ファントムガール ~白銀の守護女神~

草宗

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「第十三話 東京鎮魂歌 ~赤銅の闘鬼~」

6章

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 行かなくてはならない、のはわかっていた。
 名指しで呼び出されたから、というのもある。しかしそれ以上に、悪鬼の巣窟に乗り込む五十嵐里美をひとりにするわけにはいかなかった。情勢は明らかな不利。それでも・・・ひとりよりもふたりの方がいいに決まっている。奇跡とも思える逆転の可能性がわずかでも増える限り、七菜江は行かねばならなかった。もう二度と傍らに立つことはないかもしれないと思った里美の隣で、闘うべきであった。
 
 里美さんを、助けたい。
 もう一度あなたと、一緒に闘いたいよ。
 
 それでも・・・わかっていても、今この場から去ることが、どうしても七菜江にはできなかった。
 膝に顔を埋める工藤吼介の頭をそっと撫でる。最強と呼ばれる男のこんな姿を見るのは、七菜江にとっても初めてのことであった。まるで子供だった。七菜江が知る吼介ではなかった。なのに・・・ますます愛しさが募るこのひとをひとりにして、戦場に向かう気にはなれなかった。
 
「罪人・藤木七菜江よ・・・」

 低い男の声に、ショートカットの少女は顔だけをあげていた。緊張が、その表情を強張らせる。御庭番の追手が現れたことは、瞬時に理解していた。初めて聞くはずの声音なのに、どこか記憶に引っ掛かる。背中に噴き出す冷たい汗。声の主が強者であることだけは、直感が教えてくれていた。
 
「残念なことではあるが・・・我らのもとを離れ、その男と行動をともにするうぬを、なんらの沙汰なしと許容することはできぬ」

 瓦礫の山がふたつの影を吐き出す。ひとりは片倉響子。もうひとり、女教師の首元に短刀を突きつけた隻眼の男が声の主であろう。
 
「・・・安藤・・・さん?・・・」

「仮の姿では、随分と世話になったな、藤木七菜江・・・願わくば、うぬの前にはこの姿で現れたくはなかった」

 追撃者の正体を知った七菜江の吊り気味の瞳が、大きく見開かれる。
 黒づくめのレンジャースーツに身を包んだ初老の紳士は、少女がよく知る執事に間違いなかった。だが・・・その事実を確認しなければならないほど、噴き出す気配はまるで異質なものに変わっている。言うなれば、オレンジ色が血の色に変わったように。春の陽射しが厳冬の息吹に豹変したように。
 
「五十嵐玄道・・・それが我が本当の名。御庭番衆の現当主であり、不肖里美は我が娘にあたる」

 続けざまの衝撃が、硬直する少女の胸を射抜く。
 五十嵐家に居候する七菜江の身辺の世話をしてくれていた執事が・・・現代忍者の頂点に立つ人物だったというのか。
 それも里美の肉親・・・本当の父だと。
 
「安藤さんが・・・里美さんのお父さん?・・・ウソ、なんでそんな・・・」

「全ては里美を影から支えるため。そして、異能の血を継ぐその男を警戒するため」

「吼介を?!・・・・・・じゃあ・・・じゃあ、ふたりが姉弟だっていうのは・・・」

「里美をその危険な男から引き離すには、必要な嘘だったのだ。もっとも結果的には効果はなかったのかもしれぬがな・・・里美は使命を破り、そやつに『エデン』を渡してしまったのだから」

 景色が歪む。地についた足がふわふわと浮かぶような感覚。
 今が非常事態であることを、心の隅でどこか七菜江は感謝した。度重なるショックの連続に、心が麻痺してくれている。もし平常時に安藤・・・いや、五十嵐玄道の告白を聞いていたならば、あたしはこの場で立っていられたのだろうか?
 
