんのわずかだがマシになる。人の熱気が渦巻く狭い空間は、やっぱりあまり好きになれない。鈍い頭の痛みを意識の外に追いやって、エレベーターに乗って外に向かう。狭い箱から外界に足を踏み出すと、ふっと空気が緩んだような気がした。
蒸し暑い夏の夜風に、通りを行く雑踏の声。けれど、どれも、自分を知らない人間だというだけで、中よりもよほど耳障りが良かった。
玉井の言っていた喫煙スペースはすぐに見つかった。これでやっと一息つけるとガラス戸を引いた瞬間、悠生の呼吸が寸時、止まった。
「玉井さんが否定した方が良かったら否定するけど。というか、彼氏いるとか言わないの」
小声で話しかけられて、悠生も思わず小声で返す。非難ととったのか、玉井が困り顔で囁く。
「言ってるに決まってるでしょ。でも効果ないんだから仕方ないじゃない。湊くん、遠距離が続くわけないって頭から決めつけてるから性質が悪いの」
「あぁ」
なるほど。それは確かに厄介だ。
「ちょっとぉ、なにを二人でひそひそ話してんのぉ。のんちゃん、俺のこと無視しないでよ」
テーブル越しに伸びてきた手を、さすがにこれは駄目だろうと悠生は弾いた。その音が、思いのほか、大きく響く。
あ、と思ったときには、あくまで冗談で取り繕っていた湊の顔に、攻撃的な色が乗る。面倒なことになりそうだとげんなりとするよりも、どうして、と失望する気持ちの方が大きかった。なんで、このくらいのことすら、自分の力で対応できないんだろう。
見た目だけ変わっても、中身が変わらなければ意味はない。当たり前のことを、考えることが何度目になるのか分からないことを、痛感する。
「こら、湊」
呆れ声が諫めてきたのは、湊がなにか言おうと口を開きかけた、まさにそのときだった。
「呑みすぎ」
苦笑気味に告げた笹原の手が、世話を焼く要領で湊を引き上げる。
「いつまでも絡んでないで、戻っておいで。たまちゃんには彼氏がいるんだから、仕方ないでしょ」
茶化す調子に、「そんなこと言ってもさぁ」と湊が泣きつく。
「ほらほら、諦めて戻るよ。というか、もう呑むのやめときな」
「なんでだよ。いいじゃん、もっと、もう、ちょっとだけ」
「駄目。女の子に迷惑かける酔っ払いは嫌われるよ」
その言葉に、笹原のいた輪からはやし立てる声が沸く。湊の意識もそちらに向いたらしく、文句を言いながらも、ふらふらと元の輪へと戻っていく。自分の隣で玉井がほっと力を抜いたのが分かって、ぎゅっと悠生は握りしめていたグラスに力を込めた。
ごめんねと言うように、笹原が玉井に小さく手を上げる。悠生の方は一度も見なかった。
――いつから、見られていたんだろう。
嬉しいと言うよりかは、情けなかった。
「はー、やっぱ、葵くんって、よく見てるよね」
常に場の雰囲気を、と言うことだろう。感心した玉井の声に無言のまま悠生は頷いた。年の差、と言うような単純な違いではなく、人格の違いだ。
「あ、でも、真木くんもごめんね。ありがとう」
「……いや、べつに俺はなにもしてないし。というか、あんまりしつこいようだったら、頼りになる人に相談したほうが良いとは思うけど」
「うーん、まぁ、でも、今日は特別だよ。お酒が入ってなかったら、そんなに」
困り顔で玉井が笑う。
「やっぱり、お酒が入ると人間よろしくないね。理性が抜けて本音が飛び出る」
「そうかも」
適当な相槌を打ちながらも頭に過ったのは、あの夜の笹原の姿だった。いつもと違う酔った声、緩んだ顔。悠生の顔を、好きだと言った。
あれが笹原の本音だったのだろうか。だから、面倒な悠生の相手もしてくれていたのだろうか。
「一人暮らしだと、ちょっと怖いかなって思う瞬間はあるけどね。真木くんはない?」
「あの人がいきなり訪ねてきたら、とかそういうこと?」
「いや、まぁ、それも怖いけど。もうちょっと身近でも、たとえば虫が出たらどうしようとか、風邪ひいたらどうしようとか。一人が心細くなる瞬間みたいな」
真木くんは一人でもしっかりしてるから、大丈夫なのかな。続いた言葉に、曖昧に悠生は首を傾げた。
そういったことを心細いと感じることができるのは、誰かと一緒に過ごした記憶のある人間だけだ。その時間を幸せだと感じていた人間。だから、悠生は、笹原と一緒の時間を過ごすようになるまでは、なにも寂しくなんてなかった。寂しいと感じていたのだと、気づいていなかった。
遅れてやってきた玉井の仲のいい友人が近づいてきたことを確認して、悠生はそっと立ち上がった。
「真木くん?」
「ごめん、ちょっと」
煙草、と箱を取り出して提示すると、あぁ、と安心したように玉井が笑った。
「ここで吸ってもいいのに」
「嫌いな人もいるだろうし、外で大丈夫」
「気分転換にもそのほうがなるかもね。確か、ビルの一階にあったよ、喫煙スペース」
この居酒屋が入っているのは、雑居ビルの四階だ。そういえばビルの入り口付近にあったかもしれない。
「酔っ払いに絡まれないようにね」
「そうする」
小さく笑って、その場から抜け出す。頭の中で反響する喧噪も、テナントの外に出れば、ほんのわずかだがマシになる。人の熱気が渦巻く狭い空間は、やっぱりあまり好きになれない。鈍い頭の痛みを意識の外に追いやって、エレベーターに乗って外に向かう。狭い箱から外界に足を踏み出すと、ふっと空気が緩んだような気がした。
蒸し暑い夏の夜風に、通りを行く雑踏の声。けれど、どれも、自分を知らない人間だというだけで、中よりもよほど耳障りが良かった。
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