aranea

千日紅

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本編

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 両親と、私と弟。長い間、それが私の家族だった。 
 思い返すに、私は両親には恵まれなかったようだ。 
 両親は、とにかく、女は男に従っていればいいという考えだった。私が生まれた時、父は落胆を露わにして、産褥にある母を詰ったそうだ。それは私の誕生が、父を通り越して父が生まれ育った家、母が生まれ育った家の意に、沿わなかったということでもあった。 
 私は織愛おりえという名前を与えられた。この名前が物心ついた頃には空々しく思われたくらい、両親に愛された記憶は薄い。憎まれたと思うこともないが、とにかく、彼らは私に無関心だった。初孫にも関わらず、祖父母に可愛がられてわがままを許されたり、ちょっとしたお菓子やお小遣いを与えられたりという記憶もない。特に、弟である克彦かつひこが生まれてからは惰性で飼っているペットのように扱われた。 
 弟が生まれるまでは、私もそれなりに存在価値があったようだ。アルバムを見れば、二歳までの私の写真を見ることができる。この写真のおかげで、私は小学校で円満な家庭の満足に育つ子供に向けて出される課題を乗り切ることができた。それは、赤ちゃんの頃と現在の自分を比較して、大きくなるまで育ててくれた両親に感謝しようというようなとてもくだらない課題であった。この課題を教師の意に沿うように提出したので、数少なかった私の写真は、更にわら半紙に引かれた枠に沿うように切り刻まれて、もうろくに残っていない。 
 反対に、弟の写真は切り刻んであまりあるほど、家族のアルバムに貼られている。 
 玩具でも本でも、与えられるのはまず弟だった。私が貰うのは、弟が選ばなかったものや、弟に与えるにはできの悪い粗悪品ばかりだった。両親は私に何も与えなかったわけではない。ただ、私のためには与えなかっただけだ。だから外から見れば、私は何不足なく育てられているように見えただろう。垢じみた服を着ていることも、櫛を通していないようなもじゃもじゃ頭をしていることもなかった。いつも清潔な服を着せられ、爪や髪の毛は清潔に整えられ、弟を――彼らにとって大切な息子を、汚さないことが私に望まれた。 
 私が何かへまをすれば、弟がそのあおりを食って迷惑を被る。そうすれば、私の価値はただでさえ彼らにとってないのに、どうなってしまうことか。幼い私は、とてもそれを畏れていた。弟の姉として欠格し、両親から見捨てられることを。 
 習い事も、弟は当然のように幾つもやっていた。武道、書道、そろばん、水泳、両親には潤沢な教育資金があった。それは全て弟のためにつぎ込まれた。 
 私は弟を横目で見ながら――恨めしそうに指をしゃぶりながら、それでも、両親に捨てられないための努力をした。勉強もしたし、運動だってした。自転車に乗ることも、逆上がりをすることも、自分で覚えた。誰も私に安全なやり方を教えたり、危険な行為を止めることもなかったので、私はよく怪我をした。この怪我は、母が汚らしいと言って嫌がるので、自分で手当てすることも覚えた。手当もしないくせに、痕が残ることも母は嫌った。 



 逆上がりといえば、ひとつ、忘れられない記憶がある。繰り返し思い出すせいだ。思い出す度に私の記憶はどんどん鮮明になっていく。 
 あれもちょうど夏の日で、私は五歳くらいであろうか。まだ小学生にはなってなかったはずである。 
 私は、公園の鉄棒で逆上がりの練習をしている。何度やってもうまくいかない。 
 弟は滑り台に座って、観客役をやっていた。計算すると弟は三歳くらいになるはずだ。弟と私は何か話すこともなく、私は鉄寂びた匂いと砂にまみれ、弟はじっとこちらを見ていた。夕日が汗の入った目にぼんやりと滲んだのをよく覚えている。 
 手のひらの豆は潰れて、結局逆上がりはできないまま、弟を連れて家に帰った。そこで、私は母親に頬をぶたれた。 
 母は、「どうしてこんな遅くまで克彦を連れ回したの!?」と私を怒鳴りつけた。私は、じくじくと痛む手を、砂まみれのスカートになすりつけた。 
 その時の、繊維と剥き出しになった肉の擦れた痛みは、いつも、弟との接触のたびに、うっすらと頭を過ぎる。 
 私の痛み、克彦。 
 克彦、私の弟。 