「ひどい・・・よ・・・・・・そんなの、ひどすぎる・・・」

「この国を守るためには仕方のないことだった。使命を遂行するために最善を尽くすのが我らの・・・」

「使命、使命ってッ! なんで好き同士だったふたりが離れなきゃいけないのッ?! 吼介が一体、なにしたっていうのよッ!! ただ、『エデン』の血を継いで生まれたってだけなのにッ!!」

「ならば誰がこの国を、世界を守るというのかッ?! 藤木七菜江よ、ファントムガール・ナナとして身を挺して巨大生物の脅威に立ち向かったうぬなら理解できようッ?! 誰かが傷つかねば、守れぬものがあるッ!! その犠牲となるために・・・うぬらファントムガールや我らは存在しているのだッ!!」

 叫びかけた少女の口が閉じられる。白い歯が下唇をギリと噛む。
 
「使命を果たすためには、感情よりも秩序と指令が優先されるッ! 里美は・・・与えられた役割を放棄し、己が感情に走ってその男を救った。それは御庭番衆として、許されざる大罪なのだ。藤木七菜江、うぬもファントムガールとして我らに関与する以上・・・里美に拳を向け、そやつと行動を共にする罪を看過するわけにはいかぬ」

「・・・あたしを・・・処罰するためにきたの?・・・」

「うぬへの正式な裁断はまだ下されておらぬ」

「・・・吼介が『エデン』の血を引くって理由で警戒されるなら・・・あたしだって、一緒だよ。あたしも、あなたたちが嫌う・・・異能な存在の子孫だよ?」

「赤鬼の暴れぶりを見なかったのか? そやつはメフェレスらにも劣らぬ人類の脅威だ。消さねばならぬ。工藤吼介を抹殺することこそ、今、我がなすべきことよ。なにをしたか、だと? その悪鬼がユリアを葬った事実を知らぬとは言わさぬぞッ、七菜江ッ?!」

 ピンクの唇が歪む。またも言葉は紡がれず、ただ息を呑む音が響くのみ。
 膝のうえで顔を伏せる男を抱き包み、少女はショートカットの髪をふるふると横に振り続けた。
 
「藤木七菜江ッ、ダメよ! この男は・・・あなたにすら容赦はしないッ!」

 沈黙を貫いていた響子が、たまりかねたように叫ぶ。御庭番衆現当主の実力を数分前にイヤというほど思い知らされた女教師の声色には、必死さが張り付いていた。
 
「やだッ・・・・・・絶対ヤダッ!! 吼介はあたしが守るッ!! 里美さんが守った吼介を、今度はあたしが守ってみせるッ!!」

「邪魔するというのならば・・・うぬもろとも処断せねばなるまいな、藤木七菜江・・・」

 響子の首元に突きつけられていた忍刀の切っ先が、すっと男を庇い続ける少女に差し向けられる。
 冷たく光る玄道のひとつ眼に、冷徹以外の感情は一切浮かんでいなかった。
 
「逃げなさいッ、七菜江ッ!!」

「逃げないッ!! あたしが逃げたら誰が・・・吼介を守るっていうのッ?! もう吼介にはあたししかいないもんッ! たとえ安藤さんに殺されたって・・・あたしはこのひとを守り続けるッ!!」

「うぬの罪も、許されたわけではないぞ、藤木七菜江・・・これ以上、罪を重ねるというならば、やむを得まいな・・・」

 カチャ・・・
 銀光を跳ね返す刃が、凍えるような音色を洩らす。
 突風が吹きつけ、世界が揺れたのは次の瞬間だった。
 
「逆だろ、七菜江」

 ゴオオオオッ!!!
 
 分厚い肉の塊が、現代忍びの総帥に襲い掛かる。マグマの如く沸騰する巨大隕石が、殺到する勢いで。
 パシッ!! 唸る風の轟音を嘲笑うかのような、軽く、そして乾いた音がした。木の葉のように黒づくめの身体が舞っていた。10mの距離を飛んで、爪先からふわりと着地する。
 先程まで少女の膝に伏していた格闘獣の、加速をつけての順突き。
 工藤吼介の砲撃のような一打を、五十嵐玄道は両掌で受けつつ自ら飛翔していた。打撃の威力が巧みな体捌きによって消去される。だが・・・吼介の拳頭と玄道の掌から昇る白煙が、剛打の威力を証明している。
 
