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「第十話 桃子覚醒 ~怨念の呪縛~ 」
5章
しおりを挟む酸素を吸入するための透明なマスクから、シュウシュウという擦過音が洩れ出ている。
明治よりその名を轟かせる日本有数の名家・五十嵐家の本邸。西洋風の豪奢な建物の地下に、「集中治療室」と銘打ったその部屋はあった。
スーパーコンピューターのような巨大な装置に囲まれて、白いベッドが部屋の中央にある。頭部を包帯で巻かれた霧澤夕子が、そのなかで静かに眠っていた。ピ・・・ピ・・・という心拍をつげる機械音が、今は安定したリズムを刻んでいる。
「ごめん・・・ごめんね、夕子・・・」
入室禁止の治療室の扉の前で、桜宮桃子はもう2時間以上その場に立ち尽くしていた。大きな瞳からとめどなく流れる涙が、白い頬をつたって床にボトボトと落ちている。泣き続ける瞳は真っ赤に充血し、グズグズとなる鼻もふやけそうに濡れている。少女の足元で、涙は水溜りになっていた。
「モモ・・・もう行こ。ね」
そっと友の両肩を後ろから抱く藤木七菜江が連れようとしても、超能力少女は頑固にその場を動こうとはしなかった。黒のTシャツにデニム姿の桃子の身体には、夕子の流した血がこびりついている。血に染まった究極可憐な美少女は、背徳の化粧を施してゾクゾクするほど美しい。
「あたしの・・・あたしのせいで・・・あたしがダメだから・・・・・・」
桃子の心に元恋人である久慈への未練などまるで皆無であった。あるのは怒りと敵意。超能力者の自分を道具としてしか見ず、使えぬと知ったら始末しようとした男に、今更愛情などあるわけがない。刺し違えてでも倒さなければならない相手。大切な仲間を、尊い命を平気で傷つける悪魔の使いを、断じて許すわけにはいかない。
あのとき、真剣を久慈から渡されたとき、斬りつけることができなかったのは、久慈への愛ゆえではない。
戦士としての覚悟。久慈に怒りは覚えても、倒す決意は固めていても、命を奪う覚悟まではできていなかったのが、あのとき桃子を金縛りにした。
もし桃子がいざという気構えを持っていれば、夕子がこんな目に遭うことはなかった。ストーカー男・藤本に刺されたのも、久慈のリンチを一身に浴びたのも、夕子が桃子の盾となってかばってくれたからこそ。いわば桃子の身代わりとなって、退院間もない天才少女は悪鬼の嗜虐に沈んだのだ。
"あたしの甘さのせいで・・・夕子は傷ついてしまった・・・もっと・・・もっと憎まなきゃ・・・・・・覚悟をしなきゃ!"
「ヒトキは・・・あたしが倒す・・・たとえ、殺してしまうことになっても」
優しき少女のものとは思えぬ台詞を吐いて、エスパー少女は悲しみの内に復讐を決意する。強い意志を秘めた瞳が、炎の色で輝いた。
部屋を占拠しているのは、革張りの分厚い本で埋められた本棚と、イタリア製の木の机。テレビやオーディオの類もなければ、ぬいぐるみのひとつすらないその部屋が、思春期の最中にある女子高生の個室であると誰が気付くであろうか。まるで高名な学者の研究室。揃えられた家具の一切が高級品であるのは確かだが、全体を茶色やこげ茶で染められた部屋には華やかさの欠片もない。癒しも余裕も欠落したその部屋に代わりにあるのは、任務を遂行するための利便性。その雰囲気はプライベートな個室ではなく、まさしく「職場」に近い。この部屋の主はひとりの時間を得ても、己に与えられた任務について片時も忘れることができないのであろう。ただ部屋の片隅に置かれた古めかしい鏡台だけが、部屋の主の女のコらしさを物語る。
テニスコート四面分ほどの中庭を防弾ガラス越しに望みながら、五十嵐里美は執事の安藤が運んできてくれたロイヤルティーを桜色の唇に運んだ。
かすかな空調の音が、喋る者のない室内を低く流れていく。濃紺のワンピースに身を包んだスレンダーな肢体は、本物のみが醸す気品を無言のうちに漂わせる。コクリとかすかに上下する白い咽喉。夏の陽光をガラス越しに浴びる美少女の姿は、印象派の絵画のように幻想的ですらある。
「霧澤様の様態も随分と安定して参りました。今更ながら『エデン』の授ける回復力には驚嘆するばかりです。それに男の腕力に抑えられながらも、懸命に急所を外した桜宮様の必死の抵抗も功を奏したと言えましょう」
