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019 クラスの親睦会(その1)

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 登校日こそ平日全てではないものの、それなりに通っていると互いの連絡先を交換する機会には事欠かない。しかし昨今では個人情報保護の観点から、無暗に聞き出すこと自体が悪徳である風潮も見受けられた。
 実際、一昔前は連絡網を構築する為に連絡先の一覧表リストを平気で配っていた。しかし現代では、緊急の連絡先一つでも取り扱いに注意しなければならない。中にはその連絡先すら職場や学校に伝えたがらない人間だっている。かと言って連絡先を知る必要性を説明するのも、かえって相手に余計な圧力を掛けることになり、不快な思いをさせることになりかねなかった。
 たかだか連絡先一つで、人間関係に余計な軋轢を生み出しかねない。それだけこの社会は情報技術が発達し、個人を特定できる情報に過敏になってしまっているのだ。
 もしそれを解決できる手段があるとすれば、簡単に思いつくのは二つ。
 独自のメールアドレスやアプリ等を用いた、専用の連絡手段を用意すること。
 そして……情報を把握できる人間を絞り、漏洩する危険リスクを少しでも減らすことだった。
「だからって、何で私が連絡役を……」
「俺にぼやかれても……」
 良くも悪くも、初日の自己紹介をきっかけにしてクラス全員(担任含む)が気安く付き合える関係性が生まれていた。それもあって本日、洋一の提案により、クラスの親睦会を開くことになった。
 しかし……幹事は提案者洋一でも連絡係ばかりは、仕事の都合で全員の連絡先を把握している紅美にしかできなかった。だから待ち合わせよりもかなり早い時間に、集合場所に来ていたらしい。
 そして偶々時間が空いていたからと、散歩がてら近くを歩いていたのは失敗だったようだ。すでに到着しているのを見かけたからと声を掛けた睦月に対して、一人待っていた紅美は延々と愚痴り出したのである。
「でも先生、連絡係にしたって、こんなに早く来る必要はなかったんじゃあ……」
 睦月が疑問と共に見つめると、紅美はそっぽを向いた。
「もしかして……パチンコで負けました?」
「荻野君、君って……結構デリカシーがない方?」
 二人の視線の先が入れ替わった。睦月は遠くを、その様子を紅美が眺める形に。
「よく言われます……すみません、人付き合い苦手な方で」
「大丈夫、私も似たようなものだし……」
 二人して正面を向いて落ち込んでいると、丁度三人目がこちらに近寄ってくるのが視界に映った。
「お待たせしました……って、まだ早いですよね?」
 未だに杖が取れていないからだろう、早めに到着した由希奈に挨拶しながら、二人は事情を説明した。
「暇だったから散歩がてら近くを歩いていたら、丁度先生を見かけて」
「暇だったからパチンコしてたら予算分、あっさり散財して……」
 暇潰しの仕方に差があるのは果たして個性の範囲なのだろうかと、由希奈は思わず首を傾げてしまう。
「でも……ちょっと早く、来過ぎましたね」
「かと言って、適当な店で時間を潰す程ではないというのも……」
 近くの店を往復するだけで、集合時間に差し掛かる程の空き時間だった。それなら時間まで留まっていた方がいいと、三人はこのまま待つことにした。
「取りあえず馬込さん、座りますか?」
「あ、すみません。ありがとうございます。では……」
 そのまま立っている睦月の横を通り、由希奈は紅美の隣に腰掛けた。杖を突いている分立ち居の手間はあるだろうが、下手に店へ移動するよりは負担は少ないだろうと思い、睦月はそう提案したのだ。
 そして自分はどうしようかと、睦月は周囲を見渡していく。
「やっぱりまだ掛かりそうですね……」
「じゃあ雑談でもしましょうか。二人はパチンコとかやらないの?」
 他に話題はないのか、と二人は内心で同じことを考えたものの、先程の二の舞にはなるまいと、睦月はすぐに答えた。
「基本的にやりませんね……回収台と開放台の区別がつかないんで」
「それは私も知りたい」
 それが負けている原因じゃないのか、と睦月は問い掛けたかったが、続いて由希奈が答える方が早かったので断念することに。
「私はギャンブルどころか、宝くじも買ったことがないんですが……そういうのって面白いんですか?」
