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33.衝突(4)
「笹原」
少しの間の後、喉を突いた名前は、なんだかひどく気まずそうな音になっていた。悠生と違い、笹原はいつも通りの静かな笑顔だった。にこ、と口元だけで小さく笑って、紫煙を吐く。自分のものとは違う、笹原の好む銘柄。久しぶりだ、と思った。
このまま外に出るのはおかしい。自分を鼓舞するように理由を付けて、悠生は入口のそばで煙草に火を点けた。隣に立つという選択は取れなかった。どうすれば自然に見えるのか。自分の行動をそんなふうに考えてばかりいた。だから、笹原に言われた言葉の意味がすぐには飲み込めなかった。
「悠生って、たまちゃんみたいな子がタイプなんだ?」
「え?」
「知らなかった。まぁ、かわいいもんね。おっとりしてて、癒し系って言うの? 俺はよく分からないけど、好きな男、多そう」
玉井を褒めているというよりかは、どこか馬鹿にしているような口調。その冷たさに、悠生は言葉を失った。
「あんまりがっついてないし、そういうのが良いのかな」
「なぁ」
それ以上を聞いていたくなくて、言葉を振り絞る。
「なんでそういうこと、言うの」
「そういうことって?」
「怒ってるんだろ」
「俺が? おまえに?」
意味が分からない、と笹原は笑った。
「どっちかと言うと、逆な気がするけどね」
怒っているのかと尋ねた瞬間。自分がどれほどの勇気が要ったか。きっと笹原には伝わっていない。悠生ではなく手元を見たまま、笹原が言った。吐き捨てるように。
「まぁ、でも、べつにそれもなんでもいいけど」
突き放されたようにしか響かないそれに、心臓がすくむ。火を点けたままの煙草を、一度も吸っていないことにふと気が付いた。けれど、どうすればいいのか分からなかった。自分は、なにも分からない。でも。
「変だよ、おまえらしくない」
喉を突いたのは、そんな言葉でしかなかった。けれど、笹原にそんなことを言ってほしくなかった。
「おまえらしいって、なに」
鼻で笑って、笹原が吸いさしをスタンド灰皿にねじ込んだ。
「悠生は、俺のなにを知ってるの」
「なにって……」
四月のあの夜。ベランダで初めて会話をしたあの瞬間から、何度も同じ夜を過ごした。
悠生と違って、大人で、優しい価値観を持っていて、誰も傷つけることのない広い視野を持っている。
その心がうらやましくて、それよりももっとずっと、好きだった。だから。
――だから。
「俺のこと、いい人だって思ってるなら、それが間違いだよ。俺が、今のおまえのことどう思ってるか知らないだろ」
「――え?」
「俺は、前のおまえの方がずっと好きだよ。今のおまえ、偽物みたいで気持ち悪い」
本当に一瞬、なにを言われたのか分からなかった。視線を外したのは笹原が先だった。そのまま悠生の脇をすり抜けて、外へと出ていく。
声が出なかった。引き留めるための手も足も動かなかった。
嫌われている、と知った瞬間に竦んでしまった。そうならないように、変わったつもりだったのに。
――変われない。
何度目になることか分からないことを、けれど、心底思い知った気分だった。
俺は変われない。だから、誰にも好きになってもらえない。
そこまで考えて、あぁ、まただ、と気が付いた。俺はいつもそうやって、被害者意識ばかりが強くて、自分ではなにもしないくせに、愛されたいと願っている。必要とされたいと祈っている。
逃げ出してしまいたい衝動を堪えて、ほとんど灰になってしまった吸いさしを灰皿に押し込んで、新しい一本に火を点ける。一番上の兄に喫煙がバレたとき、良い顔はされなかった。けれど、これがなかったら、笹原とあんなふうな交流はできなかったかもしれない。そう思うと、止める気にはとうとうなれなかった。
どうかしたの、と微かに心配そうな顔を見せた玉井になんでもないと返して、同じテーブルにいた子たちと他愛もないことを話す。
ときたま耳に届く楽しそうな会話に混じる笹原の声に意識を引っ張られそうになりながらも、悠生は愛想笑いを張り付けた。少し前の自分だったら、絶対にしなかったような振る舞い。それをあえて今やってみせている自分が、なんだかひどく小さいものに見えた。