 そんなわけで、私は随分と冷めた少女に育った。小学校にもなると、自分の周りの子供達の親が、どんな風に自分の子供へ接しているのかなんてわかってしまう。だから、私はせめて教師や大人達に褒められる優等生として振る舞うことにした。そして、両親へは決してぶつけられない鬱憤を――愛されない悲しみと、まだ僅かに残った希望に縋り付くことへの惨めさをぶつけるように、克彦を虐め始めた。 
 克彦は、これがおかしなことに、私に非常になついていた。どんなに私がつっけんどんな態度を取っていても、私について回った。雛が親とすり込まれた存在について回るように。 自分が両親に構われているのを、当てこすられているようで、ますます私はこの弟を虐めた。虐めるといっても、両親に発覚してはいけない。私は利発でずる賢い子供であった。己がずる賢ければずる賢いほど、世界が自分に優しくなると信じていた。 
 二歳違いの克彦が、小学校に上がる時に、買って貰ったランドセルにはこっそり傷をつけてやった。筆箱にも。拾ってきた尖った石をこすりつけると、ランドセルや筆箱の上等な皮は、あっさりと抉れた。それをはじめ、私は克彦の持ち物をよく損ない、使えないようにした。最初は克彦に隠れて行っていたが、克彦が見ている前でもやるようになった。克彦は、困ったように私をじっと見るだけで、両親に告げ口はしない。両親に持ち物が壊れたり、なくなったりしたことを問い質されても、克彦は「ごめんなさい」としか言わない。それで、克彦がうんと怒られれば、少しは胸がすいたのに、両親は克彦に甘く、あっさり新しいものを買い与えるだけ。私はすぐにこの効果のない行為に飽きた。 
 それで、「いぬごっこ」という遊びを始めた。「いぬごっこ」というのは、私と克彦にだけ通じる遊びだ。 
 ルールは簡単、私は飼い主に、克彦は犬になるのだ。私は克彦を犬にして、いろんなことをさせた。私は子供として、両親や他の大人に支配されていた。私は優等生で、大人が期待するようないい子であり、無力だった。しかし、私は克彦を犬に貶めて支配する力を持っていた。 
 お座りや待てをさせたり、床に落とした食べ物を手を使わずに食べさせたり、首輪代わりにはちまきを巻き付けて、引っ張って四つん這いで歩かせてみたり。私はこれで克彦を充分に卑しめているつもりになっていた。克彦はよく私に従った。 
 ワンワンと犬の鳴き真似をして、クンクン鼻を鳴らして私の足下に額ずく。弟は私にとって両親の寵愛を独り占めにする憎い相手だった。犬はただ、私が従わせる存在だった。 
 この「いぬごっこ」は、私が小学校の高学年、克彦が中学年になっても続いていた。私は両親の愛に飢えていたせいか、逆に身体は早熟だった。私の身体はあさましく、愛情を乞うならその相手は誰でも良かったのだ。男子の視線が私の胸元にちらちら向けられるようになり、思春期の扉が開かれようとしていた。 
『織愛ちゃんの弟って、かわいいね』と言った女子の名前は覚えていない。所謂ませた女の子のひとりだったその子は、私に甘ったるい砂糖菓子みたいな調子で言った。この時、香り付きの消しゴムも、かわいらしいペンも持っていない私は、彼女達が羨ましがる犬の飼い主なのだ。私は彼女達に――両親に愛され少しばかり問題を起こしても何のことはないと思えるような普通の彼女達に、優越を感じた。子供の私は、少しでも人から勝るところを数え上げて、やっとその日その日を優等生として生きていた。弟の飼い主であることは、私に普通とは違う特別を与えてくれた。 
 そして私は、ますます「いぬごっこ」にのめり込んでいった。 
 小学校では優等生、スポーツ万能で勉強も出来て、上級生にかわいいとからかわれて顔を赤らめる弟。家では両親に可愛がられ、塾の送り迎えをしてもらい、習い事を幾つもこなす克彦。 
 私は克彦を犬にする。おすわりと言えば克彦は犬のように座る。ちんちんと言えば、両手を上げて、はっはっと舌を突き出す。克彦が従順であるほど、両親の溺愛する弟は滑稽な犬に成り下がる。 

 エスカレートしている自覚は無かったわけじゃない。もし、大人がこの遊びに気づいていたら、そして誰かが私を、『おい』でも『委員長』でも『お姉ちゃん』でもなく、『織愛』と呼んでくれたら、そこでこの歪んだ遊びに終止符を打てたのかもしれない。けれど、そんな大人はいなかった。 
 そして訪れたのが小学校六年生の、あの忌々しい修学旅行の夜である。 
 布団を被ってする噂話に私も混じっていた。女子のひとりが言った。 