「そう・・・それはよかったわ」
「・・・里美様、平然を装うのが上達されましたな。藤木様や西条様が取り乱さずにすんだのは、あなたの堂々とした立ち居振る舞いあってこそです」
再び唇に近づけたティーカップがカタカタと音をたてる。里美を襲う小刻みな震えが、陶磁のカップを白い歯に当てさせていた。鮮血に染まった夕子と泣き叫ぶ桃子。ふたりの姿を見たときの衝撃が今更のように蘇り、麗しき令嬢を揺さぶる。あのとき顔色ひとつ変えずに冷静に指示を出したことが、どれほど直情的な七菜江や幼いユリを励ましたことか。束ねる者としての使命を無事にクリアし、いま里美の胸にはわずかな安堵が広がっていた。
「夕子なら、大丈夫だって信じられたから。・・・桃子の様子はどう?」
オールバックの初老の紳士は、ゆっくりと首を横に振る。
「非を全て背負い込んでしまわれております。桜宮様は優しすぎるがゆえに」
「・・・安藤、桃子をこのまま闘わせてもいいのかしら?」
以前からずっと胸に秘めていた疑問を、守護天使のリーダーは信頼する執事に尋ねる。
「私、時々思うの・・・桃子をこのまま闘いに巻き込んでいいのかって。あのコは優しすぎる。戦士にとって、それは時に致命的になるわ。あのコのことを思えば、もう私たちに関わらせるべきではないんじゃないかしら・・・」
「里美様がどのように結論を出されたとしても、この老いぼれが口を挟むところではございません」
落ち着いた、聞き心地の良い声がスーツ姿の執事から流れる。
「ただ・・・里美様は桜宮様のことを、戦力として必要とお考えですか?」
「・・・それはもちろん・・・あのコのチカラは他にはない特別なものだもの。戦力としてこれほど心強いものはないわ」
「ならば、考える必要などないかと」
紳士の優しい声は、冷徹ともいえる内容をサラリと吐いた。
里美にもわかっている。役に立つのなら、戦力として使う。戦闘の指揮官が人事において考えるのは、いきつくところその一点。桃子が戦力になるならば、迷わず使えばいい。その結果、彼女が不幸になるかどうかは、考えるべき事案ではない。
それなのに口に出してしまったのは、結局のところ、里美自身の覚悟の無さ――
甘いのは、私の方なのかもしれない。執事に言外のうちに叱責された想いに駆られ、里美は心の背筋を伸ばす。
「ああ見えても、桜宮様は十分に戦士としての気構えを持っておられます。運命を受け止める覚悟があの方には見受けられます」
「・・・そうね。桃子に対して失礼だったわ」
「それに、あの方の優しさこそが強さだと私は思います」
飲み干した紅茶のカップを里美は木製の机上に置く。カチャリと音をたてたマイセンの食器を、老執事は自然な動きで盆に乗せた。
「他にも、言いたいことがありそうね」
安藤が見せたわずかな動きの通常との差を、くノ一少女の瞳は見分けていた。紳士の口から数秒の後に言葉がこぼれてくる。
「工藤様が、ファントムガールの正体に気付いていたそうですね」
ピクリ、と里美の細い肩がわずかに上下する。
「片倉響子と接触している以上、工藤様がその気になれば、いくらでも『エデン』と融合するチャンスはあったはず。それでいて、そうしないのは」
「吼介はこの闘いに関わる気がないってことだわ」
安藤の台詞に割り込んで里美が言う。
「彼もわかっている。自分が必ずしも聖なる戦士になれるとは限らないことを。ファントムガールを守るより、敵対する可能性をゼロにする道を選んだのよ」
「嬉しいですか?」
「当たり前よ」
平静を装おうとした意志に反して、里美の語気はわずかに強まる。
「元々吼介に助けてもらおうなんて思っていないわ。まして最強の男が敵に回る可能性がなくなれば、嬉しくないわけがない」
「そうですか。私はてっきり、里美様は心のどこかで彼を仲間に加えたがっているとばかり思っておりました。そのために未だ最後の『エデン』を使わないのかと」
切れ長の瞳で、くノ一少女は老執事を見詰める。無言のまま、麗しき聖少女と老練な紳士は互いの視線を絡ませた。
「もし万が一、工藤様がミュータントとなって現れたときは・・・」
「わかっているわ」
静かに、だがハッキリと里美は言った。
「私がこの手で、吼介を殺すわ。五十嵐家の使命において」
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