「・・・あ・・・」

 少女の眼の前に、逆三角形の広い背中が立っていた。
 愛着のある、温かく、そして頼りがいのある背中。
 七菜江の膝に雫の沁みを広げていた弱々しき姿が幻であったかのように、格闘の覇王は廃墟の中央に再臨していた。
 
「・・・吼介ッ・・・!!」

「守るのはオレの役目だ。いけ。早く里美の元へ・・・行ってくれ。このひとの狙いは、オレひとりのはずだ」

「愛する者を守るために、目覚めたか・・・できれば沈んでいる間に仕留めたかったのだがな」

 呟く玄道の口の端から、一筋の鮮血が垂れ落ちる。
 衝撃を受け切ったつもりで・・・できなかった。掌越しに顔面に伝わった拳の威力が、グラグラと脳を揺さぶっている。覚醒した格闘獣と正面からやりあいたくなかったのは、偽らざる本音だった。
 
「で、でもッ・・・!!」

「早く行けッ! 使命に縛られたこのひとは、オレの次にはお前を狙わなくちゃいけなくなる。そうなる前に・・・里美を助けてやってくれ! 本心ではこのひとも、お前に行って欲しいんだッ!」

 二気筒のエンジンがけたたましく鳴り響く。滑り入ってくる真紅のホンダVTR250。隙を逃さず行動に移していた片倉響子が、バイクの上に跨っている。
 
「乗りなさいッ、藤木七菜江! 今ならまだ東京タワーの決戦に間に合うわ!」

 躊躇いは数瞬だった。本当に自分がすべきことは、七菜江自身がよくわかっていた。最愛の男が自らの足で立ち上がった今、少女戦士は本来立つべき戦場に向かうべきであった。
 跳躍したアスリート少女が、二輪の鉄騎に飛び乗る。瞬間、エンジン音と排気を残してモーターバイクは東京タワー目指して疾駆していた。
 
「吼介・・・生きて逢おうね・・・絶対ッ・・・」

 流れる風のなかで、七菜江の呟きは轟音のなかに消えていった。
 
「・・・我が心情を読み切ったつもりか?・・・業深き赤鬼よ」

 対峙するふたりのみになった廃墟に、五十嵐玄道の低い声音が漂う。
 
「あなたが・・・本当は七菜江を処罰したくないのは、わかった。その気になったら、いつでも簡単に倒せたはずだ。あいつは・・・あなたと闘うことなんて、できないから」

「藤木七菜江を罰するのは、全てが終わってからでも問題はない・・・里美同様、いまだ審判が決定しているわけではないのでな」

「・・・あいつに里美を助けて欲しい。それが本心だろ? オレを襲えば結果的に七菜江がこの場を離れられるってのは、計算済みだったみたいだな。・・・ホントの感情や希望を押し殺さなくちゃいけないのは・・・辛いと思う」

「知ったふうな口を聞くな、闘鬼よ。うぬさえいなければ、という想いは偽りなく我が胸に渦巻いておること、忘れるでないぞ。西条ユリを屠り、里美や藤木七菜江を苦境に陥らせる要因をつくったうぬを、我は断じて許さぬ」

「・・・わかってるさ、そんなことは。・・・七菜江に向けたのとは違い、オレへの殺気がフェイクじゃないってことは」

 腹筋に突き刺さった忍刀を、ズブリと吼介は己の手で引き抜く。ビュッと噴き出す鮮血がアスファルトにボタボタと落ちていく。
 打撃を受けると同時に放たれた玄道の刃は、筋肉獣の腹部を確実に抉っていた。拳が届くのがあと一瞬遅れていれば致命傷になっていただろう。
 
「うぬの処置もまだ裁定が下されたわけではない。だが構わぬ。我はうぬを始末する。それこそが本来の使命を全うする道ぞ」

「あなたたちにとっちゃ、オレという存在を消したいのは当然だよな」

 引き抜いた刀を廃墟の彼方に投げ捨てる。カラカラと鋼の弾む音色が届く。
 赤く染まっていく下半身。焼けるように疼く腹部を押さえながら、己に言い聞かせるように吼介は言った。
 
「だが、里美からもらい、七菜江を守るために灯らせるこの命・・・もうオレの意志だけで簡単に散らせることはできない」

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