『織愛ちゃんの弟、クラスの子とつきあってるんだってね』 

 修学旅行から帰ったその日、私は克彦を連れて自分の部屋に籠もった。両親はいなかった。なぜかは覚えていない。 
 六月の終わりの、じめじめと雨が降る日で、窓の外は灰色に塗り込められていた。 
 私は、克彦に「犬になれ」と命令した。弟は、克彦は、私の命令に服従した。そこまではいつも通りだった。 
「あんた、彼女いるの?」 
 私がそう言うと、克彦の顔色が変わった。戸惑った様子で、視線をさまよわせた。それが、私を逆上させた。いぬごっこの間、克彦は私の犬であったのに、私だけの克彦であったのに、この瞬間、克彦は犬から男の子になった。 
 私は克彦を打擲した。今まで、証拠が残ることはするまいと固く己を律していたのに、全く箍が外れて、自分の手がひりひり痛み赤く腫れ上がるまで、克彦を叩いた。 
 人を殴るというのは、とても体力がいる仕事で、私の首と言わず、腕と言わず、すぐに汗の膜が張った。不愉快で仕方なかった。 
 不愉快で仕方ない。克彦の――犬のくせに、あんたは。あんたまで、私を。 
「犬のくせに!」 
 気がつくと、私は肩で息をしていた。克彦は床に蹲っていて、私は顎を伝った汗を手の甲で拭った。不愉快で仕方ない。筋になって額から流れ落ちた汗、押さえられない怒り、振り上げずには居られない手。汗を拭った手は濡れていた。なんて汚いのだろう。私は汚い、私は醜い。私だけ、私だけが。 
 克彦。 
 どうして私だけがいつも、汚く、醜い。私は醜い。 
「……舐めなさいよ」 
 克彦がゆっくりと頭を上げる。芸能事務所からスカウトが来るとか、雑誌のモデルになるとか、女子達がわあわあ騒いでいる、弟の顔が上がって、大きな目が私を見る。 
 つぶらで、焦げ茶色で、赤く充血した目が。 
 私と弟の顔は、よく似ている。 
 克彦はきれいなのだ。 
 私は自分の胸を押さえた。幼い胸が、膨らみかけの胸がつきんと痛んだ。痛みのせいか、乳首は、固く、手のひらを押し返した。 
 弟の目が、汗の染みた私の服の上を這う。腹から胸を、つんと突き出した乳首のあたりを。母は私の身体が二次性徴を迎えていることを知らなかった。私はまだ無防備な少女だった。 
 克彦の目はじっくりとくびれのない細い胴に不釣り合いに綻び始めた膨らみをたどり、それから、首を、顎を。 
 弟はのろのろと四つん這いになって、私の足下までくると、おすわりをした。克彦も息を荒げていた。私は打った痛みで、克彦は打たれた痛みで、はあはあと喘いでいた。 
「……そうよ、あんたはずっとあたしの犬でいればいいのよ」 
 私は弟の前に、膝を突いた。丁度、彼の顔の前あたりに、私の胸が来るように。 
 弟は、すんと匂いを嗅いでから、ぐっと首を伸ばして、私の顎を伝う汗を舐めた。 
 熱く濡れた舌で、克彦は、私の顎から首筋をぺろぺろと舐める。私の汚い汗を。汚い私の汗を、克彦が舐めとる。誰にでも愛される克彦が、犬のように私の汗を舐める。 
 そのうち、克彦は私を床に押し倒し、主人にむしゃぶりつく犬のようにべろべろと顔を舐めた。 
 私は床に大の字になって、克彦の舌を感じながら目を閉じた。腫れ上がった手が痛い。頭が痛い。がんがんと痛む頭で、私は何度も自分に言いきかせる。克彦は私の犬なのだ。 
「お姉ちゃん、僕、お姉ちゃんの犬だよ。姉さんの言うこと全部きくから、何でもするから、だからお姉ちゃん、お姉ちゃん」 
 克彦は高い声で繰り返し私を呼んで縋った。克彦にお姉ちゃんと呼ばれる度に、ぞわぞわと腰のあたりが薄ら寒くなった。けれど、私はじっと克彦の舌を受け入れ続けた。 




 その日から、「いぬごっこ」に「舐める」が加わった。 
 克彦は、ますます私に従順になったように見えた。 
「織愛お姉さん」 
 私は、克彦にそうしゃちほこばって呼ばれるのが好きだった。克彦もよく心得ていて、学校で、特にクラスメイトの前では、姉への敬愛をたっぷりと込めて、私を「織愛お姉さん」と呼んだ。両親の前では、克彦は私をあまり感情のこもらない声で「姉さん」と呼んだ。彼らの愛しい長男さまが姉を持ち上げても、両親はいい顔をしない。私達は家の中に限っては、お互いにあまり関心の無いきょうだいに映ったに違いない。両親は、私が克彦の姉として問題のない限り、克彦が彼ら愛情と奉仕の対象でいる限り、私達に干渉することが無かった。 
 部屋の扉を閉めて、私がご主人様に、克彦が犬になった時、私達きょうだいの時間が流れ始めるのだ。 
 この時間がどんどん濃密になることを、私は予測していなかった。 



 やがて、私は中学生になり、克彦もめきめきと身長が伸びた。二人とも身体が大人になる時期を迎えたのだ。変わらず「いぬごっこ」は続いていた。それは唐突に私の命令で始まる。晩ご飯の後に、風呂のあとに、寝る前に、もしくは、私が部活の朝練に行く前に。 
「犬になりなさい」 
 克彦が犬になる。学校の人気者である弟が、だらしなく舌を口から出して、ぺろぺろ私の手を舐める。思い返せば、私は克彦を上から見ることばかりしていたので、こういうときの彼の表情はよく覚えていない。 
 克彦が小学校を卒業するとなって、克彦が私に褒美をねだった。犬のくせに生意気だと私が言うと、 
「俺は姉さんの犬だから、姉さんの……匂いを嗅がせて欲しい。犬みたいで、ちょうどいいでしょう?」 
と言った。それから、ベッドに腰掛けた私の足をそっと持ち上げて、頬をすり寄せた。
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