少しの間の後、喉を突いた名前は、なんだかひどく気まずそうな音になっていた。悠生と違い、笹原はいつも通りの静かな笑顔だった。にこ、と口元だけで小さく笑って、紫煙を吐く。自分のものとは違う、笹原の好む銘柄。久しぶりだ、と思った。
このまま外に出るのはおかしい。自分を鼓舞するように理由を付けて、悠生は入口のそばで煙草に火を点けた。隣に立つという選択は取れなかった。どうすれば自然に見えるのか。自分の行動をそんなふうに考えてばかりいた。だから、笹原に言われた言葉の意味がすぐには飲み込めなかった。
「悠生って、たまちゃんみたいな子がタイプなんだ?」
「え?」
「知らなかった。まぁ、かわいいもんね。おっとりしてて、癒し系って言うの? 俺はよく分からないけど、好きな男、多そう」
玉井を褒めているというよりかは、どこか馬鹿にしているような口調。その冷たさに、悠生は言葉を失った。
「あんまりがっついてないし、そういうのが良いのかな」
「なぁ」
それ以上を聞いていたくなくて、言葉を振り絞る。
「なんでそういうこと、言うの」
「そういうことって?」
「怒ってるんだろ」
「俺が? おまえに?」
意味が分からない、と笹原は笑った。
「どっちかと言うと、逆な気がするけどね」
怒っているのかと尋ねた瞬間。自分がどれほどの勇気が要ったか。きっと笹原には伝わっていない。悠生ではなく手元を見たまま、笹原が言った。吐き捨てるように。
「まぁ、でも、べつにそれもなんでもいいけど」
突き放されたようにしか響かないそれに、心臓がすくむ。火を点けたままの煙草を、一度も吸っていないことにふと気が付いた。けれど、どうすればいいのか分からなかった。自分は、なにも分からない。でも。
「変だよ、おまえらしくない」
喉を突いたのは、そんな言葉でしかなかった。けれど、笹原にそんなことを言ってほしくなかった。
「おまえらしいって、なに」
鼻で笑って、笹原が吸いさしをスタンド灰皿にねじ込んだ。
「悠生は、俺のなにを知ってるの」
「なにって……」
四月のあの夜。ベランダで初めて会話をしたあの瞬間から、何度も同じ夜を過ごした。
悠生と違って、大人で、優しい価値観を持っていて、誰も傷つけることのない広い視野を持っている。
その心がうらやましくて、それよりももっとずっと、好きだった。だから。
――だから。
「俺のこと、いい人だって思ってるなら、それが間違いだよ。俺が、今のおまえのことどう思ってるか知らないだろ」
「――え?」
「俺は、前のおまえの方がずっと好きだよ。今のおまえ、偽物みたいで気持ち悪い」
本当に一瞬、なにを言われたのか分からなかった。視線を外したのは笹原が先だった。そのまま悠生の脇をすり抜けて、外へと出ていく。
声が出なかった。引き留めるための手も足も動かなかった。
嫌われている、と知った瞬間に竦んでしまった。そうならないように、変わったつもりだったのに。
――変われない。
何度目になることか分からないことを、けれど、心底思い知った気分だった。
俺は変われない。だから、誰にも好きになってもらえない。
そこまで考えて、あぁ、まただ、と気が付いた。俺はいつもそうやって、被害者意識ばかりが強くて、自分ではなにもしないくせに、愛されたいと願っている。必要とされたいと祈っている。
逃げ出してしまいたい衝動を堪えて、ほとんど灰になってしまった吸いさしを灰皿に押し込んで、新しい一本に火を点ける。一番上の兄に喫煙がバレたとき、良い顔はされなかった。けれど、これがなかったら、笹原とあんなふうな交流はできなかったかもしれない。そう思うと、止める気にはとうとうなれなかった。
どうかしたの、と微かに心配そうな顔を見せた玉井になんでもないと返して、同じテーブルにいた子たちと他愛もないことを話す。
ときたま耳に届く楽しそうな会話に混じる笹原の声に意識を引っ張られそうになりながらも、悠生は愛想笑いを張り付けた。少し前の自分だったら、絶対にしなかったような振る舞い。それをあえて今やってみせている自分が、なんだかひどく小さいものに見えた。
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