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188 案件No.009の後始末(その3)
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赤い、花が咲いた……
少し暗くて、赤黒い花が咲いていた……
山間部に響く重低音と共に、暗赤色の花が咲き乱れていた……
紅い、朱い、緋い、茜い、丹い、赫い、赭い、暁い、絳い、臙脂い、蘇芳い……
…………どす黒くて真っ赤な、血の花を咲かせていた。
自らの手で、何人もの人間の身体から……
「……ばはっ!? はぁ、はぁ…………」
幸か不幸か、当日に予約できたのは個室だけだった。だから由希奈も、一人で気兼ねなく就寝していた。
……先程までは。
「な、何、これ……」
眼前の手が震えているにも関わらず、それが自分の身体の一部だと認識できるのに、数秒の時間を要してしまった。それと同時に、酷く喉が渇いていくのを感じる。
喫緊の欲求のまま何かを飲みたいと思い、近くに置いていたペットボトルへと咄嗟に手を伸ばすが、掴めずにそのまま床へと取り零してしまう。蓋を閉じたままなので、中身が零れることはなかったが……何故か由希奈は、感情に反して掴み上げようとはしなかった。
「ぁ、ぁ…………」
その代わり、別の欲求が爆発したかのようにベッドから跳ね上がると、備え付けの寝間着が乱れているのにも頓着せずに洗面台へと駆け寄り、慌てて取っ手を捻って蛇口に水を出させた。
「はっ、はっ、はっ……」
由希奈の脳は喉の渇きを放置し、ただ流れる水に手を押し当てて、力任せに擦るよう命じてくる。
「ぁ……、ゃ……、っ!?」
別に、手が汚れているわけではない。第三者からすれば、由希奈の化粧っけのない手はむしろ、飾り立てるまでもなく綺麗な肌だと感心する程だろう。
だが、彼女の目に映っていたのは……
「何でっ!? 何で落ちないの……っ!?」
何度水で洗い流しても落ちない……撃たれた人間の返り血に塗れた両手だった。
深夜。
「…………」
フェリーの展望デッキにて、睦月は海岸線を眺めていた。
眠れないわけではない。ただ、そろそろだと思い、スマホでメッセージを送ってからずっと、夜凪の水面に映る星彩な夜空を眺めていた。
元々、静かに景色を眺めているのは嫌いではなかった。単に『時間がもったいない』と考えてしまうから普段やらないだけで、贅沢でも心が休まる行為だと睦月は思っている。
だから、正直空振りでも気にしなかったのだが……
「睦月、さん…………」
送ったメッセージに気付き、慌てて着替えて来たのだろう。乱雑な着付けになってしまっている衣服には目を瞑ったまま、睦月は上着を脱いで由希奈に差し出した。
「とりあえず、上着羽織っとけ。夏でも夜は冷えるからな」
「…………ありがとう、ございます」
近くまで歩み寄り、上着を受け取った由希奈は素直に袖を通していく。
(別に、着ろとまでは言ってないんだけどな……まあいっか)
散々人の服を借りては着る姫香が近くに居る為か、感覚が多少麻痺しているのかもしれない。それに、由希奈もこの手の場面には不慣れなのだろうと、睦月は自分の服を纏いだすのに頓着せず、再び海岸の方へと視線を落とした。
「きつかっただろ?」
「いえ……今回はすみませんでした。私、あまり仕事に貢献できなくて、」
「仕事じゃない」
そう言うと、睦月はもたれかかっていた手摺を背にして、由希奈の方へと振り返った。
「人を傷付けるのは……きついだろ?」
睦月の言葉と視線に、由希奈の目が細くなる。それに、少し涙腺も緩んでしまったのか、星明かりが目尻の辺りで反射していた。
「特に発達障害者の場合、余計なことまで考えこんじまうせいで……他の奴以上に、罪悪感に囚われやすいからな」
発達障害を持った人間は、自分のこだわりや特定の思考に対して、過剰に固執し過ぎてしまう特性がある。その為に『反芻思考』と呼ばれる、根本的な原因を問わず、過去に起きた自身の嫌な出来事を繰り返し考え続けてしまう。
結果、不安や抑鬱を促進させ……どう足掻こうとも自分自身を苦しめてしまうのが、発達障害者だった。
たとえ主観であろうとも、自分がどう思うかで反芻思考は強制的に働き、自身を不安の渦へと陥れてしまう。