「面白くない」
「面白い」
 意見が二手に分かれた。
「……資産運用もギャンブルじゃないの?」
「それ考えている人、大半が大穴狙いしか見えていない素人ですよ。普段は良くて数割増し程度に考えておかないと、資産運用・・になりませんからね」
 勘違いされやすいが、資産運用には投資と投機という二つの考え方がある。長期的に資金を預けるものの、将来大きな利益として返ってくる予定を立てる投資と違い、投機は相場の変動に応じて利益を得ようとする行為だ。
 資産運用と聞いてごっちゃになりやすいかもしれないが、ある意味定期預金のような貯蓄の延長である投資と違って投機は、人によっては完全にギャンブルになりかねない。一般的なデイトレーダーみたいに、元の資金が少しでも上向きになればすぐトレードという考え方だけならばまだ救いはある。損失も最小限に抑えようとしているのだから。
 しかし現実は、一回の取引で大きく稼ごうとして、逆に損をしてしまう素人の方が多かった。だからこそ、資産運用を行うにしても、きちんと勉強をする必要があるのだ。
 正に、『うまい話には裏がある』である。
「だから脊戸さんがデイトレードしているって聞いた時は、その話とかしてみたかったんですけど、ね……」
 睦月の言葉が、徐々に尻窄みになっていく。それだけ過去の、自分の発言の仕方に後悔を覚えてしまっているからだ。
「まさか、あんなことになるなんて……」
「あればっかりはごめんなさい……」
「私も、変な妄想で夢中になってしまって……」
 他の人達が来るまでの間、三人の間には沈痛な空気が流れてしまうのであった。



 一方、その頃姫香はというと……
「…………」
 陽が陰って暗くなってくる部屋の中、黙々と『グザイ』に餌の鶏肉をあげていた。
 スッポンの餌は亀用のもので問題ないのだが、食用として購入した以上、変なものは食べさせられない。そのを食すのであれば『グザイ』の飼育も、それを前提として注意する必要が出てくる。
 ただ幸いなことに、姫香の体質上、普段から購入している食材には細心の注意を払っていた。調理中に出た余りの可食部を与えておけば、餌代含めて解決してしまう。特にスッポンは肉食性なので、変な味付けさえしなければ、最悪鮮度の落ちた肉や魚でも問題ない。
「…………」
 唯一の問題は、今のままでは『グザイ』を食べられないことだった。
 大きさ的にも、そして……姫香の体質的にも。
 今は『グザイ』が成長しつつ、細胞が入れ替わるのを気長に待つしかなかった。
(…………暇)
 今日は睦月が出掛けている。仕事ならまだしも、私用で、だ。
 普段は睦月を待っていることの多い姫香でも、仕事と私用では心持ちがまったく違ってくる。
 終わったらすぐに帰ってくることは事前に聞いているものの、睦月が自分の知らないところで人間関係コミュニティを形成してくるのは、姫香の心に重い何かが圧し掛かってくるからだ。
(私も学校の・・・友達・・の所へ、遊びに行こうかな……)
 しかし、当の姫香は知らなかった。
 その姫香の級友もまた、睦月の心に(色々な意味で)重い何かを圧し掛けていることを。



「――とまあ、初日から今日までごちゃごちゃしちまったが……そんなことは気にせずかんぱ~い!」
『かんぱ~い……』
 先に着いていた三人の空気に感化されて一人、また一人と暗い雰囲気を纏わされていたのだが、幹事である洋一は予約の確認もあり、最後に来た為にさほど大きな影響を受けなかったのが唯一の救いだった。本人の気性もあるものの、どうにか雰囲気を戻そうと、できるだけ明るく乾杯の音頭を取っているのが伝わってきた。
 普段から酒類を楽しんでいるのは裕と洋一だけなので、親睦会の会場は商店街の中にある料理中心の洋食店で行われている。後は程度の差はあれど、アルコールを飲んだことのない由希奈以外は、あまり飲む習慣はない者達ばかりだ。
「でも先生は軽い晩酌とかしてる印象イメージでしたけど、お酒とか駄目なんですか?」
「いや、好きな方なんだけどね……」
 何となくではあるものの、博打打ちは飲酒をする印象イメージを持っていた睦月が紅美にそう問い掛けると、肯定しつつも否定的な反応を返されてしまう。
縁起の良悪ジンクスって言うか……パチンコで勝利の美酒に酔いしれる度にお金がどんどん無くなっていくのよね……」
 つまり、酔うと散財するらしい。下手をすれば、ホスト通いすらしている可能性もあった。
