きっと世界は美しい

木原あざみ

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36.雪解ける(1)

「悠生の部屋に入るの、なんか久しぶり」
「……散らかってて、悪いけど」

 今更かと思いながらも断りを入れる。もともと物の少ない部屋だけれど、笹原がよく顔を出していたころに比べれば、散らかっている。それはアルバイトを始めて忙しくなったからと言うよりかは、誰も来ないからきちんとしておく必要性を感じなくなっていただけだ。

「そんなことないよ」

 笹原が笑って、よく座っていたところに腰を下ろす。ベッドとは反対側の、ローテーブルの前。そのしぐさのさりげなさに、緊張が少し緩んだけれど、まだなんだか落ち着かない。久しぶりにこの家に二人でいるからだろうか。それが嫌だというわけでは、もちろんないのだけれど。

「あ、……なんか、飲む?」
「いいから、いいから」

 所在なく立っていた悠生を、笹原が手招く。ここ、俺の家なんだけど。言いたくなるような雰囲気ではあったけれど、どうせ悠生が緊張しているのもお見通しで解そうとしてくれているのだ。
 そう思えたから、うんと頷いて、真向かいに座る。そうして何度も二人で向かい合ってきたはずだった。

「あのさ」

 口火を切ったのは、やはりと言うべきか、笹原だった。

「俺から先にひとつ言ってもいい?」
「なに?」
「いろいろと謝らないといけないことはあると思うんだけど、その、さっき……喫煙所では、ごめん。言い訳にならないけど、俺、妬いてたんだと思う」

 予想外の言葉に、すぐに内容を咀嚼できなかった。じっと見つめていると、笹原が苦笑気味に眉を下げた。

「ぜんぶ、俺の勝手。だから悠生は悪くないよ。ただ、その、なんて言ったらいいのかな、俺、悠生のかわいいところも、良いところも、ぜんぶ俺だけが知ってたらいいのにって、そんな勝手なこと、思ってたから」
「……え?」
「だから、もしかしたら、積極的に悠生を外に連れ出そうとしてなかったのかもしれない。ごめんね。俺がそうじゃなかったら、もっと早く、今みたいに他の子たちと仲良くできてたのかもしれない」
「そんなの」

 なにをどう言えばいいのか分からなかったけれど、ひとつだけは分かった。だから、せめてそれだけでも言葉にする。伝えたかった。

「そんなの、おまえの所為じゃないだろ。誰とも仲良くしたくないって思ってたのは俺で、でも」

 最初は煩わしかったけれど、笹原がめげずに喋りかけてくれたことが、嬉しくて。そして、今も、――先ほどまでの飲み会も、楽しかったかと言われるとよく分からなくて。

「おまえが、俺に話しかけてくれて、それが一番、俺は嬉しかった」

 それだけは、真実だった。嬉しかった。そして、いつしか、笹原が面倒見がいいから気にかけてくれている、というだけでは飽き足らなくなって。一番になりたいと、そんな身の丈に合わない願いを抱くようになってしまって、それで。
 初めて嫌われたくないと思って、そうしたら、どうしたらいいのか分からなくなった。

「でも、それも、……おまえにとったら、べつに特別じゃないってことも、ちゃんと分かってて」

 分かっていた、つもりで。でも、自分にとって特別だったことも、本当で。保っていられなくなった視線は、とうとう膝の上でこぶしをつくっている手の甲にまで落ちていた。
 いつもそうだ。人の眼を見て最後までしゃべれない。自分に負ける。小さく息を吐いて、顔を上げる。笹原は、まっすぐに悠生を見ていた。急かすでもなく、言葉を待って。
 そして、眼の合った悠生に、小さく微笑む。安心させるように。
 なんで、と思った。

「なんで、そんなに優しいの」

 問いが、ぽろぽろと口を突く。なんで。八つ当たりのように疑問があふれる。

「なんで、そんなふうに、いつも。ずっと。だから、俺が」
「勘違い、したくなるって?」

 苦笑気味に発せられた言葉に、かぁっと顔が熱くなる。慣れていないから。言い訳なんて、いくらでもできる。人と仲良くすることに慣れていないから。優しくされることに免疫がないから。
 笹原が誰にでもするそれを、自分だけの特別だと都合の良いことを考えてしまう。そんな、馬鹿なことを。自分でもよく分からないままに首を横に振る。したかったわけじゃない。そんな惨めなことを。

「したらいいのに」

 だから、その意味も、すぐには分からなかった。

「したらいいのに、勘違い。それで、俺を好きなんだって、思い込めばいいのに」
「それって」

 どういうことなんだろう。はっきりと示してもらえなければ、自分に都合のいい勘違いを本当にしてしまいそうだった。

「分からない?」

 窺うように笹原が息を吐く。意地を張る代わりに、乞う。

「言葉で聞きたい」

 つまらない見栄もプライド、なにもいらない。ただ、目の前の男の本心が欲しかった。

「おまえの言葉で、俺は知りたい」

 たとえ、それが、悠生の望んだ言葉でなかったとしても。ずっと握りしめたままの掌は汗ばんでいた。逃げを封じて、悠生は続けた。

「俺は、おまえのことが、好きだけど」

 好きだと誰かに伝えたのは、生まれて初めてのことだった。声が震える。笹原の前で格好が付いたことなんて、一度もない。

「でも、……だから、おまえがそうじゃないなら、ちゃんと勘違いしないようにする、から」

 好きだけれど。それを受け止めてもらえなかったとしても、迷惑をかけるようなことはしたくない。時間はかかるかもしれないけれど、また「友人」として隣に立てるようにしたい。けれど、そのためには、ちゃんと答えを知らないといけない。
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