結局は思い込みの強さや、考え過ぎになことに気付けてないだけの問題なのかもしれない。他者から見れば『過剰に考え過ぎ』、『視野が狭くなっている』等と簡単に片付けてしまうだろう。けれども、そういう『相手のことを考えられない』人間が多ければ多い程、発達障害を持つ者はさらに苦しむことになる。
生涯付き合い続けなければならない特性があるからこそ、『自閉スペクトラム症』を持つ者は発達障害者と呼ばれているのだ。
「その上で直接相手を傷付けたんだ。きつかっただろ?」
「…………はい」
だから睦月は、『展望デッキに居る。何かあったら声を掛けてくれ』と、由希奈にあらかじめメッセージを送っておいた。気にせず熟睡できている、もしくは自分で解決できる範囲であればそっとしておけばいい。
だが……誰かと話したいのであれば、相手が居ることを伝える為に、睦月はあえて、『見張りについている』ともとれる内容のメッセージを送っていた。
だから今、由希奈は睦月の目の前に居た。
「人間ってのは大なり小なり、直接だろうと間接だろうと、善悪や故意、過失を問わずに、自分を含めた誰かを傷付ける生き物だ。そりゃ、余計な敵は作らなければ良いだけの話なんだが……行動や接し方一つで簡単に傷付くんだから、堪んないよな」
睦月が敵味方を明確化したがるのも、それが原因の一つだ。
どう足掻こうとも、相手が傷付くというのなら……最初から攻撃してもいい人間だけを選べばいい。明確な敵であればそれこそ、排除する理由としては申し分ない。
だからこそ、聖人君子でもなければ、『非暴力・不服従』を貫くこともできないと考えている睦月は、『敵だけを傷付ける』生き方を選んだのだ。
「……だから、俺は何も言わない」
そう言い、睦月は由希奈の様子を窺った。
「話さなければならないことはあるが、今は由希奈が落ち着いてからでいい。何かを聞いて欲しいなら聞くし、八つ当たりがしたいなら平手打ち位は受けてやるよ。だから……まずはゆっくり、自分の考えを整理してみろ」
「…………」
何を言ったところで、発達障害を持つ者に言葉は届かないし、無理に聞かせても余計に考えを拗らせてしまう。絡まった糸を力任せに引っ張れば千切れるように、強引に押したり引いたりするからこそ、要らぬ問題へと発展してしまうのだ。
「…………っ!」
由希奈が一足飛びで近付き、睦月の胸に顔を埋めても、あえて手を回したり、拒絶したりしない。
ただ、隣にいる。それだけでも……発達障害者にとっては、十分な支えになることもある。
余計なことを考えず、ただ隣に居て見守ればいい。周囲で無暗に焦るせいで、事の発端である本人までもが不安を抱え込み、逆に事態を悪化させてしまうこともある。
結局は、釣りと一緒なのだ。竿や餌、釣り方や場所を何度変えようとも、時にはじっくりと待たなければ、釣果は得られない。この世で起きている発達障害者絡みの問題の大半は、当事者を含めた全員が、そのことを理解していないからこそ起きているのだ。
意図の善悪を問わず、無暗に手を出すのは逆効果にしかならない。時には近くにいて、ただ鬱屈した何かを受け止めてくれる者が居る。そんな存在がいるだけでも、相手にとっては救いになることもあるのだ。
「ぅ、ぅ…………~~」
だからこそ、睦月は待った。
「ぁ、ぅ~、っ!? っぅ…………っ!?」
敵味方ですらなく、厳しくも優しくもせずに……ただ、傍に寄り添うだけの相手で在り続けた。
由希奈の音無き声が、収まるその瞬間に至るまで。
数十分後、睦月は落ち着きを取り戻した由希奈を伴うと、一度船内のラウンジへと移動した。時間が深夜の為、店舗等はすでに閉鎖されている上に消灯で暗いものの、お互いに顔を見られない状況なのはむしろ好都合だと割り切ることにして、適当な席に並んで着く。
「……睦月さん、」
未だに纏っている上着を強く握りしめながら、睦月の横に腰掛けていた由希奈が口を開いてきた。
「廃鉱山に登る前に、話があるって言ってましたよね。もしかして、このことだったんですか?」
「…………」
横を向けば、由希奈が赤みがかった眼で見つめ返してきていた。少しの沈黙を挟み、睦月はまず、静かに首を横に振った。
「正確に言えば……そうなる前に、話したかったことだ」