「そっ、そういや睦月と拓はどうなんだ!?」
 また雰囲気が暗くなりそうなので話を逸らそうと、洋一は残り二名に問い掛ける。ちなみに言うまでもないが、『拓』とは拓雄のことである。
「体質的には強いんですけど、職業上の理由で普段からあまり飲まないんですよ」
 実際、睦月は普段からあまり飲む方ではなかった。
 元々アルコールによって思考力、身体能力が低下しない程に強く、そもそも低下したこと自体がなかったのだが……万が一酒気帯び運転で免停にでもなろうものなら仕事に影響する。しかも突発的に依頼を受けることも多いので、偶の付き合い位でしか飲むことはなかった。
 今回の親睦会にしても、企画段階で飲まない人間の方が多いと分かっていたからこそ、睦月もアルコールを避けることにしたのだ。
「そうか。で、拓は?」
「家や仕事の付き合いで飲む程度だが、日本酒や焼酎ばかり出てくるから苦手意識の方が強くなっているな……甘党な分、余計にそう思ってしまう」
 意外なのかは分からないが、拓雄は甘党だったらしい。
「そう言えば……脊戸さんの家業って何か、聞いてもいいですか?」
「あ、俺も気になってた」
『同じく』
 全員からの疑問の声に、拓雄は一つ溜息を吐いてから答えた。
「イベント業で……祭事の企画や運営、警備等を取り仕切ってるのが、主な仕事だな」
「イベント会社なんですね」
 そう返す由希奈だが、それ以外の人間の思考は一致していた。拓雄の話した内容で、思い当たる職業があったからだ。
(もしかして、ヤのつく……)
 自然と複数の視線が、紅美の方に集まっていく。しかし彼女は軽く数回、首を横に振るだけだった。
 仕方がないと洋一は裕に声を掛け、再度話題を逸らすことにした。
「ちなみに裕の旦那は、酒は強いんで?」
「家では基本ビールだけだよ。飲みに行く時しか、他の酒を飲もうとしないかな。独り身だからか、それ以外買うのが面倒で……」
 話している間にも、料理が次々と運ばれてくる。
 最初は烏龍茶を飲んでいた面々だったが食が進むにつれ、それぞれ別の飲み物(ノンアルコール)を注文し出していく。
「そう言えば……宮丸さんの職場って、ここから近いんですか?」
「近いというか……二つ程ずれた通りにあるビルの中のバーだな」
 会場となったこの店の店長とも、商店街の行事イベントで知り合ったらしい。体育会系の勢いノリには少しついて行けないところがあるものの、洋一の交友関係の広さには、睦月も素直に感心していた。
勢いノリはともかく、こういうところは羨ましいよな……)
「最初は職場そこを考えてみたんだが……アルコールが無理なら、止めといた方がいいと思ってな」
「たしかに……それに店によっては、人数多いとかえって迷惑ですしね」
「いや、それ以外にもあるんだが……」
 洋一は頬を掻きつつ、苦々しげに言う。
「ほら、俺って……男性同性愛者ゲイだし」
「ああ……」
 登校日を重ねるうちに、洋一は自分が男性同性愛者ゲイだと(本来の意味で)カミングアウトしてきたのだが、初日の出来事もあってか、特に否定されることはなかった。
「だから職場もゲイバーだしな。たとえ全員差別をしなくても、区別は必要だろう?」
 差別と区別の境界線が曖昧なのもまた、社会的な歪みが生まれる原因なのかもしれない。
「……そういや睦月。お前さん、同性愛者についてどう思ってるんだ?」
「俺ですか? そうですね……」
 洋一からの問い掛けに、睦月はグラスを傾けた後に答えた。
「……正直に言って、どうでもいいですね。その手のことに一つ一つ口出ししても、はっきり言って時間の無駄でしょう?」
 少し……余計な一言を付けて。
「こっちに余計な茶々を入れなければ、もう勝手にしてくれ、って感じですよ。面倒臭い……」
「ある意味……お前さんみたいなのが、社会にもうちょいいればなぁ」
 もう時間も遅い。睦月の答えを聞いた後、洋一は立ち上がって懇親会を閉める為に手を叩き、全員の注目を集め出した。何か思うところがあるのかもしれないが、そんな様子はおくびにも出さずに。
(実際、もっと面倒臭い・・・・知り合いもいるしな……)
 締めの挨拶に耳を傾けながら、そう内心で呟く睦月だったが、現時点での彼は知らない。



 その面倒臭い・・・・知り合いのもとに、姫香が(暇潰しに)遊びに行っていることを。
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