今の、気持ちが落ち着いた状態の由希奈であれば大丈夫だと考えた睦月は、ゆっくりと話を始めた。
「廃鉱山で戦った連中、その正体とかは誰かから聞いてるか?」
「いえ、まだ……」
「……じゃあ、そこから話すか」
そういえば、由希奈が初めて睦月に依頼してきた時にも、同じ国が関わっていたなと、いまさらになって思い出す。
「まずはじめに……奴等の正体は、拉致問題を起こした暁連邦共和国の関係者だ」
この時点ではまだ、『犯罪組織』のことまで説明する必要はないかと省略した。
「俺は親父から、親子の縁を切られている。『一人の人間として、やりたいことがある』からって理由の、一方的なものだ。で、最近になって分かってきたのが……その親父もまた、拉致問題の関係者だったんだよ」
ここまで話しているうちにふと……少し、らしくないのではと、思わず考え込んでしまう。
息子が居たから、というのは理由にならない。むしろ、『裏社会の住人が親になるのは子供にとって悪影響だから』と、普通ならかえって養子縁組やら養護施設やらに預けようとするのではないかと、いまさらになって思えてきた。
(あのことといい……どうにも、損失に利益が釣り合ってない気がするな)
一人の人間としてやりたいことがあり、子供の父親として過ごすのが難しいのであれば、お互いの為にもむしろ、距離を置いた方が良い時もある。それなのに、拉致被害者全員の救出計画に混ぜることもなく、ただ『運び屋』としての技術と生き方を教えただけで見返りを求めてこない。
(あの親父なら、むしろ感情論に振り回されて右往左往するか、そうなる前にほったらかしてた可能性の方が高いよな? もしかして……『最期の世代』が『犯罪組織』と衝突するのを利用して、何か企んでたんじゃ、)
「…………睦月さん?」
どうやら少し、考え込んでしまっていたらしい。由希奈に声を掛けられてようやく、睦月は思考の水底から這い上がった。
「悪い、少し考え込んでた。で、こっからが本題なんだが……」
一呼吸置き、睦月は感情を抑えながらもはっきりと、決定事項を告げる。
「廃鉱山でのような出来事は……これからもずっと、付き纏ってくる」
そう、由希奈との付き合いを考えるのであれば、このことを告げないのは不誠実だ。睦月が裏社会の住人だと知らなければ、『突然消えた元クラスメイト』として、記憶が薄れていくのを待てばいいが……彼女はすでに、知り過ぎていた。
その上……もう彼女の手は、わずかだろうと汚れてしまっている。
「親父が仲介人を通して依頼することもあれば、今回みたいに偶然敵対することもある。それに、この件だけじゃないんだ……暁連邦共和国と俺や周りの人間が衝突したのは」
「それって、私の時の……」
「……それですら、生温い位だ」
かつて、由希奈から依頼された送迎の件を、当事者の彼女が忘れるはずはない。たとえわずかでも、あの国の影がチラついていたのだ。
だが、睦月が関わっているのは、由希奈の時よりもさらに因縁深い。
「別の仕事で二度、俺は『犯罪組織』の幹部級を叩き潰した。その時はまだ、他の『最期の世代』が矢面に立っていたから、特に気にしていなかったんだが……今回ばかりは話が違うし、これ以上はさすがに、向こうも流してくれないだろうな」
前科があり、かつ今回は重要度の高そうな仕事を妨害してしまった。
ここまで話せば、一般人ですら嫌でも気付くだろう。
……睦月がいかに、危険な状況に身を投じているのかを。
「遅かれ早かれ、俺にも刺客が来る。今回は殺さなかったとしても、場合によっては、自分か相手が死ななければならないかもしれない」
かつてのデートの時に、由希奈は睦月にこう言ってきた。
『武器の扱いも、戦い方も覚えます。必要なら……誰かを殺してもみせます』
だが、所詮は言葉だけだ。今回同行させたのも、実際の仕事内容と……折を見て、『人を殺す』とはどういうことなのかを教える為だった。
結果として、いずれ辿り着くかもしれない現実の一部を見せつける羽目になってしまったが……むしろ睦月は、今回のような軽い状況で済んで良かったとも思っている。
「なあ、由希奈……」
由希奈が来る前に、姫香からメッセージアプリで『人を撃っていても、まだ誰かを殺してはいない』ことは聞いている。
だからこそ睦月は、あえて現実を突き付けるように問い掛けた。
「今でも……『誰かを殺してみせます』と、本気で言い切れるのか?」
少し暗くて、赤黒い花が咲いていた……
山間部に響く重低音と共に、暗赤色の花が咲き乱れていた……
紅い、朱い、緋い、茜い、丹い、赫い、赭い、暁い、絳い、臙脂い、蘇芳い……
…………どす黒くて真っ赤な、血の花を咲かせていた。
自らの手で、何人もの人間の身体から……
「……ばはっ!? はぁ、はぁ…………」
幸か不幸か、当日に予約できたのは個室だけだった。だから由希奈も、一人で気兼ねなく就寝していた。
……先程までは。
「な、何、これ……」
眼前の手が震えているにも関わらず、それが自分の身体の一部だと認識できるのに、数秒の時間を要してしまった。それと同時に、酷く喉が渇いていくのを感じる。
喫緊の欲求のまま何かを飲みたいと思い、近くに置いていたペットボトルへと咄嗟に手を伸ばすが、掴めずにそのまま床へと取り零してしまう。蓋を閉じたままなので、中身が零れることはなかったが……何故か由希奈は、感情に反して掴み上げようとはしなかった。
「ぁ、ぁ…………」
その代わり、別の欲求が爆発したかのようにベッドから跳ね上がると、備え付けの寝間着が乱れているのにも頓着せずに洗面台へと駆け寄り、慌てて取っ手を捻って蛇口に水を出させた。
「はっ、はっ、はっ……」
由希奈の脳は喉の渇きを放置し、ただ流れる水に手を押し当てて、力任せに擦るよう命じてくる。
「ぁ……、ゃ……、っ!?」
別に、手が汚れているわけではない。第三者からすれば、由希奈の化粧っけのない手はむしろ、飾り立てるまでもなく綺麗な肌だと感心する程だろう。
だが、彼女の目に映っていたのは……
「何でっ!? 何で落ちないの……っ!?」
何度水で洗い流しても落ちない……撃たれた人間の返り血に塗れた両手だった。
深夜。
「…………」
フェリーの展望デッキにて、睦月は海岸線を眺めていた。
眠れないわけではない。ただ、そろそろだと思い、スマホでメッセージを送ってからずっと、夜凪の水面に映る星彩な夜空を眺めていた。
元々、静かに景色を眺めているのは嫌いではなかった。単に『時間がもったいない』と考えてしまうから普段やらないだけで、贅沢でも心が休まる行為だと睦月は思っている。
だから、正直空振りでも気にしなかったのだが……
「睦月、さん…………」
送ったメッセージに気付き、慌てて着替えて来たのだろう。乱雑な着付けになってしまっている衣服には目を瞑ったまま、睦月は上着を脱いで由希奈に差し出した。
「とりあえず、上着羽織っとけ。夏でも夜は冷えるからな」
「…………ありがとう、ございます」
近くまで歩み寄り、上着を受け取った由希奈は素直に袖を通していく。
(別に、着ろとまでは言ってないんだけどな……まあいっか)
散々人の服を借りては着る姫香が近くに居る為か、感覚が多少麻痺しているのかもしれない。それに、由希奈もこの手の場面には不慣れなのだろうと、睦月は自分の服を纏いだすのに頓着せず、再び海岸の方へと視線を落とした。
「きつかっただろ?」
「いえ……今回はすみませんでした。私、あまり仕事に貢献できなくて、」
「仕事じゃない」
そう言うと、睦月はもたれかかっていた手摺を背にして、由希奈の方へと振り返った。
「人を傷付けるのは……きついだろ?」
睦月の言葉と視線に、由希奈の目が細くなる。それに、少し涙腺も緩んでしまったのか、星明かりが目尻の辺りで反射していた。
「特に発達障害者の場合、余計なことまで考えこんじまうせいで……他の奴以上に、罪悪感に囚われやすいからな」
発達障害を持った人間は、自分のこだわりや特定の思考に対して、過剰に固執し過ぎてしまう特性がある。その為に『反芻思考』と呼ばれる、根本的な原因を問わず、過去に起きた自身の嫌な出来事を繰り返し考え続けてしまう。
結果、不安や抑鬱を促進させ……どう足掻こうとも自分自身を苦しめてしまうのが、発達障害者だった。
たとえ主観であろうとも、自分がどう思うかで反芻思考は強制的に働き、自身を不安の渦へと陥れてしまう。
結局は思い込みの強さや、考え過ぎになことに気付けてないだけの問題なのかもしれない。他者から見れば『過剰に考え過ぎ』、『視野が狭くなっている』等と簡単に片付けてしまうだろう。けれども、そういう『相手のことを考えられない』人間が多ければ多い程、発達障害を持つ者はさらに苦しむことになる。
生涯付き合い続けなければならない特性があるからこそ、『自閉スペクトラム症』を持つ者は発達障害者と呼ばれているのだ。
「その上で直接相手を傷付けたんだ。きつかっただろ?」
「…………はい」
だから睦月は、『展望デッキに居る。何かあったら声を掛けてくれ』と、由希奈にあらかじめメッセージを送っておいた。気にせず熟睡できている、もしくは自分で解決できる範囲であればそっとしておけばいい。
だが……誰かと話したいのであれば、相手が居ることを伝える為に、睦月はあえて、『見張りについている』ともとれる内容のメッセージを送っていた。
だから今、由希奈は睦月の目の前に居た。
「人間ってのは大なり小なり、直接だろうと間接だろうと、善悪や故意、過失を問わずに、自分を含めた誰かを傷付ける生き物だ。そりゃ、余計な敵は作らなければ良いだけの話なんだが……行動や接し方一つで簡単に傷付くんだから、堪んないよな」
睦月が敵味方を明確化したがるのも、それが原因の一つだ。
どう足掻こうとも、相手が傷付くというのなら……最初から攻撃してもいい人間だけを選べばいい。明確な敵であればそれこそ、排除する理由としては申し分ない。
だからこそ、聖人君子でもなければ、『非暴力・不服従』を貫くこともできないと考えている睦月は、『敵だけを傷付ける』生き方を選んだのだ。
「……だから、俺は何も言わない」
そう言い、睦月は由希奈の様子を窺った。
「話さなければならないことはあるが、今は由希奈が落ち着いてからでいい。何かを聞いて欲しいなら聞くし、八つ当たりがしたいなら平手打ち位は受けてやるよ。だから……まずはゆっくり、自分の考えを整理してみろ」
「…………」
何を言ったところで、発達障害を持つ者に言葉は届かないし、無理に聞かせても余計に考えを拗らせてしまう。絡まった糸を力任せに引っ張れば千切れるように、強引に押したり引いたりするからこそ、要らぬ問題へと発展してしまうのだ。
「…………っ!」
由希奈が一足飛びで近付き、睦月の胸に顔を埋めても、あえて手を回したり、拒絶したりしない。
ただ、隣にいる。それだけでも……発達障害者にとっては、十分な支えになることもある。
余計なことを考えず、ただ隣に居て見守ればいい。周囲で無暗に焦るせいで、事の発端である本人までもが不安を抱え込み、逆に事態を悪化させてしまうこともある。
結局は、釣りと一緒なのだ。竿や餌、釣り方や場所を何度変えようとも、時にはじっくりと待たなければ、釣果は得られない。この世で起きている発達障害者絡みの問題の大半は、当事者を含めた全員が、そのことを理解していないからこそ起きているのだ。
意図の善悪を問わず、無暗に手を出すのは逆効果にしかならない。時には近くにいて、ただ鬱屈した何かを受け止めてくれる者が居る。そんな存在がいるだけでも、相手にとっては救いになることもあるのだ。
「ぅ、ぅ…………~~」
だからこそ、睦月は待った。
「ぁ、ぅ~、っ!? っぅ…………っ!?」
敵味方ですらなく、厳しくも優しくもせずに……ただ、傍に寄り添うだけの相手で在り続けた。
由希奈の音無き声が、収まるその瞬間に至るまで。
数十分後、睦月は落ち着きを取り戻した由希奈を伴うと、一度船内のラウンジへと移動した。時間が深夜の為、店舗等はすでに閉鎖されている上に消灯で暗いものの、お互いに顔を見られない状況なのはむしろ好都合だと割り切ることにして、適当な席に並んで着く。
「……睦月さん、」
未だに纏っている上着を強く握りしめながら、睦月の横に腰掛けていた由希奈が口を開いてきた。
「廃鉱山に登る前に、話があるって言ってましたよね。もしかして、このことだったんですか?」
「…………」
横を向けば、由希奈が赤みがかった眼で見つめ返してきていた。少しの沈黙を挟み、睦月はまず、静かに首を横に振った。
「正確に言えば……そうなる前に、話したかったことだ」
今の、気持ちが落ち着いた状態の由希奈であれば大丈夫だと考えた睦月は、ゆっくりと話を始めた。
「廃鉱山で戦った連中、その正体とかは誰かから聞いてるか?」
「いえ、まだ……」
「……じゃあ、そこから話すか」
そういえば、由希奈が初めて睦月に依頼してきた時にも、同じ国が関わっていたなと、いまさらになって思い出す。
「まずはじめに……奴等の正体は、拉致問題を起こした暁連邦共和国の関係者だ」
この時点ではまだ、『犯罪組織』のことまで説明する必要はないかと省略した。
「俺は親父から、親子の縁を切られている。『一人の人間として、やりたいことがある』からって理由の、一方的なものだ。で、最近になって分かってきたのが……その親父もまた、拉致問題の関係者だったんだよ」
ここまで話しているうちにふと……少し、らしくないのではと、思わず考え込んでしまう。
息子が居たから、というのは理由にならない。むしろ、『裏社会の住人が親になるのは子供にとって悪影響だから』と、普通ならかえって養子縁組やら養護施設やらに預けようとするのではないかと、いまさらになって思えてきた。
(あのことといい……どうにも、損失に利益が釣り合ってない気がするな)
一人の人間としてやりたいことがあり、子供の父親として過ごすのが難しいのであれば、お互いの為にもむしろ、距離を置いた方が良い時もある。それなのに、拉致被害者全員の救出計画に混ぜることもなく、ただ『運び屋』としての技術と生き方を教えただけで見返りを求めてこない。
(あの親父なら、むしろ感情論に振り回されて右往左往するか、そうなる前にほったらかしてた可能性の方が高いよな? もしかして……『最期の世代』が『犯罪組織』と衝突するのを利用して、何か企んでたんじゃ、)
「…………睦月さん?」
どうやら少し、考え込んでしまっていたらしい。由希奈に声を掛けられてようやく、睦月は思考の水底から這い上がった。
「悪い、少し考え込んでた。で、こっからが本題なんだが……」
一呼吸置き、睦月は感情を抑えながらもはっきりと、決定事項を告げる。
「廃鉱山でのような出来事は……これからもずっと、付き纏ってくる」
そう、由希奈との付き合いを考えるのであれば、このことを告げないのは不誠実だ。睦月が裏社会の住人だと知らなければ、『突然消えた元クラスメイト』として、記憶が薄れていくのを待てばいいが……彼女はすでに、知り過ぎていた。
その上……もう彼女の手は、わずかだろうと汚れてしまっている。
「親父が仲介人を通して依頼することもあれば、今回みたいに偶然敵対することもある。それに、この件だけじゃないんだ……暁連邦共和国と俺や周りの人間が衝突したのは」
「それって、私の時の……」
「……それですら、生温い位だ」
かつて、由希奈から依頼された送迎の件を、当事者の彼女が忘れるはずはない。たとえわずかでも、あの国の影がチラついていたのだ。
だが、睦月が関わっているのは、由希奈の時よりもさらに因縁深い。
「別の仕事で二度、俺は『犯罪組織』の幹部級を叩き潰した。その時はまだ、他の『最期の世代』が矢面に立っていたから、特に気にしていなかったんだが……今回ばかりは話が違うし、これ以上はさすがに、向こうも流してくれないだろうな」
前科があり、かつ今回は重要度の高そうな仕事を妨害してしまった。
ここまで話せば、一般人ですら嫌でも気付くだろう。
……睦月がいかに、危険な状況に身を投じているのかを。
「遅かれ早かれ、俺にも刺客が来る。今回は殺さなかったとしても、場合によっては、自分か相手が死ななければならないかもしれない」
かつてのデートの時に、由希奈は睦月にこう言ってきた。
『武器の扱いも、戦い方も覚えます。必要なら……誰かを殺してもみせます』
だが、所詮は言葉だけだ。今回同行させたのも、実際の仕事内容と……折を見て、『人を殺す』とはどういうことなのかを教える為だった。
結果として、いずれ辿り着くかもしれない現実の一部を見せつける羽目になってしまったが……むしろ睦月は、今回のような軽い状況で済んで良かったとも思っている。
「なあ、由希奈……」
由希奈が来る前に、姫香からメッセージアプリで『人を撃っていても、まだ誰かを殺してはいない』ことは聞いている。
だからこそ睦月は、あえて現実を突き付けるように問い掛けた。
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